第七章 ⑥④
「喫茶 じくう」の前に来て僕と重美さんは思わず目を疑った。
「臨時休業。誠に勝手ながら体調が優れない為、しばらくの間お休みさせて頂きます。店主。だって」
「この2日間で体調崩したのですかね?」
「それはあり得ないっしょ。だってさ。萠ちゃんの腕処理とか、天井や壁にまで飛び散った血の処理とかしなくちゃならない事があるんだよ?具合が悪いなんて言ってらんないっしょ」
「ですよね。それに僕が見たあの早送りのような3世代に渡る映像記録の中でマスターは祖父を撲殺してるんです。確かにまだ幼かったですが、人を殺した事にかわりありません。僕達ならまだしも、そんな人が片腕の処理で具合が悪くなるとは到底思えませんよね。それに夏夜さんという方も萠ちゃんのようにとはいいませんが、店から消えていなくなったわけですから、見慣れているとは思いたくないけど、でもあの時のマスターは異様なくらい冷静だったじゃないですか。僕達なんかより随分と大人ですし、内心は恐れていたとしても、年の功でそのように振る舞えるのだとしたら大人ってすげえなって素直に尊敬しちゃいますよ。でも僕は見慣れている訳でも、不安を押し殺していた訳でもないと思っています。あんな映像記録を見なければマスターに対して絶対にそんな風な事は思わなかったでしょうけど、マスターはあの凄惨な事件を目の当たりに出来た事を喜んでいたのではないか?って思うんです。だから僕達を追い払った。余計なことをしでかされるかも知れないと思ったからだと思います。それと血飛沫が飛び散った店内の中で破裂した萠ちゃんの姿を思い返して余韻に浸りたかったのかなぁって。本人じゃないからハッキリした事はわからないけど、やっぱり後始末で体調を崩すとは思えないですよね」
臨時休業をしている店の前で会話を続けるカップルの光景が他人の目にどのように映るのかはわからないけど、なるべく早くこの場から去る方が良いのは確かだろう。だけど重美さんはお構いなしに僕の意見に対し返答した。
「まぁ、それは私も大魚と同意見ではあるよ。けどマスターが人殺しという証拠はないよね?何十年も前の話だし、証拠が残っていたとしてもマスターの父親が処分している筈だろうし。仮に本当にこの店の下に穴があるなら証拠になるようなそんなものはそこに投げ捨てれば良いだけだしさ。勿論、大魚が見た映像の事を疑っている訳じゃないよ?あのスケッチブックを見て確かに大魚は変になった。その姿を私は目の前で目撃しているわけだから。あれはきっと食人仮面の干渉力が強すぎてスケッチブックを通じて大魚にまで及んだのだと思う。思うからこそ、これからは慎重に事を運ばないと駄目だよね。だって萠ちゃんみたいな目に遭いたくないもん」
重美さんの言う通りだ。そしてそれを言うのであれば、ここには2度と近づかない方が絶対いい。だがあの映像記録を見せられた以上、黙って見過ごす訳にはいかなかった。2度と萠ちゃんのような被害者を出してはならないと思うからだ。
それに僕はなまじあっちの世界を知っている為、よりあの世界とこちらの世界とは断然する方が良い気がして、だからその為にもマスターを説得したかった。勿論、鳩三郎さんやヨバンゾン婆さん、マーラさんや花葉と2度と会えなくなるのは寂しい。だとしてもそれ以上に穴が存在している事は決して良い事とは思えなかった。だからマスターには穴の存在を明らかにさせた上で完全に塞ぎたかった。そうする事でしか食人仮面のこちら側への干渉を止める事は出来そうにないからだ。
仮に食人仮面が単体のクリチャーだったのであればヤカラのようなパターンだって考えられるだろうし、そうでなかったとしても単体相手にならば万に一つに運良く倒せるかも知れない。だけどこいつは違う。異様な肉体こそあれ、その構造は極めて消滅させるに難易度は高いし不向きだ。何故なら食人仮面を形成しているものは思念という人間が心で考える事や思った不の感情で構築されているからだ。そのような生物に対し人間が持つ武器を使って破壊する、そのような事が可能な武器はこの世にありはしない。
ましてや食人仮面の思念は決して軽いものではないのだ。恐怖や憎しみという不の感情を持って亡くなった者達が集まり形を成したのものがそう簡単に消え失せる筈がないだろう。そんなクリチャーの思念の中には、あの映像記録から明らかに東京大空襲で亡くなった人達の思いも取り込まれていた。それなのに日本人である萠ちゃんや夏夜さんのような人達へ干渉して来るという事は少なからず食人仮面が憎むべき対象は人種で区別されてはいないという事だった。そこから推察するに既に食人仮面には人間そのものの命を軽んじる絶対的な思想が根幹を成しているのかも知れなかった。
その対象になり得る人間は今は減る所か増え続けているのではないだろうか。そのような人達が喫茶じくうに足を踏み入れたならば、ほとんどが萠ちゃんのような目に遭うのかも知れない。そしてその思念を餌とし取り込んでいくのは勿論、食人仮面だった。
