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第六章 ⑥⓪

「後の処理は私達でやるから君達はもう帰りなさい」


マスターは半ば強引に僕達を追い出す形でそう言った。


「しばらくは来ない方がいい。萠ちゃんがこの店に入ったのを知り合いの誰かに目撃されているかも知れないからね。警察が来るような事はないだろうが、あのように残ってしまった片腕の処理もしなくちゃならない。あちこち飛び散った血や内蔵も取り除き拭いて除菌しなくちゃならない。他の人は、慣れているとは言わないが、君達より随分と大人だ。それに皆んな、自分の為だけにここに通って来ている。この店が無くなるような事を喋ったりするような事はないから。その点は安心していい。けど君達はまだ若い。あのような悲惨な光景を目の当たりにしたら、原因を究明したくもなるし、外部、つまり警察に話したくもなるだろう。けどそれは気の迷いに過ぎない。世界中の警察が総力を上げて捜査した所で原因なんてわかる筈がない。寧ろその点については警察なんかより私達の方が詳しい。それに斑鳩萠ちゃんは食人仮面というあちら側のクリチャーから干渉を受けていた。皆んなも知っての通り、萠ちゃんの自傷行為もそのせいだ。それで終われていれば良かったが食人仮面というクリチャーは甘くなかった。萠ちゃんの命まで奪った。この事を警察に話して誰が信じてくれる?そんな真似をしたら、私達全員で萠ちゃんを殺害したという事にされて事件は解決するだろう。それじゃ萠ちゃんが報われない。かと言って私達にはどうする事も出来ない。

ここにはあちら側へ行きたい者しかやって来ない。今いる皆んなも、食人仮面のせいで2度とあちら側へは行きたくないと思った人もいるかも知れない。もし君達が少しでもそのように感じたなら、ここには2度と来ちゃダメだ。再びあちら側へ行った時、食人仮面の世界へ行かないとは限らないからね。その事を帰ってから良く考えなさい。それでもまだここへ来たいのであれば来ればいい。私はいつでも歓迎するよ。けど、今は、帰るべきだ。いや。帰って欲しい。何も見なかった、感じなかったと言い聞かせながら若い恋人同志仲睦まじくしながら、出来るなら今日見た事は忘れなさい。そして店のオーナーとして今すぐ店を閉めて後片付けに取り掛かりたい。わかるね?」


そのように言われたら帰らざる終えなかった。僕と重美さんはマスターに言い返す事もなく「喫茶 じくう」を後にする事にした。


その前に衣服や身体、髪の毛に至るまで全員に浴びた萠ちゃんの血や内蔵をおしぼりで拭いた。けど、当然取れる筈もなく、血生臭い匂いが身体中を覆っていた。帰ってシャワーを浴びて早く着替えたかった。衣服は捨てる事になるだろう。漂白剤につけて綺麗に取れたとしても、2度と着たいとは思えなかった。その度にさっきの光景を思い出してしまうなんて無理だし、キツい。


そんな身体的な事も重要だったがそれ以上に何より心配だったのが重美さんの精神状態だった。大丈夫と繰り返しいうが、見るからに大丈夫でない事くらい僕にでもわかった。


「わかりました。帰ります。けどスケッチブックは私が持って帰ります。良いですよね?」


「そんなもん持って帰ってどうするつもりだい?」


草間さんがテーブルに身を乗り出すような体勢で重美さんに向かって言った。


「萠ちゃんの遺品ですから。どんな絵を描いていたのかみてみたいし」


「どんな絵だって?さっき持ち物を調べた時、領収書があっただろ?新品だぞ。それ」


痛い所を突かれたなというような表情を浮かべた重美さんだったが、


「いいよ。持って帰りなさい。そもそも君も食人仮面の話題を作った1人だしね。君が持っていた方が萠ちゃんも喜ぶだろう」


マスターはいい、ゆっくりと店の扉の方へ歩いて言った。


扉を開け、


「今日は私の奢りだ」


「すいません。ありがとうございます」


頭を下げながら僕は言った。重美さんは床に落ちた血まみれのスケッチブックを取り上げて僕の方へ来た。僕は重美さんの空いた片方の手を握り皆へ頭を下げてから2人で店を出た。


部屋に戻ると直ぐにお風呂を沸かした。1人で入りたいと言う重美さんを説得し無理矢理に2人で入った。1人にしてしまうと消えてしまいそうで怖かったのだ。正直にそういうと、重美さんは嬉しいと言った。その返答自体が普段の重美さんでは言わないだろうと思われる言葉だったから、

僕は一時も離れたくなかった。正常運転の時の重美さんなら、消えるか!、もしくは消えねーよって言っていた筈だ。だから僕は重美さんが落ち着きを取り戻し、従来のメンタルまで回復するまで側にいる事にしてのだ。


「大魚のくせに勃起してない」


「あんなの見た後ですよ?幾ら僕でも無理ですって」


「私の裸に飽きたんでしょ?」


「飽きていません。むしろむしゃぶりつきたいくらいです」


「あんな事があったのに?」


「はい」


「でも勃起してないよね?」


「ダメージがデカいんですね」


「今すぐ勃起しないと、別れるって言ったら勃つ?」


「幾らなんでも、それは酷いですよ」



「って言いながら勃ってんじゃねーか!」


「ですね」


僕は笑った。重美さんも笑った。


好きだよと言ってくれて、僕は重美さんを抱きしめた。絶対に消えさせないと誓いながら愛しい重美さんの身体を……


「チンコ押し付けてくんじゃねーよ!」


重美さんがいい、僕のチンコを叩いた。

少し元気が戻って来たようで僕はホッとした。


お風呂から上がり、タオルで髪の毛を拭いていると重美さんはテーブルの上へスケッチブックを置いた。しばらく眺めていたが、一向に中を見ようとはしなかった。中を見ていいかどうか迷っている風だった。


