第六章 ⑤②
あるべき場所へ帰るにはそれと同様な強い想いが必要となるらしい。僕が闇を抜けた時、そのような声を聞いた気がした。そしてその声は立て続けに忘れてはならないと言った。
この声の主の姿形を僕は見ることは出来なかった。見れるとしたら澄んだ水か、もしくは鏡が必要だと声の主は続ける。何故なのか自分でもよく分からなかった。
巻男の所で僕が見た葬列団の一行のその後は僕にはわからなかった。勿論、重美さんを含めた全員だ。僕は悲しかった。人生の中で最も悲しい出来事だった。せめてちゃんと告白をしたかった。好きだという気持ちはわかってくれていたみたいだけど、それは大切だし嬉しい事には変わりない。
でもこれから先の未来。僕が僕である為に重美さんの目を見て告白をしたかった。今更遅い事くらい僕にもわかっている。だからといって僕は諦めていなかった。
僕がわからないだけで重美さんの方では僕の居場所を把握しているかも知れないからだ。甘いよと声の主がいう。そしで主が付け加える。あの者達は、あの者達の魂が形作った[あるべき]姿だったのだと。
あるべき姿。眼球のない事があるべき姿としたら、その人の魂は一体、何をして何を望んだのだろうか。盲人になる事を望んでいたのだろうか。
見ない事を望んでいたのだろうか。見て見ぬふりをした為に眼球が抉り取られてしまったのだろうか。
ムカデやゴキブリに這いずり回られていた人達はどうなのか。腐肉を喰らう虫や節足動物を身内に飼う事を望んだというのだろうか。体内に悪夢のようない虫達を飼ったとしてもやがて内側から食い千切られるのが関の山だ。だが連続幼児殺害犯他8名はその姿形で消えて行った。
次は瞳を持っていた人だ。彼等には自由が与えられた。巻男がそういった。各々が自分の意思でそれぞれ違った闇の中へと消えて行った。
そして僕だ。僕は重美さんの後を追って来た。闇を抜けて光のある場所に出た。眩し過ぎてまともに目を開けていられない。
ここが何処なのか全くわからない。森や川もなく動物の鳴き声もしなければ風もない。太陽も月も瞬く星もない。あるのは僕というたった1人の人間と無という空間だけだった。
「望んだようにしか道は開かれず、望んだようにしかその場に向かう事しか出来ない。それが魂の在り方だ」
声の主が言う。魂の在り方がそうであるならば、僕は望む。重美さんとの人生を……
1人取り残されたような無の空間の中に突然、ぐるぐるが現れた。僕は迷わずそちらへ足を向けた。イソギンチャクの口のような奴の事が脳裏に過ぎる。
けれど僕は構わずぐるぐるの中へ手を入れた。足を踏み出し、そして中へと入って行った。願った事はただ一つ。もう一度重美さんに会いたい。それだけだった……
ゆっくりと目蓋が開かれていくとすぐ近くに見覚えのある顔があった。
「大魚、目覚めるの遅すぎ」
「はい?」
「はいじゃねーし」
「重美さん、一体何の事を言ってます?」
「覚えてない?」
「はい」
「実は私もさっぱり覚えていなかったけど、私達2人の身に起きた事は教えてもらった」
「起きた事?」
「そう」
「何ですかそれ」
「私達事故に遭ったの。喫茶店を出た後、居眠り運転のトラックに撥ねられたんだって」
「はい?また僕を揶揄う為に嘘言ってるでしょ?」
「嘘じゃないよ。本当に撥ねられて私は一週間意識不明だった。殆ど無傷って私最強じゃね?」
「撥ねられたのに無傷?」
「うん。大魚もね。お互い撥ねられた衝撃で飛ばされて頭を強く打ったらしいけど、脳にも異常はないらしいわ」
目覚めたばかりのせいでだろう。余りに多すぎる情報にまだ頭がついて行けていない。そんな僕に構わず重美さんは話しかけて来る。何故かそれが嬉しくて僕は笑ってしまった。
「何、笑ってんの?頭強く打ちすぎておかしくなった?」
「いいえ。違います。僕が望んだ事が叶ったから嬉しいんです」
「望んだ事?」
「はい。もう一度重美さんに会いたいって」
「大魚が私の事を?」
