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明日のないカレグノス  作者: Aramaki_mai
第六部 最後の朝
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第56話 帰りたい理由

挿絵(By みてみん)

兵舎を出てしばらく歩いてから、レイグは口を開いた。


「俺たちは一度、死んでる」


隣を歩いていたダルクの足が止まった。


「……何?」


数歩先へ出ていたフィエラも振り返る。


午前のカレグノスには、まだ黒い霧の気配はない。崩れた建物の隙間から晴れた空が見え、旧市街のどこかでは別の探索者たちが声を掛け合っていた。


そんな普通の探索の途中で口にするには、あまりにも現実離れした話だった。


「俺だけじゃない」


レイグは二人へ目を向けた。


「三人ともだ」


ダルクの顔から、ウォーハンマーを手に入れた喜びの色が消えた。


「待て。朝からお前が言ってた、同じ日がどうとかって話と関係あるのか」


「ああ」


「俺らも死んだって?」


「そうだ」


「いつ」


聞かれた途端、レイグの喉が詰まった。


「前に三人で行った、高額報酬の遺跡だ」


フィエラの眉が寄る。


「あの遺跡……?」


「かなり深いところまで潜ったやつ?」


「ああ」


二人とも、依頼を受けて地下深くまで進み、大量の宝を見つけたことまでは覚えている。十分すぎる稼ぎを得たあと、レイグがさらに奥へ続く道を見つけたことも、その時に二人がレイグに帰ろうと言ったことも残っていた。


欠けているのは、その先だった。


「俺が聞かなかったんだ。まだ奥に何かあるって思って、そのまま進んだ」


ダルクは何も言わない。


「そのあと崩落が起きて、地下にいた魔物まで出てきた。俺たちは逃げきれなかった」


言葉にするうち、暗い遺跡の光景が蘇った。


血を流しながら立ち続けたダルクも、傷ついた身体で弓を握っていたフィエラも、自分一人を置いて逃げようとはしなかった。


「三人とも、そこで死んだ」


瓦礫の間を風が抜けていった。


しばらくして、ダルクが自分の身体を見下ろす。


「……俺、今ここにいるぞ」


「俺も最初はそう思った」


「死んでる奴が腹減るのか?」


「減るよ。怪我をすれば血も出るし、痛い。ここで死ねば、その一日の間は戻ってこない」


「じゃあ何が死者なんだよ」


「深夜になれば分かる」


レイグは歩き出さず、その場で続けた。


「どれだけ傷ついても、何を拾っても、誰が死んでも、深夜を越えれば全部が同じ朝の状態へ戻る。死んだ人間もまたいるし、壊れた物も直ってる」


フィエラが自分の腕を抱くようにした。


「でも私たちは、その前の一日を覚えてない」


「ああ。覚えてるのは俺だけだ」


「何で?」


「それも分からない」


ダルクが頭を掻いた。


「分からないばっかりじゃねえか」


「だから調べてきたんだよ」


「俺らに何回これ話した」


不意に聞かれ、レイグは答えられなくなった。


「……数えてない」


「そんなにかよ」


「何度もだ」


ダルクは嫌そうに顔を歪めた。


「最悪だな」


「何が」


「俺が毎回忘れて、お前だけ何度も同じような説明してんだろ。面倒くせえに決まってる」


レイグは少し驚いてダルクを見た。


「まあ……そうだな」


「だったら最悪だろ」


それ以上ダルクは何も言わず、レイグも知っていることを全部一度に話すのはやめた。


王と王妃もこの一日を覚えていること、《生命の雫》というものが生者の世界へ戻る手掛かりらしいこと、そして自分はそれを探していることを、まず伝えた。ただし、自分以外にも前の一日を覚えているザイルについては、名前を出して念を押した。


