十一 ポチの『闘い』
私は観測者だ。
観測者だが、ここからのポチの『闘い』について、多くを語りたくない。
だから、私は、出来る限り、淡々と観測した事実だけを述べていこうと思う。
殺戮や虐殺を目撃したのは、初めてのことなので、拙い説明になってしまうことをどうか許してもらいたい。
闘いが始まると、まず、ポチは、一歩、狒々の軍勢に向かって動いた。
ほぼ同時に、長大な尾の刃が、音もなく横へ薙がれた。
「防げぇ!」
白狒々は叫び、黒狒々たちは即座に反応した。
六体の黒狒々が同時に妖術を発動した。
大地が隆起し、分厚い土壁が何重にも形成された。
しかし、ポチの尾刃は止まらなかった。
土壁ごと黒狒々の胴体を輪切りにした。
六体の黒狒々の上半身と下半身が、時間差でずるりと地面へ滑り落ちた。
【残り三十五体】
アスドラが事務的に告げた。
すると、両腕の筋肉を何倍にも肥大させた八体の黒狒々が、ポチに一斉に飛び掛かってきた。
両足の筋肉も膨張しているようで、黒狒々たちは昨夜の数倍の速度を発揮している。
感覚を強化された私の目は、このとき、黒狒々の動きをしっかりと把握していた。
しかし、ポチの動きは、黒狒々を凌駕していた。
赤熱した爪が閃き、四体の黒狒々が細切れになった。
肉片が空中へ舞い、地面に落ちた。
続いて牙が動いた。
残る四体の腹部が、内臓と骨ごと食い千切られた。
ポチは噛み砕いた血肉を、吞み込まず、そのまま地面へ吐き捨てた。
まるで腐った生ゴミでも口にしたような苦々しい反応だった。
【残り二十七体】
アスドラが、再度、事務的に告げた。
黒狒々たちが怒号を上げた。
接近戦は分が悪いと踏んで、距離を取っての攻撃に切り替えたように見えた。
火球を打ち出す妖術を駆使する黒狒々が八体いた。
水槍をしごく妖術を駆使する黒狒々が六体いた。
風刃を操る妖術を駆使する黒狒々が六体いた。
合計二十体の黒狒々が、ポチに向かい、一斉に妖術を放った。
それに合わせて、ポチの背中でガトリング砲が回転した。
低い駆動音の後、猛烈な爆裂音が轟いた。
本当に、私の目はどこまで強化されたのだろうか。
私の目はしっかりと捉えていた。
三十ミリ級の弾丸を思わせる炎の塊が、毎分一万発という狂気の速度で射出されているのだ。
黒狒々が生み出した火球も、水槍も、風刃も、何もかもが全て飲み込まれた。
広場の大地が、一瞬で真っ赤に染め上げられた。
二十体の黒狒々は悲鳴を上げる暇すらなかった。
肉片すら残っていなかった。
存在そのものが焼却されていた。
【残り七体】
アスドラは告げた。
事務的な口調に変わりは無かったが、この辺りから、退屈という感情が含まれるようになった。
ちなみに、このとき、私は目を動かすことしかできなかった。
両目からは涙が溢れ、二つの鼻孔からは鼻水を垂らし、口から唾液の滝が止まらなかった。
股間に湯気が立っていた。
失禁していることを知るまで少し時間がかかった。
女性として、決して人に見られてはいけない惨状だったが、少しも気に掛からなかった。
獣のように、虫のように、自分の命が助かることばかりを祈っていた。
だって、この場で奔流する暴力の流れがほんの少しでも自分に流れてきたならば、自分の体など微塵も残らず消し飛んでしまうからだ。
生きた証となる功績をまだ残していないが、殺された証拠も残せぬまま死ぬことの方がずっと怖かった。
残る六体の哀れな黒狒々が、狂ったようにポチへ突撃していった。
体全体がボールのように丸く膨らんでいた。
直感できた。
自爆する気だ、と。
死を前提とした最後の手段を、黒狒々たちは迷うことなく選択したのだ。
だが、爆発は起こらなかった。
その直前、空が光ったからだ。
雷鳴が轟き、六本の落雷が正確に黒狒々へ直撃した。
雷が直撃し、身体の内部から焼き尽くされた黒狒々たちは、声も出せぬまま炭塊となり崩れ落ちた。
【残り一体】
このとき、間違いなく、アスドラはあくびを噛みしめて告げた。
私は周囲を見回した。
山は削れ、木々は吹き飛び、岩盤は抉られていた。
地形そのものが変貌していた。
だが、私の周囲半径一メートルだけは違った。
そこだけが完全に無傷だったのである。
草一本傷付いていなかった。
ポチは、ただ絶大な力と暴力を振るっているのではなかったのだ。
だからこそ、恐ろしかった。
ポチは、自らの力の全てを完全に制御しているのだ。
膨大な処理を一瞬でこなす機械のようだった。
ポチの赤い瞳が、最後の一体を捉えた。
当然、白狒々だった。狒々軍勢の頭領だ。
だが、ポチにとってはそんな肩書きなどどうでもいいのだ。
最後まで生き残ったのも、きっと単なる偶然だったに違いなかった。
このとき、私は固唾を呑んで見守っていた。
白狒々はどのようにしてポチへ立ち向かうのか?
