第51話 同じ道では帰れない
「下へ抜ける道がある」
リュシェナの言葉を遮るように、入口を塞いだ机へ槍が突き刺さった。
木板が割れ、穂先がレイグの顔のすぐ横まで伸びる。
「っ!」
レイグは身を引きながらスチールロングソードを振り、槍を外へ弾いた。
「話はあとだ! 先にこいつを止める!」
「分かってる!」
ダルクが大盾を入口へ押しつけた。
右前腕から流れた血が、ウォーハンマーの柄を握る手まで伝っている。先ほど落ちてきた石を受けた大盾にも、金属板の端から細い亀裂が走っていた。
もう一度、槍が隙間から入ってくる。
ダルクは左腕で盾を傾け、穂先を家具へ滑らせた。
「フィエラ!」
「外も見てる!」
フィエラは割れた窓の向こうへ矢を向けていた。
下の庇に落ちたガーゴイルが、傷ついた翼を広げながら壁へ爪を掛けている。左翼の付け根と後ろ脚にはすでに矢が刺さっているが、まだ諦めてはいない。
石の身体が壁を蹴った。
「来る!」
フィエラが弦を放す。
矢は頭を外したものの右肩へ当たり、ガーゴイルは窓枠へ届く前に体勢を崩して、再び庇へ落ちた。
「今なら少し持つ!」
「ダルク、机押せ!」
「右腕痛えんだよ!」
「じゃあ肩使え!」
「簡単に言うな!」
怒鳴りながらも、ダルクは大盾を一度壁へ立てかけ、左肩を机へ押し当てた。レイグも入口から離れない範囲で机の端を蹴る。
重なっていた棚がずれ、机との隙間を塞いだ。
向こうから槍が突き込まれたが、今度は穂先が板を浅く割っただけで止まる。
「これで少しは稼げる」
レイグは荷袋を下ろした。
「フィエラ。リュシェナを見てくれ」
「分かった」
「待って」
壁際に座っていたリュシェナが言う。
「何だよ」
「薬は要らない」
ダルクが振り返った。
「は?」
「歩けるようになればいい。包帯だけで――」
「お前、左脚見えてんのか?」
ダルクの声が一段低くなる。
リュシェナの左腿からは、押さえている手の下を通って血が流れていた。革の脚当ても大きく裂け、床には赤い跡が広がっている。
「俺らから薬一本盗って飲んだ奴が、今さら節約すんな!」
「あなたが怒るところなの?」
「一番怒っていいだろ!」
「今それやってる場合じゃないよ!」
フィエラが二人の間へ割り込み、リュシェナの前へ膝をついた。
「手、どけて」
「自分でできる」
「できる人は窓から落ちかけない」
「落ちてない」
「あと指一本だったじゃん」
リュシェナが睨む。
フィエラも退かない。
「早く」
短い沈黙のあと、リュシェナは傷を押さえていた手を退けた。
フィエラが水を含ませた布で血と汚れを拭う。
「深いね」
「見れば分かる」
「口は元気だ」
荷袋からヒールポーションを一本取る。
「飲んで」
「……借りにはしないから」
「誰も貸すって言ってないよ」
押しつけられた小瓶を、リュシェナは少し迷ってから受け取った。
飲み干す。
傷の縁がゆっくり閉じ始めたが、深く裂けた部分までは塞がらない。
「やっぱり完治はしない」
「分かってる」
「じゃあ動かさない」
フィエラは傷へ布を当て、その上から包帯を巻いた。
「次、ダルク」
「俺は後でいい」
「もう後だよ」
「まだ戦える」
「柄、血で滑ってたでしょ」
ダルクが黙る。
レイグは残る一本を取り出した。
「飲め」
「……今日は薬が減る日だな」
「誰かさんが一本盗ったからな」
リュシェナを見る。
「まだ言うの?」
「一日中言ってやる」
「一日終わる前に霧に呑まれそう」
「縁起でもねえこと言うな!」
ダルクはポーションをあおった。
右前腕から流れていた血が弱まる。