「ザイル・ヴェルグ。俺より長くこの日を繰り返してる男だ。俺たちが前にどう動いたかも、どう戦うかも知ってる。味方じゃないし、何を狙ってるのかも話さない」


「そいつも、今までの俺たちを知ってるのか」


ダルクが聞いた。


「ああ。会っても、俺を知ってるからって信用するな」


フィエラはレイグの顔を見てから、短く頷いた。


「その《生命の雫》を探しに行くんだね」


フィエラが聞いた。


「ああ」


「王様のためじゃなくて?」


「俺たちが帰るためだ」


「三人で?」


レイグは迷わなかった。


「三人で」


フィエラは何か言おうとして、結局何も言わなかった。


ダルクも黙ったまま歩き出し、三人は再び旧市街を進んだ。


何度も通ってきた道で、レイグは前方の曲がり角を見ながら、次にどこまで話すべきか考える。


祭壇に現れた銀色の紋様や、何度も選択を変えて確かめてきたことまで説明するなら――。


左側の崩れた建物から、突然、弦の鳴る音がした。


「伏せろ!」


短い矢が飛ぶ。


レイグが叫ぶのとほぼ同時にダルクが大盾を持ち上げ、クロスボウの矢を受け止めた。金属板の縁で鋭い音が弾け、弾かれた矢が石畳を転がる。


「ゴブリン」


フィエラが弓を構えた。


崩れた入口にクロスボウを持った一体がいる。その右側の瓦礫から槍持ちが飛び出し、反対側の低い壁の陰からも、小盾と短剣を構えたゴブリンが姿を現した。


「ここには――」


「前はいなかったんだろ」


ダルクが大盾を前へ出しながら、クロスボウ持ちへ向かう。


「今日いるなら今日のを見ろ」


「今いる三体を見る」


「右、槍!」


フィエラの声に振り向くより早く、槍の穂先がレイグの胸を狙って伸びてきた。


バックラーを斜めに当てて外へ流し、その勢いを利用して半歩踏み込む。スチールロングソードを横へ振ったが、ゴブリンも咄嗟に身体を捻ったため、刃は胸を外れて左腕を浅く裂いた。


