第15話 戻った剣
ダルクはレイグが指した剣を見つめ、その間も雨が武器庫の屋根を叩いていた。
薄暗い室内には湿った木と古い鉄の匂いがこもり、壁沿いの棚には錆びた剣や槍が並んでいた。
その中に、汚れて、ところどころ革の剥げた鞘に収まった一本のロングソードがある。見間違えるはずがなかった。
レイグが手を伸ばし、柄へ指を回した途端、傷のない右脇腹がこわばった。この剣の重さを手が確かめるより早く、身体は最後に突き刺された大剣の冷たさを呼び戻していた。
昨日も、ここでこの剣を握った。
今まで使っていた物より少し重く、柄も太い。その代わり刃に厚みがあり、スケルトンの骨にも黒ずんだ鎧にも耐えた。
鞘から抜くと、鈍い銀色の刃が武器庫へ差し込む弱い光を返した。
「……間違いない」
レイグは剣を持ち上げた。
「これだ」
ダルクが眉を寄せる。
「似た剣じゃねえのか」
「違う」
「こういう古い剣なんか、似たようなのいくらでもあるだろ」
「俺は昨日、これを死ぬ直前まで使ってたんだぞ!」
思わず声が強くなり、ダルクの顔も険しくなった。
「だから、その昨日を俺は知らねえって言ってんだろ」
「柄も重さも覚えてる」
「お前にはな」
ダルクが一歩近づいた。
「お前が覚えてるって言えば全部証拠になるなら、最初から俺に何を見せても同じだろうが!」
「ここにあるのがおかしいんだよ」
「何で」
「最後にこの剣があったのはここじゃない!」
レイグは剣を握る指に力を込めた。
昨日の中庭が蘇る。壊れた石柱と黒い霧、その中で片膝をついたスケルトンジェネラル。
その首元へ、レイグはこの剣を突き刺した。
自分が大剣に脇腹を貫かれた時にも、剣は敵へ刺さったままだった。
「守備隊詰所の中庭だ。俺が死んだ時、こいつはスケルトンジェネラルの首に刺さってた」
ダルクは答えず、信じた顔もしていなかったが、さっきまでのように即座に否定もしなかった。
「レイグ」
フィエラに静かに呼ばれ、レイグが振り向くと、彼女は剣ではなく、レイグの右手を見ていた。
「手、震えてる」
言われて初めて、柄を握った指先がかすかに揺れていることに気づいた。
レイグは力任せに握り直した。
「寒いだけだ」
「それ、ダルクみたいな言い訳だね」
「俺を巻き込むな」
ダルクがいつもの調子に近い声で吐き捨てると、それだけでレイグの呼吸が少し戻った。
レイグは今まで使っていたロングソードを鞘へ戻し、棚に置いた。
代わりにスチールロングソードを腰に差すと、その重さまで昨日と同じだった。
「ダルク。右奥の棚、下から二段目の奥だ」
ダルクはレイグを睨んでから、棚へ目をやった。
「さっき言ってたハンマーか?」
「ああ」
「最初からそっちを教えろよ」
「俺の剣を見てたんだろ」
ダルクは返事をせず、右奥の棚へ向かった。錆びた斧をどかし、折れた槍の柄を持ち上げたところで、その手が止まった。
「……お」
フィエラが笑う。
「何かあった?」
「ちょっと待て」
ダルクが奥から引き出したのは、表面に細かな傷こそあるが、頭部も柄も十分に使えるスチール製のウォーハンマーだった。
昨日、ダルクが目を輝かせていた物だった。
ダルクは片手で持ち上げて重さを確かめ、軽く一度、もう一度と振ると、口元が少し緩んだ。
「……いいな、これ」
フィエラが吹き出した。
「本当に好きそう」
「確認してるだけだ」
「顔が確認じゃないけど」
「どんな顔だよ」
「いい物見つけた子供」
「してねえ」
レイグは二人を見た。昨日も似た光景の中で、ダルクはこの武器を何度も振り、フィエラにからかわれた。
言葉も動きも少し違う。
それでもダルクは同じ武器を手に取り、同じように嬉しそうな顔をしている。
「昨日もそうだった」
レイグが言うと、ダルクの笑みが消えた。
「何が」
「それ見つけて喜んでた」
「喜んでねえ」
「何回も振ってた」
「使えるか確認してただけだ」
「今もやってるよ」
フィエラが言う。
「うるせえ」
ダルクはウォーハンマーを持ったまま、レイグを見る。
「で?」
「何が」
「俺がこれを見つけたのも、お前の昨日と同じって言いたいんだろ」
「ああ」
ダルクは手の中の武器を見たが、さっきより笑っていなかった。
レイグは武器庫を見回し、記憶を頼りに棚を探る。すべてを覚えているわけではなく、昨日、一本一本の錆びた剣まで確認したわけでもなかった。
だが、自分たちが実際に手にした物なら覚えている。
「あった」
フィエラは棚の近くへしゃがみ込み、矢を一本持ち上げて床へ転がした。矢はまっすぐ転がる。
