第2話 三人分の荷物
三人で歩き出す頃には、ネルトアの朝はすでに動き始めていた。
パン屋から焼きたての香りが流れ、通りでは荷車を引く男が道を空けろと声を張っていた。店先を掃く者、水桶を運ぶ子供、仕事道具を抱えて急ぐ職人。
その中を、武器と荷物を抱えた三人が馬車乗り場へ向かう。
「待って」
しばらく歩いたところで、フィエラがレイグの荷袋を後ろから持ち上げた。
「何だ?」
「これ、重くない?」
「こんなもんだろ」
「ちょっと貸して」
レイグが荷袋を肩から外して渡すと、受け取ったフィエラの腕がずしりと下がった。
「重っ。何入れたの、石?」
「水と包帯と、予備の――」
横からダルクが荷袋を取り上げた。
「水、多すぎだ」
「三人分だぞ」
「俺もフィエラも持ってる」
ダルクは勝手に中を探り、水筒を一本取り出して自分の荷袋へ移した。
「お前の方が重くなるだろ」
「俺の方が持てる」
「そういう問題じゃ――」
「途中でへばられて、結局俺が持つ方が面倒なんだよ」
フィエラが横から覗き込む。
「もう持ってるけどね」
ダルクの手が止まった。
「……うるせえ」
フィエラが吹き出し、レイグも笑いながら荷袋を取り返した。
「ありがとう」
「礼を言うなら、最初から持ちすぎんな」
ダルクはそれで終わらず、レイグの荷袋を石塀の上へ置いた。外側の小袋からはみ出した包帯を押し戻し、薬瓶を挟んでいた布を畳み直す。水筒を一本抜いた隙間で、残った瓶が動いていた。
「割れ物を水筒の隣へ突っ込むな。転んだ時にまとめて終わる」
「昨日、詰めた時には何も言わなかっただろ」
「今見つけたから今言ってんだよ」
フィエラも自分の荷袋を差し出した。
「私は?」
「矢筒を先に見せろ」
「荷物の話してるんだけど」
「お前は荷物より矢だ」
フィエラは頬を膨らませながらも、背中の矢筒を半分回した。ダルクが矢筒の口元を覗いて本数を数え、今度は矢じりの覆いを指で押す。その間にフィエラは、ダルクの肩から垂れていた盾の革紐を拾い、背中側の留め具へ通し直した。
「これ、歩いてるうちに荷袋へ噛むよ」
ダルクが肩を回すと、大盾と荷袋の間に手の幅ほど隙間ができた。
「……先に言え」
「今見つけたから今言ったの」
レイグは二人の間で、取り出しやすくなった包帯の位置を指で確かめた。誰か一人の荷物を三人で覗き込み、文句を言いながら直していく。荷袋はまだ重い。それでも背負い直すと、さっきより肩へ馴染んだ。
道すがら、ダルクは鎮痛薬、スタミナポーション、包帯、水、干し肉の順に確かめていった。馬車乗り場が近づくと、最後にフィエラの矢筒へ目を戻す。
「予備はどこだ」
「さっき数えたじゃん」
「矢筒の中はな。荷袋の方だ」
フィエラが眉を上げた。
「それ、私に聞く必要ある?」
「ある。お前だからな」
「失礼じゃない?」
「前に何本忘れた」
「昔の話を持ち出す男は嫌われるよ」
「答えろ」
フィエラは目を逸らした。
「……半分くらい」
「半分忘れる奴に任せられるか」
「でも困らなかったでしょ?」
「俺が買い足したからだ」
「ほら。仲間って素晴らしい」
「お前なあ……」
レイグは二人を置いて歩き出した。
「先に行くぞ」
「待て! 金の確認が残ってる」
「昨日やっただろ」
「今朝もやった」
フィエラがレイグの横まで逃げてきた。
「昨日も今朝もやったなら、もういいよね?」
「俺に聞くな」
「二人とも聞こえてんぞ」
朝からよく声が響く男だった。
馬車乗り場には、前線拠点へ向かう人間がすでに集まっていた。
探索者だけでなく、木箱を積んだ商人や、食料の入った布袋を抱えた男たちもいる。カレグノスへ入る者が集まる前線拠点では、薬も食料も大量に必要になる。
三人は荷物を預けて乗合馬車へ乗り込み、並んで腰掛けた。直後、フィエラの手がダルクの膝の上に置かれた紙包みへ伸びる。
中身は丸いパンで、フィエラはそれをひょいと取り、そのまま一口かじった。
ダルクが固まる。
「……おい」
「何?」
「何、じゃねえ」
「おいしいよ」
「それ俺の朝飯だぞ」
馬車の中の何人かが振り返ったが、フィエラは気にせず、もう一口かじる。
「さっきは私の矢まで調べたでしょ。今度は私が確認する番」
「食って減らすのは確認じゃねえ!」
「味は確かめないと分かんないよ」
「俺が確かめるんだよ、俺の飯なんだから!」
「じゃあ、私の矢も私に任せてよ」
「返せ!」
ダルクが手を伸ばすと、フィエラはパンを持ったまま身体を反らした。
「レイグの水筒は勝手に取ったのにね」
レイグが口を挟んだ。
「運んでくれてるんだよ」
「私だって、パンくらい持てるよ」
「持つだけにしとけばな」
「うるせえぞ、お前ら」
御者から怒鳴られ、三人とも口を閉じる。数秒後、レイグが小声で言った。
「……あとで一個買ってやるよ」
ダルクが睨む。
「そういう問題じゃねえ」
隣でフィエラが肩を震わせた。
やがて馬車が動き出し、車輪が石畳を鳴らすにつれて、ネルトアの町並みが少しずつ後ろへ流れていった。家々が減り、街道沿いには畑が増えていく。
