第25話 敵と背中を合わせる
「捨てろ!」
カルゼンの声が地下水路に響いた。
仲間が抱えていた布包みには、古い紋様を刻んだ石板が何枚も入っている。相当な値になるはずだが、左太ももを負傷した仲間を支えたまま運べる重さではなかった。
「生きて持ち帰れなきゃ一枚にもならない」
なお渋る男から包みを奪い、カルゼンは通路脇へ放り投げた。革紐が切れ、石板が湿った床を転がる。
「見るな。走れ!」
背後では、腐った足音と唸り声が迫っていた。
地下水路は狭く、右に石壁、左に濁った水路が続く。四人のうち一人はグールの爪で左太ももを裂かれ、自力では走れない。二人が肩を貸し、カルゼンが最後尾へ回った。
先頭のグールを斬り倒して分岐へ戻ると、横道にも二体の影が現れていた。後ろには三体以上。前にも敵がいて、負傷者を真ん中に置くしかない。
「俺を置いていけ」
「黙ってろ」
「俺一人なら、お前らは抜けられる!」
カルゼンは振り返って睨んだ。
「二度言わせるな」
宝なら捨てられる。武器も、生き残るためなら置いていける。だが、仲間まで同じように切り捨てる気はなかった。
前後からグールが迫り、四人が壁を背に剣を構えた時、別の通路から金属の激突音が響いた。
分岐の暗闇から大盾が現れ、グールの背へ叩きつけられる。その後ろから、スチールロングソードを持ったレイグが走り込んできた。
「カルゼン」
「何で助けに来た」
「話は後だ! 前を開ける!」
フィエラも続いていた。三人がなぜ危険な地下まで自分たちを助けに来たのか分からない。それでも疑っている暇はなかった。
カルゼンの仲間とダルクが互いの進路を塞ぎ、フィエラは射線がないと怒鳴る。誰一人として息が合っていない。それでも三人が加わったことで、崩れかけていた前線はわずかに持ち直した。
カルゼンは正面のグールが振るった爪を剣で受け流した。
そこへ右からもう一体が迫る。
「右!」
レイグの声が飛んだ。
カルゼンは反射的に身体を引く。
空いた場所へレイグのロングソードが走り、伸びてきたグールの腕を斬り落とした。
「借りだと思うなよ」
「今それ言うのか」
レイグが怒鳴り返す。
こんな状況で何を言っているのかと自分でも思ったが、不思議と口元が少しだけ動いた。
次の瞬間、レイグの視線が通路脇へ向く。
壁の下に、崩れた排水口がある。大人一人なら、屈んで通れそうな大きさだった。
「カルゼン」
「何だ」
「あそこから横へ回る」
「一人で行く気か」
「全員ここに固まってても仕方ないだろ」
否定する暇はなかった。
レイグは返事を待たず、排水口へ身体を滑り込ませる。
「勝手な奴だな」
「お前も人のこと言えねえぞ」
ダルクが大盾越しに怒鳴った。
「誰がだ」
「二人とも黙って戦って」
フィエラまで本気で苛立っている。
カルゼンは正面を見た。
レイグが横へ回るなら、敵を一か所へ寄せればいい。
「三歩下がる!」
仲間の一人が振り返った。
「本気か?」
「三歩だけだ! 合図したら前へ出ろ!」
ダルクもこちらを見る。
ようやく意図が通じたらしい。
「盾の後ろへ入れ!」
「お前の指図じゃない」
「今そこにこだわるか?」
言い返しながらも、カルゼンたちは後退した。
一歩。
二歩。
三歩目まで下がると、グールたちは逃げる獲物を追って狭い通路へ密集してきた。
「今だ!」
ダルクの大盾が前へ出る。
金属の縁が先頭のグールへ激突し、その身体を後ろの二体に押しつけた。
「フィエラ」
「待ってた」
フィエラが右手で半円を描くと、淀んだ空気が手のひらへ巻き込まれ、指の間で鋭く鳴った。
「ウィンドカッター」
圧縮された風の刃が低く走り、密集したグールの脚を横から打つ。
二体が同時に姿勢を崩した。
そこへ排水口からレイグが飛び出す。
「こっちだ!」
背後から声を浴びたグールが振り向いた。
その首筋へ、レイグのロングソードが深く食い込む。
「前へ出ろ!」
カルゼンも踏み込んだ。
姿勢を崩した一体の胸へ剣を突き込み、そのまま石壁に押しつける。
すぐ横ではダルクのウォーハンマーが振り下ろされ、鈍い音とともにグールの肩が潰れた。
「まだ動くぞ!」
「次は頭を潰す」
ダルクは柄を引き戻し、今度は頭部へ叩き込んだ。
