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第六章 ⑤⑥

「ほんと猿」


「重美さんの全てを愛しているからです」


僕は堂々と胸を張って言った。


「童貞卒業は良かったねって思うけどさぁ。お前、昨日からずっと勃ちっぱなしじゃねーか」


朝のシャワーを2人で浴びる前からそんな状態の僕にコーヒーを飲みながら重美さんが言った。


「寝てる時は大人しくしてました」


「どうだか」


タバコを吸わない僕だけど、重美さんは換気扇の下で吸うという気遣いなど一切みせず関係なく寝起きの頭を掻きながらベッドから降りた。狭いワンルームの部屋の唯一の小テーブルの前に胡座をかいて座る。家には灰皿がないから重美さんは酎ハイの空缶を手前へ引き寄せタバコを取り出した。火をつけ吸い込むとヤバっ。寝起きの一服はガチ美味いわぁといい煙を吐き出した。


「私の全てを愛しているのだからこれも愛してよね」


といい再び吸い込むとタバコの煙を僕の顔に向けてゆっくりと吐きかけた。それを鼻で吸い込むという愛の証明の為の荒技をみせたが、咽せてしまった。


「ごめんね。出来るだけ気をつけるから」


そういうが顔は笑っていた。言葉と行動が伴っていないじゃないですか!とツッコむと、


「それくらいキレのあるツッコミをあっちでもして欲しいものね」


と童貞卒業したばかりの僕に手痛い攻撃を仕掛けて来たが、僕は負けじと


「精進いたします」


と返した。


「いや。精進て」


重美さんは笑い片腕を伸ばして僕の首に回した。引き寄せキスをした。ニコチン臭い唇や舌は僕に不快感を呼び起こす事もなくただ大好きだという気持ちを、再認識させてくれた。


「午後から「じくう」に行ってみよっか」


「はい」


「どうなるか楽しみだね」


「はい。僕も大人になれましたので何が起きても動揺したり焦ったりはしませんよ」


というと重美さんは笑って


「単純かよ」


と言った。


それから2人でシャワーを浴びて、重美さんに揶揄われながら僕の欲求を焦らすだけ焦らし、放置プレイされお風呂から出る羽目にあった。


そして午後、メイクもバッチリ決めた可愛い重美さんと共に手を繋いで家を出た。目指すは喫茶じくうだ。店内や出た後で何が起ころうが僕は動じないぞ。そう肝に銘じた。


「小人症の人、いますかね?」


「どうだろうね。わかんないけど、ランチ食べながら色々と観察してみよ?ね?」


「はい」


喫茶「じくう」のベル付の引き戸を開けて店内へ一歩踏み入れた。外の気温よりかなり低いのか少し肌寒いくらいだった。


「いらっしゃい」


喫茶店の厨房カウンターから顔を覗かせたその人物は確かに見覚えがあった。オーナーだ。僕達の他には3人の客がいた。それぞれが自分の特等席なのだろうか。店内の薄暗い奥張った場所で3人が隠れるように座っている。その内の1人と目が合うとその客は僕を見返しながらタバコの煙を吐き出した。


「好きな所に座って構わないよ」


厨房から声がした。


「重美さん、あのおばさんですか?」


「そそ。前回来た時もあの場所に座ってタバコ吸ってた」


という事はあの日、ここに入ったのは間違いないようだ。オーナーとタバコを吸うおばさんの2人の存在によって、前回来た時、別次元の喫茶店に入ったわけではなかったという事の証明が出来た。少しだけホッとした。


僕と重美さんは前回と同じ、レジや入り口に近い席に座り、ランチのオムライスセットとピラフセットを注文した。お互いアイスコーヒーにして運ばれて来るのを待つ。その間、重美さんは記憶を確かめるように、店内のあちこちを見渡していた。


「前回の時は無意識だったから良く覚えていないと思ってだけど、何となく記憶が蘇って来てさ。うん。全てじゃないけど、あの時と同じ内装だね。ただ時間帯がさ。違うじゃん?それが関係あったりしたら、わからないよね?」