フィエラはパンを返すと、窓の外へ流れていく家並みを見た。
「王様が探してる遺物、本当に見つかったらどうする?」
ダルクはかじられたところを確かめ、鼻を鳴らした。
「まず本物か疑う」
「夢がないねえ」
「王家が大金出すような物が、その辺に転がってると思うか?」
「転がってたら?」
「拾う」
「拾うんじゃん」
「拾うに決まってんだろ」
レイグは笑い、王家の布告を思い返した。カレグノスから王家の求める遺物を持ち帰った者には、多額の報酬を与える。
本当に見つけられるとは思っていない。
それでも、もし見つけられたら。
「しばらく危ない仕事をしなくて済むな」
レイグが言うと、二人がこちらを見た。
「母さんにも、ネリナにも、少しは楽させてやれる」
食卓にもう一品増え、ネリナの靴を繕い直す必要もなくなり、冬になるたび薪代を気にする母の顔も見なくて済む。
「レイグ」
ダルクの声で我に返った。
「何だ」
「今日、どこまで行くつもりだ?」
「まだ決めてない」
「俺は兵舎か市場跡まででいいと思ってる。取れる物を取って、霧が来る前に帰る」
「王城の方まで行けそうなら?」
フィエラが聞いた。
「その時考える」
「でも、王家の遺物を狙うなら、少しくらい奥も見た方がいいだろ」
レイグが言った。
ダルクの表情が変わる。
「先に奥へ行く理由を作るな」
「理由を作ってるわけじゃない」
「今作っただろ」
「状況が良ければって話だ」
「だから、その状況を見てから決めろって言ってんだよ」
声が少し強くなる。
レイグもむっとした。
「俺だって無茶するって言ってないだろ」
「お前は金が絡むと、もう一歩だけって言い始めるから嫌なんだよ」
「何だよ、それ」
「そのまんまの意味だ」
二人の間の空気が張りつめ、フィエラが左右を見比べる。
「はいはい。朝から夫婦喧嘩しない」
「誰と誰が夫婦だ!」
「じゃあ兄弟喧嘩」
「もっと嫌だ」
「俺も嫌だよ」
「お前まで乗るな」
張りつめていた空気が少しだけ緩んだが、ダルクは最後に念を押した。
「霧を見たら帰る。そこだけは守れ」
レイグの返事は、馬車の車輪が一つ轍を越えるぶん遅れた。
「ああ。分かった」
馬車が街道を進み、しばらくしてダルクが向かいの探索者と武器の話を始めると、フィエラがレイグの脇を指でつつく。
「ねえ」
「何だ」
「今日、ちょっと焦ってない?」
「何が」
「お金」
フィエラは笑わず、レイグの表情をじっと見ていた。
「いつもより稼ぎたいって顔してる」
「そんな顔あるのかよ」
「レイグにはある」
レイグは窓の外へ目を向けた。
「……母さんとネリナに、もう少し楽させたいだけだ」
「うん」
フィエラはそれ以上聞かず、背もたれに身体を預けた。
「じゃあ、生きて帰らないとね」
それだけ言うと、またダルクの話へ割り込んでいった。
前線拠点へ近づくにつれて、街道には、大きな盾や槍、弓を携えた探索者や、大荷物を抱えた一団の姿が増えてきた。
使い込まれた鎧には無数の傷があり、中には腕や額に包帯を巻いたまま歩いている者もいた。
楽しげに今日の獲物の話をする者がいる一方、無言で武器の手入れをしている者もいる。
さっきまで騒いでいた三人も、自然と口数が減った。フィエラは窓の外を見て、ダルクは盾を固定する革紐を引き、緩みがないか確かめる。レイグも腰のロングソードに手を置いた。
カレグノスは稼げる場所だから人が集まる一方、判断を一つ間違えれば大怪我では済まない場所でもある。
馬車が街道の緩い曲がりを抜けた。
「見えてきた」
フィエラが声を上げ、レイグも顔を上げると、遠くに滅びた城塞都市カレグノスの巨大な城壁が姿を現していた。
一部が崩れた城壁が長く続き、その奥から何本もの塔が突き出している。さらに中央には、周囲の建物より明らかに高い王城がそびえていた。
何度見ても大きく、人が暮らすネルトアとは、町そのものの尺度が違う。
フィエラが窓へ身を寄せる。
「今日は何が拾えるかな」
「落ちんなよ」
ダルクがフィエラの服の背を掴んだ。
「落ちないって」
「お前は何やらかすか分からん」
「レイグより?」
「種類が違う」
「何、その分類」
レイグは二人の声を聞きながら、遠くの城塞都市を見ていた。やがて、その手前に前線拠点の建物が見え始め、そのさらに向こうには、カレグノスへ続く古い石橋と、巨大な城壁に開いた崩れた城門が小さく見えた。
あそこを越えれば、今日の探索が始まる。
今日こそ、少しでもいい物を持って帰りたい。レイグは城門から目を離せなかった。
「そろそろ準備しろ」
荷袋を引き寄せるダルクの顔からは、さっきまでパン一つで怒鳴っていた時の騒がしさがもう消えていた。
フィエラもコンポジットボウの弦に指を掛け、張りを確かめた。レイグがロングソードの柄を握ると、柄の冷たさが手のひらに伝わった。
乗合馬車は速度を落としながら、探索者たちでにぎわう前線拠点へ入っていった。




