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明日のないカレグノス  作者: Aramaki_mai
第六部 最後の朝
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第53話 帰るための地図

挿絵(By みてみん)

その日の朝、薄曇りの下の待ち合わせ場所には、いつもの二人がいた。


ダルクは石壁にもたれ、フィエラは小さな果実を指先でもてあそんでいる。前の一日、三人は王城地下の祭壇を前に、銀色の器が何を求めているのか話した。


答えらしきものは見えたが、《生命の雫》も出口も、まだ現れていない。


その時間を覚えているのは、今日もレイグだけだった。


「遅え」


ダルクの声が飛んでくる。


いつもの返事が口まで出かかったが、レイグは飲み込んだ。


「今日は兵舎まで付き合ってくれ。そこで話す。それと、今日は奥へ行かない」


ダルクの表情が固まった。


「……は?」


「そっちの方が怖いんだけど」


フィエラまで果実を持つ手を止める。


「何でだよ」


「レイグが自分から奥へ行かないって言った」


「俺だって毎回奥まで行くわけじゃない」


「毎回?」


ダルクの眉が寄った。


しまったと思ったが、もう遅い。


「その話も兵舎でする」


「朝から面倒くせえな」


「でも行くんでしょ?」


フィエラが聞く。


「こいつ一人で行かせる方が面倒だからな」


「じゃあ決まり」


前の一日の約束など二人は覚えていない。それでも、今朝の二人は今朝の判断でまた隣に立った。


三人は乗合馬車で前線拠点へ向かい、古い石橋を渡った。レイグは知っている道だからと先走らず、角や建物の入口ではその日の状況を確かめた。兵舎へ着くまで大きな戦闘はなく、訓練場にも敵影はなかった。


武器庫の前で、レイグは閉じた扉を指した。


下側が枠へ食い込んでいる。三人で肩を当ててずらし、中へ入ると、レイグは武器の棚へ行かず、古い机の埃を袖で払った。崩れた炉から炭の欠片を拾い、机へ一枚の紙を広げる。


「装備を見ないのか?」


「二人が自分で選んでくれ。俺は先に、忘れないうちに描く」


「朝から何を忘れるの」


フィエラの問いに、レイグはまだ答えず、紙へカレグノスの城壁を引き始めた。


ダルクは怪訝そうにしながらも右奥を探り、折れた槍の柄を退けてウォーハンマーを見つけた。鉄の頭を持ち上げ、重心を確かめた途端、口元が緩む。


「……何も言ってないぞ」


フィエラが先回りした。


「顔で分かるよ」


「うるせえ」


ダルクはバトルアックスを棚へ置き、ウォーハンマーに持ち替えた。フィエラは奥の木箱から使える矢を選び、小棚の三本も光へ透かす。底に黒い沈殿のある一本だけを戻し、残るヒールポーション二本をレイグの荷袋へ入れた。