「あぁ。確かにそうでした」


「今更かよ」


「あの時は互いの「病」で色々ありましたよね」


「そのお陰って訳じゃないけど、結果的にここに来たわけよね」


「はい」


「この後、どうなるか楽しみでしかないのだけど」


「マジですか?僕は何もない方がいいなぁ」


「どうしてよ?又、2人で旅が出来るじゃない?今度は恋人同士でさ」


「そうですけど、恋人同士だから僕はよりこっちに居たいですよ。だって安全だしヤカラに襲われる事もないですからね」


「大魚、それは違うよ。こっちに居たってトラブルに巻き込まれたりするし、ヤカラだって沢山いる。ただヤカラの見た目が人間のままか、モンスターでグロいかって違いだけだよ。むしろあっちの世界の方が楽しいかもよ。たださ。お風呂とかトイレとかがさ。衛生面が頂けないのが、ちょっとヤダけど。ディズニーやUSJのアトラクションみたいな物って考えれば、案外楽しめるんじゃない?」


「でもあっちはガチで命懸けじゃないですか」


「それがまたリアルで良くない?」


「全然良くありません。あの時は完全に重美さんを守りきれなかったから、巻男の世界に捕らえられたし……」


僕が否定すると重美さんはほんの少し微笑み、いきなり僕の頭を撫でた。


「そういう所を恥ずかしがらずに言える所が大魚は良いよね。好きだよ」


僕の顔をまじまじと見つめながら重美さんは言った。照れるじゃないですかと言おうとした時、オーナーがランチを運んで来た。見るからに冷凍食品的だが、特にそれについて文句はなかった。ここは古びた喫茶店だ。きっと昔からこれが定番なのだろう。小さなサラダにフォークを突き刺しレタスと一緒にカットされたキュウリを食べた。


重美さんはオムライスを一口分取って口に運んだ。僕達は店の外を眺めたり、昨夜久しぶりに見た深夜映画の事を話しながら


「テレビって普段は見ませんけど、あっちの世界から戻って来たら、やっぱ良いなぁって」


「そうだね。特別面白いって訳じゃないけど、無い世界からある世界に戻るとさ。あるって良いねって思うよ」


そのような話題で食事も締め括った。


僕達が食べ終えたのを見てオーナーが食器を下げに来た。


「今日はあの小いさな方はいらっしゃらないのですね」


前振りもなく重美さんがいきなりぶちかます。


「あぁ。彼はさ。朝しか来ないんだ。うちのクロワッサンサンドがお気に入りでね。必ずモーニングを2セット頼んでモリモリ食べるんですよ。牛乳も大好きで常連さんだからグラスも大きなものを使っているのだけど、それでも2杯じゃ足りないって牛乳だけお代わりするんだよ」


「大食漢なんですね」


「そ。身体に似合わず良く食べるのさ」


「私なんか牛乳飲むと直ぐお腹壊すからダメなんです」


「そんなこと彼が聞いたら、根性無しめ!牛乳を愛せば平気だ。愛が足りないだけだって怒っちゃうだろうな」


「こればかりは愛だけじゃどうにもならないです」


重美さんはいい笑顔を見せた。


「彼が居なくて良かったよ」


オーナーも笑いながら冗談で返す。


食器を重ねて持ち上げたオーナーに更に重美さんが話しかける。


「前回私達が来させて頂いた時に、オーナーは私達に割り勘にしなさい。2人で2つだよって仰っておられましたが、覚えていますか?」


「ん?あぁ。確かにそんな事言ったなぁ」


「ずっと考えていたのですけど、意味がわからなくて……答えを知りたくて今日来させて頂いたんです」


「答えも何もないよ。割り勘にしなさいと言ったのは2人の関係がまだ全然浅いって思ったからで、2人で2つってのも同じ理由だよ。君は君、彼は彼の分。だから2人で2つさって事」


オーナーはいい少し微笑みをみせた。食器を大切に持ちながらそのままカウンターへと向かっていく。古びた床の絨毯もあちこち擦り切れているが、店の雰囲気に合っていて味がある。その上をオーナーが足音も立てず歩いて行った。


