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第六章 ⑤⑦

「つまりおばさんも経験者って事?」


「大きな声では言えないがな。私ゃ3回さ」


「あんな所に3回も!」


思わず大きな声を出してしまった。


「シッ!」


「す、すいませんでした」


「ま、新顔の客はいないようだから平気さ」


「ひょっとして残りの2人も経験者って事ですか?」


「あぁ。そうさ。奴等はあんた達と同じで一回だけだけどな。だが、物好きなヤツだから2回目を狙ってんだが、どうにも発動しないらしい」


「発動?」


「そうさ。何が要因になってあっちに飛ばされるのかはわからない。だがここに来れば上手く行けば飛べるのさ」


「あの、前回の時、オーナーから2人は2つって言われたんですけど、それって……」


そこまで言い掛けでおばさんが僕の顔へ向けて手を突き出した。待てというらしい。


「マスターとの話は聞こえていたさ。あれで一応は体験者だからね。私ほどじゃないが2回あの世界に呼ばれている。で、マスターが出した答えがその言葉なのさ。全てを持って行くな。あの言葉の真の意味はそこにある。持って行ったらこっちに戻って来れないからね。つまりそれがどういう意味かと言えば……」


「死んじゃうって事ですね?」


「そうさ。こちらの世界でそうなると、2度と戻って来れない。浮遊霊のようにあっちの世界で彷徨い続けるだけさ」


「でも、発動する事柄が突然の事だったから半分こちらに残して行こうなんて思う暇もなかったですよ?」


「残すって事はこっちの世界でやりたい事、しなくちゃならない事があるって意味さ。そういうのが無いとなると、こっちでは確実に死んじまうな。つまり永遠に向こう側ってこった」


「ならおばさん、やっぱりおばさんも鳩三郎さんと出会ったのですか?」


「やっぱりってのはよくわからないが、私はそいつを知らないね。言ってなかったが、あっちの世界は無数ある。だから幾ら経験者だからって何も同じ世界を知ってる訳じゃないのさ」


僕は続けてヨバンゾン婆さんやマーラさん達ダスターズの事、そして巻男の事を尋ねて見た。するとおばさんはヨバンゾン婆さんの事と巻男は知っていた。


「あのヨバンゾンのクソババァまだ生きて嫌がったか」


「何か嫌な事があったみたいですね?」


「あったね。あったよ。あのババァ 私に泉の水を飲ませなかったんだよ」


「それはどうして?」


「今考えるとどうしてそうなったか不思議なんだが、あのヨバンゾン婆さんの息子がいただろう?」


「はい」


「その息子と私が良い仲になってしまってな。今よりもっと若い頃の話だが、それが気に食わなかったようでな。何故ならババァがお見合いの予定を組んでいたのを、息子がドタキャンして私と一緒になるって騒ぎよって。そのお陰でつなぎの泉の水を飲ませてくれなくて、危うく死ぬ所だったわ」


「あの水飲まないと死ぬの?」


「そうだねぇ。飲まなかったヤツは見たことないが、息子がそうだと教えてくれたのさ。つなぎっていうくらいだから、命を繋ぐ泉の水ってわけよ」


なるほど。だから給油って事なのか。命を繋ぐ為に命に給油する。言われてみればそうかぁって思うけど。でもわかりにくいよなぁ。どうしてもっとわかりやすく書いてくれないのだろう。給油と聞いたら、僕達は車やバイクって思ってしまう。あの場所の世界で僕達を嵌めても得するような事なんて何もないだろうに。


「私は気を失っていて見てないのだけど、巻男って何なの?神?」


「巻男は巻男さ。神や仏なんかじゃない。あいつはただ、命の繰り返しをやってるに過ぎない」


「命の繰り返し?」


「こっちの世界で言えば輪廻転生か。そうだな。それが一番しっくりくる」


そう聞いて僕も納得がいった。巻男は死者を巻き上げそして再び解放する。きっと向かう闇の方向が違うのも意味があるに違いない。けどあの死者の団体はそれぞれ生まれ変わる為に何かを背負わされているに違いない。自由にしてもらった人達とムカデやゴキブリが身体の中にいた者の違いは、やっぱり生きていた時にして来た事の証明みたいな物だろう。でなければあの連続殺人犯が眼孔が虫だらけの筈がない。それを背負って新たに生まれ変わるだなんて。僕が巻男なら2度と生まれ変わる事はさせないのに。


「巻男は巻男の仕事をするだけ。ただ言えるのは巻男の部屋に入ったら、そこであっちの世界の旅は終わりだって事さ。終点まきおーまきおーだよ」


「つまり、私達は5つの世界しか知らないって事ね」


「鳩三郎さん、サヨリさん、ヨバンゾン婆さんにマーラさん達ダスターズ、そして唐獅子やザクロの世界。そうですね5つですね」


「この中でおばさんが知ってるのは?」


「ヨバンゾンババァだけだ。ある意味あんた達が羨ましいくらいだ


「て、事は他の世界はどんな……」


「はい。そこまで」いきなりマスターが現れて僕達の会話に割り込んで来た。


「新たなお客様が今、入ろうかどうしようかと迷ってますよ。どのようなお方か観察してみようじゃありませんか」


マスターの言葉の数秒後に、1人の女性が店内へと入って来た。


「いらっしゃいませ」


「1人です」


その女性は小さな声で言った。一見、大人びて見えるがおそらくはまだ20歳くらいだろうか。

スーツなどを着ていないという事は大学生だろうか。手には大きなスケッチブックが抱えられている。そう言えば家からそう遠くない所に短大があった筈だ。美大だったと記憶している。

