表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/22

三年の、初めの月

 嫁いで、ひと月が、経った。


 月末の朝、わたくしは、ひと月分の家計を、一枚の書面にまとめた。


 月次の締めは、夜にしない。これも、お祖母様の教えだ。

 夜の数字は、感傷で太る。朝の数字は、嘘をつく元気がない。

 窓から、北の朝の白い光が、机の上に、まっすぐ落ちていた。


 食費、先月比、二割減。

 うち、注文書の改めによる分が、ほとんど。

 台所の働きが落ちたわけでも、食卓が貧しくなったわけでもないことを、献立の控えで、添える。

 数字の隣に、暮らしの証拠を置く。数字だけの報告は、読む人を、不安にさせるから。


 差引で浮いた分の、使い道の提案を、三つ。

 一つ、使用人の冬着の繕い。

 一つ、屋根の雨漏りの、東側だけの修繕。

 一つ、残りは、返済へ。


 冬着を最初に書いたのには、理由がある。

 北部の冬は、もう、廊下の窓のすぐ外まで来ている。それに、検めだの数えだのに付き合わされたひと月の屋敷の皆さんに、紙の上で、お礼が言いたかった。

 署名をして、執務室へ、持って行った。



「月次のご報告に、参りました」


 旦那様は、書面を受け取って、黙って、読み始めた。


 わたくしは、立ったまま、待った。

 読み終わるまで、長かった。

 一枚の紙を、あの方は、三度、読み返した。

 一度目は、ざっと。二度目は、行を指で追って。三度目は——たぶん、書いた人間の手筋を、読んでいた。

 帳簿読みの読み方だった。


「……これを、毎月、出すつもりか」


「家政の締めは、月に一度と、祖母に習いましたので」


「誰に頼まれた」


「どなたにも。——お嫌でしたら、おやめいたしますが、お嫌でない場合に備えて、来月の分も、もう書き始めております」


 旦那様は、書面から目を上げて、わたくしを見た。

 それから、机の引き出しを開けて、書面を、そこへ、しまった。


 ごみ箱では、なかった。

 引き出しの、いちばん上だった。

 鍵の付いた引き出しの、いちばん上。返済の書類と、同じ場所。


「……冬着と、雨漏りは、やってくれ。残りの扱いも、これでいい」


「かしこまりました」


「以上か」


「以上でございます。——いえ」


 わたくしは、一度、言葉を切った。

 言うべきか、ひと月、迷っていたことが、一つだけ、あった。

 数字の裏付けは、まだ、半分しかない。半分で物を言うのは、帳簿付けの作法に反する。

 けれど、この方は、ひと月、わたくしの「散歩」を、黙って通してくださった。

 通していただいた分のお返しは、半分でも、お渡しするべきだと思った。


「旦那様。ひと月、家政を預かりまして、一つだけ、わかったことがございます」


「……聞こう」


「この家は、傾いてなど、おりませんわ」


 旦那様の眉が、わずかに、動いた。


「領地は手堅く、使用人は働き者で、台所は清潔です。傾いた家というのは、もっと、だらしのない数字をしておりますの。この家の数字は——傾いているのではなくて、どこかへ、流れております。傾きと流れは、別のものです。流れは、堰き止められます」


「————」


「ですから、三年で、立て直ります。それだけ、申し上げたく」


 旦那様は、長いこと、黙っていらした。

 疲れた目が、わたくしを見て、それから、机の引き出しに、落ちた。

 何年も、毎晩、お一人で読んでこられたのだろう数字を、「流れている」と言い当てられた方の沈黙だった。


 長い沈黙のあと、旦那様は、短く、仰った。


「……来月の報告も、待っている」


 待っている。

 好きにしろ、ではなく。


 わたくしは、お辞儀の角度を、いつもより、一度だけ深くした。

 角度の貸し借りなら、あの管財人どのに、負けないつもりだ。



 部屋に戻って、お祖母様の家政帳を、開いた。


 ひと月分の書き付けを、ぱらぱらと、読み返す。

 燭台。卵。写しの筆跡。紙の上の馬車。一枚目の書面。献立表。西棟の鍵。

 ひと月で、ずいぶん、頁が進んだ。


 悪くない、ひと月だった。


 帳面を閉じようとして——ふと、最後の頁を、開いた。

 いままで、開いたことのない頁だった。帳面の最後など、白いに決まっているから。


 白く、なかった。


 鉛筆の、薄い字。

 日に焼けて、消えかかった、お祖母様の字が、三行。


『ヴェッセルの家を、お願い。

 あの方との約束を、わたしの代で、終わらせないで。

 帳簿は、嘘をつきません。最後の一枚まで、お読みなさい』


 わたくしは、長いこと、その頁を、見ていた。


 あの方。

 約束。

 最後の、一枚。


 ……お祖母様。

 あなたは、わたくしが、この帳面を持って、この家に来ることを。


 いつ、お書きになったのだろう。

 鉛筆の字は、ペンの字より、先に消える。消える字で書かれた言葉は、たぶん、宛名のある言葉だ。

 この帳面を、いつか最後の頁まで読む誰かへの。

 帳面を、最後の頁まで読む人間を、お祖母様は、一人しか、育てていない。


 窓の外で、夜の風が、鳴った。

 三年の契約の、初めの月が、終わる。


 わたくしは、ペンを取って、今日の行を、書いた。


『三十日目。月次、受領。「待っている」と。最後の頁に、お祖母様より、宿題』


 契約は、三年。

 宿題の期限も、きっと、同じだ。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 これにて第一章、おしまいでございます。お祖母様の宿題と共に、第二章へ続きます。


 次話「使用人名簿の、空欄」——お屋敷には、顔のない使用人が、三人いるそうです。


 ブックマークと評価で、続きを応援いただけますと、大変励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