「ギャッ」


敵が槍を抱えるようにして下がったところへ、フィエラの矢が飛んだ。


矢じりが右太ももへ刺さり、ゴブリンの姿勢が大きく崩れる。


レイグは追おうとしたが、視界の左から小盾持ちが迫っていた。


「レイグ」


「見えてる」


振り下ろされた短剣をバックラーで受けて押し返すと、ゴブリンも小盾を突き出して距離を詰めてくる。


正面から押し合わず、レイグは一歩横へずれた。


追って身体の向きを変えたゴブリンの脇が開いた瞬間、ロングソードを下から斜めに振り上げる。刃が脇腹へ食い込み、小盾を握っていた腕から力が抜けた。


敵がよろめいたところへさらに踏み込み、肩口へ二撃目を入れる。


ゴブリンは小盾を石畳へ落とし、そのまま倒れた。


「こっち終わった」


フィエラの声が飛ぶ。


振り向くと、槍持ちもすでに倒れていた。太ももへ刺さった一本に加え、胸にはもう一本の矢が深く刺さっている。


フィエラは敵が動かないことを確かめながら、すでに次の矢へ指を伸ばしていた。


「ダルク」


「今忙しい」


クロスボウ持ちは二射目を装填しようとしていたが、ダルクとの距離はもうほとんど残っていない。


慌ててクロスボウを捨て、腰のダガーへ手を伸ばす。


「遅え」


ダルクの大盾が真正面からぶつかり、小柄な身体を入口脇の石壁へ叩きつけた。


右手のウォーハンマーを振り上げる。


「それ、気に入ったからって壊すなよ」


フィエラが叫んだ。


「敵の心配しろ」


「ハンマーの心配してる」


「もっと悪いわ」


ウォーハンマーの鉄の頭がゴブリンの胸へ食い込み、その身体が壁際へ崩れ落ちた。


それでもダルクはすぐに武器を下ろさず、盾を上げたまま建物の奥を睨む。


「他は!」


「見てる」


フィエラは屋根と壊れた窓を順に確認し、レイグも反対側の路地から背後まで目を走らせた。


しばらく待っても追加の敵は現れない。


「……終わりだな」


ダルクがようやく盾を下ろした。


レイグも息を吐いた。


「悪い。前はいなかったはずだって、そっちに気を取られた」


「だから言っただろ」


ダルクは盾に当たって落ちたクロスボウの矢を靴先で転がした。


「知ってることは使え。でも過去に頭突っ込んだまま歩くな」


「ああ。分かった」


「今度は信用してやる」


「何で上からなんだよ」


「俺が正しかったからだ」


フィエラが笑った。


「今日はダルクの勝ちだね」


「何の勝負だよ」


「二人とも、すぐそうなるよね」


「知らねえ」


三人は周囲が安全だともう一度確認してから、戦った場所を離れた。


少し先にある崩れた壁際なら、通りの両方向を見通せる。そこで荷物を下ろし、レイグは喉を潤す程度に水を飲んだ。


ダルクも大盾を膝に立て、クロスボウの当たった部分を指で確かめる。


「傷、どうだ」


「浅い。この程度なら問題ねえ」


金属板に新しい擦り傷が一本増えているものの、歪みまでは出ていない。


フィエラも矢筒を前へ回し、残りを確認した。


「二本減った」


「拾えそうか?」


「太ももに当てた方は見てみる。胸まで入った方はたぶん駄目」


「危なくないならな」


「分かってる」


「お前までその返事か」


フィエラが眉を上げる。


「レイグほど信用ない?」


「まだある」


「よかった」


「喜ぶところか?」


フィエラは笑いながら水筒に口をつけた。三人は固いパンと干し肉も少しずつ口へ入れ、減った矢と包帯を確かめながら身体を休めた。


短い戦闘だったが、さっきまで張りつめていた空気は少しだけ変わっていた。


ダルクが水筒の蓋を閉め、レイグを見る。


「で」


「何だ」


「俺らは死んでるんだったな」


レイグの手が止まった。


フィエラが顔をしかめる。


「戦闘のあとに戻りたい話題じゃないね」


「俺だって戻りたくねえよ。でも歩きながら聞いてたら敵が出ただろ」


「それはそうだけど」


ダルクが顎を上げた。


「続きは」


レイグは少し考え、まず中断された説明を終えた。王城地下の古い礼拝堂には、銀色の紋様が現れる祭壇がある。《生命の雫》もそこに現れる可能性があり、今日はその礼拝堂へ向かっている。ザイルも祭壇か雫を狙っているかもしれない。


二人が話を飲み込むのを待ってから、レイグは口を開いた。


「俺は帰りたい」


「さっき聞いた」


「生者の母さんとネリナのところへ、帰りたいんだ」


二人には、ネルトアの家にいるミレサとネリナが何なのかまでは、まだ詳しく話していない。


「死んだ時、二人を残した。王家の記録には、『最後に帰る道を選び得た刻へ』とも読める言葉があった。本当にそこへ戻れるかは分からない。でも、戻れるなら今度こそ二人を待たせず、ちゃんと家へ帰りたい。そのためにも《生命の雫》を探してる」


