第36話 王家臨時館
食堂で卓を囲む三人に、聞き慣れない声がかかった。
「レイグ・オルディア殿」
三人が振り向くと、王家の紋章を胸につけた男が立っていた。探索者ではなく、腰に剣は差しているものの鎧には泥も傷もほとんどない。その後ろにも兵が二人控えている。
「俺ですけど」
男はレイグの顔を確かめるように見た。
「ヴァレド陛下がお呼びです。《王家臨時館》まで同行願います」
王の名と自分の名が、すぐには頭の中で結びつかなかった。
「……王が?」
「はい」
横でダルクが顔をしかめる。
「お前、何した」
「何で俺が何かした前提なんだよ」
「王様に呼ばれる探索者が普通だと思うか?」
「候補が多いからじゃない?」
フィエラが言った。
「お前まで言うな」
「王城前まで変な男を追いかけたとか、その辺?」
「カレグノスへ入るのに誰の許可がいるんだよ」
「知らない。王様?」
「その王様に呼ばれてんだよ」
ダルクが自分で言ってから、ますます嫌そうな顔になった。
使者は何も言わず、三人のやり取りが終わるのを待っている。
レイグだけは使者の胸にある王家の紋章から目を離せず、二人に返す言葉を失っていた。
自分の名前だけでなく、前の一日を覚えていることまで見抜いたザイルと別れた直後に、今度は王から名指しで呼び出された。偶然で片づけるには、あまりにも重なりすぎている。
「用件は?」
「私は伺っておりません」
「二人も一緒でいいですか」
使者がダルクとフィエラへ視線を向ける。
「陛下がお呼びなのは、レイグ殿お一人です」
「じゃあ俺らは飯食って待ってる」
ダルクが言った。
「待て」
「何だよ」
「一緒に来てくれ」
今度はダルクが目を丸くした。
「王様に呼ばれたのはお前だろ」
「一人で決めるなって言ったの、お前だろ」
「こういう時まで守るのかよ」
「守らなかったら怒るだろ」
「そりゃ怒るけどよ」
「じゃあ来い」
「お前、急に都合よくなったな」
フィエラが笑った。
「私は行くよ。王様のいる部屋、ちょっと見たいし」
「見物じゃねえぞ」
「ちゃんと話も聞くって」
「余計なこと口走るなよ」
「ダルクに言われたくない」
使者が小さく咳払いした。
「同行については、館で確認します。まずはこちらへ」
三人は使者と二人の兵に伴われ、《王家臨時館》へ向かった。
*
館の入口には、以前通りかかった時にも見た王家の護衛が立っていた。
ただし午後になった今は、朝よりも人の出入りが激しい。泥だらけの伝令が紙束を抱えて駆け込み、その脇からは腕に包帯を巻いた探索者が出てくる。別の兵は、血の染みた革鎧を着た男を治療所へ案内していた。
付き添ってきた二人の兵が入口脇に控える中、使者が入口の護衛へ話を通す。
「レイグ・オルディア殿をお連れした」
護衛は頷き、続いてダルクとフィエラを見た。
「同行者はここで待て」
ダルクがレイグを見たが、レイグは動かなかった。
「二人も入れないなら、俺もここで待ちます」
護衛は開いた扉から手を離した。
「陛下を待たせる気か」
レイグは入口の脇へ寄った。泥だらけの伝令がその横を駆け抜けても、館へ入ろうとはしない。
「おい。本当に待つ気かよ」
ダルクが声を落としても、レイグは頷くだけだった。
フィエラはレイグの隣へ並び、館の中を覗き込んだ。ダルクはその二人を睨んでから、入口を見張る護衛へ向き直った。
「……俺まで陛下を待たせてることになんのか、これ」
護衛は笑わなかった。使者が間に入り、三人をそこへ残して館の奥へ向かう。ダルクは使者が戻るまで、何度も扉の方を見た。
「陛下より、三名とも通せとのことです」
レイグはダルクとフィエラを見た。
「通れるって」
「聞こえてる」
「何で王様、俺らのことまで知ってんだ?」
「報告されてるんじゃない?」
フィエラはそう答えながら、先導する使者と入口の護衛へ順に目をやり、弓の肩紐を短く締め直した。
外から見ても豪華な離宮には思えなかったが、三人が護衛の脇を通って館へ入ると、その印象はさらに強くなった。
高価な絨毯や彫像で飾られた広間ではなく、壁にはカレグノスの大きな地図が掛けられ、その前を役人たちが報告書を抱えて行き交っている。戻ってきた探索者から事情を聞く書記がいる一方で、別の兵は負傷者を治療所へ送る指示を出していた。
「墓地北側でレイス二体!」
「兵舎東はまだ通れる。ただしスケルトンが増えている」
「そっちの負傷者を先に治療所へ! 話は後でいい」
あちこちから声が飛ぶ。
別の机には、その日にカレグノスから持ち帰られたらしい品が布の上に並べられていた。欠けた石板や黒ずんだ銀杯、古い腕輪を前に、書記が一つずつ特徴を書き留めている。
「……思ってたより普通に働いてる場所だね」
フィエラが小声で言った。
「王様が椅子で飯食ってるだけだと思ってたのか」
「そこまでは言ってないよ」
「お前なら言いかねねえ」
「じゃあダルクは、王様が何してると思ってたの?」
「考えたことねえ」
「私よりひどいじゃん」
「うるせえ」
レイグは二人の会話を半分だけ聞きながら、壁の地図へ目を向けた。
兵舎や市場跡、墓地から王城周辺まで、今日確認された情報が細かく書き込まれている。黒い霧の侵食を示しているらしい線もあり、その端には新しい墨の跡がまだ濡れたまま残っていた。