レイグも左の棚からスチールロングソードを取り、朝の剣と交換する。それでも紙から目を離さず、城門から兵舎、市場跡へ線を伸ばした。


「知らねえ道まで描いてるな」


ダルクが机の向こうへ回る。


「だから話す。信じろと先に言う気はない。でも今日は、二人にこの地図の穴を見つけてほしい」


「穴って?」


「同じ朝へ戻るたび、俺だけが前の一日を覚えてる。ここに描く道も、何度も通った」


「待て」


ダルクが椅子を引き、紙の前へどかりと座った。


「一気に言うな。まず、その地図で何をする気か話せ」


フィエラも向かいの椅子へ腰を下ろし、矢を膝へ置く。


二人とも信じた顔ではなかった。それでも席を立たず、レイグの次の言葉を待っていた。


*


「……つまり」


しばらくして、ダルクが額を押さえた。


「俺とフィエラは、その話を何回も聞いてるのか」


「ああ」


「何回もお前を信じた」


「ああ」


「でも朝になったら全部忘れる」


「そうだ」


「王様も王妃も覚えてて、ザイルって奴も覚えてる」


「そこまで合ってる」


「なのに俺は今、初めて聞いた」


「……そうだ」


ダルクは大きく息を吐いた。


「頭痛え」


「そこは俺にもどうしようもない」


「お前だけ何日分も覚えてて、よく頭おかしくならねえな」


「なりかけたよ」


レイグが答えると、ダルクは何も言わなかった。


フィエラは古い机の向かい側に座り、レイグが広げた紙を見ていた。


「その紙も、朝になったら消えるんでしょ?」


「消える。だから今、二人にも見てほしい」


レイグは、紙の中央に描いたカレグノスの城壁を指した。


頭の中に積み重なった情報を、一度ここへ描き出す。自分では気づかなかった穴を、二人なら見つけるかもしれない。


「帰る方法を探す」


二人が黙る。


レイグは地図へ線を描き足した。


市場跡から職人街へ道を伸ばし、貴族街の位置も置く。その中央寄りに王城を描き、これまで利用した地下への入口や、途中で崩れたことのある通路も書き加えていった。


王城北側の地下通路には、壁を深く抉った巨大な爪痕と、何か重いものを引きずった跡も書き込む。以前、奥から低い咆哮だけを聞き、姿を確かめず引き返した場所だ。


「ここは使わない。何がいるのか分からないけど、三人で相手にする大きさじゃない」


ダルクもフィエラも、その印には異を唱えなかった。


「王城西側から入る道は近いけど、人が集まると詰まりやすい」


ダルクがパンを持ったまま、もう片方の手でその道を塞いだ。


「じゃあ、詰まった。次は?」


レイグは指の横から、別の入口へ線を引き足した。


「こっち。遠回りになるけど、今まで通れた日が多かった。ただ、人も魔物も同じようには動かない。天気でも変わる」


「だったらこっちも塞がるかもね」


フィエラが確認していた矢を一本、紙の上へ渡す。レイグは炭筆を止めた。


「二人して塞ぐなよ」


「穴を見つけろって言ったの、お前だろ」


「だから今、考えてる」


レイグは新たな道を書き込む前に、崩れたことのある通路を指した。


「こっちへ逃げるのは危ない。ここまで塞がってたら、もっと手前で進むのをやめる。装備を先に取られてても追わない」


フィエラは紙の上の矢を取り、軸についた炭の粉を払った。


「帰る道も選べるようにしてるんだ」


「ああ。未来を当てたいわけじゃない」


ダルクはまだ西の道を塞いでいた。レイグがその指を退かすと、紙にパン屑が残る。


「食いながら邪魔すんな」


「だから、お前が見ろって――」


「水。二人とも、一回飲んで」


レイグは水筒を取り、喉を湿らせてから再び紙へ向かった。


貴族街の一角へ印をつけようとしたところで、フィエラの声が飛んでくる。


「そこは?」


「崩落が起きやすい場所だ」


「人もよく巻き込まれる?」


レイグの手が止まった。


「……ああ」


「だから書くの?」


「危険な場所だからだ」


「それだけ?」


責める声ではなかった。


だからこそ、レイグはすぐ答えられなかった。


そこで負傷した探索者を助けた一日もあれば、助けを求める声を振り切って祭壇へ急いだこともある。さらには祭壇を反応させるため、誰かを助けること自体を目的にした一日まであった。


