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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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義妹様の、お稽古

 温室の鉢が、届いた。


 大ぶりの素焼きが、六つ。

 町の窯元の品で、縁が厚く、底の穴が、きちんと大きい。よい鉢は、水の抜け方でわかる。

 家計には「温室修繕費」の一行。金額は、わたくしのドレスの、釦三つ分ほど。

 これで枯れずに済む財産があるなら、安い買い物だ。


 届いた日の午後、温室を覗くと、コルネリア様が、もう、植え替えを始めていらした。

 届いてから、たぶん、半刻と待たずに。


「……来たの」


「鉢の据わり具合を、検分に」


「ふん。……そこの子、押さえてて」


 気がつくと、わたくしは、袖をまくって、土を押さえていた。

 義妹様は、人の使い方が、お上手になられた。

 根の詰まった株を、古い鉢から抜く手つきは、わたくしより、ずっと、よかった。八年は、伊達ではない。


「ねえ」


 作業の途中で、コルネリア様が、手を止めずに、仰った。


「献立って、どうやって決めるの」


「あら。急なこと」


「い、いいじゃない別に! ……あなたが台所を変えてから、グレーテの機嫌がいいの。ご飯も、その、おいしいし。だから、仕組みだけ、聞いてあげるって言ってるの」


「では、仕組みだけ」


 わたくしは、土を押さえたまま、お話しした。


 献立は、三つの帳面で決まること。

 仕入れの控えと、蔵の在り高と、季節の出盛りと。

 高いものを我慢するのではなく、安くておいしい時期のものを並べると、勝手に安くなること。

 我慢の献立は、三月で食卓を暗くするけれど、時期の献立は、何年でも続くこと。


「……それ、挿し木と、同じね」


「と、仰いますと」


「無理に咲かせると、株が弱るの。時期に合わせると、勝手に咲くわ」


 わたくしは、少しの間、義妹様の横顔を、見てしまった。

 この方は、家政の半分を、もう、温室で独学していらっしゃる。


「……それ、お稽古したら、私にもできる?」


「できますとも。コルネリア様は、挿し木のできる方ですもの。生き物の世話の段取りができる方に、献立ができない道理がありませんわ」


「ふ、ふうん。じゃあ……明日から、見てあげる。お稽古って言うか、監督よ、監督」


 監督が一人増えた台所は、さぞ、賑やかになるだろう。



 翌朝の台所は、思ったより、静かだった。


 コルネリア様が、神妙な顔で、グレーテさんの手元を見ている。

 グレーテさんが、根菜の皮を、薄く、薄く、剥いていく。

 刃と皮の間で、朝の光が、薄く透けた。


「皮の際が、いちばん、味の濃いところでございますからね。厚く剥くのは、お金を剥いて捨てるのと同じで——おや、奥様」


「お邪魔しております。今日の蒸し煮は、何かしら」


「蕪と、人参の蒸し煮でございますよ」


 蕪と、人参。

 根菜の、蒸し煮。

 わたくしの頭の中で、古い献立表の一行が、頁のしおりごと、めくれた。

 わたくしは、ふと、思い出したふうを装って、伺ってみた。


「グレーテさん。根菜の蒸し煮は、この家の、昔からのお料理?」


「ええ、ええ。先代の奥様の、お好きだった……」


 グレーテさんの手が、止まった。


「……いえ。先代の奥様では、ございません。もっと前の。レナート様の、お祖母様にあたる奥様の、お好物で」


「その頃から、グレーテさんは、台所に?」


「下働きで、入ったばかりの小娘で。……あの頃は、台所だけで八人もおりましてねえ。侍女頭さんが、それは、厳しい方で。献立の控えを、一字でも雑に書くと、書き直し」


「侍女頭さん」


「マルガレーテ様、と仰いました」


 台所の音が、わたくしの耳から、すこし、遠くなった。


 竈の火の音も、コルネリア様の衣擦れも、遠くなって、その名前だけが、近くに残った。


「お若いのに、何でもおできになる方で。奥様の、いちばんのお気に入りで……ある年、急に、お屋敷をお辞めになって。御家の事情とかで、南へ……わたしども、皆、泣きました……」


 グレーテさんは、そこで、わたくしの顔を、見た。

 じっと、見た。

 初対面の日と、同じ目だった。何かを、思い出そうとする目。

 あの日、この方が思い出そうとしていたのは、三十年前の、台所の入口に立つ人だったのだ。


「……奥様。失礼ながら、お国は、どちらで」


「南のリンデンですわ。——祖母は、マルガレーテと申しました」


 グレーテさんの手から、蕪が、ころりと、落ちた。


「…………ああ」


 それは、声というより、息だった。


「ああ、ああ。どうりで。どうりで、お顔が……初めてお見かけした日から、誰かに、似ていらっしゃると……」


 グレーテさんは、前掛けの端で、目を押さえた。


「マルガレーテ様の、お孫様。マルガレーテ様の、お孫様が、ヴェッセルの、奥様に……」


 コルネリア様が、目を丸くして、わたくしと、グレーテさんを、見比べている。


「え、何。どういうこと。義姉様のお祖母様が、うちにいたの? ……え、それって、すごい偶然じゃない」


 偶然。

 そうですわね、と、わたくしは、申し上げた。


 申し上げながら、胸の内で、お祖母様の最後の頁を、思っていた。


『ヴェッセルの家を、お願い』


 偶然に、お願いは、書けない。


 泣きやんだグレーテさんが、蕪を拾い上げて、洗い直しながら、ぽつりと、仰った。


「……今日の蒸し煮は、腕によりを、かけませんと」


 三十年前の奥様の好物が、今夜、この家の食卓に、上る。

 献立というものは、ときどき、帳面より長く、人を覚えている。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 お祖母様の名前が、台所で、見つかりました。


 次話「東の別邸の、煙突」——お給金の届く先を、見にまいります。


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