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明日のないカレグノス  作者: Aramaki_mai
第二部 昨日のない町
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第16話 信じない友人

挿絵(By みてみん)

雨はまだ降り続き、兵舎の軒から落ちた雫が石畳を絶え間なく叩いている。


少し前までそこにいたネヴァルたちは、もう雨の向こうへ消えていた。


左脚に傷はなく、レイグたちに助けられたことも知らない。


昨日、血まみれで瓦礫の下にいた男が、今日は何事もなかったように歩いていった。


レイグはその背中が消えた通りを見たあと、ダルクとフィエラへ向き直った。


ダルクの手には、武器庫で見つけたスチール製のウォーハンマーがある。


昨日も同じ武器を見つけ、同じように重さを確かめて、同じように気に入っていた。


レイグ自身の腰にも、昨日使ったものと同じスチールロングソードがある。


「言ってみろよ」


ダルクはレイグから目を逸らさなかった。


「物じゃねえ。昨日の俺を見てなきゃ分からねえことがあるんだろ」


レイグは息を吸った。怒鳴り返す声は喉に残っているのに、次の言葉だけが出てこない。


「ダルク」


フィエラが止めようとした。


「いい。言わせろ」


レイグは答えられなかった。昨日のダルクなら、いくらでも思い出せる。


兵舎でウォーハンマーを見つけて子供のように喜び、蜘蛛と戦い、霧から逃げた。ネヴァルを助けるために戻った自分に本気で怒り、最後には、自分を置いていけないと叫んだ。


そして、蜘蛛との戦いが終わった後。


「お前……手が震えてた」


ダルクの表情が固まった。


「何?」


フィエラが隣へ目を向けたが、ダルクは答えなかった。


「蜘蛛の毒牙を盾で受けた後だ」


レイグは続けた。


「洗い終わった盾の持ち手を握ってただろ。その指が震えてた」


「……黙れ」


低い声だったが、レイグは止まらなかった。


「お前、寒いだけだって言っただろ。俺もそれ以上聞かなかったけど――」


「黙れって言ってんだよ!」


怒声が兵舎の軒下に響き、レイグは口を閉じ、フィエラも驚いたようにダルクを見た。


「私、それ知らなかった」


「隠してきたんだよ、前から! 死にそうになるたびに手が震えるなんて、言えるか!」


ダルクは振り向いて怒鳴ると、すぐレイグへ向き直った。


「そこまで言う必要あるか」


「証明しろって言ったのはお前だろ」


「だからって何でも言っていいわけじゃねえ」


「じゃあどうすれば信じるんだよ!」


レイグも声を上げた。


「剣が戻ってても駄目! 薬の中身を当てても駄目! ネヴァルが何も覚えてなくても駄目! 何を見せても、お前はまだ信じないって言うじゃないか!」


「おかしいことは分かった」


ダルクが一歩踏み込んだ。


「昨日のことは覚えてねえ。だからって、俺が前から隠してきたことまで勝手に使うな!」


「他にどうしろってんだよ」


「知らねえよ! でも俺に当たんな!」


胸を強く押され、レイグの身体が半歩下がる。


反射的にダルクの腕を払いのけた。


「昨日を覚えてるのは俺一人なんだよ!」


言葉が飛び出すと、ダルクの顔が変わる。


レイグは止まれなかった。


「母さんもネリナも知らない! 町の奴らも知らない! お前らまで何も覚えてない! 俺が死んだことも、お前らと逃げたことも、全部俺にしか残ってないんだ!」


「だから俺のこと勝手に喋っていいのかよ」


「そんなこと言ってない」


「やってるだろうが」


「二人とも」


割って入ったフィエラの声には、今度は怒りが滲んでいた。


「レイグ。それは違う」


「何がだよ」


「信じてもらいたいからって、ダルクが隠したかったことまで勝手に使うのは違うでしょ」


「じゃあどうすればよかったんだ」


「知らないよ」


フィエラが声を張った。


「私だって分かんない! 昨日死んだって言ってる友達を、どう信じればいいのかなんて知らないよ!」


レイグは言葉を失い、フィエラは息を荒くしていた。


「分かんないから、朝からずっと聞いてるんでしょ!」


「……フィエラ」


「ダルクが信じないのも普通だよ。私だって全部信じてるわけじゃない」


胸に刺さった。分かっていたが、それでも、はっきり言われると痛かった。


しばらく誰も口を開かず、屋根を叩く雨音だけが続くなか、ダルクはレイグから顔を背けたままだった。


「私のことは?」


フィエラが突然聞いた。


「何?」


「昨日の私」


レイグを見る。


「ダルクだけじゃないんでしょ。私もいたんだから」


黒い霧、負傷したネヴァル、道を塞いだスケルトンジェネラル。レイグが一人で残ると決めた時、昨日のフィエラは、怖い時ほど喋るはずなのに、笑いもせず言葉を失っていた。


「お前は……俺に言った」


「何て?」


「『追いつくって、ちゃんと言って』って」


フィエラの目が揺れた。


「俺がスケルトンジェネラルを引きつけて、お前らを先に行かせようとした時だ」


喉が乾いた。


