第一章 ③
似たような[病]と言って良いべきかわからないけど、あの後僕達は互いに連絡先を交換しあった。人助けをした後に出る症状は異なっているが[病]という共通項で互いが互いに好感を得ていたのだ。
女性の名前は大幼重美といい、年齢は25歳だった。名は対をなすと言う言葉があるが、まさに重美さんは、踏み出した足が膝まで地面に埋まってしまう程、とてつもなく重くなるのだから、これ又、不思議な[病]だった。
あの後、僕達は互いに仕事へ行く事が嫌になり、(それ以上に興味がそそられる対象が現れた為)仮病を理由に会社を休む事にした。
僕達は薄汚れた町の小さな個人経営と思われる喫茶店へと入り、交互に会社へ連絡を入れた。
重美さんはひたすら頭を下げながら、謝罪を繰り返し、何とか休む事が出来たようだった。
「随分としつこく聞かれてたみたいですね」
「青田って言う中年のおばさんが一応、私の上司になるんですけど、この人が本当、根っからの性悪で、サービス残業をしなかったり、今みたいに病欠で休むってなったら、理由なんて全く聞いてくれないんです。今までミスした事を一々、持ち出して来ては、あの時は大幼さんのせいで、何て言ってくるんです。本当、大っ嫌いです」
「重美さん、電話の最中、34回も頭を下げながら話してましたよ」
「え?ヤダ。数えていらっしゃったんですか?最悪」
といい壁側にあるソファの方へ腰を下ろした。
僕はごめんなさいと謝るが顔は笑っていた為、重美さんは少し膨れっ面をしてみせた。
「きっと無意識に出ちゃうんでしょうね」
僕はいい続けて、「次は自分が会社に電話します」と威勢よく言い切った。
上司が出た瞬間、こちらが話し出す前に「ダメ」と言われ電話を切られてしまった。
呆然とスマホを眺める僕に重美さんはどうしました?と尋ねて来た。
「こっちがまだ一言も言ってないのに、ダメって言って切られてしまいました」
「上司の方ですか?」
「あ、はい。上司です」
「男性?」
「いえ。女性です。歳は重美さんと同じ25歳ですが、帰国子女のせいか、思った事は何でも口に出さないと気が済まないタイプでして……お陰でしょっちゅう部長や課長と揉めては、社内で大声を出しては、やってらんないわ!って怒って鍛治鞍、付き合え!って無理矢理に連れ出されて昼間っから立ち飲み屋で日本酒をあおっては絡んで来るし、おまけに酒癖も悪いときたら、そりゃ最悪でしょう?全く、タチが悪いってレベルじゃないですよ」
「で、その女性上司がダメだって言ったんですね?」
「ええ」
「可哀想に。鍛治鞍さんの命は明日までしかなさげですね」
大幼重美さんは目を閉じてテーブルの上で両手を合わせた。
「勝手に殺さないでください」
僕は仕方なく席につき上司へメールを入れた。電話で話が出来ないのなら、この手段しか無いじゃないか。上司に対して失礼と思いながらも、短文のメールを送った。
「口頭でなくて良いのですか?」
「構いませんよ。どうせ無視か速切りされるのがオチですからね」
だが以外にも直ぐに返事が帰って来た。
「意外と部下想いの上司かも知れませんね」
重美さんが言う。
「無い無い無い無い無いです」
「どうだか」
重美さんの言葉を聞き流し恐る恐るメールを開いた。
[病気ってのは嘘だよね?休んでいいから本当の事を言いなさい]
僕はそのメールを重美さんに見せた。
「どうするんです?」
「明日、出勤したらネチネチ言われそうですし、最悪、朝から機嫌が悪かったりしたら、目も当てられません。なので一応、正直に話そうかと……」
「そうですか。それが良いかも知れませんね」
実際、嘔吐したのだから病気と言って間違いないのだけど、でもこれは一般的に知られているような病気の類でない。きっとどんな病のカテゴリーにも分類する事は出来ない筈だ。人助けをしたら嘔吐する、なんて話を聞いただけでも他人は[は?]ってなる。