レイグが布を巻いている間も、ダルクは左腕の大盾を入口へ向けたままだった。
「握れるか?」
包帯を結び終え、レイグが聞く。
ダルクは右手を開閉した。
「握れる。ただ、思い切り振るのを何度もやるのは無理だ」
「歩くのは?」
「腕怪我して何で歩けなくなるんだよ」
「確認だ」
「お前、最近そういうとこ細けえな」
「細かくしないと怒るだろ」
「怒る」
「じゃあいいだろ」
レイグは空になった小瓶の一つを荷袋へ差し込んだ。
もう一つはリュシェナの足元に転がっている。
レイグは荷袋の口を閉じ、背負い直した。
これでヒールポーションはない。
フィエラの矢も、今日の追跡を始めてから五本減っていた。風魔法も重ねている。レイグ自身もウィンドステップを続けた身体の重さが抜けていない。
長く籠もれる状態ではなかった。
「それで」
レイグはリュシェナを見る。
「さっきの道って何だ」
彼女は包帯を巻かれた左脚を伸ばしたまま答えた。
「この邸宅の下。倉庫側へ抜ける通路がある」
「倉庫?」
「外壁沿いの」
レイグの表情が変わった。
「待て。あそこは行き止まりだ」
「どこまで行ったの?」
「地下の石段から真っ直ぐ入った。百歩くらい先で崩れてる」
検証を繰り返していた頃、自分の足で確かめた場所だった。
あの瓦礫には、人一人が抜けられる隙間さえなかった。
リュシェナは首を振る。
「そこまで行かない」
「何?」
「荷扱い場の手前で横へ抜ける。浅い方」
「そんな道――」
「ある」
「何で知ってる」
「今日通ったから」
レイグは黙った。
追跡の途中、リュシェナはこの邸宅へ迷わず入った。自分が行き止まりだと思っていた建物からも、別の壁を伝って抜けてみせた。
彼女には、今日自分の足で確かめた道がある。
「そいつの言うこと、本気で信用すんのか?」
ダルクが低い声で聞いた。
「信用しなくていい」
答えたのはリュシェナだった。
「自分で見れば?」
「言われなくてもそうする」
ダルクが睨む。
フィエラは入口の脇へ寄り、家具の隙間から踊り場を窺った。槍先が板を叩くとすぐ顔を引き、通路の端に見えた小さな戸口を示す。
「さっきリュシェナが入ろうとしてた小さい戸、あれだよね?」
「そう」
「そこから下?」
「階段がある」
フィエラは目を閉じる。
「サーチ」
かすかな風が室内を抜けた。
しばらくして目を開く。
「この近くに大きい反応はない。階段の槍持ちと、外のガーゴイルくらい」
「その先は?」
「そこまで細かく分かる魔法じゃないよ」
「だよな」
レイグは入口の家具を見る。
槍の穂先がまた板を穿った。
ここにいれば、いずれ破られる。
「俺が知ってる道なら――」
「今の私じゃ遅い」
リュシェナが言った。
腹は立つ。
それでも否定できない。
以前にも、自分は道を知っていながら、今日できた瓦礫や負傷者が通れる幅までは分からなかった。ゴルディスやフィエラたちの判断がなければ、あの時も全員では戻れなかった。
知っている道と、今使える道は違う。
「……使う」
レイグが言った。
ダルクが顔を向ける。
「本気か?」
「フィエラも入口を見た。リュシェナがここへ来た動きとも合う。俺の知ってる遠回りより、負傷者を運びやすい」
「罠だったら?」
「その時はこいつも一緒に引っかかる」
「雑ね」
「お前が言うな」
リュシェナが少しだけ口元を歪める。
「じゃあ決まり?」
「ああ。ただし先頭は俺だ」
「道知らないのに?」
「言え。俺たちも確認しながら進む」
今度はリュシェナが何も返さなかった。
*
入口を塞いだ机が大きく揺れた。
