第五章 ④⑧
ピラミッド山の洞穴を出てからの目的地など僕達にある筈がなかった。
この旅は言ってみれば行き当たりばったりの無謀な旅に他ならない。
だがそうする事でしか東京へ戻れる方法を僕達は知らない。クルクルというぐるぐるの従兄弟のような物が戻る為の唯一の手がかりであり、希望だった。
だから常にその場所を探し求める事しか、僕達がこの世界にいる理由はなかった。重美さんは油断するとこちらの世界に住み着いてしまいそうな程、行く先々で友と呼べる、とまではいかないが知人を作る事が異常に上手かった。バイタリティーに溢れていて明らかに異質な見た目が者に対しても全く動じる事もなくフレンドリーに会話をしたりする。僕はそんな重美さんの背中に乗っかって、これまでなんとかやって来れた。だけど今後は自分から積極的に動いて行かねばと思うが、重美さんはバクの時のように気づいたら触れ合っているのだから、もうどうしようもないというのが本音だった。決意はしているが、それでも目の前に聳える峡谷のあまりの巨大さに圧倒され思わず立ち竦んだ。それを見た重美さんが口を開いた。
「あ、唐獅子にクルクルの事聞くの忘れてた」
「そうですね。僕もすっかり忘れていました」
「ま、そういう時は大体、情報は手に入らないものよ」
重美さんの励ましは僕の気持ちを少しばかり楽にしてくれた。
昨日の雨とはうって変わって今日は雲一つない晴天だった。陽射しは強いが暑さはさほどでもない。だが重美さんは日焼けオイルがねーのに陽射しきっつー。これは最早虐待だわなんてぼやき先を歩いていた僕に並んだ。道は土から砂利道へと変わりつつあった。道幅はそれなりにあるが、緩やかな勾配と共に蛇行し始めている。その先々にはまるでカーブミラーのように曲がり道の手前に大きな岩が点在している。僕は1人先にその岩の横を通り過ぎて行った。するとそれまで雑草しかなかった道端に曼珠沙華に似た花が砂利道の両脇に咲き誇っていた。花に集まる虫は蝶や蝿に似てはいるものの蜜を吸う為に蝿らしき物が止まったその姿をみて思わずゾッとした。姿形は蝿そのものなのだが、6本ある足が、皆、人間の手足そっくりだったのだ。両手が2本に足が4本。その姿をみて、まさかこの蝿のようなものも喋ったりはしないよな?と思った。
「重美さん」
直ぐ後ろから現れた重美さんを呼び止めた。
「ん?」
「こいつ見てください」
僕は曼珠沙華似の花を指差した。
「は、え?」
「似てますけど違います」
「これがどうしたの?」
「よく見てください。特に足」
僕がいうと重美さんは覗き込むように顔を近づけた。
「うわっ。何これ」
「ですよね?」
「キモッ。手足がまるで人間じゃん」
僕達の気持ちなど他所に蝿に似たものはしばらくすると花の上を歩き出した。6足歩行から稀に2足で起き上がり頭をキョロキョロと動かしている。両手を揉み手のように絡めたかと思ったら、いきなり羽を動かし飛んでいった。
「ティンカーベルみたいな妖精?」
重美さんの言葉にまさかと返す。
「ティンカーベルは人間に羽が生えた感じですけど、今のは足だけが人間に似てるだけですからね。妖精である筈がないです」
「ま、キモい姿してて、自分妖精なんですって喋られたら気持ち悪くて叩き潰してしまいそう。全く勘弁だよね」
「ですね」
言いながら重美さんの手に潰された蝿に似た死骸を想像するだけで、気分が悪くなりそうだった。
曼珠沙華似の花に導かれるような砂利道は、蛇行しながらそのまま峡谷へ続いているようだった。山頂には雪化粧が施されており、今より寒くなる事を予想させた。そう考えるとピラミッド山の洞穴から置きっぱなしの服を持ってくれば良かったと思った。峡谷へ辿り着いた時、このような薄手の衣服では不安ではあった。暑さならまだしも寒さは耐えるのが難しい。それに洞穴やバクのような心優しい者達が暮らしている補償もなかった。今更ながら、直ぐに旅立ったのは失敗だったなと僕は思った。
ウダウダと歩きながら進んで行くと曲がり角の岩影から1匹のキツネが横顔を覗かせていた。前足を出し、姿勢を低く保っている。まるで獲物を捕らえようとしている所のようだった。キツネの見ている先には餌となる小動物がいるのかも知れない。狩の邪魔をするのも悪いかと思ったが、僕達は構わずに進んで行った。
「ねぇ。大魚」
「何ですか?」
「私達、東京へ帰れるのかなぁ」
「急にどうしたんですか。弱気になったりして。重美さんらしくないですよ」
「やっぱりそう思う?」
「普段の重美さんを見ていたらそう思いますけど、でもまぁ重美さんは女性ですし、いつも気を張ってると疲れちゃうから弱気な事も、内に溜め込まなないで声に出した方が心身も軽くなって良いのかも知れないですね」
「いや、弱気って訳じゃなくてさ。セフレと会う約束してた日が今日でさ。スマホ使えないじゃん?だから帰りたいなぁって」
「そっちで凹んでんですか!」
