第26話:葡萄酒の、樽
火の日の朝、わたくしは、また、裏門の丸太に座っていた。
今度は、お一人ではない。
隣に、コルネリア様が、不機嫌な顔で、座っていらっしゃる。
肩掛けにくるまって、息を白くして、それでも、いらした。
「……どうして、私まで、朝の六時に、丸太なのよ」
「監督が、いてくださると、心強いので」
「ふん。……で? 何を見るの」
「樽を、数えますの。それから、できれば、音を」
「音?」
「樽は、叩くと、中身の高さを、教えてくれますのよ。お行儀の悪い検め方ですから、お行儀のよい言い訳と、一緒にやりますの」
六時の鐘と共に、ロルフ商会の荷馬車が、入ってきた。
二台。樽が三つに、蝋燭の木箱。
馬の息が、朝の冷気に、白い柱を立てた。
荷下ろしの間に、わたくしは、籠を持って、近づいた。
籠の中身は、グレーテさんに持たされた、蒸かし芋。働く方への、朝の差し入れだ。
お行儀のよい言い訳、その一。
「皆さん、朝早くから、ご苦労さま。お芋、いかが」
「こ、これは奥様……! いやあ、ありがてえ……」
荷運びの男たちが、芋に群がる間、わたくしは、荷台の脇に立った。
樽が、三つ。
焼き印は、三つとも『ロルフ』。
ただ、留め輪の艶が、一つだけ、違う。二つは、使い込まれた鈍い色。一つだけ、妙に、新しい。
樽は、商いの道具だ。古い樽は、何度も酒蔵と屋敷を往復して、輪が鈍く育つ。新しい輪の樽は、往復をしていない樽——中身の商いを、していない樽だ。
わたくしは、籠を置く場所を探すふりをして、新しい輪の樽に、籠の角を、こつり、と当てた。
——高い音がした。
葡萄酒の詰まった樽は、低く、重く、鳴る。
いまのは、上半分が、空の音だ。
「コルネリア様。お芋、あちらの方にも、差し上げて」
「は? ……ああ、もう、わかったわよ」
監督どのが芋を配ってくださる間に、もう一度、別の角度で、こつり。
同じ、高い音。
樽は、満杯で納品書に載り、半分で、蔵に入る。
差の半分は、最初から、どこにも存在しない。
卵と、同じ。蝋燭と、同じ。
ただし、こちらは、商会のご主人が、ご自分で詰めた嘘だ。
半分の酒を、満杯の樽の顔で運ばせる。荷運びの男たちは、たぶん、知らない。知っているのは、樽に栓をする手だけだ。
午後、蔵の検めをした。
家政係が蔵を検めるのは、当然の職務なので、誰にも、断らなかった。
断らない代わりに、コルネリア様とミーナさんに、立ち会っていただいた。
検めは、一人でしない。一人の検めは、あとから「見間違い」にされるから。
蔵は、冷たくて、酒と木と埃の匂いがした。
葡萄酒の樽の在り高、十一。
帳簿の上の在り高、十九。
八つの樽が、紙の上にだけ、眠っている。
蔵の隅の、暗がりのあたりに、いることになっている。
暗がりは、便利だ。誰も、数えないから。
数えない場所と、確かめない人と、二十年。この家の嘘は、いつも、同じ三つの材料でできている。
わたくしは、十一の樽に、一つずつ、白墨で小さな印を付けて、日付を書いた。
白墨の音が、こり、こり、と蔵に響いた。
「……それ、何の呪い?」
「棚卸しの印ですわ。今日からこの蔵の樽は、入るときと出るときに、必ず、印と日付を付けますの。印のない樽は、この蔵に、存在しないことになります」
「存在しないことに、なります、って……樽に言うこと?」
「樽にではなく、樽を増やしたり減らしたりなさる方に、申し上げておりますのよ」
蔵の入り口に、新しい在高表を、掛けた。
わたくしの署名入りの。
これで、紙の上の八つの樽は、行き場を失った。
次の棚卸しで「あるはず」の樽がないことが、わたくしの署名の表と、ベルトルトさんの帳簿の間で、正面から、ぶつかることになる。
逃げ場は、二つしかない。樽を八つ、こっそり運び込むか。帳簿の方を、直すか。
どちらをなさっても、動いた跡が、残る。
どちらかの紙が、嘘をついている、という形が、初めて、紙の上に、できあがる。
『六十六日目。樽、紙の上に八つ。蔵に印、在高表に署名』
帰り際、コルネリア様が、ぽつりと、仰った。
「ねえ。……あなたのやってること、地味よね」
「ええ。とても」
「白墨と、署名と、お芋だもの。……でも」
義妹様は、肩掛けを直しながら、前を向いたまま、仰った。
「派手な喧嘩より、ずっと、怖いわ」
「あら。褒め言葉として、いただいておきますわね」
お読みいただき、ありがとうございます。
蔵の樽に、印が付きました。
次話「過誤の、お伺い」——二枚目の書面を、ロルフ商会へ送ります。
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