二枚目の、帳簿
旦那様のお許しが出てから、わたくしの机の上には、写しが、三種類になった。
家政帳の写し。
給金台帳の写し。
それから、納入の控え。
給金台帳の写しは、お許しの翌日に、ベルトルトさんの手から届いた。
添えられた一筆は『旦那様の仰せにより』。
仰せにより、の五文字に、今月のあの方のご機嫌が、全部入っていた。
三冊を、並べて、突き合わせる。
一冊ずつ読んでいたときには、見えなかったものが、並べると、見えてくる。
帳簿は、一冊では、独唱。三冊揃うと、合唱になる。
合唱になると——音の外れた者が、わかる。
一晩目は、何も出なかった。
二晩目も、出なかった。
出ないことに、焦りはしない。帳簿読みの仕事の九割は、何も出ない晩でできている。出ない晩を数えた分だけ、出た晩の数字が、確かになる。
三晩目に、それは、見つかった。
春の、屋根の修繕費。
家政帳に『南屋根修繕 職人手間賃』として、一行。
同じ月の、給金台帳。
『臨時雇い 屋根職人三名 手間賃』として、一行。
金額は、違う。
項目の名前も、違う。
帳面も、違う。
けれど、ヴィムさんの門の記録——出入りの控えを見ると、その月に屋敷へ入った屋根職人は、一組だけ。
一組の仕事が、二冊の帳簿に、別の顔をして、二度、座っている。
一度目は、修繕費として。
二度目は、臨時の給金として。
支払いは、二度。屋根は、一つ。
わたくしは、ペンを置いて、しばらく、その二行を見ていた。
綺麗な手口だった。腹が立つほど、綺麗だった。
『四十五日目。屋根、一つ。支払い、二つ』
これが、手口の骨だ。
卵の水増しでも、幽霊の給金でもない。
本当にあった仕事を、二度払う。
水増しは、現場を数えれば、ばれる。
幽霊は、顔を探せば、ばれる。
けれど、二度払いは、ばれない。仕事は、本当に、あったのだから。屋根は、本当に、直ったのだから。職人に聞いても、職人は正しく一度の手間賃を受け取ったと答えるだろう。誰に聞いても、嘘をつく者がいない。
二冊の帳簿を、同じ机に並べる人間さえ、いなければ。
二十年間、この家には、いなかったのだ。
並べる人間が。
先代様は、帳簿をご覧にならなかった。旦那様は、返済の予定表だけを、渡されてきた。二冊の帳簿は、二十年、同じ手の中にだけ、あった。
わたくしは、お祖母様の家政帳を、開いた。
こういう晩に、開きたくなる。
六十七頁目に、その箴言は、あった。
『同じ買い物を二度書く者は、几帳面なのではございません。二度書く者は、かならず、三冊目を持っております』
三冊目。
表の家政帳と、給金台帳は、二度払いの「出口」だ。
出ていったお金が、どこへ流れて、誰の手元で一つに戻るのか。
それを書いた帳面が、どこかに、ある。
泥棒にも、帳簿は要る。
いいえ——泥棒ほど、帳簿が要るのだ。
自分が盗んだ総額を知らない泥棒は、使いすぎて、足が付くから。
二十年、足の付かなかった泥棒は、二十年分、よく付けられた帳簿を持っている。
几帳面なあの方が、二十年分の流れを、頭だけで覚えているはずがない。
どこかに、書いてある。
事務室か。あの方の私室か。それとも——
わたくしは、ふと、顔を上げた。
鍵の失くなった、西棟の書斎。
夜中に、灯りの点く部屋。
……まさか、ね。
盗んだ帳面を、盗んだ家の、当主の書斎に隠す泥棒が、いるかしら。
いるかもしれない。
誰も入れない部屋は、屋敷でいちばん、安全な金庫だもの。
鍵を、自分だけが持っているなら、なおさら。
それに——主の書斎なら、万一見つかったときに、罪を着る相手まで、部屋が用意してくれる。亡くなった先代様という、言い返さない相手を。
そこまで考えて、わたくしは、自分の想像の意地の悪さに、少しだけ、感心した。
帳簿読みは、性格が悪くなる仕事だと、お祖母様も仰っていた。正確には『性根のよい帳簿読みは、半人前でございます』。
『同夜。追記。三冊目、あり。場所、未詳』
書いてから、わたくしは、ペンを置いて、窓の外を見た。
西棟は、闇の中だった。
今夜は、灯りは、ない。
急がない。
巣の場所の、見当はついた。
あとは、鼠が、自分で扉を開けるのを、待てばいい。
鼠は、月に一度、必ず、動く日がある。
月の七日。
木箱の日だ。
お読みいただき、ありがとうございます。
三冊目の帳簿が、どこかにあるようです。
次話「管財人の、お茶会」——あちらから、お招きが参りました。
ブックマーク・評価をいただけますと、大変励みになります。