「これ、使える」
「その辺りだ」
レイグが言う。
「昨日もそこで矢を見つけた」
「何本?」
「そこまでは覚えてない」
「正直」
「適当なこと言うよりいいだろ」
フィエラは一本ずつ確認し、使える矢を選んで矢筒に加えていく。
レイグは別の棚へ手を伸ばしたが、取っ手に触れる直前で止めた。
「そこにも何かあるの?」
フィエラが聞く。
「小瓶が三本。一本は濁って、底に黒いものが沈んでる。残り二本は封の切れてないヒールポーションだ」
ダルクが棚を見る。
「なら、俺が開けるぞ」
「ああ。俺は触ってない」
ダルクは取っ手を掴み、少しだけ迷ったあと、扉を開けた。
三人とも黙った。
小瓶は三本あり、一本には濁った液体が入って、底に黒い沈殿物が溜まっている。残る二本には赤みがかったヒールポーションが入り、封も破れていなかった。
フィエラは一本を手に取り、小瓶を光に透かした。
「……合ってる」
ダルクは返事をせず、棚の奥にある濁った一本を見ていた。
「昨日も、使えるのは二本だけだった」
レイグが言う。
フィエラは二本の封を確かめ、布で包んで荷袋へ入れた。濁った一本は棚に残す。
昨日、自分たちはここから剣だけでなく、ウォーハンマーも矢も薬も持ち出し、武器庫の扉まで壊した。
剣もハンマーも矢も、壊した扉も元へ戻っていた。今、棚の薬まで記憶どおりだったと、二人も確かめた。
「全部同じかどうかは分からない」
レイグが言うと、二人がこちらを見た。
「でも、昨日俺たちが取った剣もハンマーも矢も、薬まで戻ってる」
視線を入口へ向ける。
「扉もだ。昨日は枠が割れた。でも今日は傷がなかった」
フィエラが少し考える。
「じゃあ……昨日と同じことが起きてるんじゃなくて」
「ああ」
レイグはスチールロングソードの柄に触れた。
「物が、朝の状態に戻ってるんじゃないか」
「決めつけんな」
ダルクが即座に言うと、レイグは眉を寄せた。
「ここまで見てもか?」
「ここまで見たからだ」
「意味分かんねえよ」
「分からねえことを、分かったことにすんなって言ってんだよ」
ダルクは手にしていたウォーハンマーを一度見てから、腰のバトルアックスを外して空いた武器棚に置き、代わりにウォーハンマーを吊り具に固定した。
「剣があった。俺のこれもあった。扉は壊れてねえし、薬もお前が言った通りだった。そこまでは俺も見た」
「だったら――」
「だからって、カレグノス全部がそうだって、何で今決められる」
「全部なんて言ってねえだろ」
「城門でも、分かってるって言ったよな」
レイグは口をつぐんだ。
「それで右ばっか見て、左から斬られかけただろうが」
左の敵は見えていた。踏み込んだ足が滑ったのだ。だが、その剣を受け止めたのはダルクの盾だった。
物が戻った話をしているのに、また自分の失敗へ引き戻される。それが腹立たしかった。
「今日の敵まで同じだとは思ってない」
「なら、次の角では先に左を見ろ」
「言われなくても見る」
「口じゃなくて、足を止めて見ろ」
「喧嘩は外でやって」
フィエラが矢筒を背負い直した。
武器庫の外から声が聞こえ、何人かが兵舎へ入ってきたらしい。
「人、来るよ」
ダルクも聞き耳を立てた。
「出るぞ。ここで武器庫の取り合いする必要はねえ」
「まだ使える物あるかもしれないよ?」
「持てる分だけでいい。鉄屑まで抱えたら動けなくなる」
ダルクは当然のように言った。
「欲張って荷物重くすんな」
その言葉が妙に胸に引っかかったまま、レイグは何も答えず荷袋を背負った。
*
武器庫を出ると雨はまだ降り続き、訓練場の土はぬかるみ、石畳にも薄い水が流れていた。
向こうの入口から探索者の一団が入ってきた。レイグは何気なくそちらを見て、足を止めた。見覚えのある若い男がいる。
「ネヴァル」
声が出た。
男が振り向く。
「……俺?」
昨日、瓦礫の下で血まみれになり、左脚を石材に挟まれて自力では動けなくなっていた男だった。
三人で戻り、ゴブリンを防ぎながら瓦礫をどけ、梁を使って石材を持ち上げた。
ヒールポーションも一本使った。
その救助の後、自分はスケルトンジェネラルを止めるために残った。
そして死んだ。
今のネヴァルは、両脚で普通に歩いていた。
「脚は?」
レイグが近づくと、ネヴァルは一歩下がった。
「脚?」
「左だ」
「何が?」
「瓦礫に挟まれただろ」
ネヴァルの表情から戸惑いが消え、警戒へ変わった。
「何の話だ」
「昨日だ。商家が崩れて――」
「昨日?」
「俺たちが助けた!」
レイグはさらに近づこうとした。
