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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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20/23

管財人の、お茶会

 ベルトルトさんから、お茶のお招きが届いた。


『日頃の奥様のご精励に、ささやかながら、お礼を申し上げたく』


 文面は、丁寧の見本のようだった。

 封蝋は、あの、朱に茶の混じる色。


 管財人が、奥方を、茶に招く。

 順序が、おかしい。本来なら、招くのは、こちらの側だ。

 順序のおかしいお招きは、お茶ではない、何かの席だ。


 わたくしは、喜んで、伺うことにした。

 敵陣のお茶会ほど、学べる席はない。それも、お祖母様の教えのうちだ。



 事務室の続きの間に、お茶の支度が、整っていた。


 よい茶器だった。よい茶葉だった。

 お湯の温度も、蒸らしの加減も、申し分なかった。

 卓布は糊が利いて、茶菓子は、町のものではない、王都の焼き菓子。

 この方は、お茶を、人を計る道具にできる程度には、嗜んでいらっしゃる。

 そして、今日の席に、王都の菓子を出す程度には、わたくしを、値踏みしていらっしゃる。


「むさくるしい部屋で、恐れ入ります」


「いいえ。整ったお部屋ですこと。……紙の山の、揃え方ひとつ取っても」


「恐縮にございます。——奥様も、紙のお仕事が、お好きでいらっしゃる」


「ええ、とても」


 一杯目は、世間話で終わった。

 北部の冬の話。王都の流行りの話。

 世間話の間も、あの方のまばたきは、少なかった。世間話とは、互いの呼吸を数える時間のことだ。

 二杯目を注ぎながら、ベルトルトさんは、本題に、入られた。


「奥様。わたくしめから、一つ、昔話を、お聞きいただけますかな」


「昔話、結構ですこと」


「二十年前、わたくしがこの家に参りました頃……ヴェッセル家は、それは、栄えておりました。先代様は、気前のよい、お情け深い方で。領内に困った者があれば、米櫃ごと、お出しになるような」


 お茶が、注がれる。

 注ぎ口から器まで、糸のような湯が、一度も切れなかった。


「ですが、奥様。情けは、家計を痩せさせます。わたくしは、痩せていく蔵を、二十年、見てまいりました。先代様がお隠れになり、借財が表に出て、若様が、あの細いお肩で、全部を負われた。……わたくしは、この家の、痩せていく姿しか、知らぬ者でございます」


「ご苦労、なさいましたのね」


「いえいえ。ですから——」


 ベルトルトさんは、器を置いて、わたくしを、見た。

 笑顔のまま。まばたきの、少ない目で。


「ですから、奥様が、お帳面の上の、小さな埃をお拾いになるたび、わたくしは、ひやひや、いたします。埃の下には、古い傷がございます。傷の下には、先代様のお情けや、お家の恥が、埋まっております。掘り返して、出てくるのは、お金ではのうて、痛みばかり……」


「————」


「奥様は、三年で、お発ちになる方。痛みは、置いていかれた者が、抱えるのでございますよ。若様と、お嬢様が」


 お上手だ、と、素直に思った。


 脅していない。咎めてもいない。

 嘘も、たぶん、半分しか、ついていない。先代様のお情けの話は、きっと本当だ。本当の話で土台を作って、その上に、言いたいことを一枚だけ載せる。

 ただ、わたくしの善意を、痛みの形に、言い換えていらっしゃる。

 お前の掃除は、残る者を傷つける、と。

 若様とお嬢様の名前を、盾の位置に、置いて。


 人の名前を盾にする手は、わたくし、好きではない。

 とても、好きではない。


 わたくしは、二杯目を、ゆっくり、いただいた。

 ゆっくり、は、お返事の支度の時間だ。


「クラムさん。お話のお返しに、わたくしからも、一つ」


「……ほう。何なりと」


「祖母が、家政帳に、こう書き残しておりますの。『埃を拾わぬ家は、埃が積もって、傷が見えなくなります。傷は、見えている間しか、手当てができません』——わたくし、傷を掘り返しに、参ったのではございませんのよ。手当てに、参りましたの」


「…………」


「それに、ご安心くださいませ。わたくし、三年で出ていくかどうか、まだ、決めておりませんの」


 ベルトルトさんの笑顔が、初めて、ほんの一瞬、形を、忘れた。


「契約は、三年で離縁「してよい」でございましょう? 「せねばならぬ」では、ございませんわ。……お茶、おいしゅうございました。三杯目は、わたくしが、お注ぎいたしますわね」


 わたくしは、ポットを取って、あの方の器に、注いだ。

 器を、先に湯で温め直して。

 糸のような湯を、一度も切らさずに。

 完璧な温度で。


「どうぞ。——お熱いうちに」


 いつかの廊下の、お返しだ。

 ベルトルトさんは、器を、受けた。

 受けて、一口、飲んで、それから、静かに、仰った。


「……三年は、お早うございますよ、奥様」


「あら。何のお話かしら」


「いえ。ただの、年寄りの、独り言で」


 お辞儀の角度は、最後まで、完璧だった。

 ただ、今日のお辞儀は、初めて、こちらの目を、見ながらだった。


 目を見るお辞儀は、礼ではない。

 あれは、構えだ。


『四十九日目。お茶会、二杯と一杯。宣戦は、互いに、お作法どおり』


 お読みいただき、ありがとうございます。

 お茶のお作法で、宣戦の交わされた日でございました。


 次話「義妹様の、帳尻」——思いがけない方が、思いがけない帳面をお持ちになります。


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