「お前は戻ろうとした。ダルクに止められて、それでもずっと俺を見てた」


フィエラは何も言わない。


「俺は追いつくって言った」


追いつけなかった。


そのあと死んだ。


レイグが続きを口にできずにいると、フィエラは視線を落とした。


「……言いそう」


小さく呟いた。


「私、それ言いそうだね」


「証拠にはならねえ」


ダルクはまだ怒ったまま吐き捨てた。


「フィエラがそういうこと言いそうなのは、俺だって分かる」


「それだけで信じろとは言わない」


レイグも答えた。


「ただ、昨日のフィエラが残した言葉なんだ」


再び沈黙が落ちた。遠くでは、王城へ行くか、市場跡を探すか、地下へ入るかと、探索者たちが今日の予定を話している。


「私さ」


フィエラが口を開いた。


「全部は分かんない」


レイグは顔を上げる。


「レイグが死んだから戻ったのか、朝そのものが戻ったのか、何かの魔法なのか。それは分かんない」


足元の石を靴先で押す。


「でも、もう偶然だけで片づけるのも無理だと思う」


ダルクがフィエラを見る。


「信じるのか?」


「そういう言い方されると難しいな」


フィエラは眉を寄せ、少し迷ってからレイグを見た。


「今日は、レイグが見た昨日が本当にあったものとして動く」


「何だそりゃ」


「だって、本当にあった時に無視して死んだら嫌じゃん」


「……それはそうだが」


「でしょ?」


フィエラはレイグを見る。


「だから付き合う。少なくとも今日は」


朝から噛みしめていた奥歯が、ようやく離れた。息を吐くと、自分がずっと肩を上げていたことにも気づいた。


「ありがとう」


「まだお礼言うところじゃないよ」


フィエラの声は冷たかった。


「ダルクにはちゃんと謝って」


レイグがダルクを見ると、ダルクは顔を背けていた。


「……悪かった」


「今は聞きたくねえ」


その即答にレイグが口を閉じると、ダルクは大盾を引き寄せ、左腕に通した。


「俺も全部信じたわけじゃねえ」


「ダルク」


「ただ、お前が何か知ってるのは認める」


盾の革帯を締める。


「それと、今日のお前を一人にするのは危なすぎる」


「そこまでかよ」


「朝からの自分を思い出して言え」


言い返せなかった。


フィエラは、武器庫で得た二本のヒールポーションが収まった荷袋を背負い直した。


「それで、次は何を確かめるの?」


レイグは少し考えた。


「昨日、俺は死んだ」


「それはもう何回も聞いた」


ダルクが言う。


「死んで、次に気づいた時には朝だった」


言葉にすると、改めて奇妙だった。


「だったら」


ダルクが続ける。


「死んだから戻っただけって可能性は?」


レイグは黙った。死の直前に聞いた、白い翼を持つ者の言葉が関係しているのかもしれない。自分だけに何かが起きたのかもしれない。


「分からない」


「なら確かめりゃいい」


ダルクが言った。


「今日は死なねえ」


フィエラが瞬きをする。


「簡単に言うね」


「言い方だ」


「すごく大事なところ雑だったよ、今」


「意味は分かるだろ」


ダルクはレイグを見る。


「今日は霧が石橋を覆う前に帰る。危ない場所へ突っ込まない。王城にも行かない」


最後だけ、はっきり強く言った。


「そのまま夜まで生きる」


「それで普通に明日が来るか確かめる」


レイグが続ける。


「ああ」


普通の火曜日が来れば、死んだことが原因だった可能性は残る。もしまた同じ月曜日へ戻るなら、そこから先は、まだ分からない。


「じゃあ決まり」


フィエラが言った。


「明日の朝、答え合わせね」


「ああ」


レイグが頷くと、ダルクも何も言わず、三人は兵舎を出た。雨脚は少し弱くなっていたが、午後を迎えようというのに空はまだ暗い。


今ならまだ、黒い霧に道を塞がれる前に石橋まで戻れる。


レイグは旧市街へ続く道へ足を向けかけたが、その先、雨に霞んだ建物の向こうに王城の尖塔が見え、足を止めた。


昨日より多くのことを知っている。兵舎の武器庫へ早く入り、スチールロングソードも手に入れた。


ダルクにはウォーハンマーがあり、フィエラの矢は増え、ヒールポーションも二本増えた。まだ大きな傷も負っていない。


今なら、昨日よりずっと奥へ行き、王家の求める遺物を探せるかもしれない。


多額の報酬。


母。


ネリナ。


繕い直された靴。


もう少しだけなら――。


レイグは目を閉じた。


今朝はネリナを怖がらせ、昨日は帰ると言って帰れなかった。


大剣に脇腹を貫かれた感触が蘇る。


「レイグ」


フィエラは急かさず、ダルクも何も言わず、二人ともレイグがどちらへ進むのかを待っている。


レイグは王城から目を離した。


「……帰ろう」


ダルクは少しだけ目を見開いてから、鼻を鳴らした。


「最初からそう言ってんだよ」


ダルクの声にはまだ怒りが残っており、レイグも何も返さなかった。


三人は王城へ背を向け、雨に濡れた旧市街を、古い石橋へ向かって歩き出した。


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