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明日のないカレグノス  作者: Aramaki_mai
第四部 死者の国
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40/68

第40話 三人の最期

挿絵(By みてみん)

あの遺跡へ行ったことがあると認めた声は、自分の口から出たのに、ひどく遠くから聞こえた。


夕暮れのネルトアで、レイグは割れた石材のそばに膝をついている。目の前にはフィエラがいて、その後ろではダルクが、何が起きたのか分からない顔でこちらを見ていた。


「さっき見えた遺跡?」


フィエラが聞く。


「ああ」


「カレグノスじゃないんだよね?」


「違う」


松明に照らされた石造りの地下通路。湿った土の匂い。肩へ食い込むほど重い荷袋。


あそこはカレグノスではなく、ずっと前に三人で入った遺跡だ。


「……待て」


ダルクが眉を寄せた。


「お前、その遺跡のこと忘れてたのか?」


レイグは答えようとして、言葉に詰まった。


「違う」


「何がだ」


「忘れてたわけじゃない」


高額報酬の探索だったことも、三人で依頼を受けたことも覚えている。何度も魔物と戦い、深い場所まで進み、十分すぎるほどの宝を見つけた。


さらに奥へ続く道を見つけたことも、ダルクとフィエラから帰ろうと言われたことも、その忠告を聞かずに自分が先へ進もうとしたことさえ、ずっと記憶に残っていた。


「俺、知ってたんだ」


レイグは額に手を当てた。


「そこまでは……ずっと覚えてた」


「じゃあ、今見えたのは?」


フィエラの声から、わずかに力が抜けた。


レイグは二人を見る。


「その先だ」


「その先?」


「奥へ行って……そこから先だけ、何もなかった」


不思議に思ったことさえなかった。


だが今、その空白の奥から音が聞こえている。


石が割れる。


誰かが叫ぶ。


地の底から、巨大な何かが咆哮する。


「レイグ?」


フィエラが手を伸ばした。


その指先を見た瞬間、夕暮れの町並みが視界から消えた。


*


「帰るぞ」


ダルクが言った。


松明の火が揺れ、古い地下通路の壁に三人の影を映している。


足元には荷袋が置かれていた。どれも持ち上げるだけで肩に負担がかかるほど重く、中には金貨や銀器、装飾の施された小箱、それに価値のありそうな古い遺物まで詰まっている。


