第一章 ⑧
「何かさぁ。そんなに張り切られるとダルいんだけど」
翌日、鳩三郎さんが作ってくれたコーンビーフサンドとめちゃくちゃに熱くて苦いコーヒーを頂いた後、僕から外に出ましょうと重美さんを誘った時、そのように返されたのだった。
重美さんは鳩三郎さんがあちこちと動き回っている事を良い事に1人ソファを占領し、惰眠を貪ろうとしていた。
ソファを占領したい気持ちはすごく良くわかった。どうしてかといえば、鳩三郎さんの家にはソファ以外に寝る場所がなかったからだ。
つまり僕達は昨夜は硬い床の上で眠るしかなかったのだ。それは助けて貰った身としては文句や愚痴など言いたくても言えない立場にあった。
なのに重美さんは「え〜ヤダ。私ソファが良いと文句を言い出したのだ。
慌てた僕は、鳩三郎さんに「すいません。床で寝ますから」と返したが、その間も重美さんは女の子なのに。私女の子なんだけど?とぶつくさ文句を言い続けていた。
その意味がわかったのかは知らないけど、鳩三郎さんが身体を横にしようとしたのを止めた。
こちらへ振り返った。
「そうしてやりたいんじゃけど。ワシのこの身体じゃ地べたに寝れんのじゃ」
「テーブル退かせば済むだけじゃん。ね?」
ソファで寝られる可能性が出て来た事で、さっきまでの愚痴は何処かへ消え去り、テーブルを指差した。
「大魚くん。鳩の、いや鳩三郎様の為にも今直ぐそのテーブルと椅子を退かしなさい!」
と命令して来た。僕はテーブルに視線を向けた後、直ぐにその視線を重美さんへ戻した。重美さんは顎を動かし、「いいからやれよ」という目付きで僕の視線を弾き飛ばした。
仕方なしに目の前にある椅子を退かし、壁際まで運んだ。次はテーブルか。そう思い掴んだ所で、僕はフリーズしてしまった。
「ほら早く。鳩三郎様が洗い物終わっちゃうでしょ」
様ってなんだよ。ったくこの人、調子いいなぁ。
「あの……重美さん」
「何よ」
一刻も早くソファで寝転びたいのか、心なしか言葉がキツく感じる。
「動かないです」
「はぁ?何言って……ってガチかよ!」
「じゃけぇ。ワシは床で寝られんのじゃ」
「おい。鳩。オメーだよ。オメーそれだけ図体がデカいんだから、力もつえーだろ?な?」
「おのれ等よりは強いじゃろな」
「ならほらやれよ。テーブルをぶっこ抜くくらいの気概みせてみろよ」
この人、どれだけソファで眠りたいんだ。
それも人、いやモグラの家でだ。図々しいというか、殆ど悪魔のような存在に化けかけている。
鳩三郎さんは重美さんに言われたように全力でテーブルを持ち上げようとした。だがテーブルはびくともしなかった。
何故、鳩三郎さんが、全力を出していたのがわかったかというと、力を入れた途端に鳩三郎さんの全身の体毛が逆だったからだ。それくらい本気を出していたという事だ。
「何で固定しちゃったのよ」
「知らん」
「知らんって。ここあんたの家でしょうが」
「いや。違う。ワシはここを譲り受けたんじゃ」
「はい?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「誰からよ?」
「前の住民じゃ」
「え?って事は鳩三郎、お前元々ここに住んでた訳じゃないの?」
「そうじゃよ」
「じゃあ前の住民は何処に行ったのよ」
「知らん。梯子を登って蓋を開けてニコニコしながらバイバイっていうて出て行った」
「いつ?」
「わからん」
「わからない訳ない、、、」
そこまで言って気づいたようだった。鳩三郎さんは月日や年月というものを理解出来ない。いや知らないのだ。
「という事はですよ?鳩三郎さんも僕達と同じように、何処からか来て針葉樹の森を彷徨っている時に、ここを見つけたって事ですよね?」
僕の言葉に鳩三郎さんは毛の中に隠れている小さな目で僕を見返した。多分。こっちに向いたからきっとそうだと思った。
視力がどれほどかわからないけど、僕の顔も身体もよくわからないのではないだろうか。輪郭だけボヤけて見える程度かも知れない。
「そこの所がようわからんのじゃ。ただここを譲り受けたという事だけは覚えとる」
鳩三郎さんはいい、キッチンへと移動した。
引き出しを開け何かを漁り始めた。
「あったあった」
大きな手で何かを掴むと僕達の前でその肉厚の手の平を広げてみせた。
そこには白くて細長いプラスチック製と思われるプレートが乗っていた。見ると黒い文字で何か書かれてある。
「管理、人?」
「です、ね」
「これを前の住民に渡されたって事?」
「そうじゃ」
「で、渡した人は出て行った……そうですよね?」
鳩三郎さんは頷いた。
「つまり、それって……」
「でしょうね」
「何が、でしょうなんじゃ」
