↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明日のないカレグノス  作者: Aramaki_mai
第一部 宝を求める一日
PR
1/68

第1話 変わらない朝

挿絵(By みてみん)

「王家より布告――」


朝のネルトアに、張りのある男の声が響いた。


パン屋の煙突から白い煙が上がり、石畳を荷車が軋みながら通っていく。井戸には水桶を抱えた女たちが集まり、通り沿いでは商人たちが木戸を開け始めていた。


その人波の中を、王家の紋章を胸につけた役人が進んでくる。


従者が掲示板へ一枚の紙を貼りつけた。


「滅びた城塞都市カレグノスより、王家の求める遺物を持ち帰った者には、多額の報酬を与える! 発見者の身分、所属は問わない」


足を止める者が増えた。


「またカレグノスか」


「いくら出すんだ?」


「金を積まれても、あそこだけは御免だね」


「昨日、前線拠点にいた奴がよく言うよ」


どっと笑いが起こる中、レイグ・オルディアも人垣の後ろから掲示板を眺めていた。


役人が告げた報酬額に、笑っていた者たちまで静かになる。


「……本当に出すのか、そんな額」


近くの男が呟き、レイグも思わず紙を見直した。


紙の末尾にある「王暦五百十二年、芽吹き月十四日」という今日の日付だけが、なぜか妙に目に残った。


人垣の前では、革鎧の肩を新しい鉄板で継いだ探索者が、報酬額を指で追っていた。背の槍は穂先が欠け、片方の長靴には乾いた灰がこびりついている。隣にいた若い男が仲間へ誘いをかけたが、探索者は紙から目を離さずに言った。


