第50話 薬泥棒を追う
薬棚の奥に、青い小瓶が一本残っていた。
「当たり」
フィエラがしゃがみ込み、埃を被った瓶を持ち上げる。
屋根が半分落ちた薬屋跡には、割れた瓶や空の木箱ばかりが散らばっていた。まともに使えそうな物は、これが初めてだった。
レイグも隣から覗き込む。
「マナポーションか?」
「たぶん。封も切れてない」
「見せろ」
ダルクが大盾を左腕につけたまま、身体だけを寄せてきた。
「何でダルクが見るの」
「売ればいくらになるか見る」
「飲まないんだ」
「俺が飲んでどうすんだよ」
「ちょっと頭が静かになるかも」
「魔力の薬にそんな効能ねえよ!」
レイグは笑いながら店内を見回した。
朝に兵舎へ寄り、装備はすでに整えてある。腰にはスチールロングソード、左腕にはバックラー。ダルクもバトルアックスを棚へ置いてウォーハンマーへ持ち替え、フィエラは使える矢を補充している。
ヒールポーションも二本ある。
前の一日に裂かれたレイグの左前腕には傷一つ残っておらず、ダルクの大盾も朝の状態から始まっていた。
残っているのは、レイグの記憶だけだ。
今日の三人には、まだ十分な余力がある。
前の一日のように負傷者を運びながら橋まで戻ることになれば話は別だが、今の状態なら王城方面まで進み、危険が増えれば引き返せる。
「持っていこう」
レイグが言った。
「賛成」
フィエラが瓶を持ち上げる。
その瞬間だった。
「じゃあ、それもらう」
「え?」
頭上から声が落ちてきた。
フィエラが顔を上げるより早く、崩れた二階床から細い身体が降ってくる。
革靴が棚の縁へ触れた。
女の手がフィエラの手首を軽く叩く。
「あっ!」
離れた青い小瓶を、もう片方の手が空中で掴んだ。
女はそのまま床へ降りず、壊れた窓枠へ片足を掛ける。
「リュシェナ!」
レイグが怒鳴った。
リュシェナ・ヴァルクは、青い瓶を指先で振ってみせた。
「知ってるの?」
フィエラがレイグを見る。
「何度かな!」
「私は初対面なんだけど!」
「説明は後!」
「返せ!」
今度はダルクが怒鳴った。
「それ高えんだぞ!」
リュシェナが眉を上げる。
「あなたが飲むの?」
「値段の話だ!」
「必要だからもらう」
「俺たちも必要なんだよ!」
レイグが一歩踏み出した。
リュシェナは窓の外へ身体を滑らせる。
「なら取り返して」
「待て!」
返事の代わりに、外で瓦が鳴った。
レイグは窓へ走った。
*
外へ出た時には、リュシェナは隣の建物の屋根へ移っていた。
「速っ!」
フィエラが窓から身を乗り出す。
「右へ行く!」
レイグは通りへ飛び降りた。
あの屋根の先は大きく崩れている。
そのまま進めば、一度地上へ降りるしかない。
「ダルク、次の路地!」
「分かった!」
ダルクは屋根を見上げながら地上を走る。
レイグは足元へ風を集めた。
「ウィンドステップ!」
石畳を蹴ると、身体が数歩分、一気に前へ運ばれた。
崩れた荷車を越え、横道へ入る。
先回りできる。
そう思った時、頭上で木が軋んだ。
「何――」
リュシェナが屋根の端から飛び出してきた。
落ちるのではない。
壁から斜めに突き出した古い旗竿を片手で掴み、そのまま身体を振った。
「そんな使い方するのかよ!」
レイグの頭上を越え、向かいの建物の低い庇へ両足で着地する。そのまま開いた二階窓へ飛び込んだ。
「そっちは行き止まりだ!」
レイグは知っている。
あの家の奥は崩れている。抜けられないはずだった。
ところが数秒後、隣の建物の壁からリュシェナが姿を現した。
「……は?」
窓でも扉でもない。
壁の途中に残った細い石材へ足先を掛け、ほとんど横歩きで隣の屋根へ移っている。
「そんな道あったのかよ!」
「道ではないでしょ!」