「ええ。重美さんにどうしても伝えなくちゃいけない事があったので会いたいと望んでいました」
「手コキして欲しいって事?」
「違います」
「本当に違うの?」
「あ。いえ。全て上手く行った未来には、そのそれもお願いされたいな、と……」
「焦ったい。さっさと言いなさい」
「重美さん。大好きです。僕と付き合ってください」
病室の明かりの下に重美さんが移動したのか顔が陰った。
「80点」
「え?」
「一生って言葉がなかったから80点」
僕は慌てて言い直した。
「うん。いいよ。一生付き合ってあげる」
僕は嬉しくて飛び上がりそうになった。
そんな僕を重美さんが落ち着くよう宥める。
「ちょっといいかな?」
「何ですか?」
尋ねると直ぐ重美さんの手が僕の股間に触れた。
「告白くらいで勃起してんのか」
「当然です。大好きな人に気持ちを受け入れて貰えたらんですから、勃起は当然の反応です」
そういうと重美さんは顔を崩して笑った。
病院に担ぎ込まれてから重美さんは3週間の入院で退院となった。僕はそれよりも1週間多い4週間の入院となった。その違いは目覚めた時期によるものらしい。
つまり重美さんは僕より1週間も早く目覚めたらしかった。あの巻男の世界の中で先にいなくなった重美さんとの差が1週間という違いを生んだようだった。看護士の話だと目覚めてからの重美さんは僕の側から離れなかったらしい。手を握り時折、嬉しそうに話しかけては笑っていたそうだ。
その事をお見舞いに来てくれた重美さんに話すと、
「握っていたのは手だけじゃないよ」
含み笑いをしながら、僕の股間に手を伸ばして来る。ドキドキして待っていると、その手が引き抜かれた。
「彼氏になったからってしょっちゅう握って貰えるとか思うな」
「すいません」
そんなやりとりをしながら入院生活が残り数日となった。それまでも僕は鳩三郎さんやヨバンゾン婆さん、ダスターズ一族のマーラや花葉の話題を持ち出そうとした。けれど、喉元の先まで出かかった言葉は再び飲み込んでしまった。
重美さんが意識を失っていた時、同じような事を体験しているかは疑問だし、いきなり変な事を言わないでと突き放されそうでもあったから僕は話題に上げるのが恐ろしかった。
僕としてはあの体験は当然、幽体離脱では片付けられない。自分が意識不明でベッドに寝ている姿を天井付近から見下ろしていたり、そのまま空を飛び大自然や宇宙に溶け込むような、そんな臨死体験を経験した事のある人の話のような出来事は一切なかったのだ。
あの世界には物質は実体があったし、人ならざる人もいた。会話をし物に触れ食事もしたし、匂いも感じた。体の痛みや性的興奮もした。
僕自身のこの肉体が存在していたのは間違いなかった。そうなるとやっぱり考えられるのはこの肉体ごと僕と重美さんは、こっちの世界に存在しているであろう、ぐるぐるへ偶然にも入ってしまい、異世界へ入ってしまったのだと思う。
むしろこちらに残っていた身体こそ実体の無いものではなかったのか。そう考えるがそれなら、入院もしないだろうし、とっくに死亡が確認され引き取られて荼毘にふされたのではないか。
仮にも心臓が動いていた為、僕も重美さんも集中治療室にて入院状態で居させてくれていたのだと思う。
それならやっぱりあちらの世界にいた僕達の方が魂だけの存在だったのだろうか。段々と頭が混乱を来して来る。
これじゃまるでトラックに撥ねられた瞬間に身体の中からもう1人の僕が飛び出た見たいじゃないか。分裂し、そのままあっちの世界へ向かってしまった、こういう事になる。荒唐無稽過ぎて自分自身に呆れてしまいそうだった。
実際には、こういう事は見る側の立場によって変わってしまうのかも知れない。こちら側では僕達はトラックに撥ねられ病院に担ぎ込まれてからずっと意識不明の重体の若い男女に過ぎず、あちら側の世界から見たら、僕達は異世界に飛ばされた可哀想な2人。あくまで第三者視点で言えばそうなのだろう。なら当事者は?この体験は……
やはり幽体離脱側にかなり分がありそうな気がした。