「城門の中なら稼げる。だが、王城が見えるところまで欲を出すな。帰りの橋を渡って初めて、拾った物は自分の金になる」


若い男は笑って頷いたものの、腰の剣へ触れた手だけは落ち着かなかった。レイグには、どちらの気持ちも分かった。


その額があれば、しばらくカレグノスへ潜らずに済み、家の屋根も直せるうえ、母にも今より少し楽をさせられる。


そして――。


妹の顔が浮かんだ。


「馬鹿なこと考えてんじゃないよ」


不意に腕を小突かれて振り向くと、魚屋の老婆が呆れた顔でレイグを見ている。


「何です?」


「今、『俺なら持って帰れるかも』って考えただろ」


「そこまでは考えてませんよ」


「どうだか」


老婆は鼻を鳴らした。


「金に目がくらんで奥まで入りすぎるんじゃないよ」


レイグは苦笑した。


「昼鐘を聞いたら、帰り道へ入りますよ」


役人の声を背中で聞きながら、家へ向かう。


朝食が冷める前に戻らなければ、今度は母に叱られる。


*


「遅い」


扉を開けた途端、ネリナが言った。


食卓では、ミレサが鍋のそばに座り、その向かいでネリナがすでに薄いパンをかじっている。


「まだ食べ始めたところだろ」


「兄さんの分も食べようかと思ってた」


「勝手に人の朝飯まで食べるな」


「冷めたらかわいそうだから」


「俺の朝飯を心配してるのか、自分の腹を心配してるのか、どっちだ?」


ネリナは少し考えた。


「両方?」


「ほとんど後者だろ」


ミレサが吹き出した。


「ネリナ。お兄ちゃんが帰ってくるまで待ちなさいって言ったでしょう」


「待ったよ」


「食べながら言わないの」


「これは私の分」


「二枚目でしょう」


ネリナの手が止まる。


「……母さん、よく見てるね」


「母親だからね」


レイグは笑いながら椅子を引いた。


ミレサが鍋から温かなスープをよそうと、豆と刻んだ野菜の匂いが立った。匙を入れると、小さな干し肉が一片だけ沈んでいる。


ミレサは自分の椀を最後に満たした。鍋底をさらったはずなのに、母の椀には豆ばかりで、肉はレイグとネリナの方に一片ずつ入っている。


レイグが黙って自分の肉を匙に乗せると、ミレサは鍋を片づけながらもこちらを見た。


「ネリナの椀へ入れたら、あなたの分を戻すわよ」


「まだ何もしてないだろ」


「しようとした顔をしてたもの」


ネリナが素早く自分の肉を半分に切り、片方を母の椀へ落とした。


「じゃあ、これは私から」


「あなたまで」


「今日は兄さんが稼いでくるし、次は三つ入るよ」


無邪気な声に、レイグは笑いかけて、やめた。三つ入るようにするのは王でも奇跡でもなく、自分の役目だと思った。


豪華ではないけれど、レイグはこの朝食が好きだった。


「布告を見ていたの?」


ミレサが聞いた。


「聞こえてた?」


「あれだけ大きな声なら、この辺り全部に聞こえてるわよ」


ネリナが身を乗り出す。


「王様、本当にすごいお金を出すの?」


「らしいな」


「どのくらい?」


「お前に教えたら、昼には町中が知ってそうだから教えない」


「何それ。私だって秘密くらい守れるよ」


「母さんへの誕生日の贈り物を、買ったその日に本人へ教えたのは誰だ」


ネリナが黙った。


ミレサが笑いを堪えている。


「私は嬉しかったけどね」


「ほら」


「褒められてないぞ」


ネリナが不満そうにパンをかじり、レイグもスープに口をつける。しばらくすると、ネリナが何でもないことのように聞いた。


「兄さん、今日も行くの?」


レイグは顔を上げる。


「カレグノス?」


「うん」


「ああ」


ネリナの表情から笑みが少し消え、ミレサも手を止める。


「王家の報酬を狙うの?」


「いや。今日は前から行く予定だっただろ」


「でも、見つけたら持って帰るんでしょう?」


「そりゃ見つけたらな」


ネリナがすぐに言う。


「やっぱり狙ってるじゃん」


「見つけたらって話だ」


ミレサは何も言わずレイグを見ており、その視線に気づいたレイグはパンを置く。


「大丈夫だよ。報酬欲しさに危ない場所へ突っ込むつもりはない」


「本当に?」


ネリナが聞く。


「本当だ」


答えてから、ふと足元へ目がいった。ネリナの革靴には、つま先に新しい糸が走り、底にも革片が重ねて縫いつけられていた。


「その靴、また直したのか」


「これ?」


ネリナが片足を持ち上げる。


「母さんが直してくれた」


「底、剥がれてなかったか?」


「ちゃんとくっついたよ」


ミレサも笑う。


「まだ履けるからね」


レイグはその靴を見つめ、次にまとまった金が入ったら、雨の日にも水が染みない丈夫な新しい靴を買おうと思った。屋根の修理もそろそろ必要だし、母の上着も何年着ているだろう。


「兄さん?」


「ん?」


「何見てるの?」


「別に」


「変なの」


「お前に言われたくないな」


「私のどこが変なの」


「朝飯を二人分食おうとするところ」


「まだ言う?」


「はいはい、そこまで」


ミレサが笑いながら二人を止めた。


レイグも笑い、残っていたスープを飲み干した。


「ごちそうさま」


壁際の荷物を取り、水筒、包帯、薬が揃っているかを見る。それから腰のロングソードを確かめ、左腕へ小型盾のバックラーを通した。


荷袋の口を閉じる前に、ミレサが椅子を離れた。包帯の巻きを指で押し、薬瓶を一本ずつ傾け、栓の周りが濡れていないことを確かめる。治療師ではないが、探索から戻った息子の服を何度も洗ってきた手だった。


「薬は底へ入れないの。片手が動かなくても取れる場所にして」


「分けてある。右の小袋が薬、左が包帯だ」


「水は?」


「上。ダルクとフィエラの分も少し余計に持つ」


ネリナは卓の端へ寄り、バックラーを留める革帯を見た。レイグが腕を曲げ伸ばしすると、金具がわずかに鳴る。


「それ、本当に剣を止められるの?」


「全部は無理だ。受けるんじゃなくて、横へ逃がす」


「じゃあ大きいのはダルクに任せて」


「本人が聞いたら、盾扱いするなって怒るぞ」


「盾を持ってるのに?」


「そこが面倒なんだよ」


ミレサが外套の肩を平らに直し、最後に荷袋の口紐を強く引いた。三人で行くと聞いた時だけ、母の指から少し力が抜けた。


荷袋を肩に掛けたレイグを見ながら、ミレサが言う。


「奥まで行きすぎないでね」


「兵舎か市場跡までだ。王城には近づかない」


「前にもそう言ったわ」


「昼鐘を聞いたら帰り道を確かめる。霧が出てから走ることはしないよ」


レイグは母を見る。


「早めに帰る」


ネリナが口を挟んだ。


「じゃあ帰りに何か買ってきて」


「何を?」


「甘いやつ」


「ずいぶん曖昧だな」


「甘ければ何でもいい」


「余裕があったらな」


「約束ね」


「余裕があったら、だぞ」


「けち」


「新しい靴とどっちがいい?」


ネリナは足元の擦れた靴を見て、片方のつま先をもう片方に重ねた。


それから、少しだけ悩んだ。


「……靴」


「即答しろよ」


「甘い物も大事だから」


レイグは笑い、扉へ向かった。


「行ってくる」


「気をつけてね」


ミレサが言った。


ネリナも続く。


「ちゃんと帰ってきてよ」


「ああ」


レイグは片手を上げた。


「行ってくる」


扉を開けると、朝の光と町のざわめきが家の中へ流れ込んできた。


*


通りには、まだ王家の布告を囲む人だかりが残っていたが、レイグは足を止めず、掲示板の紙を横目に見た。


王家の紋章、多額の報酬、そして末尾に記された今日の日付を確かめ、そのまま通り過ぎた。


乗合馬車の発着所へ向かう途中、道端に大きな盾を背負って腕を組んで待つダルク・セヴェルと、もう一人の姿が見えた。ダルクはレイグを見つけるなり、眉を寄せた。


「遅え」


「時間には間に合ってるだろ」


「俺が待った」


「勝手に早く来たんだろ」


隣で、弓を背負ったフィエラ・カレスが笑った。


「ちなみに私は今来たところ」


ダルクが横を見る。


「嘘つけ。お前も一緒に待ってただろうが」


「細かい男は嫌われるよ」


「誰にだよ」


「いろんな人に」


「具体的に言え」


「朝から元気だな、お前ら」


レイグが言うと、フィエラが肩をすくめた。


「私は普通だよ」


「お前が一番うるせえ」


「ほら、また怒った」


「お前が怒らせてんだ」


レイグは思わず笑った。


ダルクが苛立ったように顎をしゃくる。


「行くぞ。馬車に置いてかれたら歩きだからな」


「それだけは嫌」


フィエラがすぐに歩き出した。


「カレグノスに着く前に疲れちゃう」


「お前、途中で絶対荷物持てって言うだろ」


「ダルク、力持ちだから」


「褒めても持たねえぞ」


二人が先を行き、レイグもその後を追いかけようとして、一度だけ振り返った。


通りの向こうに家の屋根が少し見え、ネリナの繕われた靴を思い出す。


今日は少し多く稼ぐ。それで、早めに帰る。


「レイグ」


フィエラの声が飛んでくる。


「置いてくよ」


「今行く」


レイグは家に背を向けた。


朝の人波を抜け、待っている二人へ追いついた。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。