第四章 ③⑨
寺院の階段をあがるにつれジャコウの匂いが鼻をつく。既に花葉は扉を押し開け寺院の中へと入っていた。5メートル強の曼荼羅が僕と重美さんを迎え入れる。様々な形や顔をした像をみて重美さんが興味深そうに1つ手に取った。指でコツコツと叩き、「中身は空っぽなんだね」と言った。
何気ない一言だし悪気はないのだろうけど、僕はその言葉で少し胸がざわついた。仮にもここはダスターズ一族が信仰している神聖な場所なのだ。そこに置かれてある物もつまりは同レベルで大切なものの筈だ。それを空っぽだなんて言ってしまう重美さんの天然さはやはり最強に恐ろしい。
「所詮は人形だもんね。中身が空なのは当然か」
「重美さん、言い方、言い方」
「え?大魚何?言い方って?」
「所詮とか、空っぽだからとかはいうのはあまり宜しくないかと」
「私がダスターズだからって別に気を使わなくていいよ。信仰心の強い村長とかが聞いたらぶっ倒れるか、ブチ切れるだろうけど。でも私、この寺院にあるものに感謝とかしてないし。ここの神々は私達の前に姿を現してヤカラを倒したり、ヤカラに変身するお母さんや村人を治してくれたりもしないから」
「花葉はこの村の信仰している神?仏?は信じていないんだ」
「うん。そんなものいないと思ってるもん」
その言葉を聞いて僕は今時の子供だなぁと思った。ま、僕も重美さんもギリ今時の若い奴等に区分されてるけど、まだ幼い花葉の口からそのような言葉が出るとは思っても見なかった。きっと花葉は小さい頃からマーラさんに連れられこの寺院でお参りさせられたに違いないだろうに。
僕の考えていた事を見透かしたように花葉が続ける。
「私も最初は沢山祈って来たし信じていたの。けどヤカラが治らないと気づいた時、キッパリと捨てた。信じるべきは神々や仏じゃなくて自分自身なんだって。その為に神々や仏という存在があるのかなぁとも思ったよ。だってさ。祈っても酷いことは起こるでしょ?私達を護ってくれる筈の存在が、どうしてそんな仕打ちを見過ごすの?あり得ないよ。だからね。きっと神々や仏はさ。私達を頼るな。信じるな。信じて祈っても酷い事は起きただろ?だから信仰というものは、先ず神々や仏を捨てる事を気づかせる為にその存在があるのかなぁって。自分以外の外側に神々や仏が存在している信仰の形は実は違っているんじゃないかなぁって思ったんだ。そう思ってからは全然、信じていない。私が信じているのは私であってヤカラになっていないお母さんであって村の人全員。皆んな仲良し一族だから。私はその中でも人間の血が混ざっているから、この村の中ではヤカラに変身しない異質な存在だけど、でも重美達人間からしたら、私達ダスターズが異質なわけじゃん?ヤカラって怪物になるんだから」
その通りだ。立ち位置の違う世界から見る景色は全てが異様に映るに違いない。だけどそれを真っ向から否定するのは間違っている気がする。
やっぱり郷に入っては郷に従えではないが、やはりデリケートな部分はリスペクトが必要なのだと思う。だからもし普段のマーラさんからここへ祈りに参りましょうと誘われたら、信じていないからと言って断るのではなく信仰している人達への敬意の現れとして、共に祈ってあげるのが良いのかも知れない。
「でもそんな事言ったらマーラが怒らない?」
重美さんが花葉に言った。
「うん。だから言ってないよ。日々の感謝の意味を込めて神々を祀るお祭りがあるけど、私はその時は村の人達と同じようにここへ来て祈るよ」
それが人間の血が混ざった花葉なりのこの村やお母さんに対する敬意の現れなのだろう。そもそも名前からして花葉は日本的な、いやどちらかと言えば台湾、中国名に近いだろうか。その時点で村長達が反対しなかったのはきっとここに現れた人間が村に利益を与えたからだろう。つまりダスターズ一族の村人が変貌したヤカラを殺したに違いない。それによりヒーロー扱いを受けた為、名前の変更もなされなかったのだろう。
「花葉のお父さんって人間だよね?」
「うん」
「何人だった?」
「花葉の父親が何人だろうとどうだって良くない?そいつは花葉とマーラを捨てて人間の世界へ逃げ戻ったんだよ?そんな奴、父親と認めたくないし私なら絶対許さないよ」
「私はよくわからないや。見た事もあった事もないから。けど、お母さんの話だと、私のお父さんは日本人っていう種族らしいよ。大魚も重美も人間なんだから、日本人って種族は知ってるよね?」
「勿論。だって私がその日本人だから。大魚は違うよ。大魚はチンコ人」