これだけ持ち帰れば、三人で分けても、しばらく危険な仕事を減らせるほどの稼ぎになる。


「私も賛成」


フィエラが壁に背を預けると、汗で髪が額に張りつき、左腕には浅い切り傷があった。矢筒の中身もかなり減っていた。


「今日はもう疲れた。帰ったら温かいもの食べたい」


「お前、さっき干し肉食っただろ」


「あれは食事じゃないよ。硬い何か」


「食料に謝れ」


「ダルクはあれだけで満足なの?」


「腹に入れば大体同じだ」


「人生かなり損してるよ」


「余計なお世話だ」


フィエラが笑い、ダルクも呆れたように顔をしかめた。


そのやり取りも、フィエラの声も、ダルクが盾を石床に下ろした時の重い音も、レイグは覚えていた。


記憶が欠けていたのは、まだ先だ。


「レイグ」


呼ばれて顔を上げると、ダルクがこちらを見ていた。


「聞いてんのか」


「ああ」


「なら帰るぞ。ヒールポーションも、もう一本しかねえ」


「……ああ」


答えながらレイグが通路の奥へ目を向けると、松明の光が届かない暗闇へと石造りの道が続き、その先にはまだ誰も足を踏み入れていなかった。


「何だよ」


ダルクがすぐに気づく。


「いや」


「その顔やめろ」


「どんな顔だよ」


「奥に何があるか気になってますって顔だ」


フィエラまで覗き込んでくる。


「してるね」


「お前まで」


「分かりやすいよ、レイグ」


レイグは再び暗い通路を見た。


十分なのは分かっていた。それでも高額報酬の探索で、ここまで誰も入っていない場所を見つけたのだ。


この先にも、まだ何かあるかもしれない。


「……少しだけ見ないか」


「見ねえ」


ダルクの返事は早かった。


「まだ何も言ってないだろ」


「言っただろ。少しだけ見るって」


「入口だけだよ」


「同じだ」


怒声が石壁に跳ね返った。


「これだけ取っただろ! 何で十分なところで帰れねえんだよ!」


「別に奥まで行くとは言ってない」


「だったら見る必要もねえ」


「何かあったらどうするんだよ」


「何もなくても帰るんだよ」


レイグの胸にも苛立ちが湧いた。


「せっかくここまで来たんだぞ」


「だから帰るんだ」


「二人とも」


フィエラは二人の間へ半歩入り、先にダルク側へ身体を向けた。


「私はダルクに賛成」


レイグは彼女を見る。


「フィエラまで?」


「まで、じゃない。矢も減ったし、私は魔法も使ってる。レイグも右脚、まだ痛いでしょ」


「歩ける」


「歩けるのと、また戦えるのは違うじゃん」


「戦うって決まったわけじゃない」


「そういう言い方する時が一番嫌」


はっきり言われ、レイグは黙った。


「今日はもう十分だよ」


フィエラが荷袋を指す。


「これ以上持てないくらい取ったじゃん」


「でも、もう少しあれば――」


「何に使う」


ダルクが聞いた。


「決まってるだろ」


「言ってみろ」


「母さんとネリナだよ」


声が強くなる。


「もう少し稼げれば、二人をもっと楽にできる。俺だって、しばらくこんな危ない仕事をしなくて済む」


「だったら今帰れ!」


ダルクが怒鳴った。


「それで帰ってこなかったら、誰が楽になるんだ!」


その言葉が胸に突き刺さったが、それでも、その時のレイグは引かなかった。


「帰るって言ってるだろ」


「俺が言ってんのは今帰れってことだ」


「入口を見るだけだ」


「それを帰るって言わねえんだよ」


「うるさいな」


レイグは自分の荷袋を持ち上げた。


「分かったよ。二人は帰れ」


ダルクの顔つきが変わり、フィエラも目を見開いた。


「俺だけ見てくる。何もなかったら戻る」


「お前……」


「無理に来いなんて言ってないだろ」


次の瞬間、ダルクがレイグの胸倉を掴んだ。


「その言い方が一番腹立つんだよ」


「何だよ」


「お前一人で行かせて、俺らだけ帰れるわけねえだろうが!」


「だったら来なきゃいい」


「そういう問題じゃねえ」


胸倉を掴む手に力が入る。


「お前、俺らが帰るって言ったら、本当に一人で行くだろ」


「俺の勝手だろ」


「勝手にすんなって言ってんだ!」