高校2年の夏にようやく嘔吐の原因を突き止めて何度か実験をして間違いないと理解した時、母親に嘔吐する原因を話した事があったけど、幼少期から僕の嘔吐を見続けていた母親でさえ、[はい?]となった程だ。普通の人なら尚更、信じられる筈がなかった。だから僕は上司に正直に、いや、正確には少しの嘘を交えた返信をする事にした。
「すみません。病気というのは嘘です。ただ家から出たら急に行きたくなくなってしまい、病気という理由をつけ、休もうとしました」
送信すると、数秒もせず返信が返って来た。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
僕はその返信を無言で削除した。
上司は休んで良いといったのだから、今日は休むぞ。なんて言い聞かせるが、明日が来る事が少しばかり怖くなった。
そんな上司は小池真波と言って、ハラスメントに対しては厳しいと聞く海外育ちの帰国子女だ。な癖に、平気でパワハラ、モラハラをして来る。部下全員にもそのような態度を取るのかと思っていたが、実はそんな事なくて、対象は僕だけのようだった。まぁ何をやるにしろ、僕はとにかく鈍臭く、おまけにマイペースな所があるから、友達やクラスメイトから苛つかれる事は多々あった。それを重美さんに話すと
「だとしても、社会人ですからね。上司は部下の能力を最大限に引き出させてあげるのも、仕事の1つですから」
「お〜なるほど。重美さん、中々良い事を言ってくれました。明日、上司に言ってやりますよ」
「小池という上司の方がどのようなリアクションを取るか見ものですね」
「大体想像出来ますけど……」
恐らく小池さんは、お前に能力なんてねぇわ!と言うだろう。そしてそんな生意気な事言う暇があるなら、付き合えと。朝から機嫌が悪かったら、きっとこの流れになると大魚は思った。
「でも……本当の所、小池さんという上司の方は、鍛治鞍さんの事が好きなのかもしれませんよ?」
その言葉で飲んでいる最中のアイスコーヒーを吹き出しそうになった。我慢したせいで咽せてしまい、それを見た重美さんがナプキンを数枚取って寄越した。頭を下げて受け取り口に当てた。
そんな僕を重美さんはアイスミルクティーを飲みながら、ニヤけた笑顔を作って見せた。
「良い大人が好きな子に対しては意地悪してしまうって、あり得ないでしょう?小学生じゃないんですから」
落ち着いた僕はそのように返す。
「決めつけは良くありませんよ。鍛治鞍さんはその上司の事を詳しく知っている訳じゃ無いでしょ?」
「ま、そうですけど……」
「案外、子供っぽい女性なのかも……良かったですね」
「何が良いんですか!」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて周囲を見渡した。誰もこっちを見ていなかったが、つい頭を下げてしまった。
「ま、どちらにせよ。明日が楽しみですね」
「上司のリアクションを見るのが、という限定ですけど」
「そういう楽しみが1つでもあるのは素晴らしい事ですよ」
「重美さんには無いんですか?」
「ええ。まぁ。私は明日をそれほど楽しみにはしていないですよ」
「そんな寂しい事言わず……」
僕が言うと重美さんは無言で微笑んだ。
けど、その楽しみが1つある僕と楽しみが1つも無いと言う重美さん。彼女は会話の中で、僕に明日を迎える楽しみを何処からか引き出して来て、それがあるという事を僕に教えて来れた。なのに僕と来たら、重美さんに何の楽しみも見つけ出せてあげられていなかった。
その事に気づいた時は、僕達2人は古びた喫茶店で会計を済ませる所だった。
「お姉さんの私が払う」
「いえ。僕が払います。誘ったのは僕の方なんですから」
レジの前でそんなやり取りをしていると、