「来るぞ!」
レイグは剣を構える。
「ダルク、槍止められるか?」
「左腕は無事だ!」
「フィエラ、ガーゴイル!」
「任せて!」
「リュシェナ。立てるか」
「支えがあれば」
「素直だな」
「今だけ」
レイグはスチールロングソードを鞘へ戻し、リュシェナの右腕を自分の肩へ回した。
入口の机が傾く。
槍先が板を突き破った。
「今!」
ダルクが大盾を押し込み、家具ごと入口へぶつける。
槍が盾の表面を擦った。
「行け!」
レイグはリュシェナを支えて部屋を出た。
踊り場の端に、小さな戸口が見える。
「あそこだ」
「右!」
「見えてる!」
「さっき左見てた」
「周り見てんだよ!」
戸口まで数歩。
レイグの後ろで弦が鳴った。
窓から頭を出したガーゴイルの頬を矢が掠め、石片を散らす。
これ以上、矢を無駄にはできない。
レイグは戸を蹴り開けた。
下へ続く細い石段がある。
「ここから?」
「下りて、最初の分かれ目を右」
「フィエラ!」
「行って!」
レイグはリュシェナを支えながら階段を下りた。
彼女の左脚が石へ触れるたび、身体が強張る。
「左脚つくな」
「分かってる」
「何度もついてる」
「あなたが急ぐからでしょ」
半ばまで下りたところで、上からダルクの声が落ちてきた。
「レイグ!」
振り返る。
ダルクが戸口まで後退していた。
大盾はまだ上がっているが、右腕は身体の横へ落ちている。
「これ以上は右手使えねえ!」
レイグはリュシェナを壁へ寄せた。
「ここで待て」
「置くの?」
「少しだけだ!」
階段を駆け上がる。
「俺が代わる!」
「そいつどうすんだ!」
「私が持つ!」
フィエラが弓を背へ回した。
レイグとすれ違い、リュシェナのところまで下りる。
「右側入るよ」
「一人で歩ける」
「今それ言う?」
「言う」
「却下」
フィエラはリュシェナの右腕を肩へ回した。
「レイグ、こっちは行く!」
「頼む!」
レイグはダルクの横へ入った。
槍が来る。
バックラーで穂先を流し、スチールロングソードを抜く。
肩口へ一撃だけ入れると、槍持ちが後ろへ傾いた。
「下がるぞ!」
「待ってました!」
ダルクが大盾を敵に向けたまま、階段へ入る。
レイグも一歩ずつ後退した。
槍持ちは追ってくるが、狭い階段では一体しか入れない。
倒し切る必要はない。
距離を作ればいい。
「左!」
下からリュシェナの声が飛ぶ。
「何が!」
「そこ曲がったら、布が垂れてる!」
レイグが角を曲がる。
古い布が通路を半分塞いでいた。
フィエラに支えられたリュシェナがダガーを抜く。
「止まって」
「何するの」
「これ切る」
布を吊るしている革帯へ刃を入れる。
一度では切れない。
二度目で裂けた。
重い布と、その向こうに立てかけられていた薄い戸板が通路へ倒れ、追手との間を塞ぐ。
「走れなくても役には立つ」
「自分で言うんだ」
「フィエラ、今は褒めとけ!」
ダルクの声が飛ぶ。
「よくできました!」
「腹立つ」
「褒めたのに!」
レイグも角を抜けた。
全員が通ったことを確認してから、倒れた戸板へ肩を入れる。
向こう側で槍先が板を叩く。
すぐには抜けない。
「行くぞ!」
四人はそのまま通路を進んだ。
*
薄暗い通路を抜けると、外壁沿いの細い道へ出た。
頭上には薄曇りの空が広がっている。
遠くに黒い霧は見えるものの、まだこの辺りまでは達していない。橋へ向かう探索者たちが何組も道を急ぎ、その一人が「今ならまだ渡れるぞ」と後ろの仲間へ叫んでいた。
ダルクが壁へ背をつける。
「……生きて出た」
「まだ橋渡ってない」
「今くらい言わせろ」