後ろから追いついたフィエラが叫んだ。
弓を構える。
「止まって!」
「止まると思う?」
「思わない!」
矢が飛んだ。
狙ったのはリュシェナではない。
その一歩先にある腐った看板の留め金へ矢が突き刺さり、板が外れて屋根へ倒れた。
「やった!」
フィエラが声を上げる。
だが、リュシェナは止まらない。
倒れてくる看板を踏み台にし、そのまま一段高い屋根へ上がった。
「何で!?」
「助けたね」
「助けてない!」
フィエラが走りながら片手を前へ向けた。
吹きつけた風が、屋根に積もった瓦を滑らせる。
リュシェナの着地点へ崩れ落ちた。
今度こそ進めない。
そう思った。
リュシェナは先頭の瓦を蹴った。
割れた瓦が通りへ降り注ぐ。
「危ない!」
下を歩いていた探索者たちが顔を上げた。
フィエラの表情が変わる。
「っ、もう!」
瓦が人に当たらないよう、風の向きを変えた。
その一瞬で、リュシェナは破れた天幕へ飛び降り、布の反動を使って地上へ降りる。
「どけ!」
地上を回っていたダルクが追いついていた。
だが目の前では、瓦を避けた探索者たちが通りへ広がっている。
大盾で押せば進める。
人間ごと押し倒せば。
「くそっ!」
ダルクは止まった。
「道空けろ! 追ってんだ!」
「知らねえよ!」
「何なんだ、お前ら!」
怒鳴り声が飛び交う。
人の流れが開いた時には、リュシェナはもう向こう側の細道へ入っていた。
「薬一本で、どこまで逃げる気だ!」
「盗られたから追ってるんでしょ!」
「お前も怒ってたじゃねえか!」
「怒ってるよ! だから余計に腹立つの!」
フィエラは矢筒を揺らしながら走る。
「二人とも走れ!」
レイグも息が上がっていた。
ウィンドステップをもう一度使いたい。
だが足元へ魔力を集めようとするだけで、さっきより身体の奥が重い。
フィエラも風を使っている。
薬を取り返すために、薬が欲しくなるほど消耗してどうする。
そんな考えが浮かんだが、前を走る外套が見えると、やはり腹が立った。
「待て、リュシェナ!」
「嫌」
「即答するな!」
女は振り返りもしなかった。
*
何度か屋根と路地を横切った末、追跡は王城寄りの半壊した邸宅へ続いた。
リュシェナが崩れた外壁から中へ入る。
レイグたちも数呼吸遅れて追いついた。
「いた!」
吹き抜けになった玄関広間。
二階へ続く石階段の上に、リュシェナが立っていた。
こちらを見下ろす。
その手に、青い瓶はない。
「薬は?」
レイグが聞く。
「返す」
何かが落ちてきた。
反射的に受け取る。
青い小瓶だった。
「……空じゃねえか」
「瓶は返した」
「中身を返せ!」
「無理」
「飲みやがった!」
ダルクが頭を抱えた。
「何のためにここまで追ったと思ってんだ!」
「勝手に追ってきたんでしょう」
「盗るからだ!」
「もういいよ!」
フィエラが壁へ手をつき、肩で息をする。
「空瓶追いかけてどうするの」
「……帰るか」
ダルクが即答した。
「賛成」
レイグも瓶を握ったまま息を整えた。
腹は立つが、もう中身は取り返せない。リュシェナを捕まえて殴るために追ってきたわけでもない。
「行こう」
踵を返しかけた、その時だった。
邸宅の外から怒鳴り声が聞こえた。
「骨兵がそっちへ入ったぞ!」
「二体だ!」
直後、奥の通路で金属が激しくぶつかる。
レイグの足が止まった。
「今の何?」
フィエラが顔を上げる。
骨が石床を叩く乾いた音が続く。
「魔物」
ダルクが大盾を前へ回した。
「おい、あいつ――」
二階を見る。
リュシェナの姿はもうなかった。
その直後、上から短い衝突音が響いた。
「っ!」
女の声だった。
レイグは反射的に階段へ一歩出る。
「待て」
ダルクが腕を掴んだ。
「もう薬はねえぞ」