「ダルク」


フィエラが二人の間へ腕を入れた。


「離して」


ダルクが荒々しく手を放し、レイグも一歩下がった。


「レイグ」


フィエラがこちらへ向けた目には、怒りが浮かんでいた。


「私も帰りたいよ」


「なら帰れよ」


「一人にして帰れるわけないでしょ!」


声が震えていた。


「何で分かんないの」


「……俺は」


「レイグが行くなら、私たちだって行くことになるんだよ」


「そんなこと頼んでない」


「頼まれたからじゃない」


フィエラまで声を上げた。


「友達を危ない場所へ一人で行かせて、じゃあ私たちは帰りますってできるわけないでしょ!」


レイグは何も返せなかった。


ダルクが床に置いていた盾を拾い上げる。


「何もなかったら即戻る」


吐き捨てるように言った。


「次はねえからな」


「……分かった」


「信用してねえ」


「分かったって」


「その言葉も信用してねえ」


「じゃあ何て言えばいいんだよ」


「黙って戻りゃいいんだよ」


フィエラが額に手を当てた。


「もう……二人とも本当に嫌」


それでも彼女はコンポジットボウを手に取り、三人で奥へ進んだ。


*


通路は緩やかに下っていた。


人が足を踏み入れた痕跡はほとんどなく、壁には古い亀裂が何本も走っている。ところどころで石材が床へ落ち、天井も低いため、ダルクは何度か盾の上端を擦った。


その奥から、石と石が擦れるような低い軋みが聞こえた。天井の隙間から細かな砂が一筋落ちる。


レイグは一度だけ見上げたが、古い遺跡なら珍しくないと決めつけ、暗闇を見続けた。


「本当に何もなかったら帰るからね」


フィエラが言う。


「ああ」


「宝箱が一個見えても?」


「中身くらい見るだろ」


「帰るぞ」


ダルクが即座に返した。


「まだ何もないだろ」


「今のうちに言っとくんだよ」


「二人とも、声落として」


フィエラが足を止めた。


「……何か嫌」


レイグも止まる。


「何が?」


「分かんない。でも、これ以上行きたくない」


ダルクが前方を見る。


「ならここまでだ。戻るぞ」


レイグも暗闇へ目を凝らしたが、何も見えない。それでも、さらに数歩先で通路が広がっているようだった。


「レイグ」


「戻る。……あそこを見たら」


「戻るんだぞ」


レイグの左足は、まだ二人のいる方を向いていた。


右足のつま先まで戻せば、それでよかった。


あの日、三人とも生きて帰れる最後の瞬間だった。


だがレイグは、先にある暗闇を見た。


「……あそこまで」


「おい」


「広くなってる。そこだけ確認する」


「レイグ!」


一歩踏み込んだ。


その足が石床へ着くより先に、通路の奥から、さっきより大きな鈍い音が響いた。


踵を返した。ダルクの盾も、フィエラの手も、一歩ぶん遠い。


三人の表情が同時に変わる。


石床へ細い亀裂が走った。


「下がって!」


フィエラが叫ぶ。


レイグも戻ろうとした。


だが亀裂は一瞬で左右へ広がり、足元の石が沈んだ。


「レイグ」


ダルクが走る。


フィエラも腕を伸ばした。


「手!」


レイグも手を伸ばす。


指先が触れそうになる。


そこで床が崩れた。


三人の身体が、無数の石材と一緒に暗闇へ落ちていった。


背中を岩に叩きつけられて肺から空気が抜け、そのまま崩れた斜面を転がりながら、肩と右脚を何度も石にぶつけた。


ようやく身体が止まった時には、上下さえ分からなくなっていた。


「……っ」


どうにか息を吸う。胸が痛み、右脚にも鋭い痛みが走る。


「ダルク」


声を張った。


「フィエラ」


「こっち!」


少し離れた場所からフィエラの声が返る。


「私いる! ダルクは!?」


「生きてる」


怒声が暗闇から飛んできた。


「くそ……何だここ」


レイグは近くに落ちていた松明まで這った。


火は消えかけていたが、まだ橙色の芯が残っている。拾い上げると、崩れた石や折れた柱が薄闇から浮かび上がり、その向こうでフィエラが立とうとしていた。


少し離れた場所には片膝をついたダルクもおり、三人とも傷ついていたが、まだ動ける。