レイグも反論しなかった。
フィエラはリュシェナを壁際へ座らせる。
「立てる?」
「立てる」
「一人で?」
「たぶん」
「その『たぶん』信用していい?」
「あなたたちよりは」
「何で助けた側が信用負けるの?」
リュシェナは壁へ手をつき、ゆっくり立ち上がった。
左脚を庇ってはいるが、先ほどのように崩れ落ちることはない。
走るのは無理でも、歩くことはできそうだった。
「おい」
ダルクが言った。
「薬の件は忘れてねえからな」
「私も返すとは言ってない」
「返せよ!」
「もう飲んだ」
「知ってるわ!」
「じゃあ無理なのも分かるでしょう」
「腹立つな、こいつ!」
フィエラが疲れた顔で笑う。
「そこは私もダルク側」
その時、橋へ向かっていた探索者二人がこちらを見た。
一人がリュシェナの脚に気づく。
「怪我か?」
「歩ける」
「橋まで戻るなら一緒に行くか? こっちも二人だ」
リュシェナはレイグたちを見た。
レイグは口を出さなかった。
少し考えてから、彼女が頷く。
「……行く」
「なら急ごう。霧が来る」
男たちが歩調を落とす。
リュシェナもそちらへ一歩出た。
「待て」
レイグが呼び止める。
「何?」
「さっきの道。逆に行けば王城地下へ戻れるのか」
「戻れる」
「どこで、俺たちが使ってる回廊に合流する」
リュシェナは外壁の角を指した。
「あそこから下へ戻って、崩れた荷扱い場を越える。最初の分岐を左。石段を下れば古い水路へ出る」
「その先の崩落は?」
「行かない。崩れてるのはもっと奥」
レイグは道順を頭の中で重ねる。
それなら自分の知る回廊へつながる。
「分かった」
「まだ疑ってる顔」
「疑ってる」
「そう」
「でも、今日お前が通ったところまでは使う」
「面倒ね」
「薬盗った奴に言われたくない」
リュシェナは答えず、二人の探索者と歩き始めた。
数歩進んだところで振り返る。
「そっちも霧が来る前に帰れば?」
「言われなくても」
ダルクが返す。
「あと、薬代――」
「行くよ」
リュシェナは最後まで聞かずに歩き出した。
「最後まで聞け!」
怒鳴るダルクの声を背中で受けながら、リュシェナは二人の探索者に歩調を合わせて石橋方向へ消えていった。
*
「どうする」
姿が見えなくなってから、ダルクが聞いた。
レイグは王城側を見る。
ヒールポーションはもうなく、ダルクの右前腕には包帯が巻かれている。フィエラも今日だけで矢を六本失い、風魔法を何度も使った。
橋はまだ通れる。外壁側の霧も、今すぐこの場所へ届く距離ではない。
だからといって、邸宅へ入る前と同じ予定では進めなかった。
「先に腕、見せろ」
レイグはダルクの前へしゃがんだ。
「またかよ」
「さっき使えなくなっただろ」
ダルクは包帯を巻いた右腕を少し動かした。痛みに顔をしかめる。
新しい血は広がっていない。だが、指を曲げても、途中から力が入らなかった。
レイグは彼のウォーハンマーを受け取り、腰の留め具へ戻した。
「今日はもう、こっちで戦うな」
「分かってる。盾は持てる」
「歩く間、腕に響かない?」
フィエラが聞く。
ダルクは右腕を身体へ寄せ、数歩進んで戻った。足は止まらない。
「こうしてりゃ歩ける。振り回させんなよ」
レイグは頷き、外壁の角へ目を戻した。
知っている入口へ回り込むつもりはなかった。リュシェナが通った荷扱い場から古い水路へ抜けられるなら、あの遠回りをせずに済む。水路から礼拝堂までと、そこから橋へ戻る道なら知っている。
「あいつの道を、水路につながるところまで確かめたい」
「その先は祭壇か」
