第13話 当たらない予言
雨が軒先から落ち続けるなか、ダルクは何も言わず、フィエラも黙っている。
通りでは前線拠点へ向かう乗合馬車の準備が進み、御者が荷物を積む男たちに向かって声を張っている。
その音だけが三人の間を通り抜け、やがてダルクが口を開いた。
「……だったら」
いつもの怒鳴り声ではなかった。
「今ここにいるお前は何なんだよ」
「俺にも分からない」
「分からない?」
「ああ」
ダルクの眉間に深い皺が寄った。
「昨日、俺たちとカレグノスに入ったって言うんだな?」
「入った」
「それで死んだ」
「ああ」
「どうやって」
レイグの右肘が、傷などない脇腹を庇う位置まで勝手に下がった。大剣が肉へ入った向きも、抜かれた時に血があふれた熱さも、昨日と変わらず身体に残っている。
「スケルトンジェネラルにやられた」
ダルクの眉がわずかに動いた。
「スケルトンジェネラル?」
「黒ずんだ鎧を着て、大剣を持ってた。守備隊詰所の近くだ」
「それより前に見たことがあるのか?」
「ない」
「じゃあ何で名前まで分かる」
「お前が教えたんだ」
「俺が?」
「あの紋章と大剣なら間違いないって!」
ダルクは口を開きかけて止まったが、レイグは構わず続けた。
「その前にネヴァルって男を助けた。瓦礫に左脚を挟まれてた。俺たち三人で戻った」
「ネヴァル?」
フィエラが首を傾げる。
「誰?」
「昼に会った探索者だ。地下水路へ行こうとしてた。蜘蛛がいるって教えた」
「今日まだカレグノスにも入ってないんだけど」
「昨日の話だって! 今日も同じことが起きるか、お前らも見てくれよ」
また声が大きくなり、周囲にいた探索者が何人か振り返ると、ダルクが舌打ちした。
「少し声落とせ」
「お前が聞くから答えてるんだろ」
「聞いたからって通り中に聞かせる必要ねえだろうが」
レイグは何か言い返そうとしてやめ、自分でも余裕がなくなっているのが分かった。
フィエラが静かに聞いた。
「それで、私たちは?」
レイグは彼女を見る。
「ネヴァルを連れて逃げてもらった」
「レイグを置いて?」
「俺が残った」
「何で」
「そいつを引きつけないと、全員逃げられなかったからだ」
フィエラの顔がこわばった。
「……それで死んだの?」
「ああ」
「傷は?」
ダルクが割って入る。
「ない」
「ほら」
「何が、ほらだ」
「死ぬほど斬られたんだろ。だったら傷はどこだよ」
「消えたんだ」
「そんな話を信じろって言ってんのか」
「俺だって信じられねえよ!」
二人の声がぶつかるなか、レイグは右脇腹を押さえた。服の下に傷がないことが腹立たしかった。
血が流れた。
息ができなくなった。
怖かった。
あれほど確かなものだったのに、今の自分の身体には何一つ残っていない。
「……じゃあさ」
フィエラが言うと、二人が振り向いた。
「昨日と今日が同じ日だっていうなら、これから起こること、何か分からないの?」
ダルクが腕を組む。
「そうだな」
レイグを見る。
「昨日を知ってるってんなら、今日のことも少しくらい分かるんだろ」
レイグは口を閉じた。家での会話も違い、雨も降っている。全部が同じではなく、昨日の一日がそのまま繰り返されているわけではない。
それでも同じものはあり、家の中も装備も荷物も元に戻り、王家の布告まで同じだった。
「……同じこともある」
「じゃあ当ててみろ」
「ダルク」
「何だよ。昨日を知ってるってんなら、証明しろって言ってんだよ」
レイグはダルクを睨んだ。
何でもいい。
一つでもいい。
二人が自分の話を、ただの夢だと切り捨てられなくなる何かが欲しかった。
「分かった」
三人は馬車乗り場へ歩き出した。雨脚は少し強くなり、石畳を踏むたび、水が靴の縁から跳ねる。
馬車乗り場が見え始めたところで、レイグは足を止めた。
「ダルク」
「何だ」
「今からお前、荷物の確認するぞ」
ダルクの目が細くなる。
「は?」
「鎮痛薬。スタミナポーション。包帯。水。干し肉」
フィエラが横を見る。
「それで?」
「最後にフィエラの予備の矢を聞く」
数秒、誰も喋らなかった。レイグがダルクの荷袋を見ると、ダルクの手はちょうどその口紐へ伸びかけていた。
「……確認するつもりだっただろ」
そう言ったレイグと荷袋を交互に見てから、ダルクは口元を歪めた。