「立てるか」


ダルクが叫ぶ。


「脚が痛い。でも歩ける」


「フィエラ」


「肩打った! 弓はある、弦も切れてない!」


「上へ戻れる場所を探すぞ!」


レイグが松明を掲げた、その時だった。


崩落の奥から、重い音が響いた。


三人とも動きを止める。


もう一度。


今度は石が押し退けられる音まで混じった。


「……何だよ」


ダルクが盾を構え、右手でバトルアックスを抜く。


レイグは松明をさらに高く上げた。


崩れた石材の向こうで、大きな影がゆっくりと起き上がる。


さっきの崩落で目覚めたのかもしれない。


何なのかを確かめる暇はなかった。


地下空間を揺らすような咆哮が響いたからだ。


「走れ!」


ダルクが叫んだ。


三人は落ちてきた場所とは反対側へ走ったが、上へ戻ろうにも、崩落した穴の下は瓦礫で塞がれていた。


「こっち」


フィエラが細い通路を見つける。


「奥に抜けられる」


レイグが先へ向かった。


背後から巨体が石を踏み砕く音が迫ってくる。


「来るぞ!」


ダルクが最後尾で振り向き、大盾を構えた。


「お前ら先行け!」


「ダルク」


「盾持ってんの俺だろ! 早く行け!」


巨大な影が迫る。


「止まれええっ!」


ダルクが盾を前へ突き出した。


衝撃音が地下へ響き、大柄な身体が何歩も後ろへ滑った。盾の表面は大きくへこみ、ダルクの左腕まで震えている。


「ぐっ……」


「ダルク」


「止まんな!」


フィエラが振り返りざまに矢を放った。


一射目に続けて二射目を射込み、さらに三本目へ手を伸ばす。


「効いてる?」


「分からん」


「じゃあもう一回」


「無駄撃ちすんな」


「今それ言う?」


声が上ずっていた。


怖いのだ。


フィエラは怖い時ほどよく喋る。


「フィエラ、前!」


「見てる」


通路まであと少しだった。


そこで魔物が壁へ身体をぶつけ、空間全体が大きく揺れた。


亀裂の入っていた石柱が折れる。


「上!」


レイグの叫びと同時に、石材が降ってきた。


三人は別方向へ飛ぶ。


轟音とともに粉塵が広がり、何も見えなくなった。


「ダルク」


返事がない。


「ダルク」


「……うるせえ」


瓦礫の向こうから、かすかな声がした。


レイグは急いで駆け寄った。


ダルクは壁際へ倒れ、大盾には大きな亀裂が走っている。左肩からも血が流れ、右脚に力を入れようとするたび顔を歪めた。


「立てるか」


「立つ」


壁に手をついたものの、身体が上がらない。


レイグは荷袋へ手を突っ込んだ。


「薬」


「最後だぞ」


「今使わなくていつ使うんだよ」


ヒールポーションの蓋を外し、ダルクに押しつける。


「飲め!」


「フィエラが――」


「腕が動かなきゃ全員終わる!」


フィエラも矢を構えたまま叫ぶ。


「飲んで」


ダルクは瓶の口と、矢を構えたままのフィエラを見比べた。だが迷っている間にも左肩から血が落ちる。瓶を奪うように受け取り、一気に飲み干した。


それで傷が消えるわけではない。肩からの出血が少し落ち着き、荒い呼吸もいくらか整った程度だったが、ダルクは歯を食いしばって立ち上がった。


「……行くぞ」


空になった瓶を投げ捨てる。


これで治療薬はない。


三人は再び通路へ向かった。


しかし遅い。


フィエラがダルクの反対側から身体を支え、レイグも肩を貸す。それでも負傷した三人では、迫ってくる巨体から逃げ切れない。


ダルクの呼吸は速く、盾を握る左手は薬を飲んだ後も震えていた。


「……怖え」


小さな声だった。


レイグが横を見る。


「何?」


「怖えって言ったんだよ」


ダルクが怒鳴った。


「死にたくねえんだよ!」


「俺だって」


「だったら何で奥なんか来たんだ、この馬鹿」


何も返せなかった。


フィエラが泣きそうな顔で声を張る。


「喧嘩は帰ってからにして」


「帰れたらな」


「帰るの」


フィエラが叫んだ。


「帰って三人で死ぬほど喧嘩するの! だから今は走って」


レイグはダルクを支え直した。


通路の入口まで、あと数歩。


そこで天井が再び大きく揺れた。