そんな重美さんの気持ちもわからなくもなかった。あのような惨劇を目の当たりにし、そして妄想とはいえ、食人仮面というキャラクターが萠ちゃんと同じだった事は少なからずショックを受けている筈だ。そのキャラクターが力を持ち、こちらの世界の人間に干渉していると知った時は耳を疑っただろう。救いがあるとすれば食人仮面の仮面が全く違う事くらいなものだろう。気休めにもならない事だけど、僕としては出来るなら重美さんには無理矢理でも萠ちゃんのいう食人仮面と自分が咄嗟に妄想したキャラクターは全くの別物だと思って欲しかった。僕は濡れたタオルを持ったままそっと重美さんの横に座った。黙って抱き寄せると、「暑い」と言ってその手を払われた。


重美さんが嫌がる事はしたくないと黙って従っていると


「ごめん。悪気はないから」


「うん。大丈夫。わかってる」


「本当かよ」


「本当だよ」


「そっか。なら嬉しい」


そう言って僕に冷たいお茶が飲みたいと言った。


立ち上がり冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し重美さんに手渡す。僕は僕でコップの中に1ℓのペットボトルのアイスコーヒーを注いだ。微糖が変に甘く感じて2口飲んでからシンクへ捨てた。代わりに重美さんと同じようにお茶を取りキャップを捻る。口腔内に残ったベタつく甘さを取り除く為に口直しに半分ほど一気に飲んだ。


「開けていい?」


僕に許可なんて取る必要などないのに重美さんはわざわざそう言った。そのような言い方をするのはきっと萠さんの血で描かれた食人仮面の絵を見る事であっちの世界からこちらへ干渉され僕を巻き込む事を恐れたからだろう。許可を得ればある意味、共犯となるわけだから何が起きても僕の自己責任になる。その覚悟をしておいて、という意味も今の言葉に含まれているに違いなかった。


「うん」


立ったままの僕を見上げる重美さんは微かに微笑んだ。ホッとしたような表情で言う。


「ありがとう」


そういい、重美さんは流星群のように飛び散った血液のついた右開きのスケッチブックのページを開いた。


1枚目は喫茶じくうで萠ちゃんが5本の指の腹をカッターナイフで切り、出て来る血を使って描いたものだった。目にした食人仮面の絵だった。

改めて見ると、胸が痛くなる。つい数時間前にはこの絵の作者である萠ちゃんはこの世界で生きていたのだ。だが今は粉々に破裂して死んでしまった。彼女が確かに生きていたという証拠はこのスケッチブックと強制されて傷つけた夥しい数のリストカットがされた右腕だけだ。僕達の知る彼女はたったその2つだけを残して死んでしまった。

遺作とも言える絵には手足が6本ある頭のないクリチャーだった。丁度、乳首の辺りから2本の腕が生えている。残りの4本は、それぞれが長さが違う為、非常にアンバランスな体験だった。右腕が膝の辺りまであり、左腕は異常な程、短かった。肩関節から直に手首から先が生えている、そんな感じだった。反対に足の方は左足が長く、右足は股関節から膝下から先が生えていた。


その長さだと立つ事は不可能に思えたが、両手足の爪が異様なくらい長い為に、それを使って立っていた。


あんな短い間に、これほどまで悍ましい絵を自らの血を使って描いただなんてとても信じられなかった。恐らくこの食人仮面の絵1枚が、店内で描いた唯一のものだろう。その後、彼女は震えていたから描く暇はなかったからだ。なのに重美さんは新たなページを見ようとスケッチブックに指をかけた。無駄だってと口に出かけたが、こういう場合、好きにさせておくのが1番だと思い黙って見ていた。血が染み込み黒ずんだ新たなページにはパズルのように細かく千切られた蝶の翅があった。最初、シミだと思った。けれどよく見るとそれは明らかに蝶の翅のようだった。


何故?いつ?このような物を描けた?そんな時間はなかった筈だ。


「大魚、大丈夫?」


立ったままスケッチブックを見下ろす僕に重美さんが話しかける。でもその声は何故か聞き取りづらく、側にいるのにかなり離れた距離から話しかけられている、そんな風に感じてならなかった。まるで耳の中に水が入ったような感覚だ。


「その、蝶の、翅は何、なのの、でしょ、うううね」


「え?ちょっと大魚?」


重美さんに頬を叩かれている。口が大きく開かれているという事は何か叫んでいるのかも知れない。けど、どうしてだろう?何も聞こえなかった。  


「蝶の翅なんて描いてないよ!これは血が染み込んで出来たシミだよ?大魚?ねぇ!大魚!」


「重美ミミミミささん、どどどどう、しまししししたたままた?何か、あったののののですか?」


僕の声が重美さんに届いているか不安だった。

蝶の翅はジグソーパズルのように組み上げなきゃならない。理由はわからないけど、そうしないといけない気がした。それが食人仮面がこちらの世界へ干渉してくる理由のように思えてならなかった。食人仮面はその翅を求め干渉し、集めようとしているのかも知れない。僕は膝から崩れ落ちた。重美さんに抱き止められた僕は、口から泡を拭き小刻みに震えていた。僕に呼びかける重美さんの声が僅かに聞こえる。それはやがて濁声に変わった。


「見つけたぞ」


重美さんの口の動きでそう言っているのがわかった。だがそれは重美さんではなく、暗い闇の中にいた食人仮面の口の動きだった。


僕は重美さんに必ず戻って来るからと言った。だがそれは痙攣による失神の為、重美さんに届く事はなかった。





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