「分かってる」
「じゃあ何で行く」
「……見るだけだ」
「その言い方、信用できねえんだよ」
「私もちょっとだけ見る」
フィエラが弓を握り直す。
「お前までかよ!」
「ちょっとだけ」
「二人とも同じ顔してんぞ!」
言いながら、結局ダルクもついてきた。
*
二階へ続く階段の途中で、最初のスケルトンが見えた。
錆びた剣を持っている。
そのさらに上、踊り場には槍持ちが一体。
二体とも二階側のリュシェナへ顔を向けている。
リュシェナは二体から距離を取りながら、横の小さな戸口を狙っていた。
戸の先には下り階段があるらしい。
追跡中、彼女がこの邸宅へ迷わず入った理由が分かった。
この道を知っている。
「邪魔」
リュシェナがダガーを振る。
槍先を横へ外し、戸口へ一歩近づいた。
その時、天井の割れ目から黒い影が落ちる。
「上!」
フィエラが叫んだ。
ガーゴイル。
翼を広げきれない狭い場所でも、石のような身体の重さは変わらない。
爪がリュシェナの背へ伸びる。
彼女は前へ転がってかわした。
一撃目は。
立ち上がる前に、ガーゴイルが壁を蹴る。
二度目の爪が横から走った。
「――っ!」
リュシェナは身体を捻ったが、完全には間に合わない。
爪が左腿の外側を深く裂いた。
革が破れ、血が一気に流れる。
着地した左脚が崩れた。
それでも床へ手をつき、槍持ちの突きを転がって避ける。
「まだ動くの!?」
フィエラが驚く。
「止まったら刺される!」
リュシェナが怒鳴り返した。
ガーゴイルが再び降りる。
今度は避け続ける余裕がない。
リュシェナは戸口を諦め、二階の外壁側へ逃げた。
いや、もう走れてはいない。
左脚を引きずり、壁へ手をつきながら進んでいる。
「レイグ」
フィエラの声が低くなる。
「分かってる」
外から声が飛び込んでくる。
「霧が出たぞ!」
「戻る奴は急げ!」
追跡に思った以上の時間を取られ、いつの間にか午後へ入っていた。
外周では黒い霧が動き始めている。
それでも今なら、三人だけなら別の道から離れられる。
王城へ進む道もある。
橋へ戻ることもできる。
この邸宅へ残る理由はない。
レイグは握ったままだった空瓶を荷袋へ押し込み、階段を下りた。ダルクは大盾を二階へ向けたまま下がり、フィエラも弓を握って続く。
三人が崩れた玄関から通りへ退いた時だった。
二階で窓が割れた。
レイグが顔を上げる。
割れた窓から、リュシェナの身体が外へ飛び出した。
「落ちた!」
三人は通りから二階の窓を見上げた。
だが、落ちてはいなかった。
リュシェナは片手で窓枠を掴んでいる。
右足の靴先を、外壁の細い亀裂へ押し込んでいた。
左脚から血が落ちる。
その脚では、壁を蹴って上がれない。
「……あいつ」
ダルクの声が低くなった。
「放っとけ」
レイグは返事をしなかった。
「薬盗って、飲んで、今度は助けろってか?」
フィエラもすぐには反論しない。
レイグ自身、腹が立っていた。
せめて言えばいい。
助けてくれ、と。
悪かった、と。
何か返す、と。
そう言えば、こちらにも戻る理由ができる。
リュシェナの右足が滑った。
靴底が石を擦り、身体が大きく下がる。
「っ!」
窓枠を掴んだ指が一本外れた。
考えていた言葉が全部消えた。
「戻るぞ!」
レイグは邸宅へ踵を返した。
「は!?」
「落ちる!」
「見りゃ分かる!」
「なら手を貸せ!」
「薬はもう戻らねえぞ!」
「知ってる!」
ダルクは奥歯を噛み締めた。
「……くそっ!」
それでも大盾を上げる。
「ほんっと面倒くさい!」
フィエラも矢を抜いた。
「行くなら早くして!」
三人は邸宅へ駆け戻った。
*
剣持ちスケルトンが階段を下りてくる。
「こいつは俺が止める!」