「なら、割り勘にしろ」
という声が聞こえ僕が横へと振り向くとそこには誰の姿も見当たらなかった。
「今、変な声、聞こえませんでした?」
「変な声とはなんだ。ワシはれっきとした人間だぞ」
声と同時に足の脛を蹴られた。
「痛っ」
思わず身体を屈め、脛を摩ろうとしたその時、僕の目の前に小さなおじさんが立っていた。レンズが厚い黒縁眼鏡をかけている。天パーなのか、カールされた白髪混じりの髪を掻きながら、失礼な若造だと僕を見上げながら憤っていた。
そんな小さなおじさんは白のタンクトップ一枚に民族衣装のような派手で薄手のズボンを履いているが、当然、長すぎるせいで何度も何度もロールアップさせていた。
足下は黒の足袋に下駄という格好だった。下駄を履いて僕の腰あたりの身長という事は脱いだらもっと小さいって事だ。
こういう人の事を確か小人症とか言わなかったか。そんなおじさんは僕達の支払いに関する会話に割り込んで、割り勘にしろと言って来たわけだ。
「僕達の事に構わないで下さい」
「ワシだって構いたくはないわ。だがな。支払いする為に後ろが詰まっとるんじゃ。それに気づいたからワシは言いたくもないのにもたつくお前達に口を挟まずにはおられんようになったんじゃ。だから、早よ支払いを済ませんか」
僕と重美さんは互いを見合って首を傾げた。
何故なら支払いを待っている人など何処にもいなかったからだ。
その事を言おうとしたら、重美さんに止められた。
「ご馳走するか、割り勘にするかは、ここを出た後で決めましょう。とりあえず私が建て替えておきますから」
僕は反論しなかった。重美さんは一刻も早く、この店から出たがっていたのがわかったからだ。
そりゃそうだ。小さなおじさんが横やりを入れるだけでも、ウザいのに、事もあろうにそのおじさんは、僕達には決して見えない人達が見えているようだからだ。要するにこの小さなおじさんは霊感強強な人かもしくは世間でいう所のヤバい人なのだ。
「一緒でお願いします」
レジに立つちょび髭を生やした頬のこけた初老の男性に向かって重美さんが言った。恐らくこの店のオーナーなのだろう。エプロン姿の胸に日向とネームプレートを付けている。その名前を見て喫茶店の名前が向日葵とついていたのも、何となくわかった気がした。
「割り勘にしなさい」
重美さんの言葉に日向というオーナーが反論した。通常、割り勘にされる方が店側からしたら、二度手間三度手間な為、面倒だし一括の方が楽な筈だ。
この人は何を言っているんだ?と僕は思った。が、余りに突然過ぎて、その言葉に直ぐに対応出来なかった。
「次のお客さんを待たせておるが、それは仕方がない。だが支払いに関しては、悪い事は言わん。割り勘にしなさい」
このオーナーも見えない人が見えてしまうヤバい人なのか。僕は重美さんの肩を叩いた。
「ここは言われた通りにした方が良さげです」
「そう、みたいですね」
僕達2人は交互に自分の分を支払い、ドアを開け店を出ようとした。
「くれぐれも気をつけなさい。それと、どんな事が起きたとしても、割り勘だけは忘れてはいけないよ」
ちょび髭の初老のオーナーが言い、僕達が店を出ると自らドアを閉めた。
僕達は駅の方へ向かって歩き出した。お互い、家がそちら方向にあるからだった。
「変な店に入っちゃいましたね」
「ね。霊感がある人達なのかしら」
「いや、ただここがおかしな人達だと思いますよ」
僕は人差し指を立てて自分の頭を突こうとした瞬間、
超大型ダンプカーがガードレールを突き破り、僕達2人の方へ向かって来ていた。
僕は重美さんを抱き寄せ、ダンプカーを避けようとして必死に走った。だが勢いのついたダンプカーの影が僕らに覆い被さった。ダメだと思った僕は抱き抱えていた重美さんを前方へと突き飛ばそうとして……瞬間、僕達はほぼ同時に意識を失った……