東京藝大ではないから、それなりの短大なのだろう。


少し猫背でぱっつん前髪のセミロングの黒髪ストレートとに黒縁の太めの丸メガネをかけている。唇は荒れ頬には古傷なのだろうか。火傷の痕があった。服は古着だろう緑色の柄Tシャツにダボったジーンズを履いていた。俯き加減な何処となく暗さを感じ少し似合っていないような気がした。髪の色を軽くすれば表情も明るく感じるのにと僕は思った。素足にビーチサンダルというのもかなり季節外れだった。夏にはまだ数ヶ月ある。確かに最近は暖かい日が続いていたようだけど、ビーチサンダルは早い気がした。


そんな女の子はオーナーに案内されながら後をついていく。側を通った女の子の腕には無数のリストカットの痕があった。パッと見ただけだからわからないが、その全ての傷痕は深くカットされたものでは無さそうだった。恐らく自傷する事で気分が落ち着くのか、もしくは血を見ればかも知れない。


女の子は2人席の1つに案内された。座ると直ぐにクリームソーダを頼むと小さなテーブルにスケッチブックを広げた。ジーンズの前ポケットに手を突っ込むと丸型のとても小さなカッターナイフを取り出した。周りを見渡し自分の事を誰も見ていないとわかるといきなり右手の5本の指の腹を切った。流れ出す血をスケッチブックに垂らして行く。


「そういう事すんなら家でやりな」


おばさんが聞こえるように言った。女の子は顔を上げ、こちらを見た。びっくりしたように目を丸くして何度も頭を下げる。そして切った指をジーンズで拭いながら小さな声でごめんなさいごめんなさいごめんなさいと繰り返した。


「あらぁ。おばさん泣かしちゃったじゃん」


「公共の場で指切りするようなヤツが泣くようなタマなわけないさ」


「まだ、頭を下げ続けてますけど確かに泣いては無さそうですね」


「だろ?」


「そういう事じゃないって」


重美さんがいい席を立った。女の子の所へ行き、ちょっと待ってなさいといい厨房のカウンターからオーナーに声をかける。おしぼりを3つ程受け取ると再び女の子の所へ向かい、女の子が座る椅子の側にしゃがみ込んだ。


「ジーンズが血で汚れちゃうからこれで拭きな」


おしぼりの袋を千切ってあげながら、重美さんが言った。


「すいませんすいませんすいません」


「良いって」


「ごめんなさい。こんな事するつもりはなかったんです」


「でもやっちゃったね」


「……はい。というか、ここで続けろって」


女の子はいい、重美さんに血を擦り付けたスケッチブックを見せた。


「これって、人間だよね?」


「はい。食人仮面って言ってました」


「食人仮面?え?それって私の作り話で言ってたヤツだよ?何?わけわかんない。どうして貴女が知ってるわけ?それにさ。何よ言ってましたって。まさか食人仮面が実在してるだなんて言わないでよね?」


「います。だってさっきもその食人仮面が続けろって言って来たから……」


「あらら。あんたヤバいヤツだね。病院行きな」


いつの間にか僕の隣からいなくなったおばさんが言った。タバコを吸い煙を吐き出す。女の子が咳き込んだ。


「おや?タバコは嫌いかい?そりゃすまないねぇ。だけどさ。私も目の前で自傷されんのは嫌いなのさ」


おばさんは徹底的にやるつもりのようだった。

ただの虐めで嫌がらせ、いや脅して今すぐ店から追い出したいのだろう。その為に文句を言っているに違いない。


「もしかしてその腕も命令されたから?」


重美さんが女の子の腕を取る。手首から二の腕までびっしりと自傷した痕があった。


「はい」


「いつからその声が聞こえるようになったの?」


「やめときな。こんなヤツに関わらない方があんたの為だよ。碌な目には遭わないよ。私も昔そんなヤツがいたからようくわかんだよ」


「いや、そうでしょうけど、目の前で見ちゃったし」


「私は忠告したらね。良いかい?連絡先や住所なんか絶対に教えちゃいけないよ。勿論、そこのカッター女もこの可愛いお姉さんに聞いたりしない事だ。わかったかい」


「わかりました」


「それなら、頼んだものを飲んだらとっとと出て行くこった。あんたが注文したもんは私が奢ってやるから」


「すいませんすいません」


女の子はいい椅子から立ち上がった。自分の席に戻っていくおばさんの背中に向かって頭を下げた。


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