使用人名簿の、空欄
二月目の最初の仕事は、使用人名簿の確認と決めていた。
家政は、金の前に、人だ。給金は家計の三割を占めるし、人の数が合わない家計は、何をしても合わない。
名簿は、よく整っていた。
名前、生まれ、役目、雇い入れの年、給金の額。
几帳面な字が、十八人分、行儀よく並んでいる。
几帳面な名簿ほど、顔と突き合わせる値打ちがある。紙の上で行儀のよいものを、わたくしは、ひと月で、信用しなくなっていた。
名簿の上の使用人は、十八人。
わたくしが、ひと月かけて顔と名前を覚えた使用人は、十五人。
三人、多い。
「ミーナさん。お屋敷の皆さんを、端から数えていただける? 通いの方も、入れて」
「数えるって、人をですか? いいですけど……一、二、……えっと、厨房が四人でしょ、お掃除が……」
ミーナさんの指折りは、二度やって、二度とも、十五で終わった。
指折りの間、ミーナさんは、洗濯場の人数で一度迷い、門のヴィムさんを忘れかけて、数え直した。それでも、十五。
人の頭数というものは、暮らしている人間が数えると、まず、間違わない。
名簿に戻る。
十五人の名前には、全部、顔が付いた。
残る三つの名前は——ヨルク、ターレ、ブルーノ。
庭師助手。薪番。御者助手。
三人とも、男手。三人とも、五年以上前からの雇い入れ。
そして三人とも、備考の欄に、同じ一行があった。
『東の別邸詰め』
東の別邸。
屋敷の図面で見た。領地の東の外れ、森の手前の、古い狩猟館だ。
先代の頃は、お客様の猟の宿に使ったという。今は、使っていない——はずだ。
使っていない別邸に、庭師助手と、薪番と、御者助手が、三人。
庭のない別邸に、庭師助手。
火を焚かない別邸に、薪番。
馬車の来ない別邸に、御者助手。
五年以上、詰めて。
毎月、給金が、出て。
『三十二日目。名簿十八、顔十五。差の三人、東の別邸詰め』
卵の次は、人。
この家の帳簿は、品を変えて、同じ形の嘘をつく。
同じ形の嘘は、同じ人の手癖だ。
手癖というものは、字と同じで、本人がいちばん、気づかない。
午後、洗濯場の脇を通りかかると、ドーラさんがいたので、世間話のついでに、伺ってみた。
繕い物の籠を、半分、持って差し上げながら。重い籠は、口を軽くする。
「東の別邸には、どなたか、お住まいでしたかしら」
「別邸、でございますか? いえ、あちらはもう、長いこと閉めて……ああ、でも、確か、見回りの者が置いてあるとか。クラム様が、そう」
「見回りの方の、お顔は」
「……さあ。お屋敷には、いらっしゃいませんので。給金も、クラム様が直々に、別邸まで届けておいでだそうで。律儀なことでございますよ」
律儀。
管財人が、月に一度、片道半日と言われる別邸まで、自ら給金を届けに行く。
二十年家を預かる人の労を、誰も、疑わない。
疑わないどころか、感心している。律儀、と。
律儀と、用心深さは、帳簿の上では、同じ字で書かれる。
届け物を、他人の手に、一度も触れさせない。それは、忠義の形にも、隠し事の形にも、なる。
夕方、廊下で、コルネリア様と行き合った。
行き合う回数が、このごろ、多い。
屋敷は広いのに、不思議なことだ。
今日のコルネリア様は、本を一冊、抱えていらした。題は、見えないように抱えていらしたけれど、頁の角の丸まり方で、何度も読んだ本だとわかった。
「義姉様。……今度は、何を数えてるのよ」
「あら。なぜ、数えていると」
「ミーナが言ってたわ。奥様はこのごろ、人を数えてるって。……変なの」
コルネリア様は、つん、と横を向いて、それから、横を向いたまま、仰った。
「ヨルクなら、いないわよ」
「————」
「名簿、見たんでしょ。ヨルクって名前、あったでしょ。……あの人、私が小さい頃の庭師助手よ。お母様のバラの世話をしてた。お母様が亡くなった年に、お屋敷を辞めたわ。泣きながら、辞めていったのを、覚えてるもの」
わたくしは、足を止めた。
「それは……何年前のお話ですか」
「八年前よ」
八年前。
八つの子供の記憶。
ただし、母親のバラと、泣きながら辞めた庭師と、その二つを一緒に覚えている記憶だ。子供は、そういうものを、間違えない。
八年前に、泣きながら辞めた庭師助手が。
名簿の上では、東の別邸で、今月も、給金を受け取っている。
「コルネリア様」
「何よ」
「とても、大切なことを、教えてくださいました」
「……ふ、ふうん? 別に、教えたわけじゃ、ないけど」
コルネリア様は、近道だと言って、歩いて行かれた。
今日の近道は、わたくしの真横を、通るらしかった。
すれ違いざま、抱えた本の背が、ちらりと見えた。
園芸の本だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
八年前に辞めた方が、今月もお給金を受け取っているようです。
次話「雨の、温室」——義妹様と、傘のない場所でお話しします。
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