「行きたい。でも、水路で帰りの道も確かめてからだ。ダルクが右手を使えなくても、歩いて戻れるか」
フィエラが矢筒へ触れた。残った矢を指で確かめる。
「残りの矢は、帰るために使う。魔法は当てにしないで」
「俺もだ。剣は使えるけど、敵を倒して先へ進むのはやめる。一体でも道を塞いでたら戻る」
「私たちが逃げてきた方には、まだ槍持ちがいるよ」
「分かってる。邸宅へ戻る道は使わない。荷扱い場へ抜けられなかったら、今の出口へ戻って橋へ行く」
ダルクが外壁の角を見た。
「水路まで出ても、道が詰まってたら帰るぞ」
「ああ。別の道は探さない」
「光らなかったからって座り込むなよ」
「しない」
「本当?」
フィエラが聞く。
「……努力する」
「不安だなあ」
そう言いながらも、フィエラは水筒を差し出した。
レイグは一口飲み、ダルクへ渡す。
干し肉も少し口へ入れた。
呼吸を整えてから、三人は先ほどリュシェナに教えられた外壁の角へ向かった。
入口から先を覗き、物音を聞く。邸宅を出る時に押し込んだ戸板とは別の場所だが、敵がいないと決まったわけではない。
レイグは抜いた剣を下げず、フィエラと次の角を確かめてから進んだ。ダルクはその間に入り、右腕を庇ったまま歩く。
崩れた荷扱い場には、リュシェナの言った通り、横へ抜ける場所が残っていた。三人は床の足跡と外から見た位置を照らし合わせ、邸宅側へ続く通路へは入らず、最初の分岐を左へ折れた。
石段を下ると、見覚えのある古い水路へ出た。
「……本当につながったな」
ダルクが呟く。
「ああ」
ここから先ならレイグも知っている。
だが、ここへ来るまでの道を知っていたのは自分ではなかった。
レイグは一度だけ背後を見た。
もうリュシェナの姿は見えない。
レイグは水路の角で止まり、二人へ手を上げた。
先に見るのは、橋へ戻る方だった。
回廊の曲がり角まで見通せる。敵も霧もまだ入り込んでおらず、通路を塞ぐ新しい瓦礫もない。
「こっちが帰り道だ」
フィエラにも指で示す。彼女は曲がり角と背後を順に見てから、頷いた。
「ダルク、歩く速さは落ちてないね」
「腕まで痛くなくなったと思うなよ」
「思ってない。だから、このまま戻れるか聞いてる」
「歩くのはな」
レイグはここまでの歩く速さから、橋まで戻るのにどれくらいかかるかを考えた。リュシェナの道は、知っていた入口へ回り込むより短かった。追手を倒す時間も使わず、ここまで来られている。
今の三人の足で帰る時間は残っている。祭壇の反応を待って、その時間を使い切るわけにはいかない。
「礼拝堂へ行く。中を見たら、この道で橋へ戻る。それでいいか」
「見たら、だぞ」
ダルクが念を押す。
「光るまで、じゃねえからな」
「ああ」
レイグは頷いてから、初めて礼拝堂の方へ身体を向けた。
三人は曲がり角ごとに足を止め、古い礼拝堂へ向かった。
*
礼拝堂へ入った瞬間、レイグは足を止めた。
「……光ってる」
フィエラが先に言った。
祭壇の古い紋様に、銀色の光が走っている。
以前より広い。
左右から伸びた細い線が中央へ集まり、途切れていた場所までつながっていた。
全体を見れば、浅い器の縁にも見える。
ただし、まだ光にすぎない。
中央に雫はなく、指で触れられる何かが生まれたわけでもなかった。
「増えたな」
後ろでダルクが言った。
「ああ」
「今回は何した?」
フィエラが聞く。
レイグはすぐには答えず、銀色の紋様を見つめた。
助けられる者を探しながら進んだ一日には、実際に何人かが助かり、礼まで言われた。それでも最後には、祭壇へ辿り着くことを優先して、別の助けを求める声を無視した。