ダルクが大盾を斜めに差し出した。
剣が盾へ当たり、骨の腕ごと外へ流れる。
「フィエラ、上!」
「見てる!」
二本目の矢が飛んだ。
ガーゴイルの肩口へ刺さる。
石の身体を深くは貫けない。それでも衝撃で巨体が窓から離れた。
「レイグ、行って!」
「頼む!」
レイグは階段を途中まで上がった。
槍持ちが踊り場から穂先を向ける。
正面から行けば止められる。
レイグは崩れた手すりへ視線を移した。
その先には、二階床の張り出しがある。
「ウィンドステップ!」
残った集中力を足元へ集める。
跳ぶ。
身体が風に押され、崩れた手すりを越えた。
着地と同時に膝をつく。
「っ……」
身体が重い。
さすがに続けては使えない。
それでも立ち上がり、窓へ走る。
「リュシェナ!」
「来ないで!」
「何でだよ!」
「自分で上がれる!」
「上がれてないだろ!」
窓から身を乗り出す。
すぐ下に、リュシェナの顔がある。
汗で髪が頬へ張りつき、いつもの余裕は消えていた。
「腕出せ!」
「触らないで」
「落ちたいのか!」
「落ちない!」
言った直後、右足がまた滑った。
身体が下がる。
「馬鹿!」
レイグは窓枠へ腹を押しつけ、右手を伸ばした。
リュシェナの手首を掴む。
「離して!」
「嫌だ!」
下ではダルクが、剣持ちの斬撃を盾で受け流していた。
「いつまで掛かってんだ!」
「今やってる!」
フィエラは階段脇からガーゴイルへ狙いをつける。
三本目の矢が飛んだ。
肩口にできていた亀裂の少し上、左翼の付け根へ食い込み、ガーゴイルの翼が片側だけ大きく沈んだ。
「今のうち!」
フィエラは弓を背へ回した。
ダルクが塞いでいる狭い階段は使えない。レイグが越えた崩れた手すりへ足を掛け、壁の出っ張りを掴んで二階へ身体を持ち上げる。
「レイグ!」
フィエラが駆け寄ってきた。
「そっち持って!」
「分かった!」
リュシェナの左腕を掴む。
下で金属音が弾けた。
ダルクが剣持ちの斬撃を盾で流し、右手のウォーハンマーを下から振り上げる。
鉄の頭がスケルトンの顎を砕いた。
だが敵はまだ倒れない。
「早くしろ!」
ダルクの怒声が響く。
レイグは歯を食いしばった。
「引くぞ!」
「待って」
「待ったら落ちる!」
「違う!」
リュシェナがレイグを見た。
ほんの一瞬、声が出なかった。
「……お願い」
フィエラの目が僅かに開いた。
レイグは何も返さない。
「引け!」
二人で腕を引く。
リュシェナも右脚で壁を蹴ろうとするが、傷ついた左脚には力が入らない。
身体が窓枠まで上がる。
あと少し。
その時、ガーゴイルが壁を蹴った。
「また来る!」
フィエラが叫ぶ。
「離すな!」
「分かってる!」
彼女はリュシェナの左腕を片手で掴んだまま、もう片方の手をガーゴイルへ向けた。
「ウィンドカッター!」
風の刃が走る。
すでに矢の刺さった翼の付け根へ当たり、亀裂から細かな石片が弾けた。
ガーゴイルの身体が大きく傾く。
その下で、もう一度ウォーハンマーが鳴った。
今度はスケルトンの頭骨が割れ、階段を転がり落ちた。
「こっちは終わった!」
ダルクが叫んだ。
だが、踊り場にいた槍持ちがすぐ前へ出る。
同時に、体勢を崩したガーゴイルが外壁へ激突した。
轟音。
窓の上に残っていた石材が崩れる。
「ダルク!」
フィエラが叫んだ。
下にいたダルクが顔を上げた。
石塊が落ちる。
「くそっ!」
大盾を頭上へ上げる。
重い音が響いた。
盾が大きく沈み、金属板の端から細い亀裂が走った。
砕けた石片の一つが盾の横を抜け、ダルクの右前腕を裂く。
「っ……!」
握っていたウォーハンマーの柄へ血が伝った。
「ダルク!」
「こっち見るな! 上げろ!」
怒声に押され、レイグはリュシェナへ向き直った。
