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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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東の別邸の、煙突

 東の別邸へは、馬車で、半日かかると聞いていた。


 けれど、地図で測ると、屋敷から馬で一刻半。

 歩いても、半日は、かからない。

 「半日」は、行きにくい場所だと思わせたい人の、半日らしかった。

 距離は、地図が知っている。遠いと思わせたい人の口より、地図の方が、いつでも正直だ。


 わたくしは、温室の鉢の御礼と称して、コルネリア様を、お誘いした。


「東の森の手前に、秋の初茸の出る斜面があると、グレーテさんに伺いましたの。籠を持って、まいりません?」


「茸狩り? ……ふん。仕方ないから、付いてきてあげる。森は、私の方が詳しいもの」


 護衛に、門番のおじい——ヴィムさんが、付いてくださった。

 ヴィムさんは、先代の代からの門番で、コルネリア様の言う「門番のおじい」その人だ。

 御歳は、七十に近いはずだけれど、歩きは、わたくしより確かだった。五十年、門と領地の道を踏んできた足だ。



 森の手前の斜面で、茸は、本当に採れた。


 コルネリア様は、茸の頭の傾きで、出ている場所を当てる。

 ヴィムさんは、毒のあるものを、籠から黙って、はじいていく。

 籠が半分になった頃、わたくしは、何気ないふうに、申し上げた。


「あら。あちらに見えるのは、別邸ですわね。せっかくですもの、見回りの方に、ご挨拶してまいりましょうか」


 ヴィムさんの足が、一瞬、止まった。


「……奥様。あちらは、その」


「見回りの方が、お三方、いらっしゃるのでしょう? 給金日に、お目にかかれませんでしたから」


 ヴィムさんは、困った顔で、黙った。

 黙る、ということは、嘘をつきたくない、ということだ。

 この方は、何かを、ご存知でいらっしゃる。

 そして、知っていることを、誰にも頼まれずに、五十年、胸に積んでこられた方でもある。門番というのは、そういうお役目だ。


 別邸は、丘の下に、見えていた。


 古い狩猟館。石造りの、どっしりした建物。

 屋根は、まだ、しっかりしている。

 石の壁に、秋の低い日が当たって、建物そのものは、絵のように、静かだった。


 ただ——煙突から、煙が、出ていなかった。


 昼餉の刻限だ。人が三人住んでいれば、竈に火が入る。

 秋の冷えた日だ。人が三人住んでいれば、暖炉に火が入る。

 火は、隠せない。煙突は、家の正直な口だ。


 近づくと、もっと、わかった。


 井戸の釣瓶に、枯れ葉が、積もっていた。

 縄は、乾いて、毛羽だったまま。水を汲む縄は、毎日濡れて、毎日締まる。この縄は、長いこと、水を知らない。

 戸口の前の地面に、草。人の足が、毎日踏む場所には、草は生えない。

 窓は、全部、鎧戸が下りていた。


 人の住む印が、一つも、なかった。


「……誰も、いないじゃない」


 コルネリア様が、小声で、仰った。


「ヨルクも、ターレも、ブルーノも、いないわ。誰も。……義姉様、これ、どういうこと」


「静かに」


 わたくしは、籠の茸を、整えるふりをして、建物を、目に焼き付けた。


 鎧戸。井戸。草。煙突。

 それから、戸口の錠前。

 錠前だけが、新しかった。

 鉄の地金が、まだ、青い。掛けられて、せいぜい一年か二年。

 誰も住まない家の錠前を、誰かが、新しくしている。

 守る物のない家に、新しい錠前。守る物が、ないのではなくて、人に見せられないのだ。


「ヴィムさん」


「……はい」


「給金の袋は、月に一度、ここへ届くのでしたわね。クラムさんの馬車で」


「…………はい。月の、七日に。決まって」


「馬車は、ここで、どれくらい停まりますの」


 ヴィムさんは、長いこと、黙ってから、仰った。

 胸に積んだものを、一つ、降ろすと決めた人の間だった。


「……四半刻も、おりません。荷を、お降ろしになるだけで」


「荷物を。……お給金の袋、三つを?」


「いえ」


 老門番は、首を、振った。


「箱で、ございます。毎月、同じ形の、木箱がひとつ。お降ろしになって、すぐ、お戻りに」


 誰もいない家に、毎月七日、木箱がひとつ、届く。

 そして、給金の台帳には、三つの印が、揃って捺される。


「……ヴィムさんは、それを、ずっと」


「門番は、出入りを、控えに付けるだけでございます。付けたものを、どう読むかは……手前の、仕事では、ございませんので」


 読む者が、来るのを待っていた、という意味にも、聞こえた。


 帰り道、わたくしは、籠の中の茸を見ながら、考えていた。


 箱は、ここに、置かれるのではないのかもしれない。

 ここで、別の誰かが、受け取るのかもしれない。

 誰も住まない家は、人目のない、立派な受け渡し場所になる。


 振り返ると、丘の下の別邸の、二階の鎧戸が——

 一枚だけ、細く、開いていた。


 来たときには、全部、閉まっていた。

 ……はずだった。


 コルネリア様の手を、さりげなく取って、歩を速めた。

 茸狩りの帰りの、ただの姉妹に見えるように。

 背中に、視線の重さを、感じながら。


『三十九日目。別邸、無人の印。錠前のみ新しい。月七日に木箱。鎧戸、一枚』

 お読みいただき、ありがとうございます。

 誰もいないはずの家の鎧戸が、一枚、開いておりました。


 次話「旦那様の、お夜食」——夜更けの執務室に、湯気を運びます。


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