第六章 ⑤⓪
網目の細かい鉄網の球体の中に僕はいた。
球体は太いワイヤーのような物で八方から固定され空中へ吊り上げられている。
僕自身は発見されたミイラのように胸の辺りで祈るように手の平を合わせた状態で縛られている。足は足首で二重に縛られており動かす事すら出来ない。
立っているという事は僕も何かによってこの場に固定されているようだ。肉体全てを包帯のようなカビ臭くじめっとした布でぐるぐる巻にされているのに、どうして今の自分の状況が見えているのか、僕にもよく分からなかった。
ただ見えてしまうのだ。鉄球の下は真っ暗な闇が広がっていた。どれほど深い穴なのだろう。そう思ったが違っていた。
そこにはヤスデやオケラ、ゴキブリにミミズやムカデが所狭しと言わんばかりにひしめき合っていた。
何処から飛んで来たのかわからないけど、コウモリが迷い込んで来て深い穴へ向けて舞い降りて行く。
が、僕が声を上げる前に一瞬にしてそれらはコウモリを捕らえ噛みつき刺し巻きつき骨もろとも砕くと全てを食らいつくした。
僅かばかり騒めいたが、節足動物達は何事もなかったかのように先程と同じく穴の中で蠢きひしめき合っていた。
「重美さん?」
声を発せられたのか、それとも思念だけなのか、どちらかだとは断定出来ない僕の声がその空間に響いた。
四方を見渡すがその姿は見当たらない。もし僕と同じように捕らえられているのであれば、同じ状況に置かれている筈だ。
ひょとしたら真後ろに重美さんがいるかも知れない。それは間違いなかった。重美さんも同じように網目の細かい鉄鋼の球体の中にいた。
だが重美さんは僕と違い椅子に座らされていた。手は同じく胸の辺りで合わされ足も揃えられている。
口と耳だけ露出した姿の重美さんだったが、まだ意識を失っているのか僕の呼びかけにも一切反応がなかった。
諦めず呼びかけていると穴の闇の方に動きがあった。ゴキブリやヤスデ達がこぞって穴の中なから這い出ては四散して行く。
余程天敵でも現れたのかと僕は思った。しばらく穴を眺めていると、虫達が逃げた底から小学生程の身長をした白粉を塗りたくったような肌をした者がまるでマジックの空中浮遊のように浮かびあがって来た。
衣服は身に纏っておらず裸だった。その姿を見て僕はゾッとしたその者は綺麗に半分が女性で半分が男性だったのだ。
男性器も綺麗に真っ二つに切られたように半分だけついており、女性器もそれと同じだった。それは両性偶有とは又違う姿だった。
こんな物を重美さんに見られなくて良かったと思った。もし見たらどのような暴言を吐くかわかったものじゃない。
だがそれにしてもこいつは一体何者なんだ?僕の声は八方に飛び反響しているが、その子供のような者には聞こえていないのか、無表情のまま穴の縁に腰を下ろした。眉毛も女性的と男性的に分かれ瞳は切長と大きな瞳に分かれている。
当然耳も髪の毛も違っていた。女性的な半分の髪の毛は子供の背中付近まで伸び、男性的な髪は短くて流すように軽くウェーブがかかっていた。
子供は女性の髪を後ろで結ぶと僅かに口角を上げた。そう表情は満足気に見えなくもなかった。
子供は両拳を握るとお腹の前で上下に重ねるように置くと右腕から前へと回し、その後に左腕が右腕を追いかけるよう前へと繰り出した。
胸の前でぐるぐると両腕を回し始めてしばらく経つと今度は逆回りに回し出した。この子供の存在もさることながら、腕を回している主旨が僕には全く理解出来かねた。
しばらくするとムカデやゴキブリの穴の底から、黄色のTシャツにタイトな黒のジーンズを履いた若い女の子が上がって来た。