ダルクも紙へ目を落とした。


「助ける場所まで予定に入れんのか?」


「……いや」


レイグは印の横へ、崩落注意とだけ書き加えた。


「危険な場所として覚えておく。それだけだ」


「誰かいたら?」


「その時に見る」


「一人で決めんなよ」


ダルクがすぐに言った。


レイグは顔を上げる。


「三人で決める」


「俺らも一緒にいるなら、三人で決めろ」


「ああ」


レイグは「崩落注意」の文字を見つめた。危険な場所も近道も地図には書ける。けれど、そこで誰を助けることになるかまでは、先に決められない。


顔を上げると、ダルクとフィエラがこちらを見ていた。レイグは地図を自分だけの側へ引き寄せるのをやめ、三人の中央へ置き直した。


「霧は?」


ダルクが聞いた。


レイグは城壁の外周に沿って線を引く。


「午後になれば外から入ってくる。そこだけは変わらない。でも、どの地区へどの時刻に届くかまでは読めない。天気や戦い方でもずれる」


「一番大事な時間が読めねえじゃねえか」


「だから余裕を残す」


ダルクが顔を上げた。


「お前が?」


「何だよ」


「ぎりぎりまで行きたがるお前が、余裕を残す?」


「好きでやってるみたいに言うな」


「違うのか?」


レイグは言い返しかけたが、言葉を飲んだ。


まだ行ける。


あと少しなら進める。


そう考えて、生前の自分は帰るべき場所からさらに奥へ進んだ。


「……今度は残す」


「今度だけじゃ困る」


「分かったよ」


フィエラが、紙に描かれた王城を指で示した。


「じゃあ、一番大事なのはこの下?」


「ああ」


レイグは地下へ線を伸ばし、古い礼拝堂の祭壇を小さな四角で描いたところで、筆が止まった。


祭壇から先だけ、何も書けない。


ダルクが白紙の部分を指で叩く。


「で、ここからは?」


「分からない」


「《生命の雫》が出たら?」


「それも分からない」


フィエラが続けた。


「どうやって帰るのかも?」


「ああ」


ダルクは白い部分をしばらく眺め、呆れたように息を吐いた。


「肝心なところが全部分からねえじゃねえか」


「分からないものを分かったふりして書くよりいいだろ」


「そりゃそうだけどよ」


レイグも白紙を見た。


道も、武器の場所も、霧の性質も、祭壇が変わった時に自分たちが何をしていたかも覚えている。


それだけ知っていても、最後の部分だけは埋まらなかった。


王もザイルも知らない以上、自分たちでそこまで行って確かめるしかない。


「次で、今まで分かったことを全部試す」


レイグが言った。


ダルクは腕を組む。


「失敗したら?」


「また考える」


「じゃ、成功したら?」


今度はフィエラだった。


成功という言葉の方が、失敗より答えにくかった。


家の食卓が浮かぶ。


ミレサとネリナがいる、何度も繰り返してきた朝。そして、生者の二人のもとへ帰り、今度こそ帰らない夜を迎えさせずに済むかもしれない時間。


帰る先を選ぶことは、もう一つの食卓へ背を向けることだった。


「……帰る」


それだけ答えると、フィエラは何も言わず、ダルクも茶化さなかった。


しばらく三人で地図を眺めたあと、レイグは紙を丁寧に折った。


「まあ、これも次の朝には消えるけどな」


言った瞬間、ダルクの顔が険しくなった。


「それ、やめろ」


「何が」


「まだ忘れてねえ俺を、先に忘れた奴みたいに扱うな」


レイグは言葉に詰まった。


「次の朝の俺がどうなるかなんて知らねえし、俺にはどうしようもねえ。でも今の俺は聞いた」


以前なら、自分だけが覚えている苦しさをぶつけていたかもしれない。


今は、ダルクが何に怒ったのか分かった。


「……悪かった」


ダルクが少しだけ目を見開く。


「何だよ」


「謝ったんだよ」


「いや、聞こえたけど」


「じゃあ何だ」


「素直だと気持ち悪い」


「謝らなきゃよかった」


フィエラが声を上げて笑った。


「今のはダルクが悪い」


「何でだよ」


「せっかくレイグが成長したのに」


「子供みたいに言うな」


「じゃあ大人になった」


「そういう問題じゃない」


三人の声が、古い兵舎の部屋へ響いた。


*


帰りの石橋へ着いた時にも、空はまだ明るかった。


午後に入ったため、カレグノスの外周では黒い霧がすでに広がり始めている。それでも城門や石橋まではまだ距離があり、今から引き返したとしても、短い探索なら続けられるだけの時間は残っていた。


橋の途中で一度だけ足を止めて振り返ると、崩れた城門の向こうに王城の尖塔が見えた。


「どうした」


ダルクが聞いた。


「いや」


「まだ行けるぞ」


その一言に、レイグは王城を見たまま黙った。


兵舎で装備を整えたばかりで、薬もほとんど使っていない。魔力にも余裕があり、身体には大きな傷一つなかった。


今から戻れば、まだ先へ行ける。


以前の自分なら、その理由だけで城門へ向き直ったかもしれない。


「本当に帰るの?」


フィエラが聞いた。


レイグはようやく王城から目を離した。


「ああ」


「珍しいな」


ダルクが言う。


「何が」


「まだ行けるのに、お前から帰るって言うのがだよ」


「悪いか」


「悪くはねえ。気持ち悪いだけだ」


「お前、今日それ何回言うんだよ」


「気持ち悪い時に言ってる」


「じゃあ黙れ」


フィエラが笑いながら、二人より先に歩き出した。


レイグもその後を追おうとして、もう一度だけ城塞都市を振り返った。


まだ行けるからといって、行かなければならないわけではない。


「今日はこれで十分だ」


口にすると、隣にいたダルクは大盾の肩帯へ親指を掛けたまま、城塞都市と石橋を一度ずつ見比べた。


「……そうかよ」


「ああ」


三人はそのまま石橋を渡った。


ネルトアへ戻る馬車の中で、フィエラが手を出した。


「地図、もう一回見せて」


レイグは懐に手を入れた。夜を越えれば消える紙だ。そう言いかけ、何も言わずに渡す。


フィエラが折り目を開くと、ダルクまで横から覗き込んだ。


「おい、そこ折るな。西の入口が見えねえ」


「そっちが引っ張るからでしょ」


二人とも紙の端を離さなかった。レイグは揺れる荷台で膝を寄せ、真ん中にできた隙間から、自分が引いた線を覗き込んだ。


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