「せーの!」
レイグはフィエラと力を合わせ、まずリュシェナの胸を窓枠の上へ引き上げた。そのまま腰、右脚と順に室内へ引き込み、最後に血まみれの左脚まで窓枠の内側へ引き上げた。
三人とも二階の床へ倒れ込んだ。
息を整える暇もなかった。
「レイグ!」
ダルクが叫ぶ。
「まだ終わってねえぞ!」
階段の踊り場から槍が伸びた。
ダルクが盾で外へ流す。
右前腕から血を流しながらも、左腕の大盾はまだ使えている。
「フィエラ!」
「今度こそ止める!」
弓を取り直す。
四本目の矢が飛んだ。
窓の外から再び壁を登ろうとしていたガーゴイルの後ろ脚へ突き刺さる。
巨体が壁へ爪を掛け損ね、下の庇へ落ちた。
死んではいない。
傷ついた翼もまだ動いている。
だが、すぐに二階まで戻ってくることはできない。
「奥!」
レイグは立ち上がった。
「ここじゃ挟まれる!」
リュシェナへ手を伸ばす。
「立てるか?」
「左脚に力が入らない」
「じゃあ肩につかまれ」
「嫌」
「今それやるの!?」
フィエラが反対側へ入った。
「嫌でも行くよ。ここにいたら槍とガーゴイルの両方が来るから」
リュシェナは顔を歪めたが、今度は二人の肩を拒まなかった。
左脚へ体重を掛けないよう身体を持ち上げる。
「ダルク!」
「先行け!」
「お前も来い!」
「分かってる!」
ダルクは後退しながら大盾を構えた。
槍の穂先が表面を擦る。
右手はまだウォーハンマーを握っているが、前腕の血で柄が滑り始めていた。
「この盾まで壊したら許さねえからな!」
「誰に言ってるの?」
「全部だよ!」
四人は二階奥の小部屋へ入った。
レイグとフィエラがリュシェナを壁際へ下ろす。
レイグは空いた右手でスチールロングソードを抜き、入口へ向き直った。
その間にダルクも室内へ飛び込んだ。
「塞げ!」
レイグが入口を守ったまま叫ぶ。
ダルクは大盾の縁と肩を使って倒れていた机を押し、フィエラが横から棚を引き寄せた。
「重い!」
「あと少し!」
家具が入口へ重なる。
その直後、槍先が隙間から突き出した。
レイグはスチールロングソードで外へ弾く。
木板の向こうで骨が擦れる音がした。
外壁側では、ガーゴイルの爪が石を引っ掻いている。
追手はまだ二体とも動いている。
レイグは荷袋へ手を伸ばしかけ、止めた。
中にはヒールポーションが二本ある。
ダルクの右前腕からは血が流れ、リュシェナの左腿も傷口を押さえた指の間から赤く濡れている。
だが、今は治療へ集中できない。
敵が消えたわけではなかった。
フィエラも壁へ背をつけ、荒い呼吸を整えている。追跡を始めた時より、矢筒の中身は四本減っていた。風魔法も何度も使っている。
レイグ自身も同じだ。
もう一度ウィンドステップを使えと言われても、すぐには無理だった。
「で」
ダルクが息を切らしながらリュシェナを睨んだ。
「薬盗った奴まで助けて、次どうすんだよ」
「私に聞かないで」
「お前のせいだろ!」
「追ってきたのはそっち」
「盗るからだ!」
「置いてあった」
「俺らが先に見つけた!」
「拾った人のもの」
「その理屈ならフィエラから盗った時点でフィエラのもんだろうが!」
リュシェナが黙った。
「ほら見ろ!」
「今、勝ち誇るところ?」
フィエラが疲れた声で言う。
「勝っただろ」
「何に?」
「知らねえけど!」
机の向こうから槍が突き出した。
「前見ろ!」
レイグが怒鳴る。
「分かってる!」
ダルクも怒鳴り返した。
リュシェナは壁に背を預け、左腿を両手で押さえていた。
呼吸はまだ荒い。
しばらく黙っていたが、やがて小さく口を開いた。
「……倉庫側なら」
レイグが振り向く。
「何?」
「下へ抜ける道がある」
机へ、槍がもう一度突き刺さった。