カルゼンの仲間たちも動いた。負傷者には一人が付き、もう一人が剣を振るった。
フィエラの矢が後列のグールの太ももへ突き刺さる。
「右奥、まだいる!」
「全部倒す必要はない」
カルゼンは正面に開いた隙間を見た。
退路へ踏み込む直前、ダルクは足元へ滑ってきた石板を一枚だけ拾い、荷袋へ押し込んだ。
「道が開いた! 抜けるぞ!」
「賛成だ」
カルゼンは負傷者の左側へ入り、その腕を自分の肩に回させた。
「歩けるか?」
「一人で歩ける」
「走れないだろ」
反対側を仲間が支える。
負傷者を二人で挟み、通路を進んだ。
後ろではダルクが大盾を構え、その脇にカルゼンの仲間がつく。フィエラは少し距離を取り、後退しながらコンポジットボウを構えていた。
「来る!」
一体が追ってくる。
フィエラが放った矢は胸ではなくグールの膝に突き刺さり、身体を前のめりに転ばせた。
「急いで!」
「こいつは走れない」
「じゃあ急いで歩いて」
「無茶言うな」
「知ってる」
そのやり取りの間に、レイグが先頭へ出た。
「この先を右だ!」
迷いがない。
「何で分かる」
「前に通った」
「いつだ」
「今説明してる暇あるか」
また勝手な男だが、言われた通り右へ曲がると、通路は少し広くなった。
さらに先には、片側が外れた古い鉄格子が残っており、レイグは先にそこをくぐって向こうを確認した。
「来い! 先は空いてる」
カルゼンは一瞬だけ迷った。
この男を全面的に信用する理由などないが、背後の唸り声は近い。
「行くぞ」
一行は鉄格子の向こうへ抜けた。
ダルクが最後に通り、外れかけた鉄柵に大盾を押し当てる。
「カルゼン、そっち持て!」
「命令するな」
「じゃあ一人でやってろ」
「貸せ」
二人で鉄柵を引いた。
完全には閉じられなかったものの、斜めに噛み合った鉄柵が通路を狭め、追ってきたグールはすぐには抜けられない。
さらに進み、二つ目の分岐を越えたところで、フィエラがようやく足を止めた。
目を閉じ、短く息を整える。
「サーチ」
彼女の髪が、弱い風に揺れた。
少しして目を開く。
「近くに大きな反応はない。追っても来てないみたい」
その言葉を聞いた途端、全員の身体から一斉に力が抜けた。
「……やっとか」
ダルクは大盾を壁に立てかけ、カルゼンも剣を下ろす。
腕が重く、喉も焼けるように乾いていたが、自分より先に見るべき相手がいる。
「座れ」
負傷した仲間に言う。
「平気だ」
「その台詞は立って歩けるようになってから言え」
男は何か言い返そうとしたが、結局壁際に腰を下ろし、その太ももに巻いていた布には新しい血が広がっていた。
カルゼンは水筒を出した。
「傷を見せろ」
汚れた布を慎重に解くと、傷は深かったが、骨まで達してはいない。走れないのは当然としても、止血さえできれば歩くことはできそうだった。
「洗うぞ」
「やれ」
少量ずつ水をかけると、男が歯を食いしばった。
「痛え……」
「生きてるなら痛む」
「もっと気の利いた言葉はねえのか」
「今考えることじゃない」
傷についた汚れを落とし、清潔な布を重ねる。
新しい包帯を出そうとした時、横から一本差し出したのはレイグだった。
「使え」
「こっちにもある」
「足りないだろ」
「返さないぞ」
「最初から返せって言ってない」
カルゼンは数秒だけレイグを見たが、結局、何も言わず包帯を受け取った。
「借りには数えない」
「好きにしろ」
やはり気に障る男だが、今は怪我が先だ。
傷をきつく締めすぎないよう包帯を巻き、最後に立てるか確認する。仲間に水を飲ませてから、カルゼンはようやく周囲へ目を向けた。
治療の合間に、名前だけは互いに短く名乗り合っていた。
ここまで消耗してまで助けに来た理由が、カルゼンには分からなかった。
「なあ」
三人がこちらを見る。
「どうして助けに来た」
レイグが瞬きをした。
「何が?」
「俺たちを助ける理由だ」
答えはすぐには返ってこなかった。
「危険な地下へ入れば時間も薬も減る。矢だって使った。俺たちを助けても何も得しない」
ダルクが鼻を鳴らす。
「俺も似たようなこと言ったぞ」
「そうなの?」
フィエラが横を見る。
「お前もいただろ」
「言い方の話」
「そこかよ」
レイグは二人を見てから、カルゼンへ向き直った。