「恐らく、元の住人はここから逃げ出したかったんだと思います。けど、そうする為には別の人がこの家を管理しなくちゃいけない。どうしてこの家を管理しなくちゃいけないのかはわからないけど、でもそういうルールがあるみたいですね。そこに鳩三郎さんが現れた。きっと僕達と同じように煙突を見つけたのでしょう。そしてこれも僕達がしたように、中へ向かって助けを求めた。
それを聞いた前の住人、いえ管理人は鳩三郎さんを助けた。暖を取らせ食事を与えた。これはあくまで推測ですが、管理人を交代するには条件があるのだと思います」
「どんな条件よ?」
「これも想像でしかありまんが、恐らく、鳩三郎さんは前管理人から、管理人職を交代してくれないか?と頼まれたのではないでしょうか。前管理人とそういう話をした覚えはありますか?」
鳩三郎さんはしばらく考えた後、
「あったわ」
と言った。
「それで鳩三郎さんは交代する事を承諾した。ですよね?」
「そうじゃな。食い物もあるし、何よりここは暖かくて心地良かったからのう」
「やっぱり」
「何がやっぱりなのよ?」
「さっき鳩三郎さんは前管理人がニコニコしながら手を振って出て言ったと言いました。それって普通ですかね?」
「意味わかんない」
「ニコニコしてたって事は、嬉しいからですよね?ここから出られる事が、管理人を交代出来た事が、前管理人は嬉しかった」
「うん。そうなるよね」
「つまり、前管理人は鳩三郎さんを助ける以前にも誰かを助けた事があったんじゃないでしょうか。そんな事話していませんでしたか?」
鳩三郎さんは自分用の大きな椅子を引き腰を下ろした。僕の問いに鳩三郎さんは何かを思い出すかのように、首を傾げたり天井を見上げたりした。僕は鳩三郎さんが話し出すまで待った。
「確かにワシの前にも何人か助けた事がらあるって言っとた」
「前管理人はその経験によって気づいたんだと思います」
「何を、よ?」
「ここから出られる方法です」
「そんなの私達を助けたように梯子を登って蓋を開ければ簡単に出られるでしょうよ」
「確かに僕達の時も鳩三郎は蓋を開けて出て来ました。けど……」
そこで止めた。僕の想像が正しければ……
僕の沈黙に辟易したのか、退かした椅子を掴み元の位置へ戻した。座った重美さんが僕を見上げた。
「鳩三郎さん」
「なんじゃ」
「森の奥を探索した事はありますか?」
「何度かそうしようと試したが、どうしてじゃろうか。出入り口から数歩離れただけで頭がクラクラして気を失ってしまうんじゃ。じゃから探索は諦めた」
「そうでしたか。なら間違いないですね」
「あぁ焦ったい。早く答えろって」
「すいません」
僕はいい、1つ咳払いした。
「許可がいるんです」
「許可?」
「ええ。どういうシステムでそうなっているのかわからないですけど、この家から出るには誰かと管理人を交代しなくてはならない。でもそうする為には別の人の許可がいる。新たな人が前管理人から自分が管理人を交代しても良いと言って初めて、ここに縛られ続けた呪縛から解放されるのだと思います。だから前管理人は梯子を登った後、ニコニコ笑っていたんですよ。恐らく、前管理人は相当長い間、この家に閉じ込められていたのでしょうね。ただこれも推測ですが、この家にいたら時間や年月という物が損なわれてしまうのではないですかね。その理由としてはたった1人で地中で暮らしていると、いつか外に出たくなる。でも出ようとしたら目眩がして動けなくなる。そんな日々が続いたらどうなります?」
「この生活が嫌になる」
「そうですよね?1人でいる方が気楽でいいっていう人世の中には数多います。どっちかと言えば僕もそっち側の人間です。でもそういう割には出かけたりするし、出かけなきゃいけない用事が出来たりしますよね?」
「まぁね」
「そういう場合、きっと潜在意識下の何処かで他人とコミュニケーションを取りたがっているんだと思います。それが良いコミュニケーションとか最悪だと感じてしまうコミュニケーションとか無関係で」
「最悪を求める奴なんていないでしょうが」
「求める、求めないの問題ではなく、ただ触れ合いたいだけであって、結果がどうだろうが関係ないんですよ。外に出て最悪だったって気持ちで帰宅しても、潜在意識下での自分はとても満足しているんです。さっきのあいつのあの態度、何なんだよ!って部屋で文句を言うのも、1人が楽だと思って生きている人のストレス解消になり、メンタルケアになっているんです。実際、長年、誰とも触れ合わずこの家に1人でいたらどうなります?」
「頭おかしくなりそう」
「僕もそうなると思います。だから前管理人も同じだったんじゃないでしょうか?ここにいては気が変になる。針葉樹の森の奥や先に行ってみたい。そこにはこことは違う何かがある筈だ。多分、今僕が言ったような事を前管理人も思っていたんじゃないですか。だけど、助ける人助ける人は中々、自分と管理人を交代してくれない。そこまで追い詰められたら、死んだ方がマシかもって考えに至るのは自然じゃないですかね。でもこの世界の中では何かしらの理由があって管理人には死なれては困る訳です。だから月日や年月の感覚や記憶、それ自体の存在を知らない。もしかしたら管理人になった瞬間から消し去られてしまうのかも知れないですね」