深夜になれば、この地図も戻るのだろうか。
紙も文字も朝へ戻るなら、これだけが残る理由はない。
そこまで考えたところで、案内役の兵が足を止めた。
「こちらです」
厚い木の扉が開かれると、部屋の奥にヴァレド・ヴェルナが座っていた。
その隣には王妃イセラがおり、周囲には数人の書記と護衛が残っている。大きな机の上にも地図と報告書が広げられ、ここでも探索に関する仕事が続いていたらしい。
三人は教えられた通りに礼を取った。
「レイグ・オルディアです」
「ダルク・セヴェル」
「フィエラ・カレスです」
ヴァレドは三人を順に見た。
「楽にしてよい。探索帰りに呼びつけたのはこちらだ」
レイグは身体を起こした。
王をこれほど近くで見るのは初めてだった。
王冠はなく、身につけている服も上等ではあるものの、王宮で客を迎えるためというより長時間の執務に向いたものに見える。
ただ、その目だけは妙に疲れていた。
「王城前まで進んだそうだな」
「はい」
「城門をくぐった後、半壊した商家を抜ける道を使い、それほど時間をかけずに王城近くまで進んでいる」
レイグの背筋がわずかにこわばった。
「道を知っていたので」
「今日使った道は、誰に教わった」
「教わったわけじゃありません。前を行く男を追いました。ただ、途中で使った抜け道のいくつかは、自分たちで覚えたものです」
「何度も王城方面へ入っているのか」
「何度か」
ダルクが横でわずかに身じろぎし、フィエラは黙ったまま王とレイグを見比べている。
イセラもまだ一度も口を挟んでいなかった。ただ静かに、レイグの顔を見ている。
ヴァレドは机上の地図を指した。
「報告では、城門から王城前まで、戦闘中の大通りを避けながらほとんど迷わず進んでいる。初めて通る者なら、そうはいかない道だ」
「……俺たちを調べたんですか」
「王城方面まで進んだ探索者の報告は集めている。お前たちに限った話ではない」
王がカレグノスの探索を直接把握しているなら、深くまで進んだ探索者の名前を知っていても不自然ではなかった。
それでも、名を呼んだ時の王の目つきが気になった。問いに答えながらも、レイグは何度も思い返した。
レイグが机の端へ目を向けると、そこには王家の紋章が入った紙が置かれていた。
朝、ネルトアの掲示板にも貼られていたものと同じ布告だった。
「陛下」
「何だ」
「一つ、聞いてもいいですか」
「許す」
レイグはヴァレドをまっすぐ見た。
「あの布告を――」
喉が乾く。
「何度、出したんです」
部屋が静まり返った。
書記の筆先も動かなくなる。
護衛の一人が、怪訝そうにレイグを見る。
ダルクとフィエラも何も言わない。
ヴァレドだけが表情を変えなかった。
数秒の沈黙の後、王は静かに命じた。
「下がれ」
書記の一人が顔を上げる。
「陛下?」
「全員だ。呼ぶまで入るな」
声を荒らげたわけではないが、それでも二度目に問い返す者はいなかった。
書記たちは紙をまとめ、護衛も扉へ向かう。
レイグは横を見て、ダルクとフィエラも出されるのだと思った。
「その二人は残して構いません」
そこで初めてイセラが静かな声で口を開いた。
ダルクが王妃を見る。
フィエラは弓の肩紐へ指を掛けたまま、退出する護衛を一人ずつ目で追った。最後の一人が敷居を越えると、ようやく紐から手を離す。
最後の護衛が退出して扉が閉じ、先ほどまで部屋を満たしていた紙の擦れる音や人の声がなくなると、外の喧騒まで急に遠のいたように感じられた。
ヴァレドが何も言わないため、レイグが続きを口にした。
「俺は、あの布告を何度も見ました」
自分の声が、静かになった部屋へはっきり響く。
「晴れた朝にも、雨の日にも、曇った朝にもです。天気も人の動きも毎回違った。でも、日付は一度も変わらなかった」
ダルクがレイグを見たが、止めようとはしなかった。
「その度に役人は、王家からの命令だと言って、カレグノスから遺物を持ち帰れと布告した」
レイグは机の向こうの王へ半歩詰めた。靴底が床を擦る音に、ヴァレドの目が上がる。
「陛下は知ってるんじゃないですか」
胸の鼓動が速くなる。
「今日が、初めての今日じゃないって」
長い沈黙が落ちた。
ダルクはレイグを見たまま腕を組み直し、フィエラは閉じた扉から王夫妻へ視線を戻した。ヴァレドもイセラも、何を馬鹿なことを、と問いを退けようとはしない。
返事のない数秒の間に、王夫妻も覚えているのではないかという疑いが強まっていく。
ヴァレドは机の上に広げられた地図へ目を落とした。今日一日で書き込まれた印や線をしばらく見つめたあと、ゆっくりと顔を上げる。
先ほどまで探索者から報告を聞いていた王の目ではなかった。
長い疲労を抱えた一人の人間が、同じものを見てきたかもしれない相手を確かめるような目だった。
「お前も」
ヴァレドが言った。
「朝を越えて、記憶しているのか」
レイグの呼吸が止まった。
横でダルクが小さく声を漏らす。
「……おい」
フィエラもヴァレドからイセラへ視線を移した。
王妃は何も否定しなかった。
レイグはヴァレドを見たまま、ようやく声を絞り出した。
「……陛下も?」