新たな軍勢を生み出すのか?
驚天動地の秘術を繰り出すのか?
あるいは、既に一発逆転の策を用意しているのか?
ここからが本番に違いない。
人外同士の真の激闘が始まるのだ。
そう思っていた。
そうであって欲しいとさえ思っていた。
白狒々は、翼を広げ、そのまま全力で空へ逃げ去った。
躊躇も、誇りも、つい先ほどまで妖怪の王を名乗っていた威厳も、それら全てを投げ捨てての逃亡だった。
とても潔い逃げっぷりであったため、私は最初、その行動が逃亡だと理解できなかった。
何か深謀遠慮のある行動なのだと思った。
しかし、それは違っていた。
思い返してみれば、白狒々は翼を広げた瞬間から泣いていた。
文字どおり涙を撒き散らしながら絶叫していたのだ。
何で思い出せなかったのだろう。
「な、何でだぁ!? 何で、あの御方がぁ!? こんなところにぃ!? ああ! やだぁ! 死にたくねぇぇぇぇ!!」
白狒々の声は裏返っていて、恐怖で震えていた。
妖怪の王の咆哮などではなく、死を目前に怯える獣の悲鳴だった。
恐怖と絶望の叫びのほか、配下の死体を広場に残し、白狒々は音速を超える勢いで空へ逃げていった。
その姿はあっという間に大空の点になった。
【どうする、ポチ?】
アスドラが静かな声で尋ねた。
【あれは石を食った妖怪だ。多分、他の石喰らいの妖怪を二、三匹喰らっているな。このまま始末してしまうのは、少しもったいない気もするが……】
私には意味が分からない内容の問い掛けに、ポチは答えなかった。
ふわりと、その場に浮かび上がると、虚空で大きく口を開いた。
そして、ポチの口腔から巨大な砲身が伸びて、展開された。
全身の装甲の隙間から赤光が漏れ出した。
体内で膨大なエネルギーが生まれ、それが口腔部分に収束していった。
空気が震えていた。私の鋭敏な五感は、空間の歪みさえ把握していた。
【いや、そうだな……】
アスドラが静かに告げる。
【我々に牙を剥いた以上、生かしてはおけんな。君の妖気の多寡さえ把握できない小粒の妖怪だ。ここで処分しよう。ターゲットロックは私が行う。君は存分に撃ち放て】
白狒々は既に遥か彼方だった。
点が消失するのも時間の問題だ。
だが、逃げ切れないだろう。
私は憐憫の感情を持って、白狒々であった点を見つめた。
【ターゲットロックオン……カウントスタート……3、2、1……】
世界が静止したように感じた。
【邪炎暗黒線砲、発射】
アスドラの合図と同時に、黒い光が放たれた。
いいや、それは光というにはあまりにも禍々しい、闇そのものを凝縮したようなエネルギーの奔流だった。
黒光は、彼方の空で逃走していた白狒々を飲み込んだ。
悲鳴は聞こえなかった。
距離の問題で聞こえなかったのではなく、白狒々の体が一瞬で蒸発したからだ。
なおも、黒光は止まらなかった。
雲海を貫き、大気圏を突き抜け、そのまま宇宙の昏い虚空へ吸い込まれるように消えていった。
数秒後、アスドラが、ポチに対して事務的に告げた。
【撃滅完了】