肩を強く掴まれる。
「落ち着け」
ダルクだった。
「でも、こいつは――」
「俺が何だよ」
ネヴァルの声が険しくなり、仲間たちもこちらを見る目を変えた。
「俺はあんたを知らない」
レイグの身体が止まった。
雨音が急に近く聞こえた。
「……覚えてないのかよ」
自分でも嫌な声だと思った。責めるような響きがあった。
ネヴァルの眉が寄る。
「だから、何をだよ」
「俺たちは――」
「レイグ」
フィエラが前へ出て、レイグとネヴァルの間に入った。
「ごめん。ちょっとこっちに事情があるの」
「事情?」
「今は説明しにくい」
ネヴァルは納得していなかった。
レイグを睨む。
「事情があるなら、知らない奴の脚見て怒るのやめてくれ」
胸に刺さり、何も言い返せない。
ネヴァルは仲間へ顎をしゃくった。
「行こう」
一団は武器庫へは寄らず、そのまま兵舎の奥へ向かう。前の一日では地下水路を抜けた後に初めてネヴァルと話したが、今日は、その前にもう会ってしまった。
やはり出来事まで同じにはならず、レイグは遠ざかる背中を見続けた。
「レイグ」
フィエラが隣に立つ。
「本当に、昨日あの人を助けたの?」
「ああ」
「あの左脚?」
「ああ」
昨日は歩くこともできず、血も止まらなかった。フィエラが傷口を押さえ、板を添え、包帯を巻いた。
今は何もない。レイグが自分の右脇腹に手を当てても、こちらにも傷はない。
「俺の傷も消えた」
雨の向こうにある武器庫を見る。
「剣も元の場所にあった」
そして、ネヴァルが消えた通路を見る。
「あいつが昨日負った傷も、今はない」
フィエラは黙り、少しして小さな声で言った。
「じゃあ……昨日死んだ人も?」
レイグの喉が詰まった。
自分がそうだ。
大剣に貫かれた。
血が流れた。
息ができなくなった。
死んだ。
そのはずなのに、今ここに立っている。
「分からない」
ようやく答えた。
「俺以外は、分からない」
雨が頬を伝った。
冷たい。
昨日の死とは何も関係なく、ただの雨だった。
*
三人は、武器庫の入口が見通せ、残った屋根で雨だけは避けられる兵舎の軒下へ移動した。
ダルクは壁に背を預け、腕を組んだ。
「武器庫の場所を知ってた」
突然言った。
レイグは顔を上げる。
「扉の開け方も知ってた。剣がある場所も、俺がこれを拾う場所も」
腰のウォーハンマーに触れる。
「今の奴の名前も、脚のことも知ってた」
フィエラがダルクを見る。
「信じた?」
「全部は信じねえ」
レイグの胸に、また怒りが湧いた。
「まだ言うのかよ」
「お前が何か知ってるのは認める」
「何かじゃない」
「だから」
ダルクも声を荒らげた。
「昨日死んで、今日の朝へ戻ったって話まで、一気に信じろってのは別だろうが!」
「じゃあ何なら信じるんだよ」
雨音を押し返すほど声が響いた。
「剣もあった! ハンマーもあった! 薬の中身も当たった! ネヴァルのことまで言い当てた! あと何を見せればいい!」
「俺が絶対お前に見せた覚えのないもんでも言ってみろ!」
レイグは口を閉じた。
ダルクも荒い息をしている。
「今まで一緒にいたから知ってることじゃねえ」
ダルクはレイグを睨んだ。
「昨日とやらを本当に見てなきゃ、お前には分からねえことだ」
ある。すぐに頭に浮かんだのは、蜘蛛との戦いを終え、ダルクが盾を洗った後のことだった。
盾の持ち手にかけたダルクの指が、小さく震えていた。
その指を強く握り込み、寒いだけだと言い張っていた。フィエラについても、思い当たることがある。黒い霧に追われ、ネヴァルを連れて逃げる直前のことだ。
『追いつくって、ちゃんと言って』
いつもの軽口ではなく、震えを隠せない声だった。言えば、それで信じてもらえるかもしれない。
だが、それは二人が隠そうとした恐怖を、自分の都合で暴くことになる。
レイグは拳を握った。
それでも、信じてほしかった。
昨日、三人であれだけ走り、怒鳴り合い、ネヴァルを助け、最後には二人を逃がして自分だけが死んだ。
昨日の二人が何を言い、どんな顔で笑ったか。一緒にいたはずの二人に、初めから説明しなければならない。その隔たりに気づくと、握った拳の指先から体温が引いていった。
このまま二人から「知らない」と言われ続けるのは、もう嫌だった。
「……ある」
ダルクの眉が動いた。
「何が」
レイグはダルクを見てから、フィエラを見た。
「昨日のお前たちを見てなきゃ、俺には分からないことがある」
今度は二人とも何も言わなかった。屋根の外では、雨だけが降り続いていた。