「囲まれてる奴がいるって聞いた」
「だから助けに来たのか?」
「まだ助けられそうだったからな」
少しだけ言葉を探すような間があった。
「それだけだ」
カルゼンは眉を寄せた。
「馬鹿だな」
思ったことがそのまま出た。
「俺もそう思う」
ダルクが即座に同意する。
「お前まで言うなよ」
「俺は地下へ降りる前から言ってた」
「結局来ただろ」
「一人で行かせられるか!」
「はいはい」
フィエラが手を上げた。
「その話始めると長いから、帰ってからやって」
三人のやり取りを見ながら、カルゼンは黙った。
理解できない。
その時、ダルクが荷袋から石板を取り出した。逃走直前、最初に捨てられた包みから拾った一枚だった。
「それは俺たちのだ」
「捨ててただろ」
「死なないために置いただけだ。譲った覚えはない」
「俺が安全なところまで持ってきた」
「拾ってくれとは言ってない」
「さっきまで命の取り合いしてた人たちが、もう石一枚で喧嘩してる」
フィエラが額を押さえた。
「命とこれは別だ」
カルゼンとダルクの声が重なり、互いに睨む。レイグが間へ入り、石板はカルゼン側の取り分とし、買い取り額から運搬分だけダルクに渡すことで収めた。
「助けてもらったことと、宝を譲ることは別だ」
「ああ。そこは同意する」
カルゼンは負傷した仲間に声をかけた。
「立てるか?」
「ああ。走れって言われなきゃな」
「しばらくは言わない」
「しばらくかよ」
「霧が来れば走ってもらう」
「鬼だな」
「置いていかなかっただけ感謝しろ」
「はいはい」
男が仲間の肩を借りて立ち上がる。
レイグたちも荷物をまとめ始めていた。
このあとも探索を続けるつもりらしい。
「レイグ」
「何だ?」
「この後はどこへ行く」
レイグの動きが止まった。
「王城地下へ向かうつもりだ」
「そうか」
レイグは警戒した顔で続きを待った。
カルゼンは口を閉じた。
教える義理はなく、むしろ競争相手だ。
王家が探す遺物が王城周辺にあるなら、近道を渡すことは自分たちの不利益になるかもしれない。
それでも、自分たちが今ここに立っている理由も、この三人だった。
「正面から行くな」
レイグがこちらを見る。
「この先を二つ曲がると、古い貯水施設がある。水はほとんど枯れてる」
「その先に何かあるの?」
フィエラが聞く。
「奥の壁が崩れてる。下を抜ければ、王城地下側へ出られる」
ダルクの顔つきが変わった。
「近道か?」
「正規の通路よりはな。ただし中は狭い。俺たちも奥までは確認してない。何がいるかまでは知らないぞ」
フィエラがレイグを見る。
「どうする?」
「行ってみる」
迷いのない返事を聞き、カルゼンは小さく息を吐く。
「言っておくが」
三人を見る。
「助けてもらった分だ。これで貸し借りなしにする」
「分かった」
レイグは素直に答え、ダルクも頷く。
「それでいい」
カルゼンは剣を鞘へ戻した。
「次に会ったら敵だ」
ダルクが口元を上げる。
「望むところだ」
「さっき一緒に死にかけたばっかりなのに」
フィエラが呆れた顔をした。
「仲良くすればいいのに」
「断る」
「俺もだ」
「ほら、そういうところは合うじゃん」
「どこがだ」
また声が重なると、今度はカルゼンの仲間まで笑った。
「行くぞ」
カルゼンは顔をしかめ、仲間たちへ歩き出すよう合図して、三人とは別の通路へ進む。
しばらく歩いたところで、なぜか足が止まり、振り返った。
レイグたちは、すでに教えた貯水施設の方角へ向かっていた。
フィエラの矢は減り、ダルクの盾には新しい傷が増えている。レイグも排水口を抜けて敵の背後へ回り、その後も先頭で道を確かめ続けたぶん、先ほどより明らかに疲れていた。
全部、自分たちを助けるために失ったもので、少なくとも、あの時点で三人に得はなかった。
「どうした?」
仲間が聞いた。
「何でもない」
カルゼンは前を向いた。
次に会えば宝を取り合うかもしれないし、同じ獲物を狙えば譲るつもりもなかった。
それでも次にあの三人を見た時、最初から剣を向けることだけはないだろう。
そんな考えが自分の中に浮かんだことが気に入らず、カルゼンは舌打ちした。
「行くぞ」
仲間たちとともに、薄暗い地下水路の奥へ歩き出した。