茶髪のショートに耳にはピアスが3つずつ付けられている。鎖骨の下に跳ねるイルカのタトゥーが施されている。女の子は目を閉じていて、顔色もすこぶる悪かった。
まるで死人のような顔色だった。子供は尚もぐるぐると腕を回している。まだ足りないと言わんばかりに腕を回し続けていた。その姿はまるで穴の底から何かを巻き上げているかのようだった。
女の子が引き上げられると、半男半女の子供は一旦、腕を回す事を止め穴の縁から立ち上がり女の子の身体に片腕を回した。
子供はまるでマネキンを運ぶかのように女の子を抱えて穴の側に立たせた。まるで傀儡のようだ。立たされた女の子は俯いたまま動かない。子供は再び穴の縁に腰掛け腕を回し始めた。
子供が前側へ腕を回し、ある一定まで回し切ると今度は内側へ回し始める。すると又、新たな人間が引き上げられた。随分と腰の曲がったお爺ちゃんだった。女の子と同じく瞼は閉じられ顔色も悪い。
ひび割れた唇は紫色をしている。お爺ちゃんは女の子の横へ立たされた。
子供は再び同じ事を繰り返して行った。幼児と呼べる子供や赤ちゃんに至るまであらゆる年齢層の顔色の悪い人間達が次から次へと子供の手によって引き上げられ、そして整列させられた。
赤ちゃんは立てないだろうと思ったが何の苦労もなく二本足で立っている。スーツ姿の若者もいればスーツ姿の女性もいる。
和装の男女も並ばされていた。パンクバンドマンだろう。緑色のモヒカンの青年もいた。皆が皆、日本人で外国人の姿は1人もいなかった。
まるで入れ食いの釣り場のように子供は日本人を巻き上げていく。
総勢、60名程が巻き上げられ、整列させられると子供は再び穴の縁に座る事をしなかった。
ここで一旦、終わりなのかも知れない。
2列に並ばされた顔色の悪い集団が、これから子供に何をさせられるのか全く想像がつかなかった。
そしてこの人間達の関係性もいまいち理解し難かった。ランダムなのかそれとも何かしら関わりのある人間達なのかさえ、それすら僕には分かりかねた。
目の前で起きている事が既に理解の範疇を超えていた。穴の中で蠢くヤスデやゴキブリ達が再び激しく動き回り出した。人間が引き上げられている時、その節足動物達は死んだように身動ぎもしていなかった。
それが再び動き出したと言う事は、何かしらの影響を子供が与えていたのだろう。半男半女の子供は整列させた60名の前へ行き、「はい」と言った。
すると全員が瞼を開いた。だけどそこにある筈の目はなく穴のような空洞がそこへ広がっていた。
再び子供が「はい」と掛け声を上げると並んだ者達はゆっくりと歩き出した。まるで死者の葬列団だ。並んだ者達はそのまま僕の球体の下を通り、遥か先の暗闇の中へと消えて行った。
それを見送った子供はニカッと笑い
「巻男お仕事終わり」
そう言って穴の側で寝転がった。まるで昼寝をするかのように巻男と名乗った子供は微笑みながら直ぐにイビキをかきはじめた。
それからどれくらいの時間が経っただろう。体感的には2時間程くらいか。
いつまで寝るつもりだ?と思った矢先、巻男はゾンビのように上半身だけを起こした。両手で瞼を擦り大きなあくびをした。
これが普通の子供であれば可愛いのだが、僕には巻男の仕草にそのような感情を持つ事は出来なかった。
身体が小さいから子供と思っているが、その実、喫茶店で絡まれた小人症の人とそう変わらない年齢なのかも知れない。巻男の全身に毛が生えていないのもそう思った原因だった。
一寝入りして気分が良くなったのか巻男はニカッと笑い、僕が閉じ込められている鉄球を見上げた。
「う〜ん。どうしてかなぁ。なぜかなぁ。どうしてかなぁ。なぜかなぁ」
巻男はいい、少し考えるように腕組みをして首を傾げた。
