第六章 ⑤③
声の主は巻男ではないか?そう思ったのは退院を翌日に控えた消灯後の事だった。目が覚めた日から重美さんは毎日お見舞いに来てくれている。
当然、まだ仕事は始めていなかった。嫌味な上司は心配より先にいつから出社出来るの?なるべく早くしてよね。それでもなく皆んなに迷惑をかけたのだからと。
居眠り運転のトラックに撥ねられた被害者である重美さんに対してとんでもない事を言っていると聞き、辞める事を勧めたが、上司が他部署へ飛ばされる事が決まっているらしく、それまで理由をつけて休むつもりだと重美さんはいった。
夕方近くに顔を見せ、ギリギリまで残ってくれるその優しさに僕はこの人を好きになって良かったと心から思った。その気持ちを正直に話すと重美さんは、
「あったり前じゃん。私くらい良い女はそういないわ。そうね。日本国内に限定すれば40万人くらいはいるんじゃない?」
「多すぎでしょ!」
そのような会話をしては僕を笑わせてくれるのが入院中の重美さんのルーティンのようだった。
精密検査の結果も問題なく終わると、僕は迎えに来てくれた重美さんと手を繋いで病院を後にした。
そしてハンバーガー屋さんでチーズたっぷりのチーズバーガーを頬張った。重美さんはお腹はあまり空いていないらしくアイスカフェラテをちびちび飲んでいた。
「あ、スマホ充電しなきゃ」
「電源つけたらびっくりする程、留守電やメール来てるよ」
「それは無いですよ。僕、友達いないから」
「知ってる」
「知ってましたか」
再びハンバーガーに齧り付く。咀嚼して少しだけ口の中に残ったものをジンジャエールで流し込む。
「炭酸ウマっ」
「しばらくはお茶か水だけだったもんね」
「はい。だからジャンクフード食べると、バッキバキにキマった目になりますよ」
僕なりの冗談だったが、重美さんはクスリとも笑わず、アイスカフェラテのストローを咥え中身を見るように俯いていた。ズルッズルッと吸い込む音を聞きながら、普段より幾分、元気がないのが気になった。
「何かありました?」
「ん?どうして?」
「余り元気なさそうだから」
「そうね。あるって言えばあるけど、だからって元気がないわけではないのよ」
「そうなんですね」
「うん。そんな風に心配させちゃってごめんね」
「いえ、元気ならよかったです」
僕は言いポテトに手を伸ばす。このような場合、聞いてあげた方がいいのか、話し出すまで待った方が良いのか僕には判断がつかなった。
「……てか、何があったのか聞けよ」
重美さんはいい僕のポテトを数本奪うと口に放り込みムシャムシャと食べた。
そうか。こういう場合は聞くべきなんだな。
「ご、ごめんなさいっ。なんとなく聞かれたくないのかなぁって」
「本当はさ。大魚から切り出して話してくれるかなぁって思ったんだけど、一向にその話が出る気配がなかったからさ。仕方なく私から話そうと思ったの」
「何の話の事ですか?」
と返しつつ内心心臓が激しく高鳴っていた。
もしあの世界での話ならそれは夢でも臨死体験でもなく、紛れもなく僕達は異世界へ飛んでいた事の証明になる。これは、と思うと同時に重美さんから話させて良いのか?と思った。
「ちょ、重美さん待ってください」
「何よ」
「恐らくですけど、重美さんが話そうとしている事は多分、僕も話そうか止めようか迷っていた事と同じだと思います」
「そうなの?」
「多分。いやきっとそうです」
「なら、話して。あ、最初は細かい事は言わないで。こんな話ってだけで良いから。そしたら私がしようとしていた話と同じかどうかわかるじゃなない?」
「なるほど。そうですね。わかりました」
僕はいい、鳩三郎さんの事を言おうと思った。
「僕達が初めて出会った日、古ぼけた喫茶店に入りましたよね?その後の事は端折りますが、出た後の事は何も覚えていませんよね?きっとその時、トラックに撥ねられたのでしょう。けどそれと同時に僕と重美さんは見知らぬ世界に飛んでいました。異世界に召喚されたって言うんでしょうか。この東京とは違う。いえ地球とは違う世界の中に入ってしまったんです。そこで日本語を話す、大きなモグラと……」
「ちょ、ちょっと待って」
「はい」
「私が話そうとしていた事とは違う」
「そうなんですか?え?なら重美さんが話そうとしていた事って……」
「この後、大魚の部屋に行って泊まってキスもしていないのにその流れで大魚の童貞を頂いて良いものか迷っていたのよ。だから大魚に今夜、私を抱く?筆下ろししたい?って言おうとしていたの。直ぐヤラせる女だって思われたくないしさ。それで話そうかどうか迷っていたわけ」
「マジですか……」