「大魚の推測通りなら、鳩三郎が月日とか知らない理由もわかる気がするわ」
僕は重美さんに頷いて見せた。
「けどさ」
「はい」
「どうして、記憶に残っている事とそうでないものがあるのかなぁ」
「そこら辺は、そうですね。僕にもわかりません」
「鳩三郎はわかる?」
重美さんの言葉に鳩三郎さんは首を振った。
「理屈が通じない、わからない事ってあるんじゃないですか?」
「そうかしら?」
「そうですよ。だってよく考えてみて下さい。僕達だってそうでしょ?どうしてコンクリートの部屋にいたんですか?わけのわからない方法で出られはしましたが、出た場所は見渡す限り針葉樹の森です。空には大きな星と月があるにはありましたが、雲に隠れて光もまともに届いて来ない。おまけに朝と昼があるのかさえわからない。僕達は眠くなったから夜なんだと勝手に決めつけているだけで、実際にはこの世界でいう所の昼かも知れないじゃないですか?ならどうしてそうなのか?と聞かれて重美さんは分かりますか?道理や理屈を説明出来ますか?」
「出来る訳ないじゃん。昨日来たばっかなんだし」
「それも正しいかわからないですよ?」
「どうしてよ?昨日来たのは大魚だってわかってるじゃん」
「僕達の感覚で言えば、確かに昨日だと思います。けど、ここは、この世界での1日は、3時間かも知れないじゃないですか?」
僕にそう言われた重美さんは慌ててジャケットからスマホを取り出した。画面を見て溜め息をついた。
その仕草でわざわざ自分のスマホを確かめなくても済んだ。間違いなくスマホが表示する時間は例の喫茶店にいた時で止まっている筈だ。
「とにかく、原因だとか理由だとかは、ここでは通用しないと思った方が良いのだと思います。だから鳩三郎さんが覚えている事、そうでない事があるのも、それが普通なんだと。ううん。違うな。この家の管理人として、邪魔になる記憶は損なわれる仕組みになっているんでしょうね」
「て事は、私達もいつかここを出て行かなくちゃいけないって事ね」
「そうですね。けど重美さんがここの管理人をやりたいのなら、別ですけど」
「確かにさっきまではしばらく居たいなぁと思っていたけどさ。さすがにずっとは嫌よ」
「僕もです」
そういうと鳩三郎さんが交互に僕達を見やった。
鳩三郎さんはモグラだから、その表情までは読み取れなかった。多分、僕達の言葉に悲しんではいない気がした。
都合の良い解釈だと自分でも分かっている。でも仕方ない。重美さんはどうか知らないけど僕は元いた世界に帰りたいのだ」
「管理人はやらないとしてさ」
「ええ」
「私達、いつまでここに居られるのかな?」
「どういう事ですか?」
「いやね。ここに長くいればいるほど、私達も記憶とか別の何かが失われるんじゃないかなって思ったのよ」
「あ、確かに。僕はその考えに全く至らなかったですよ」
「どうなるか、鳩三郎知ってる?」
首を横に振った。
「だよね……って!」
「な、何ですか、いきなり大きな声だして」
「ここの管理人になったら出入り口から先へは行けないんだったよね?」
「ですね。鳩三郎さんもそう言っていたし」
「なら、食糧とか水はどうやって手に入れてるの?」
その事は鳩三郎が森へも行けないと言った時点で頭の隅にあった疑問だ。だがその時、口にしなかったのは話の要点をまだ上手く纏められていなかったからだ。だけど今は違う。殆どの事を推測出来ている。
「それ、ですよね」
「鳩三郎、どうなの?」
「手に入れるも何もないで。ただ、[ある]んじゃ」
つまりこの家の中の物は永遠になくならないという事か。幾ら食べて飲んでも翌日には元通りになっている。そういう事なのだろう。
1日というものが永遠にループしているのかも知れない。もしそうだとしたら、このまま居続けると、僕達は突然、外にいて煙突に向かって助けを求めている所から始めなくていけないのかも知れない。
その繰り返しの先に、前管理人はこの家から出られる方法を見つけた。いや、その記憶だけ、つまりループしているという記憶だけはあったのかも知れない。
だから助けを求めて来る人達に対して管理人の交代を申し出る事が出来たのではないか。
もしそうであるなら……鳩三郎さんは……管理人交代の記憶はあるが、それは前管理人と交代したという記憶を話した時間帯にだけ、その記憶が鳩三郎さんの頭の中に蘇るのかも知れない。
もしくは僕達のした会話によって引き出されるのかも知れない。つまりそれは管理人をこなしている鳩三郎さんに対しこの世界が与えた唯一の慈悲であり、この家から逃げ出せるチャンスを鳩三郎さんに与えているのかも知れなかった。