「嘘よ。大魚が難しそうな顔して何か考えてるからさ。エロい事話して気を紛らわせてあげるか、ヌイてあげるかしないと駄目なんかなぁと思ったからさ。とりあえず話しかけてみたのよ」
「確かに考えていましたけど」
「私の事を?」
「この状況にあってどうして真っ先に重美さんの事を考えていたと思うんですか」
「だって私の事好きって言ってたしさ」
「いや、ま。それは間違いないですけど、それよりも今1番大事なのはそれじゃなくて……」
「何よ。私の事が一番大事じゃないって事?」
「そういう意味じゃなくて、考えておかないといけない事ってあるじゃないですか?」
「無いね。私の事を好きって言った癖に1番に考えてないなんてあり得な……て、大魚!あれ何よ」
重美さんが僕の腕にしがみついてキツネの方を指さした。キツネはさっきより前へと進んでいたが、下半身に黒く蠢く何かが大量にしがみつき歯軋りのようなギシギシという音を出していた。
よく見るとそこには四角形のピンク色の頭に無数の足だった。それが数百匹、いや数千匹がもつれ、絡み蠢いている。まるでムカデのような節足動物がキツネの下半身に纏わりついている。想像に難くないが恐らくムカデ達はキツネを貪っているのだろう。僕が見かけた時は顔以外岩影で見えなかったがまさかこのような事が起きていようとは思いもしなかった。そんなキツネの後ろ足や尾っぽからはムカデの身体をなぞるように夥しい血が流れ落ちていた。肉に食らいつくムカデのピンク色の頭がその血に塗れてオレンジ色に変色していく。歯軋りのような音が激しくなる。キツネの下腹部から食い破られ、内臓が風鈴のように垂れ下がった。新鮮な血の匂い惹かれてから数百のムカデが垂れ下がった内臓の方へと移動して行く。キュキュという音を上げながら我先にとムカデの大群が蛇行する姿は背筋を凍らせた。内臓にムカデが食らいつき垂れた血を浴び続ける。キツネの下半身が崩れ、横倒しになった。目は白濁とし半開きの口から舌が垂れ下がっていた。内臓を喰い破ったムカデが、キツネの口の中から現れて舌を食い始めた。
「大魚、行こ」
凄く嫌なそうな表情を浮かべ重美さんがそう言った。
「わかりました」
「ていうかまさかとは思うけど、この先、あんなのばかりじゃないよね?」
「そんな事、わかるわけないじゃないですか」
「人足持ちの蝿にムカデでしょ?あぁ。虫系は嫌。大嫌い」
「かなり大きなムカデでしたよね」
「寝てる時あんなのが出てきたら、私ショック死する自信あるわ」
「そうならないようにこの先、良い寝床になりそうな場所を探さないといけないですね」
「ねぇ引き返さない?」
「え?冗談ですよね?」
「ちょいマジ」
「マジですか」
「うん」
「けど、戻ってもクルクルは無いですよ?バクと一緒に生活するつもりですか?」
「そうかなぁ」
「そうでしょ?」
「だってクルクルは突如出現するって言ってたじゃん?」
「確かに言ってましたけ、、ど……」
「どうしたの?」
「あ、いえ」
「何よ。気になるじゃない?」
「マーラさんの話だとクルクルって、人がそこに入って消えて行ったって事でしたよね?」
「うん」
「でも出て来るのはぐるぐる、で間違いないですよね?」
「そうだね。ぐるぐるは消えずにずっとそこにあるし」
「重美さん、これはあくまで仮説なんですけど」
「わかった。いいよ」
「クルクルって、ぐるぐるを利用し出て来た場所の近くに現れるのではないかと思うんです。現れてから消えるまで、つまりクルクルが無くなるのは出て来た人間がそれを使う事で消える、そうじゃないかなって」
「て事はダスターズの村にクルクルがあったって事?」
「恐らく」
「えー」
「村にトイレを作ってくれた人間はクルクルから帰って行ったわけだから、つまりぐるぐるを利用して村に現れたわけですよ」
「そうなるよね。でもさ。その人間はどうしてぐるぐるじゃなくてクルクルを使ったのかな?普通に考えたらならぐるぐるを使うんじゃない?だって移動出来るんだからさ」
「そうですね。なのにこの世界に過去に現れた人達はみんなクルクルを利用した。それってクルクルの存在を予め知っていないと無理じゃないと思いませんか?」
「つまりさ。こっちの世界にちょっとした変化をもたらそうと考えた人間がやって来たって事?」
「はい。それもどう行きどう帰るかもわかった上で」
「て事はその時点で既に経験者ってわけよね?」
「そうなりますね」
「ならぐるぐるは人間の世界にもあるって事じゃん?」
「多分……」
「それに私達が巻き込まれたって事だ」
「僕が思うに、重美さんと出会った時点からこちらの世界に来るまで、おかしな事があったのってあの古びた喫茶店くらいしか思いつかないんです。小人症の人に絡まれたり店長らしき人に、割り勘にしなさいとか言われたり。そもそも何故、あんなにも割り勘しろってしつこく言って来たのでしょうか?」
「さっぱりわかんない」