「走れ!」


レイグはダルクを前へ押し、フィエラも身を低くして駆けた。


巨大な石材が三人の間へ落ちる。


衝撃でレイグは床へ転がった。


「レイグ」


粉塵の向こうで、フィエラがこちらへ手を伸ばしていた。


レイグも立ち上がろうとする。


「フィエラ」


「こっち」


その瞬間、巨体が横から突っ込んできた。


「危ない!」


ダルクが叫ぶ。


フィエラの身体が弾き飛ばされ、石壁へ激しくぶつかった。


弓が手から離れ、床を滑っていく。


「フィエラ」


レイグは右脚の痛みを無視して走った。


フィエラは壁際に倒れていた。目は開いていたが、呼吸は浅かった。


「フィエラ」


「……痛い」


かすれた声だった。


「待ってろ。薬――」


荷袋へ手を入れたところで止まる。


もうない。


最後の一本はダルクへ使った。


フィエラもそれを分かっていた。


「ないでしょ」


「包帯がある」


「それでどうするの」


「何でもいい」


「怒鳴らないでよ……」


「悪い」


フィエラの顔が歪んだ。


「怖いから」


「ああ」


「すごく、怖い」


胸が潰れそうだった。


「大丈夫だ」


根拠のない言葉が口から出た。


「帰るから」


「……うん」


「三人で帰る」


「うん……」


フィエラがレイグの肩越しを見た。


「ダルク……」


振り返る。


ダルクが立っていた。


ヒールポーションでどうにか動くようになった左腕に、ひびの入った盾をつけている。右手のバトルアックスも下がり、脚は震えていた。


その正面に魔物がいる。


「ダルク」


「来んな!」


「無理だ」


「フィエラ連れて行け!」


「一人で残るな!」


「誰のせいで覚えたと思ってんだ」


ダルクが振り返った。


顔が恐怖で引きつっている。


「一人で決めんなって、お前に何回言や分かる!」


魔物が動いた。


ダルクが盾を上げる。


衝突と同時に、亀裂の入っていた盾が砕けた。


ダルクの身体が石柱へ叩きつけられる。


「ダルク」


返事はなかった。


ダルクが石柱の根元に崩れると、右手からバトルアックスが抜け落ち、床を転がっていく。


レイグは立ち上がろうとした。


背後でフィエラが咳き込む。


「レイグ……」


振り返ると、彼女がかすかに手を動かしていた。


レイグはすぐにその手を握った。


「ここにいる」


「……ダルクは?」


答えられなかった。


フィエラにも分かったのだろう。


目を閉じかけ、また開く。


「行かないで」


「ああ」


「一人で……行かないで」


「行かない」


握っていた指から、少しずつ力が抜けた。


「フィエラ?」


返事がない。


「おい」


もう一度名前を呼ぶ。


「フィエラ」


動かなかった。


レイグはその手を握ったまま、しばらく何もできなかった。


背後で石が砕ける。


魔物が近づいてくる。


ダルクも動かない。


フィエラも動かない。


そこでようやく理解した。


自分が奥へ行かなければ。


一人で行くなどと言わなければ。


二人はここにいなかった。


レイグはゆっくり立ち上がり、剣を握って魔物へ向き直った。


「俺が……」


握る手に力を込める。


「俺が連れてきたんだ」


振り下ろした剣は弾かれ、手首に激しい衝撃が走った。もう一度踏み込もうとしたところへ巨体が横から振るわれ、避けきれず身体が宙へ浮く。


床へ叩きつけられた衝撃で肺から空気が抜け、剣も手を離れて転がった。


立てない。


視界の端にはダルクが倒れ、反対側にはフィエラがいる。自分の耳には、もう魔物の音さえ遠かった。


どうして帰らなかった。


宝は十分にあり、二人とも帰ろうと言っていた。それなのに自分は、もう少しだけ、あと少しだけと先へ進んだ。


家族のためだと言えば、間違っていないような気がしていた。


レイグは腕を伸ばしたが、誰にも届かない。そのまま視界が暗くなっていった。


最後に思い出したのは、奥へ進む前の二人の言葉だった。


帰ろう。


もう十分だ。


そこで記憶は終わらなかった。


ダルクは死んだ。


フィエラも死んだ。