再び穴の方を向いて中を覗き込んだ。
「いっぱいじゃない。たくさんじゃない。まんぱいじゃない。なぜかなぁ。どうしてかなぁ」
再びこちらへ向き直り、下から僕の方を見上げた。
「巻男くん。僕をここから出してくれないか?」
この場所の奥行きが全くわからない世界の中に僕の言葉が反響しやがて谺する。
「だすのはらくだよ。でるのもらくだよ。でるのがらくだから だすのもらくだよ」
そうはいうものの巻男は何をしてくれる訳でもなかった。何の解決にもなっていなかった。
「包帯を解いてくれないかな?あ、勿論、後ろの彼女のもお願いしたいんだ」
「おんなのこ いない ここ いる おとこ」
巻男が鼻を垂らしながら言った。ずりゅずりゅと啜った後、又、僕の方に背を向け穴の縁に座った。
再び腕を回し始めた。直ぐに見えな糸に絡まったかのように穴の中から人間が巻き上げられて来る。その者の顔には見覚えがあった。
確か、最近死刑が執行された連続幼児殺害事件の犯人だ。名前は……上手く思い出せなかったが、間違いない。
僕が重美さんと出会った日、朝のニュースで死刑が執行されると報道されていた筈だ。確か、さっさと死刑にしろよと思ったのを覚えている。
その死刑が5日後に迫っている中、今更ながら犯人が無実を訴えたとか何とか言い出した筈だった。その犯人が今、巻男の腕に抱えられ先程消えて行った人達とは逆の方へ向かって立たされていた。
当然のように先程の60人と同じく顔色は酷く悪かった。俯いているその姿はまるで今この瞬間に死刑が執行されるような、そんな雰囲気が全身を覆っていた。
その犯人をみて、僕の頭の中に一瞬だけ浮かんだ事があった。それはひょっとして僕達は死んだのか?と言う事だった。
何故なら死刑を執行されたであろう連続幼児殺害事件の犯人が今、目の前にいたからだ。もしそうであるなら、先程の人達も皆、死んだという事になる。傀儡のように感じたのは肉体から魂が抜けた状態だからか。
つまりその姿は、ここは死後の世界という事を物語っているような気がした。だけどその瞬間、僕はハッとした。死後の世界にどうして肉体が存在しているのだろう?肉体は焼かれるか埋められるしかない筈だ。
なのにここに現れた人達はみな肉体がある。確かに傀儡のように意識も意思もないから肉体も死んでいるのだろうけど、巻男の掛け声では何故か動き出した。
目の前の光景はまさに理解不能だった。その事で少しだけイラッとした。同時に身体が震える程、恐ろしくなった。何故なら僕達がイソギンチャクの口のような触手に引きづり込まれる時、重美さんは意識を失っていたからだ。まさか実はそれは意識を失ったのではなく……
「重美さん!返事をして!重美さんっ!」
僕が叫んでいる間、巻男はせっせと人を巻き上げては整列させた。その数、全部で8人だった。
その8人に向かって巻男が「はい」と声をかける。カッと見開いた目は空洞でなく、その穴にはムカデやヤスデが這いずり回っていた。
口や鼻からゴキブリが出て来ては卵を産みつけていく。見ていて吐き気がした。そして再び巻男が「はい」というと60人の一団が向かった先とは真逆の方へと進み、やがて消えて行った。
わからない事だらけだけど、1つ気になった事があった。それは仮にここが死後の世界だとしたら、連続幼児殺害犯達のグループは悪事を働いた者達ばかりで構成されているのではないか?という事だった。
そうでなければ60人の団体と同じ方向へと向かうと思うからだ。
それを巻男に尋ねたが、巻男は僕の言葉をフルシカトしているのか、全く答える様子もなく、再び、穴の縁に座り腕をぐるぐると回し始めた。




