幕間 妖怪の王
白狒々は眷属を引き連れ、山中を彷徨っていた。
天然宗の数珠が放った法力による傷は、想像以上に深かった。
草を喰らった。
虫を喰らった。
魚を喰らった。
獣を喰らった。
山にある命を手当たり次第に喰らい続けていたが、それでも回復は遅い。
失った力は戻らない。
体中が焼けるように痛んでいた。
周囲では黒狒々たちものたうち回っている。
法力は妖怪にとって毒そのものだった。
それを体内へ流し込まれたせいで、今にも全身が溶け出しそうだった。
「畜生が……」
白狒々が忌々しげに舌打ちした、その時だった。
森の奥から白い影が現れた。
一羽のカラスだった。
白いカラス、それだけでも異様なのに、そのカラスは恐ろしく巨大だった。
鷲よりも遥かに大きい。
翼を広げれば全長五メートルを超えるだろう。
雪のように白い羽毛。
鋭く湾曲した嘴。
その姿はまるで、神話に登場する怪鳥そのものだった。
だが、妖怪たちに神話を畏れる心などない。
ただ、大きな獲物が目の前に現れたに過ぎなかった。
案の定、黒狒々の一匹が歓声を上げた。
「でけぇ鳥だぁ!」
涎を垂らしながら飛び掛かった。
次の瞬間、黒狒々の顔面に拳大の穴が穿たれた。
白い羽根が一枚、ひらりと舞い落ちる。
白い大カラスの姿が消えたように見えた。
いいや違う。
あまりにも速すぎて見えなかっただけだ。
白い大カラスは、絶命した黒狒々の背後に立っていた。
嘴をせわしなく開閉しながら、赤黒い血肉を咀嚼している。黒狒々の脳と眼球だった。
顔面に大穴を開けられた黒狒々は、そのまま静かに倒れた。
「へぇ……やるなぁ」
白狒々が目を細めた。
白い大カラスは黄金色の瞳で白狒々を睥睨した。
「お前も喰ったのだろう?」
「何をだぁ?」
「光る石だ」
白狒々の口元が歪む。
「俺も喰った」
大カラスは淡々と言った。
「喰った瞬間に理解した。自分が妖怪になったことをな」
そして本能が囁く。
白い翼がゆっくりと広がった。
空を覆うほど巨大な翼だった。
「同じ石を喰った妖怪を殺せ。喰らえ、喰らえ。そうすれば、もっと強くなれる」
黄金の瞳が白狒々を射抜く。
「お前もそうだろう?」
白狒々は笑った。
獰猛に。
残忍に。
そして心底愉快そうに。
「ケヒヒッ!」
次の瞬間、二体の妖怪が激突した。
山が揺れ、木々が吹き飛び、巨岩が砕け散った。
凄絶な激闘だった。
大カラスの嘴は白狒々の片目を抉り取り、鉤爪は片脚を引き裂いた。
空からの急襲は雷のように鋭く、白狒々の頑強な腹を易々と貫いて、湯気の立つ腸を引きずり出した。
しかし、最後に立っていたのは白狒々だった。
白い大カラスは血の海の中で震えていた。
「待て……待ってくれ……助けてくれ……嫌だ……死にたくない……」
白狒々は笑った。
「おれもだぁ。おれも死にたくねぇ……だから、お前を食わせてくれよぉ」
そして、白狒々は大カラスを喰らった。
羽根を、肉を、骨を、血を、内臓を、目を、舌を、脳を。
そして魂さえも。全てを喰らった。喰らい尽くした。
喰らうたびに、白狒々の傷が塞がっていく。
潰れた目が再生する。
失われた脚が生えた。
体の奥から力が溢れ出していく。
筋肉が膨張する。
骨が軋みながら成長していく。
気付けば、もともと巨躯だった体は、更に一回り大きくなっていた。
「ケヒヒッ!」
笑いが止まらない。
強くなったのだ、確実に。
そして圧倒的に。
何より、理解した。
自分の大いなる運命を。
それは支配者としての運命だ。
この力を使い、自分は全てを統べなければならない。
白狒々は胸を張った。
体の奥底から強大な妖力が溢れ出す。
本能のままに力を解き放つ‐妖術展開。
白狒々の体から、次々と黒狒々が生み出されていく。
一体、二体、三体……十体……二十体。
以前は十体が限界だったが、今は違う。
一気に二十体の眷属を生み出せる。
しかも、生まれた瞬間から、眷属は特殊な力を宿していた。
火を噴く者、風を操る者、土壁を築く者。
黒狒々たちもまた妖術に目覚めていた。
そして、白狒々自身にも、新たな力が宿っていることを理解していた。
恐らくは、あの白い大カラスが持っていた妖術だ。
まだ完全には馴染んでいないが、それも時間の問題だろう。
自分は確実に強くなっている。
「勝てる」
白狒々は呟いた。
そう、勝てるのだ。
人間どもに勝てる。
天然宗の坊主どもに勝てる。
土地神にも勝てる。
そして、名前を口にすることさえ恐ろしい、あの御方にさえ、勝てるのではないか。
自分こそが、妖怪の王となる器なのだ。
白狒々はそう確信していた。
「行くぞぉ、てめぇらぁ」
眷属たちを引き連れ、山を進む。
その時だった。
森の奥から再び白い影が現れた。
今度は猪だった。
巨大な白い猪。
その目には獰猛な殺意が宿っていた。
「お前も喰ったのだろう、光る石を?」
白い猪が舌なめずりしながら言った。
白狒々は笑いを止められなかった。
「ケヒヒッ!」
今度はどれだけ強くなれるのだろう。
その期待で胸が躍っていた。