「うん……マジ……なわけねーだろ。幾ら私でもそういうガチなセンシティブな事は言わないわよ」
そう聞いてホッとした自分と残念と感じる自分が半分ずつ分かれていた。どっちも自分だが、鳩三郎さんの話を、つまりはあの世界の話を否定されていない事に少しばかり安堵した。
「ですよね……」
「けどそういうのって雰囲気だからさ。一緒にお風呂入ったり一緒に寝たら私から食いつくかもだし」
「一緒にお風呂!?」
「何?嫌なの?」
「いえ。光栄です。もっと言えばそのような栄誉を授かり、この上ない幸せ者です」
「まさかとは思うけど……」
重美さんはいい、テーブルの下から足を伸ばして僕の股間に押し付けた。
「今の話だけで勃起するって、大魚、可愛すぎるだろ」
「パァーて頭の中に映像が浮かんじゃってつい……」
「ま、それはいいとして、大魚が話したかった事と、私が話したかった事は同じみたいだね」
「え?」
「モグラの鳩サブレの奴、今頃、管理人を代われたかしら」
「重美さんも覚えてくれてましたか!」
「覚えてるもなにも、私と大魚が実際に体験した事だからね」
「因みに鳩サブレではなく鳩三郎さんです」
「それな」
「て事はやっぱりこの東京にぐるぐるがあるって事でしょうか?」
「そうだとしか思えないけど……」
「けど……?」
「それなら病院に私達が居るのは変じゃない?」
「それ、僕も思ってました。意識不明だという話だったので、生命は維持されていたって事ですよね?つまり心臓は動いていた」
「そうね。心肺停止だったら私達とっくに燃やされていただろうし」
「そこで気になった事が2つばかりあるんです」
「何?」
「例の喫茶店覚えてますよね?」
「うん」
「会計の際、店主が割り勘にしろと煩かったじゃないですか?」
「そうだね」
「2つは2つ、決して1つにはならないとか、確かそんな風な事を言っていたと思いますが、あれって店を出た後、僕達があの世界へ行く事がわかっていたんじゃないですか?だから訳の分からない事を、て思いましたけど、実は僕や重美さんの人格?いや上手く説明出来ないですけど、僕や重美さんを半分にした僕達があっちの世界へと行ってしまったんじゃないのか?って思ったんです」
「なるほどね。あの喫茶店の店主がぐるぐるを知っていたとは信じ難いけど、でもそう考えると割り勘割り勘としつこく言っていたのも、納得とまではいかないけどわかる気はするかな」
「でも割り勘ってどういう意味だったんでしょうか?自分の半分だけ転生するなら割り勘とは言いませんよね?」
僕が聞くと重美さんは「そうね」とだけ言い数秒黙り込んだ。僕は再び話し出すまで待った。
「トラックに撥ねられた、というのが鍵じゃない?」
「鍵?」
「うん。だからあの時、どちらかが、突き飛ばしたりして1人だけ犠牲になったら、それって1人で全部引き受けたって事になるでしょ?それは喫茶店で言えば奢りになる。もしくは立て替え。でも私達は割り勘にしろと言われ、個別に支払った。だからてっきり変わった店主でウザって思ったけど、本当は喫茶店の支払いの事ではなくて、トラックに撥ねられた瞬間の事を言っていたんじゃないかな?互いを助けるような事をしたら1人は死んでしまう。だから余計な事はしなくて2人同時に事故を受け入れろと。すると半分半分になってあの世界へ行く自分とこっちの世界に残る自分とに分かれる事が出来る。つまりそれが割り勘。自分を割り勘するって事をあのオーナーは言いたかったのかも知れない」
「かなり強引な説ですよね」
「私もそう思う。けど、そうとしか思えないんだよね」
「ならオーナーは店を出たら直ぐに事故に遭うから気をつけてとか、まだ出たらダメとか言ってくれたら良かったのに」
「言ったらいけない、言えない立場だったのかも」
「つまりそれって……」
「向こう側から来た人達?なのかも」
「それならより話してくれても良さそうですけどね」
「そんな事聞いたら絶対、この人、頭が変な人だって思うじゃん」
「確かに」
「だからオーナーなりの伝え方しか出来なかった」
「2人で2つ、ですか」
「うん。結果的に私達は無事生きて戻って来れた」
「こちらに身体があったから」
「はい」
「だけど、半分しかないから死ぬ事はなかったけど撥ねられた事から意識を戻せる程の力を持っていなかった」
「意識はあの世界の方にありましたからね」
「うん」
「取り敢えず今のは私が考えた仮説ね」
「多分、正解だと思います」
「なら、大魚が気になるもう1つって?」
「巻男の事です」
「ごめん。わからない」
確かにあの時の重美さんは死んだと思える程だった。結果的には気を失っていただけでよかったけど、やはりというか巻男の事は知らないらしい。