アイツなんて死ねばいい。不具者になっちまえ。両目が潰れて一生灰色の世界で苦しめばいい等といった感情は他人に対して誰もが一度は思った事がある筈だ。そのような感情や思いを食人仮面は好物としているからこそ、こちら側まで干渉して来るのだろう。現代社会で生きる人間にとってみれば鬱屈した感情なんて、日々、瞬間瞬間に、幾らでも湧いて出て来るのだから、食人仮面からすれば正にこちら側は豊富な餌場であり天国に違いなかった。
だからこそ穴を見つけなければならなかった。仮にそれ以前のタイミングで食人仮面が現れ運良く命を奪えたとしても、きっとそれでは完結とはならないだろう。何故なら人間の思念は決して無くなる事はないからだ。思いとは心と同様に目には見えないが、そこあそこにと言った具合に人間がいる所には必ず存在するものだ。酸素のように至る所に浮遊している。だから僕は出来るだけ早くあの穴を塞がなければならないと考えた。そうしなければいつかは第2、第3の食人仮面が生まれてくるに違いない。人間に思念がある限りそれは終わる事なく存在し続ける筈だ。食人仮面の厄介な所はその一点に詰まっていた。改めて穴を埋めてあちら側の世界と断絶するしか食人仮面からの干渉を止める事は不可能だと思った。
それが出来なければ、新たな萠ちゃんが生まるだけだ。それを良しとは、僕も重美さんにも出来なかった。自分でも馬鹿だなぁと思う。けど既に1度、間接的ではあるけど食人仮面から干渉を受けた僕だ。関わらなきゃ良いだけではきっと済まない。いつかは僕に辿り着き殺そうとしてくるに違いなかった。そうされない為にも早めに手を打たなくてはならなかった。
「どうする?」
重美さんがベル付きの扉に額を押し付け中を覗きながらそう言った。とはいえ、扉の向こうにはカーテンが引かれてあって店内を見る事は不可能だった。
「仕方ないので、店が再開するまで数日待ってみますか」
「けどさぁ。嫌な感じしかしないのよね」
「どういう事でしょう?」
「店内を覗いていたらさ」
「はい」
「カーテンで中は見えないけど、不意にマスターが他に何かやらかそうとしているかもって思っちゃったんだよね」
「いわゆる直感ってやつですね」
「うん」
「仮にもしそれが当たっているとして、重美さんはマスターの仲間でもある草間さん達もマスターがやろうとしている事な手を貸すと思います?」
「どうだろ。草間のババアは皆んなで仲良くってのが嫌いそうだからなぁ」
近くにいないと平気でババア呼ばわりする重美さんはやっぱり強い。
「草間さんは喫茶じくうの常連だけど、それはあちら側へ行きたい為に来ているのであって、皆んなで一緒に、ていう事はなく1匹狼みたいな感じは受けましたね」
「私も大魚と同じ」
「それなら今、家の方に行ってみませんか?」
「誰の家によ?」
「勿論マスターの家ですよ」
「マスターが何処に住んでいるのか大魚知ってるの?」
「知ってるもなにもないですよ。マスターの家はここの筈ですから」
「どういう事?」
僕は改めて映像記録の中で見た穴と家の関係性を重美さんに話した。映像記録の事はもう話したけどその時、沢山の死体が埋められた場所に家を建てた事は話さなかった。それよりも穴の存在の事の方が重要だったからだ。
「ガチかよ」
「ええ。裏に回ってみれば多分わかると思います」
「わかった。インターホン鳴らして、出たら体調を心配するフリして侵入しちゃおっか?」
「犯罪はダメって言っていたのは重美さんじゃなかったですか?」
「これは犯罪じゃないの。救出よ」
全く重美さんったらバリバリ不法侵入やる気じゃねぇか。ノリノリになって来て笑いそうになる。
「一体、誰の救出ですか」
「マスターよ。体調悪過ぎて連絡もつかないから、これはきっと命に危険が迫ってるわよ。ヤバいから無理矢理入るしかないわ」
重美さんは何を思ったのか、1人小芝居をやり始めた。そして扉から数歩下がると、足を上げた。扉のカギ付近のガラス目掛けて前蹴りをかました。
「な、何してんすか!」
「緊急事態よ!だから裏に回ってインターホンを鳴らしている暇はないの。その間にマスターが死んだらどうするの」
呆然としている僕を他所に重美さんは蹴り割ったガラスが嵌っていた窓枠へ腕を差し込み、施錠を外した。腕を引き抜いてから扉を開けた。
「ほら行くよ」
重美さんはいうと僕の背後に周り背中を押した。
「これじゃまるで僕がガラスを割ったみたいじゃないですか!」
「割ったじゃん」
「断じて割ってないです」
「割ったよね?」
「割ってないです」
「割っただろ?」
「はい。割りました……」
「良し。大魚偉い。男が女を護るのは当然の事だからね。ましてや私、大魚の彼女だし。可愛い恋人だし。エロくて面白い女だし。だから私より先に行くのは愛の証でもあるからね」
この人には敵わねぇ。マジ重美さんには勝てる気がしないと思わされた瞬間だった。