「じゃあ水からだ」
「は?」
ダルクが荷袋を開く。
「水」
「持ってるよ」
フィエラが答えた。
「次、干し肉」
「おい」
「包帯」
「順番変えただろ」
「変えた。悪いか」
「それじゃ証明にならないだろ」
「予言なら俺が何しても当てろ!」
「そんな無茶な話あるか」
フィエラが吹き出した。
「ダルク、自分から外しにいってるじゃん」
「こいつの言う通り動いて証明になるか」
「じゃあ最初から当てさせる気ないだろ!」
「信じられねえもんを信じろって言うからだろ」
また二人の声が大きくなり、御者がこちらを睨んだ。
「乗るならさっさと乗れ!」
三人は言い合いをやめて馬車へ乗り込み、昨日と同じように横並びに腰掛けた。ダルクが膝の上に紙包みを置くと、レイグはそこに目を留めた。
「それ」
「何だ」
「パンだろ」
「見りゃ分かる」
フィエラの視線が紙包みへ落ち、右手がわずかにそこへ伸びる。
「取るな」
レイグが言うと、フィエラの手が止まった。
「何を?」
「ダルクのパン」
「まだ触ってないけど」
「昨日は取った」
「私が?」
「二口食った」
ダルクが紙包みを胸元に抱え込んだ。
「お前、昨日も俺のパン食ったのか」
「知らないって言ってるでしょ」
「二口だぞ」
「何でそこだけ具体的なの」
「俺のパンだからだ」
「怒るところ違わない?」
フィエラは笑いながら手を引いた。
「じゃあ今日は食べない」
「……え?」
レイグが声を漏らすと、フィエラは首を傾げた。
「何?」
「昨日は食った」
「だから今日は食べない」
「でも――」
「先に言われたんだから、同じことしないでしょ」
レイグが黙ると、ダルクが鼻を鳴らした。
「外れたな」
「俺が止めたからだろ」
「だったら、お前が知ってるだけで昨日と違うことになるじゃねえか」
その言葉に、レイグは返せなかった。
御者が振り返った。
「まだ騒ぐなら降りろ」
三人とも口を閉じ、少しして馬車が動き始めた。
車輪が雨に濡れた石畳を鳴らし、ネルトアの家並みが後ろへ流れていく。
レイグは前を向いた。昨日ならこのあと、フィエラが王家の遺物を本当に見つけたらどうする、と聞いた。
レイグは彼女が言い出すのを待ったが、フィエラは窓の外を眺め、しばらくしてこちらへ顔を向けた。
「何?」
「……いや」
「何か言うはずだった?」
レイグが答えずにいると、フィエラは少し考えた。
「昨日の私?」
「ああ」
「何て?」
「王家の遺物を本当に見つけたらどうするって」
「今日は聞かないよ」
「何で」
「今それより気になることあるし」
フィエラはレイグを指した。
「死んだって言ってる人が目の前にいるんだから」
レイグは言葉を失った。
同じ三人。
同じ馬車。
同じ日。
なのに、もう会話が違う。
自分が昨日にはなかった話をした。
それを聞いた二人が、昨日とまったく同じように喋るはずがない。
「結局」
ダルクが前を向いたまま言った。
「当たったり外れたりじゃねえか」
レイグの中で何かが弾けた。
「俺だって分からねえよ!」
馬車の中に声が響く。
「朝起きたら傷が消えてた! 剣も盾も戻ってた! 日付まで同じだ! なのに雨は降ってるし、お前らは何も覚えてねえし、昨日と同じことまで起きねえ!」
ダルクがこちらを向く。
「俺が一番、何が起きてるのか分からねえんだよ!」
「だったら俺に答え求めんな」
「お前が証明しろって言ったんだろ」
「信じられねえから言ってんだよ」
「信じさせたいよ。でも俺にも、何が同じで何が変わるのか分からないんだ!」
「だったら俺に答えを押しつけんな」
「二人とも」
フィエラが二人の間から顔を出した。
「御者に降ろされたら、本当に昨日と違う一日になるよ」
御者が前から怒鳴った。
「聞こえてんぞ」
今度こそ三人とも黙った。馬車は雨の街道を進み、車内には車輪の音と、屋根を叩く雨音だけが続いた。
ダルクは窓の外を睨むように見ている。レイグも話しかけず、膝の上で親指の爪を何度もこすった。信じられないと言われるたびに、脇腹へ入った刃まで嘘にされる気がした。
少しして脇を指でつついたのは、フィエラだった。
「ねえ」
「何だ」
声を落としている。
「死んだ時」
レイグの身体が固まった。
「怖かった?」