重美さんの余計な一言が花葉を盛大に笑わせた。
「そうだね。大魚はチンコ人だよ」
幼い花葉もノリノリで言って来る。それを言うなら男は皆んなチンコ人になるじゃないか。
ま、そうなのかも知れないけど。
「とにかくここに居れば安全だから」
花葉が続け「はぁ。疲れた」と言いい祭壇の横へ移動し背中を預けるようにして座った。
僕等も花葉の側へ行き、輪になる形で腰を落ち着けた。
「ねぇ。花葉」
「何?」
「火をつけたヤカラ達はやっぱ死んじゃうのかな?」
重美さんの言葉に内心ドキッとした。今、言う?とは思ったけど、遅かれ早かれそこは知っておきたい事だった。
重美さん自身、幾らヤカラに変身したからといって襲って来たヤカラに変身したマーラの額にナイフを突き刺したのだ。ヤカラであろうとそれはマーラ自身なのだ。
乱暴で極端な言い方だけど、マーラがいきなりコスプレをして現れたようなものだ。それにびっくりして思わずやってしまった。
まるでハロウィンホラーナイト的なイベントに近いものとも言えなくもない。でも僕達には明らかにヤカラに対して殺意はあった。何故なら実際に人を襲い喰うと聞いていたから。
もしそれが偽の情報であったなら僕達は単なる人殺しだ。実際、人間や村人を襲い喰っている所を見た訳じゃない。
こちらに向かって来るから逃げただけだし、ナイフや松明を使用する事になんら躊躇いもなかった。でもやっぱり喰らうのだろう。でなければ、夕食の食器の下にナイフを隠して僕達の下へと運んでくれる筈がないからだ。
「うん。死んじゃう。だからヤカラから解除されたら村人の何人かは死んでたりするんの。そんな状況になってたりするから、村総出で死んだ村人を集め合同葬儀をやるのが解除された後の行事みたいになってる」
「ヤカラ同士で殺し合いとかは無いの?」
「たまにあるかな。幾ら一族だからって全員が仲良しな訳じゃないから、ヤカラになった時を利用して殺し合いが始まる時もあるよ。変身も解けるのも個人差があるから殺意を強く持った人が先にヤカラに変わったら、憎んでいる人の所へ真っ先に向かうよね。でも中々上手くは行かないみたい」
「だろうね」
僕が言った。
「うん。動きは遅いし、おまけにあの見た目でしょ?臓器を傷つけてしまえば動けなくなるし、切り裂いたりしたら死んじゃうから、憎まれてる側って意外と気づいているものじゃない?私、あいつに嫌われているってわかるじゃん?だから待ち伏せされて返り討ちにあったりもするみたい」
そう聞いて、なんだかこのダスターズ一族は可哀想な一族だなと思った。何だかこんな事をいうと見下しているようで傲慢な奴って思われるかもだけど、それでもやっぱり可哀想だと思った。
何か悪い事をした訳でもないのに村人全員がヤカラに変貌するし、そこにたまたま僕達みたいな余所者が現れていたら、やっぱり殺されちゃうだろうし。ゆっくりと長い時間をかけて一族が滅んで行くのが目に見えてしまい、胸が締め付けられた。
「ま、とにかく今夜はゆっくり休みましょう」
僕がいい、バックパックを下ろしその場へ横になった。
「この寺院の中の火って消える事はないの?」
重美さんの疑問に僕も、あ、そうだよなと思った。蝋燭のように心棒に火が灯っているのは油でも入れてあるからだろうか。花葉がヤカラに向かってぶちまけたものに松明を投げたら火がついたのだから、この村にも料理用やその他に使う油はあるのだろう。
その疑問は僕や重美さんが思った通りで、花葉は2日に一回、マーラがこの寺院に油を継ぎ足しに来ていたようだった。
「一応、ヤカラは炎が苦手って事になっているから」
「一応って事はさ。ヤカラになっている時の記憶は無いって事?」
さらに重美さんが尋ねる。
「そうみたい。だからね。ヤカラから解除された人が死体を見つけると、又、ヤカラが現れて襲われたんだってなるんだ」
「ヤカラのままの姿で死ぬ訳ではないんだ?」
僕が聞いた。
「どうだろ。私はヤカラのまま死んでいる村人を見た事ないからわかんないけど、多分そうなんじゃないのかな」
それなのにヤカラという存在がいると皆が知っているのは、変身してしまう時に個人差があるからだろう。つまり自分達で目撃者を作ってしまっているという事だ。けど実情は違っていて全員がヤカラになってしまう。これはとても悲しい事だった。日本で言えば、この村から伝染病が発症した為に、国から隔離されやがて廃村になってしまった的な存在に、今現在、この村は位置しているのだろう。




