第四章 ③①
床に直置きされた夕食をみてフライ返しで殴られた理由も理解出来た。オタマを使うような夕食でなかったからだ。心底ホッとした。何故ならお玉をオタマで殴られたら2度と使い物にならないかも知れないじゃないか。あり得ないだろうけど、ないとは限らない。子供は手加減ってものを知らないのだから。僕は股間を触りながらフライ返しで良かったなお前と声をかけた。フライ返しがよっぽどマシだったと気づきながら、オタマで殴られたかも知れない未来を思い浮かべると背筋が冷んやりとした。
夕食のスクランブルエッグの側にはかなり分厚いハムがスパムのような形で木皿の上に用意されている。木のお椀には茶色かかったミルクと横にはパンの切れ端が真っ新な白い布地の上へ置かれていた。
幾ら目覚めたのが夜とはいえ寝起きから分厚いハムとか中々ヘビーだなと思いながら、先ずはミルクに口をつけた。チャイに似た味はしばらく歯も磨けていない口の中に軽い痺れを呼び起こした。歯磨きしていないせいではないのだろうけど、ピリッとした感覚は僕の意識をより覚醒させるに充分過ぎる程だった。唐辛子でも入っているのだろうか。重美さんならやりかねないな。花葉と呼ばれていた女の子とはそれなりに仲が良さそうだったし、悪戯しちゃおうか?って誘えば子供の心はくすぐられ、重美さんに心を許しそうな気がした。実際、許したからこそ花葉はフライ返しで僕の朝立ちチンコを殴ったのだ。
2人の関係性を思うと、重美さんは僕と違ってぐるぐるを通過してから直ぐ、目覚めたのだろう。
ひょっとしたら意識すら失っていないのかも知れない。それにしても新たな場所に出た側で人が住んでいて良かったと思った。ハムに齧り付き改めて周囲を見渡す。食糧の入っていたバックパックがテントの隅に置かれてあるが、チャックは開かれペシャンコになっていた。僕は四つん這いでそちらへ近づいた。手にとり逆さにしても中から何も出て来なかった。鳩三郎さんから貰った様々なお菓子や菓子パンが全て無くなっていた。
その理由は簡単に思いついた。重美さんがこの食糧をつかい、花葉達を手懐けたのだろう。可能性は低いだろうけど。ひょっとしたら、僕が目覚めるまでこのテント使用させて欲しいと願い出たのかも知れない。その交渉にお菓子などを利用したとも考えられた。どちらにせよ、無くなった物の事で重美さんを攻める事はやめておこう。こうして食事まで用意され、手厚く迎え入れてくれている雰囲気の中で、理由もわからないまま重美さんを責める訳にはいかない。どんな理由があったにせよ。僕達は無事だったのだ。ただ引っかかる事もないとは言えなかった。それは重美さんが1人で食べてしまったという可能性がある事だ。
ま、今はこれ以上考えるのは止めだ。つなぎの泉から汲んだ水が入ったバックパックは無事なようだし、今、色々と騒ぎ立てるのは決して良い事ではなかった。
僕は再び食事を続けた。全て平らげた後、しばらくしてからトイレに行きたくなった。
テントを出て重美さんを探そうと思い起き上がると、いきなり全身黒装束に身を纏った女性らしき人物が入って来た。
「お食事はお口に合いましたか?」
「はい。お心遣い感謝いたします。とても美味しかったです。ご馳走様でした」
「それは良かったです」
黒装束の女性はいい、食器類を片付け始めた。
「あの、すいません」
「何でしょう?」
「トイレに行きたいのですが……」
「トイレ?トイレって何でしょう?」
こちらの世界では言葉は通じる事は凄く助けられている。けどちょいちょい違う言葉があるようで、トイレもその1つのようだった。
「オシッコがしたくて……」
いうが女性は再び首を傾げた。
オシッコも通じないのか。
仕方なく僕は股間に両手を添えて、オシッコをする真似をした。ついでにウンコの真似も付け足しておいた。理由はここではオシッコを立ってするとは限らないからだ。僕のジェスチャーを見た黒装束の女性はパン!と手を叩き、
「はいはい。聖水か聖糞をしたいのですね。つまりクリーナー、浄化場へ行きたいわけですか。わかりました。案内致します」
そうして僕は黒装束の女性の後についてテントを出て行った。外は既に暗く、夜空にはびっしりと隙間なく輝く星で埋め尽くされていた。こんな夜空は見た事がなかった。なのに暗いというのも不思議だった。星空とはこういう空の事を言うべきかも知れない。外には松明が数本だけ焚かれていたが、火をつけなくても星明かりだけでも充分明るそうな気がした。
何気なくその事を女性に話すと、黒装束の女性は
「火を焚べていなければヤカラが襲ってくるのです」
「輩?」
「はい。ヤカラという獰猛な獣です。大きな体躯で牙も鋭く、力は丸太など真っ二つにする程、太くて強くおまけに私達のように二足歩行で歩き、足はそれほど早くないのですが、このような服を着て私達の中へ紛れ込もうとする狡猾さも備えております」
「ですが、身体が大きいのであれば、幾ら服を着ても直ぐにわかるんじゃないですか?」
「大魚様はヤカラを見た事がないからそのように言えるのです。このような事は言いたくはありませんが、正直、認識が甘いとしか言いようがありません」
「すいません」
「何故ならヤカラは着痩せするタイプなのです」
「はい?」
今、この人なんて言った?着痩せ?猛獣が?