口にするほど、灯りの消えない家で二人が待ち続けた夜が、はっきり形を持った。


それでも以前のように、会いたいという気持ちそのものから目を逸らすことはなかった。


レイグは二人を見る。


「でも、お前らは?」


ダルクの顔が険しくなった。


「何だよ」


「帰りたいか」


「は?」


「前にも聞いた。でも、今どう思ってるかは、今日のお前らに聞きたい。俺は母さんとネリナに会いたいけど、二人は何のために帰りたい?」


「理由がねえと帰っちゃ駄目なのかよ」


「そういう意味じゃない」


「じゃあ聞くな」


「何で怒るんだよ」


「聞き方が腹立つんだよ」


ダルクの声が大きくなった。


「お前だけ帰る理由があって、俺らはお前についてくみたいな聞き方すんな!」


レイグは言葉に詰まった。


「……悪い」


「謝ればいいって話でもねえ」


ダルクは盾の縁を指でなぞりながらしばらく黙り、やがて低い声で言う。


「俺は死ぬつもりで、あの遺跡に入ったんじゃねえ」


レイグは顔を上げた。


「お前の話が本当なら、俺はあそこで死んだんだろ」


「ああ」


「なら帰りたい理由なんか、それで十分だ」


ダルクは大盾の持ち手に通した左手を見た。盾の内側で、指先がわずかに震えていた。


「俺は死にたくなかった。死ぬのは怖えし、今だって刺されるのも、息できなくなるのも嫌だ」


震えていた指が、持ち手をゆっくり握り込む。


「まだ生きてたかった。それじゃ足りねえのか」


「……足りる」


「だったら最初から変な聞き方すんな」


「悪かった」


「だから今は謝んなって言ってんだろ」


フィエラが小さく吹き出した。


「どっちなの」


「俺も分かんねえよ」


「怒りながら迷わないでよ」


「うるせえ」


いつもの勢いが少し戻ったところで、レイグはフィエラへ目を向けた。


「フィエラは?」


「私は……」


彼女は弓の弦に指を触れたまますぐには答えず、やがて視線を上げる。


「次の日が来ると思ってた」


「次の日?」


「うん。あの遺跡が最後になるなんて思ってなかったってこと」


笑おうとしたように見えたが、口元は最後まで上がらなかった。


「帰ったら何食べようとか、次はもう少し楽な仕事にしようとか、そんなくだらないこと考えてたと思う」


レイグには覚えがあった。


あの遺跡の奥でも、フィエラは帰ったら温かい物を食べたいと話していた。


「また三人でどこかへ行ったり、ダルクをからかったり、レイグが無茶したら止めたりするつもりだった」


「最後のは今もやってる」


「そこは黙ってて」


「はい」


「返事だけは素直だね」


フィエラは小さく息を吐いた。


「あそこで全部終わっていいなんて、私は決めてない。勝手に終わったことにされたみたいで嫌なんだよ」


今度は、声に明らかな怒りが混じっていた。


「だから帰りたい。来るはずだった次の日を見たい」


レイグは、二人の顔を順に見た。


ダルクの震えていた左手と、フィエラが笑えないまま「次の日」と言った口元が、同時に目に焼きついた。


「二人が自分で選んだのは分かってる。でも……やっぱり、俺が奥へ行かなければ」


フィエラの表情が変わった。


「それ、もうやめて」


強い声だった。


「でも事実だろ」


「事実だよ」


即答され、レイグは視線を落とした。足元の石畳に走る細い割れ目だけが、妙にはっきり見えた。


「レイグが欲張った。私は帰ろうって言ったし、ダルクだって止めた」


「おい」


「何。違う?」


「……違わねえ」


ダルクも否定せず、フィエラはレイグから目を逸らさない。


「だから、レイグが悪くなかったなんて言わない」


「……ああ」


「でも最後についていったのは私だよ」


「お前らは俺を一人にできなかったから――」


「だから」


フィエラの声が通りへ響いた。


「それを私が選んだの!」


レイグは息を止めた。


「腕を掴まれて連れていかれたんじゃない。危ないって分かってた。それでもレイグを一人で行かせるのが嫌だったから、私がついていった」


「でも――」


「だから、私が決めたんだってば! 何でそこまで自分のせいにするの!」


怒鳴られて、何も言えなくなった。


ダルクも大盾を立てたまま口を開く。


「俺も同じだ」


「ダルク」


「お前が悪かったところまで消すつもりはねえぞ」


「そこは言い訳しない」


「俺だって、お前を一人で行かせるのは嫌だったんだよ。危ねえのは分かってた。だから止めた。それでもついてったのは俺だ。そこまでお前のせいにすんな」


レイグは俯いた。


「……悪い」


「だから今それ言うな」


「じゃあ何て言えばいいんだよ」


「知らねえよ」


ダルクも苛立ち、フィエラはまだ怒った顔のままだった。


誰も上手な答えを持っていなかったし、今ここで全部を整理できる話でもなかった。


しばらく三人の間には瓦礫の隙間を抜ける風の音だけが流れ、やがてレイグは顔を上げる。


「……三人で帰ろう」


ダルクが鼻を鳴らした。


「そのつもりでここまで来てんだろ」


フィエラはまだ笑わなかった。


「帰ったら、今の話の続きするからね」


「ああ」


「逃げないでよ」


「逃げない」


「俺からもある」


ダルクまで口を挟む。


「増えるのかよ」


「お前には言いたいこと多いんだよ」


「今まで散々言ってるだろ」


「足りねえ」


レイグが顔をしかめると、ようやくフィエラの口元が少しだけ緩んだ。


「帰った後、大変そうだね」


「帰る前から大変なんだけど」


「だったら早く帰ろ」


レイグは頷いた。


「ああ」


三人は立ち上がった。


ダルクが大盾を背負い直し、フィエラも矢筒を戻す。レイグはスチールロングソードの位置を確かめてから、二人と並んで再び歩き始めた。


やがて貴族街へ続く分岐が見えてくる。


右へ進めば、何度も確かめてきた比較的短い経路を使える。さらに先には、今日確保する予定だった装備の場所もある。


レイグが右へ足を向けようとした時、左側の通りから金属同士が激しくぶつかる音が響いた。


三人が同時に止まる。


続いて怒声と魔物の唸りが重なり、その直後、人間の悲鳴が聞こえた。


「誰か! こっちを――」


声は途中で途切れた。


レイグは予定していた右の道へ目を向け、それから声がした左の通りを見る。


ダルクはもう大盾に手をかけていた。


フィエラもコンポジットボウを外している。


誰も、祭壇のことは口にしなかった。


三人はただ、助けを求める声が消えた方向を見ていた。


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