第27話:過誤の、お伺い
ロルフ商会への手紙は、ベンケ商店へのものと、ほとんど同じ文面にした。
季節のご挨拶。長年のご奉公へのお礼。
納品記録と荷受け記録の、わずかな相違。
当家の帳簿の過誤を正したいので、貴店お控えの納品書の写しを頂戴したい——。
同じ病には、同じお薬。
効くか効かないかで、病の深さが、わかる。
ベンケさんには、一服で効いた。さて、こちらの患者には。
お返事は、三日、来なかった。
来ない三日の間に、屋敷の中では、小さなことが二つ、あった。
一つ。蔵の在高表の前で、ベルトルトさんが、長いこと、立っていらしたと、ミーナさんが見た。
一つ。グレーテさんの竈に、ロルフ商会の御用聞きが、世間話をしに来た。台所に御用聞きが来るのは、半年ぶりだそうだ。
紙が動かないとき、人が動く。
四日目に、来た。
ご本人が、ではない。手紙が、一通。
『当商会の納品はすべて納品書のとおりに相違なく、お屋敷の荷受けの行き違いにつきましては、当方の関知するところではございません。なお、お取引の条件は、先代様の御代よりクラム様と取り決めましたる「いつもの形」にて、今後も変わりなく』
……居直り、というものを、紙に書くと、こうなる。
わたくしは、その手紙を、三度、読んだ。
読むたびに、ありがたみが、増した。
一つ。「納品書のとおりに相違なく」と、ご自分で書いてくださった。樽の在高表と、ぶつかる言質だ。
二つ。「クラム様と取り決めた」と、名前を、書いてくださった。
三つ。「いつもの形」と、形が、あることを、認めてくださった。
怒った人の手紙は、証文になる。
お祖母様の家政帳、七十三頁目。
『怒らせてはなりません。ただし、怒って書かれたものは、宝でございます』
怒らせるつもりは、なかった。
なかったけれど、いただいた宝は、ありがたく、しまっておく。
夕刻、執務室で、旦那様に、手紙をお見せした。
旦那様は、読み終えて、眉間に、深い皺を、刻まれた。
「……『いつもの形』。先代の代から、か」
「はい。少なくとも、ロルフ商会のご主人は、そう信じていらっしゃいます。手口が先代様の御代からあったのか、それとも、先代様の御名前が、形だけ使われているのか——それは、まだ、わかりません」
「父は」
旦那様の声が、低くなった。
「父は、気前のよい人だった。情け深くて、ざるで、帳簿など見もしない人だった。だが——盗みを許す人では、なかった」
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」
「……なぜ、あなたに、それが」
「お屋敷の皆さんが、先代様のお話をなさるとき、誰も、声をひそめませんもの」
声をひそめずに語られる故人は、後ろ暗いところのない故人だ。
使用人の声の高さは、帳簿より、正直なことがある。
グレーテさんも、ヴィムさんも、ドーラさんも、先代様の話のときだけは、声が、少し明るくなる。米櫃ごと出してしまうご主人を、皆さん、困った顔で、好いていらした。
旦那様は、少しの間、黙って、それから、手紙を、机に置いた。
「それで。次の一手は」
「ロルフ商会は、捨て置きますわ」
「……捨て置く?」
「居直った方を、こちらから追いかけては、いけませんの。あちらは、こちらが追えないと、踏んでいらっしゃる。お取引を切れば、納入が滞る。納入が滞れば、困るのは屋敷の側。借財のある家は、商人を切れない——と」
「実際、そのとおりだが」
「ですから、切りませんの。次の注文書から、葡萄酒と蝋燭の量を、台所の入用どおりに、直すだけですわ。樽二つを、一つに。蝋燭三百を、九十に。お取引は、続きます。ただ、嘘の乗る余白だけが、なくなります」
「————」
「あちらが、それでも『いつもの形』をお望みでしたら、ご自分から、お声を上げるしかありませんわ。「なぜ注文が減ったのか」と。……減らした分の説明を、わたくし、いつでも、書面でして差し上げられますもの」
旦那様は、長いこと、わたくしの顔を、ご覧になっていた。
「……あなたは、敵を、追い詰めないな」
「追い詰めますと、噛みつかれますもの。出口を一つだけ開けて、そちらへ、歩いていただきますの。——出口の先で、待っているのは、わたくしですけれど」
旦那様が、咳払いをなさった。
笑いを、噛み殺した音に、聞こえたのは、気のせいかもしれない。
このごろ、気のせいが、多い。
帳簿に付けられないものは、数えても仕方がないのに、数えるのが、癖になりつつあった。
『七十日目。ロルフ商会、居直りの手紙一通(宝)。注文書、次より入用どおり』
お読みいただき、ありがとうございます。
怒って書かれた手紙は、宝だそうでございます。
次話「居直りの、根」——居直れる方には、根っこがあるものでございます。
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