そしてレイグ自身も、その地下で息絶えた。


今まで欠けていた最後の部分が、すべてつながった。


*


「――っ」


レイグは大きく息を吸った。


夕暮れのネルトアだった。


自分は石畳に両手をついており、身体が止められないほど震えている。


「レイグ!」


ダルクが肩を掴んだ。


「おい! 聞こえてるか!」


レイグは顔を上げた。


ダルクがいる。


フィエラもいる。


傷一つなく、生きているようにしか見えない。


だが、もう知らないふりはできなかった。


「……死んだ」


「何?」


「俺たち……三人とも、あそこで死んだ」


フィエラの顔がこわばった。


「思い出したの?」


レイグはゆっくり頷いた。


「最後まで?」


「ああ」


喉が震えた。


「二人は帰ろうって言ってた」


ダルクの手から少し力が抜ける。


「もう十分だから帰ろうって……二人とも言ってた」


「レイグ」


「俺が行った」


声がうまく出ない。


「俺が、もう少しだけって言った」


ダルクが何か言おうとして口を開いた。


だが、口を開いたまま数秒動きを止め、結局、何も言わずに閉じた。


「二人は来たくなかった」


レイグは止まれなかった。


「俺が一人で行くって言ったから……置いて帰れないって、二人ともついてきた」


「……私たちが?」


フィエラの声がかすれた。


「ああ」


「私、何も……覚えてない」


「二人が覚えてないことも、分かってる」


「そんなこと言われても、何て言えばいいか――」


「責めてるんじゃない。俺が、忘れたふりをできないだけだ」


思わず強く言った。


フィエラの肩が揺れる。


レイグはすぐに顔を伏せた。


「……悪い」


石畳についた自分の手には血も土もないのに、あの地下で触れたフィエラの手の冷たさが、まだ指に残っていた。


「俺が二人を死なせた」


ダルクは否定しなかった。


フィエラも、できなかった。


二人には、最期の記憶がない。


何度かダルクが口を開きかけたが、結局何も言わなかった。フィエラもレイグへ手を伸ばしかけ、途中で止める。


夕方の風だけが、黙り込んだ三人の間を抜けていった。


しばらくして、ダルクが低い声で言った。


「……帰るぞ」


レイグは顔を上げなかった。


「家まで送る」


「一人で帰れる」


「そういう話してねえ」


「放っといてくれ」


「嫌だ」


即答だった。


「今のお前を一人にして帰れるか」


あの地下では届かなかったダルクの手が、今は逃がすまいとレイグの腕を掴んでいる。何も覚えていないはずなのに、生前と同じように、ダルクはまた自分を一人にしない。ダルクの指が、腕に痛いほど食い込んでいた。


フィエラも黙ったままレイグの反対側へ立ち、レイグはもう何も言えなかった。


*


その夜、レイグは自室の寝台に座ったまま、ほとんど動かなかった。


階下からはミレサとネリナの声が聞こえている。何かを話しているらしく、ときどきネリナが笑い、それをミレサがたしなめる声まで届いた。


いつもなら安心する音だったが、今は顔を見に下りることさえできない。


『ここに、生きている者はいません』


王妃の言葉が、何度も頭の中に蘇る。


自分は死んだ。


ダルクとフィエラも、自分と同じ場所で死んだ。


それだけは、もう否定できなかった。


ならば、階下で笑っている二人は何なのか。


そこまで考えた瞬間、レイグは両手で顔を覆った。


「やめろ……」


今は考えたくなかった。


これ以上考えれば、自分の中でまだ残っている何かまで壊れてしまう気がした。


やがて遠くで、深夜を告げる鐘が鳴り始めた。


一度目の音が町を渡り、続いて二度目、三度目と重なっていく。


レイグが顔を上げないまま鐘が最後まで鳴り終わる頃、階下の気配も外の音も唐突に途切れ、部屋ごと世界が暗闇へ沈んでいった。


意識が消える直前まで残っていたのは、あの遺跡で聞いた二人の声だった。


帰ろう。


もう十分だ。


あの日、二人は確かにそう言っていた。


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