あの時、ここは暗かった。
別の一日には、《白狼のミスリルソード》があと五歩の場所にあった。手にしたい気持ちは最後まで消えなかったが、それでも瓦礫の下にいるダルクへ戻った。その後、祭壇の光は大きく広がった。
そして今日。
薬を奪ったリュシェナへ腹を立て、追いかけた。
返してほしかったし、窓から落ちかけた彼女が一言でも謝ってくれれば、自分が戻る理由にできるとも思った。
けれど最後には、何も要求せず戻った。
「……人数じゃない」
レイグが呟く。
「何が?」
「助けた人数」
フィエラを見る。
「前は何人か助けた。それでも光らなかった」
ダルクが腕を組みかけ、右前腕の痛みに気づいてやめた。
「じゃあ何なんだよ」
「まだ分からない」
「またそれか」
「でも……俺が欲しかったものとか、急いでた理由とか、そういうのを押しのけて誰かの方へ戻った時には、反応してるように見える」
言葉にした途端、それさえ答えにしてしまいそうで、レイグは首を振った。
「いや。それだけとも限らない」
「うん」
フィエラが頷く。
「今はそこまでだね」
「ああ」
ダルクが鼻を鳴らした。
「やっと決めつけなくなったな」
「うるさい」
「褒めてんだよ」
「それで褒めてるのか?」
「俺にしてはな」
レイグは少しだけ笑った。
それから荷袋へ手を入れる。
指先に小さなガラスが触れた。
先ほどダルクへ使ったヒールポーションの空瓶だ。
取り出して光へ透かす。
「何してんの?」
「もし今度、これが光じゃなくて……本当に触れるものになったら」
ダルクの顔から軽さが消えた。
「《生命の雫》か」
「たぶん」
空瓶を握る。
「入れられるかもしれない」
「それで?」
「それで……」
レイグは言葉を止めた。
誰が使う。
どう使う。
王と王妃は一人分だと考えているが、それが正しい保証さえない。
「勝手に使うなよ」
ダルクが言った。
レイグが顔を上げる。
「お前、一人で決める癖あるからな」
「それは……」
「ある」
フィエラも即答した。
「二対一」
「今それ使うのかよ」
「多数決」
「だからそういう話じゃ――」
言いかけて、レイグは空瓶を見る。
それから二人へ視線を戻した。
「分かった」
「何が」
「出た時に決める」
ダルクがまだ疑う顔をしている。
レイグは続けた。
「三人で」
少しだけ間が空いた。
「それならいい」
フィエラが言った。
ダルクも鼻を鳴らす。
「最初からそうしろ」
レイグは空瓶を荷袋へ戻した。
銀色の紋様はまだ祭壇に残っている。
もう少し待てば何か変わるかもしれない。もっと触れば、さらに何か分かるかもしれない。
そんな考えは浮かんだ。
だが隣では、ダルクが右腕の包帯を押さえ直している。フィエラも水筒を振り、残りを確かめていた。
「包帯、緩んでない?」
「平気だ」
「見せて」
「自分で分かる」
「今日それ何回聞いたかな」
「俺は窓から落ちてねえぞ」
「基準そこなの?」
レイグは祭壇から目を離した。
「帰るぞ」
ダルクがこちらを見る。
「本当に?」
「何だよ」
「いや。お前から言うとは思わなくてな」
「言う時もある」
「増えたね」
フィエラが笑う。
「いいことじゃん」
「二人とも俺を何だと思ってんだ」
「奥へ行きたがる人」
「帰れなくなりそうな人」
「酷いな!」
言い返しながら、レイグは二人の歩調に合わせて礼拝堂の入口へ向かった。
背後には、器の形へつながった銀色の光が残っている。
それでも、もう振り返らなかった。
三人は銀色を祭壇に残し、古い礼拝堂を出た。