レイグは答えられなかった。
大剣。
血。
息を吸えない苦しさ。
帰れないと分かった時の恐怖。
ミレサ。
ネリナ。
黒い霧。
白い翼。
昨日ではないと言われるたびに、それら全部まで嘘にされていく気がしていた。
「……怖かった」
ようやく声が出た。
フィエラは笑わなかった。
「そっか」
それだけ言う。
慰めもしない。
しばらく窓の外を見てから、もう一度レイグへ顔を向けた。
「昨日が本当にあったのかは、まだ分かんない」
その言葉がレイグの胸にちくりと刺さったが、彼女は続けた。
「でも、レイグが嘘ついてないのは分かった」
レイグはフィエラを見る。
「何で」
「当たった時、ちょっとほっとしてたでしょ」
フィエラはレイグの顔を見た。
「でも外れた時、本気で青くなってた」
少し間を置く。
「嘘ついてる人の顔には見えなかった」
横からダルクの声がした。
「俺はまだ信じねえぞ」
フィエラがそちらを見る。
「でも聞いてたんだ」
「聞こえんだよ、この距離なら」
少しだけ、いつもの調子が戻った。レイグは笑えなかったが、それでも胸を締めつけていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
*
前線拠点へ着いた。鍛冶屋、ポーション屋、食堂、遺物買い取り所は、どれも昨日と同じ場所にあった。王家の旗が掲げられた《王家臨時館》も同じだ。
何も変わっていないように見えるが、人は違った。
雨を避けるため、探索者たちは建物の軒下に固まっている。商人は濡れない場所まで箱を引き込み、鍛冶屋の前では泥のついた靴を拭っている男もいた。
昨日と同じ場所なのに、同じ光景ではない。
レイグは食堂の前で足を止めた。
「どうした」
ダルクが聞く。
「昨日、ここでお前にパンを買った」
「何で」
「フィエラがお前のを食ったから」
「今日はいらねえな」
「うん」
フィエラが笑う。
「私、いいことしたね」
「何もしてねえだけだろ」
ダルクが呆れた。
レイグは食堂の籠に積まれた丸いパンを見た。昨日ならここで一つ買っていたが、今日は買わない。
同じ場所へ戻ってきたはずなのに、昨日あったものが少しずつ消えていくように感じた。
「……レイグ?」
「何でもない」
レイグが歩き出し、前線拠点の奥へ進むと、古い石橋が見えてきた。その姿は昨日とはまるで違っていた。
雨が石の表面を叩き、水が薄い流れとなって橋の両端へ走っている。崩れた欄干からは雫が落ち、その先にあるカレグノスの城壁も白い雨幕の奥へ霞んでいた。
フィエラが橋を見たまま聞いた。
「昨日は?」
「晴れてた」
ダルクが空を見上げる。
「天気くらい変わるだろ」
「天気が変わるなら、人や敵の位置も変わる。昨日の先読みはそのまま使えない」
それでもレイグには怖かった。
昨日もこの橋を渡り、その先で死んだ。場所も敵も、霧が来ることも知っている。
だが今日、何が起きるのかは分からない。
「俺はまだ、お前の昨日とやらを信じてねえ」
ダルクはレイグを見て言った。
「それとは別だ。今のお前で中へ入るのは反対だ」
「確かめないと何も分からない」
「朝から死んだ死んだって取り乱してる奴が、魔物のいる場所へ行くんだぞ」
「ダルク」
「間違ってるか?」
レイグは答えなかった。間違っていないからこそ、余計に腹が立った。
「……俺は行く」
ダルクの顔が険しくなる。
「一人でも、とか言うなよ」
レイグは口を閉じた。
「今言おうとしただろ」
「言ってない」
「顔に出てんだよ」
フィエラが小さく笑った。
「そこは昨日も変わらないんだね」
「笑うところじゃねえ」
ダルクは大盾を背中から外した。
「俺らは元からカレグノスへ行く予定だった。お前も来るなら、今日は勝手に一人で動くな」
「子供じゃないぞ」
「朝から死んだって騒いでる奴には言う」
レイグは言い返しかけたが、やめた。
「ああ。分かった」
「今のは数えとくからな」
「何を」
「お前の『分かった』だよ」
フィエラがコンポジットボウに手を掛ける。
「それ、たぶん昨日も言ってそう」
レイグは雨の向こうに立つカレグノスを見た。
知っている城塞都市。
昨日、自分が死んだ場所。
それなのに、今日の先はもう知らない。
三人は雨の中、古い石橋へ足を踏み出した。