え?ひょっとしてここの人バカなのか?
「着痩せって言っても限度があるのではないですか?」
「勿論、ありますが何もヤカラは大人だけではありませんから」
「そっか。そうですよね。オスやメスもいるし、子供もいるでしょうし」
「はい。でもそのどれもが獰猛なのです。私達、
ダスターズ一族も、その昔、ヤカラ達によって滅ぼされそうになった事がありました。ですが、その時、重美様や大魚様のようにぐるぐるから人間が現れたのです。その人間達が私達一族を救ってくれました。ですから再び、ぐるぐるからお2人が現れたのを見つけた時、吉報だと思うと同時に、昔のように再びヤカラ達が大軍を率いて村を襲って来るかも知れないとの不吉な予感も過りました。ですから私達は一族の長に案を求めました。長は、一族を救ってくれた恩義がある為、お2人を手厚くもてなすよう言われました」
それであのようにテントの中で休ませて貰い、食事まで用意してくれたのか。というか一族を救ったという人間は一体、どんな人だったのだろうか。何かしらの武器を携えていて、それでヤカラを討伐したのだろうか。その辺りを尋ねるとこの女性は、言い伝えによりますと、と前置きした上で話始めた。
「法術というものをお使いになられ、ヤカラを1匹残らず退治されたとの事です」
法術と聞いて、僕は冷や汗をかいた。何故ならそこから連想出来るのは陰陽師だったからだ。
そのような人物であればヤカラという獣も退治出来たかも知れない。けど、僕も重美さんも陰陽道に造詣が深いわけでもないし、坊さんでもない。ただのしがないサラリーマンとOLだ。仮に僕達がここにいる間、そのヤカラという獣が襲って来たらどう対処すれば良いのか。村を見た感じ、武器と呼べる物は見当たらず、あったとしても弓矢か槍程度のものだろう。そんな物でヤカラを倒せるとは思えなかった。何故なら倒せるならダスターズの皆んなが既に倒している筈だからだ。つまりヤカラという獣を倒すには何かしらの法術が必要不可欠だと思って間違いはないだろう。
「あのう……」
「浄化場はそこでございます」
指さされた方をみると山肌に穴を掘っただけの物だった。一応、左右に垂木を縛った物で囲いがされてはいるが、ハッキリ言って立ちションと何ら変わりない。その横には都内の工事現場などで見かける簡易トイレが設置されていた。排水用の塩化ビニルパイプも繋がっており、それがかなり遠くの場所まで配管されていた。これらもきっと人間が持ち込んだ物に違いない。ただ引っかかるのはこれだけの荷物をどうやってここへ運び込んだのか。僕らが辿って来た道を来た時なれば、相当な苦労とそれなりの人手が必要になるのではないだろうか。干し柿大佐もそんな話はしていなかった。つまりここへ来るにはぐるぐる以外の別なルートもあると言う事なのだろうか。
オシッコを済ませると僕は黒装束の女性に尋ねた。
「これを運んで来た人達も、ぐるぐるから来たのですか?」
「ぐるぐる?あ、ぐるぐるは戻って行く所です。
この浄化場を作ってくださった方々はクルクルからいきなり現れて来ました。それで私達の暮らしぶりを見て、それを作ってくださいました」
「そうなんですね。因みにですが、ぐるぐるとクルクルはどう違うのでしょう?」
「先程も言いましたようにクルクルは別な世界からこちらへ来る事を言います。反対にぐるぐるは帰る為のものと言われております」
「あの、実は僕達が通って来た場所はぐるぐるという物だと、そこにいたノイドという種族のお婆さんから聞いたのですが?」
「ノイド?聞いた事のない種族ですね」
という事はその場所によって呼び名が多少変わっているという事か。今川焼きという地域もあれば大判焼きという地域もあるみたいに。でも……




