第21話:義妹様の、帳尻
夜、部屋の扉が、控えめに、叩かれた。
控えめ、というのが、もう、珍しかった。
ミーナさんの叩き方は、いつも元気で、ドーラさんのは、几帳面に三回。
この、迷いながらの二回は、初めて聞く音だった。
開けると、コルネリア様が、立っていらした。
寝間着の上に、肩掛け。腕に、帳面のようなものを、抱えて。
廊下の冷えで、頬が少し白い。長いこと、扉の前で、立っていらしたのかもしれない。
「……入っても、いい?」
「どうぞ」
コルネリア様は、机の上に、抱えてきたものを、置いた。
薄い帳面と、紙の束。
「私の、衣装費の控えよ。仕立屋の請求書も、全部」
「まあ。きちんと、取ってありますのね」
「ふん。……あなたの真似よ。献立のお稽古のとき、言ったでしょ。帳面は、突き合わせて初めて歌うとか、何とか。だから、私のぶんも、突き合わせてみたの。そうしたら」
コルネリア様は、帳面の一頁を、開いた。
お稽古を始めて、まだ半月。
頁の隅に、幼い付け方ながら、ちゃんと、印が付いていた。合わない行に、小さな丸。
丸は、何度か、書き直されていた。
信じたくなくて、何度も引き直した丸の形を、していた。
「春の、夜会用のドレス。私、仕立てを、一着しか頼んでないの。なのに、家政帳の写しだと、私の衣装費、二着分になってる。それから、夏の靴も。一足が、二足に」
「……拝見しても?」
「そのために持ってきたのよ」
突き合わせた。
コルネリア様の言うとおりだった。
仕立屋の請求は、一着分。
家政帳の支払いは、二着分。
差の一着は、紙の上にしか、存在しない。
手口は、屋根と同じ。二度払い。
ただし、今度のは、質が悪い。
十六歳の、母のない令嬢の、衣装費。
誰も、確かめない。本人は帳簿を見ないし、当主は妹の衣装の数など数えない。仕立屋は正しく一着分を受け取って、何も知らない。
確かめない場所から、抜く。
この家でいちばん、声の小さい人のお金から。
帳簿の上の盗みに、軽いも重いもない、とお祖母様なら仰るかもしれない。
けれど、わたくしは、この二行に、初めて、はっきりと、腹が立った。
「……ねえ、義姉様。これって」
コルネリア様の声は、怒っているというより、心細そうだった。
「私の、ドレス代で、誰かが、悪いことをしてるんでしょう。私、気づかないで、八年も……お母様が死んでから、ずっと、こうだったのかしら。私のせい? 私が、ぼんやりしてたから?」
「いいえ」
わたくしは、はっきりと、申し上げた。
「帳簿を確かめるのは、家政を預かる者の仕事です。十六のご令嬢の仕事では、ありません。気づかなかったのは、あなたのせいではなく、確かめる者を二十年置かなかった、家の仕組みのせいですわ」
「……でも」
「それに——あなたは、気づいたではありませんの。お稽古半月で。ご自分の帳面を、ご自分で突き合わせて」
わたくしは、コルネリア様の付けた、小さな丸印を、指でなぞった。
何度も引き直された、勇気の要った丸を。
「お見事でした。わたくしの目より、あなたの丸の方が、先でしたわ。この一件は」
コルネリア様は、目を、何度か、瞬かせた。
それから、ふい、と横を向いて、仰った。
「……べ、別に。当然のことを、しただけだし」
「ええ。その当然が、二十年、この家になかったのです」
「…………ねえ」
「はい」
「この帳面、あなたに、預ける。証拠って、やつなんでしょ。それから——」
コルネリア様は、横を向いたまま、早口で、仰った。
「お稽古、献立の次は、帳簿のつけ方を、教えなさいよね。監督が、丸を付けられないと、困るんだから」
「かしこまりました。義妹様」
義妹様、と申し上げたのは、初めてだった。
コルネリア様は、聞こえなかった顔をなさった。
聞こえなかった顔をする耳が、赤かった。
扉のところで、コルネリア様は、一度だけ、振り向いた。
「……兄様の前の人はね、この家の帳簿が汚いって、わかったから、出ていったのよ、きっと」
「————」
「あなたは、汚いってわかって、洗ってる。……それだけよ。おやすみ」
扉が、閉まった。
それだけよ、の「それ」が、どれほどのものか。
言った本人は、たぶん、半分も、わかっていらっしゃらない。
『五十二日目。衣装費、二度払い。発見者、義妹様。帳面一冊、お預かり』
証人が、一人。
それも、ヴェッセルの家の血の、証人が。
二十年、声の小さかった場所から、いちばん新しい声が、上がった。
お読みいただき、ありがとうございます。
お稽古半月の監督さんが、初手柄でございます。
次話「西棟の、灯り」——夜の西棟に、今度こそ、灯りが点きます。
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