重美さんを見ると納得いかないといった表情だった。


「覚えてたのは良かったけど、何かしっくり来ない答えなんだよなぁ」


「やっぱりこの店は無関係かも知れませんよ?」


「じくうっ名前なのに?」


「店名が関係あるかはわからないですけど、でも僕達があの世界に行ったの店を出た後ですし」


「関係ないって大魚は思うのね?」


「違和感は拭えませんけど、そういう気持ちは多少ありますね」


僕がいうと重美さんは手招きをした。顔を近づけると小声で


「私はオーナーと話してより関係あるって思ったよ。だってさ。私達常連じゃないし、1カ月くらい前の話をあそこまで覚えているものかな?それも考える時間も殆どなくて、ある意味即答したんだよ?」


言われてみれば、確かにそういう違和感はある。だけど世の中にはたった一度の事でもしっかり記憶している人もいたりする。だから不思議だとは思わなかった。


「すいませ〜ん」


重美さんが手を上げオーナーを呼んだ。カウンターから顔を出したオーナーに向かって灰皿を頼む。


「今、お持ちしますね」


「いや、マスター。私が持っていってやるよ」


そう言ったのは店の奥にいたタバコを吸っていた例のおばさんだった。


咥えタバコのまま席を立ち、カウンター隅に置かれてある黒いプラスチックの灰皿を掴む。

赤のワンピースを着たおばさんは二の腕の弛みを盛大に揺らしながら僕達の方へと向かって来る。


頭の上で纏めた髪は団子というより、漬け物石のように大きい。頬のピンクのチークがやけに目立つが、返っておばさんの風格を醸し出していた。

ガニ股で進んでくる姿は置き物のたぬきそっくりだ。そのたぬきと違う所はその眼光の強さだった。まるで敵意があるような鋭さで僕達を見返している。


僕達のテーブルに下腹を押し付ける。手の平で灰皿を叩きながら僕達の顔を交互に見下ろした。


「タバコ吸いにとっちゃ肩身の狭い世の中だけどそんな中で吸うってのが粋じゃないか。私は好きだねぇ」


そう言っておばさんは重美さんの前に灰皿を置いた。


「私が吸うってどうしてわかったのですか?」


「一目見りゃわかるさ。この坊やがタバコを吸う筈がないね。お兄ちゃん、あんたいい大人なくせにまだ童貞だろ?」


「残念でした。ハズレです。僕は童貞じゃありませんよ」


「お姉ちゃんが筆下ろししてやったのかい?」


「ええ。まぁ。そんな感じですね」


「なるほど。よく見りゃ前に来た時より精悍さが滲み出てやがる。これはこれはお見それしました。私が悪かったよ。馬鹿にするような事を言って済まなかったねぇ。思い込みってヤツにまんまと引っかかってしまったよ。歳を取るとね。思い込みという野朗がヤケに強者になりやがってな。心の邪魔をするのさ。この通り。悪かった」


おばさんはいい僕達に向かって頭を深々と下げた。


それを見た重美さんは手を振り、謝らないでください。だって彼は昨日まで童貞でしたから、おばさんの言う事は殆ど正解ですからなんていうものだから、首の後ろが熱くなり、段々恥ずかしくなった。


「あー!重美さんそれ言いますか?」  


「本当の事だし」


重美さんの言葉におばさんは頭を上げ、僕を押し除けるようにしながら無理矢理隣に座った。


「ほら。遠慮はいらないよ。吸いな」


重美さんがタバコを取り出して火をつける。一口吸い込み吐く姿を見てからおばさんが再び口を開いた。

だがその声はそれまでのおばさんの声と似つかわしくない程とても小さかった。


「今日、あんた達がここに来たのは、アレを確かめる為だろ?」


「アレ?」


「しらばっくれんな。ここに一度でも来た事がある奴なら、よっぽどの変わり者か、謎を知りたい奴以外は普通2度目の来店なんざ、先ずあり得ない」


「おばさんも変わり者って事ですか?」


僕が言ったらおばさんは


「そうさ」


と言ってガハハと笑った。




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