第三章 ②⑥
再び、新たな延長コードが繋がれた電気ドラムを見つけた時、微かに水の流れている音が聞こえた気がした。
僕は更に奥へと向かう為、改めて足下に気をつけた。油断したり走ったりなどしたら、簡単に足を滑らせ転んでしまう。打ちどころが悪ければ死んでもおかしくない。
全てに手が加えられていない鍾乳洞というもは、より美しくはあるけれど、同時に怖い所だとも思った。やっぱり自然というものは人間や動物には絶対に迎合する事はないようだ。
絶対的支配者として僕達の前に存在し聳えている。それを美しく感じたり、癒されたりするのは人間側の勝手な思い上がりだ。
それは悪い事ではないが自然側はそんな人間の気持ちなど興味も持たないし、だからこそ容赦がない。
そんな一部分の鍾乳洞には人工的な電球やコードが設置されている。この電源が何処から来ているのか気になるが、今はとりあえず重美さんを見つける事と聞き間違いでなければ、さほど遠くない場所に水場があるだろうからにそこで樽へ水を補給し改めて元の世界に戻る為に旅を続けなければと思う。
こちらの世界に慣れてしまうと気持ちにゆとりが出て油断したらここで暮らす事も悪くないと思いかねない事も僕は自覚していた。
先を急ごうとする気持ちは自分で気づかない内に焦りを生じさせているのかも知れない。
先細りしていく鍾乳洞の道は次第にその天井までも低くなりつつあった。
気づけば、あの平屋の地下に降りた時には高かった天井も頭を少し下げなければ通れない程、この道の天井は低くなって来ている。
バックパックを前後に背負っている身としては、這って進むような事にならなければいいなと、徐々に低くなっていく天井を見ながらそのような事を頭の隅で考えていた。
頭を下げ相変わらず手は岩肌に触れながら、凸凹した岩肌の道を進む。
隅に置かれてある電球の灯りは頼りないが、それが無ければ間違いなく重美さんを追うことも探す事も出来なかっただろう。再び僕は少しばかり腰を屈めて歩かなければならなかった。
決して早いとは言えない僕の行脚を、より遅らそうとしているかのように突然、冷たく強い風が吹き荒んだ。その強風に混じり雫が僕の顔を打つ。
その雫の冷たさは大歓迎だった。それでも風に煽られて転ばないよう気をつけるが、気づかぬ内に無駄な力が全身に入っているせいで、動きがぎこちないのが自分でも良くわかった。
だがそれ以上に風が吹くという事は鍾乳洞内へと風が入ってくる場所があるという事だ。つまりそこは出口となる訳だ。
それは僕の心を軽くすると同時により早く歩かないとと思うと同時に重美さんがそこから出てしまっていないかと心配にもなった。
早くそこへと向かわないと……
思った矢先の事だった。先細りしていく鍾乳洞の道の奥から人の声が聞こえて来たのだ。僕は足を止め耳を澄ました。
「よろしいですぅ。うんおぅ。よろしいですぅよ。うんおぅ。もうよろし過ぎだこと」
声は確かにそのように聞こえた。何がよろしいのかは全く想像出来ないが、早歩きになった僕の頭には重美さんが捕らわれ暴行を受けているのではないかという嫌なイメージが付き纏い離れなかった。
そのイメージを払拭しようと僕は更に歩く速度を上げた。より声が大きくなるにつれ、風も強くなって行く。そこへ来て僅か数メートル先から強く光る光源を見かけた。僕は急いだ。強風に負けないようより身を屈め進んだ。
光源のある場所に出た瞬間、僕は余りの眩しさに手で顔を覆った。目を細め、足下を見る。穴や段差は見当たらない。
僕は光源の光から逃れるように場所を横へと移動した。その間もよろしいですぅ、うんおぅという声は耳に届けられた。
光に目が慣れて来るとようやく僕は顔を上げた。
目に飛び込んで来た光景を見て、僕は顎が外れる程、愕然としてしまった。
そこには大きな送風機が複数台と幾つもの眩いばかりの照明が僕が来た先細りした道の方へと向けて置かれてある。
道と送風機の間には肘掛け付きの籐椅子が置かれてあり、その肘掛けに片足を乗せ、様々なポーズを取る重美さんの姿があった。
その重美さんと対峙するように白髪にサングラスをかけて黒いコートを着込んだ、老人男性がインスタントカメラを持ちながらしきりに重美さんを撮影していた。
2人は撮影に夢中になり過ぎてかまだ僕の存在に気づいていなかった。老人男性の姿は丸っ切り晩年の内田裕也だったが、唯一違うのは長い胸付近まである顎髭と何故か下半身だけ赤いブリーフ1枚だという事だった。
その赤ブリーフはレスラーパンツやボクサーパンツのようにビシッとした感じはなく、長年、この赤ブリーフしか履いてなかったと思える程、ゴムが緩んでいて左側から金玉の玉袋が顔を覗かせていた。
それを目にしてしまった僕は、重美さんはしっかりツッコんだのかな?なんて思ってしまった。
「あのう……」
「うんおぅ うんおぅ。重美っち、よろしいすぎですぅ」
偽内田裕也ジジイは僕の言葉が聞こえない程、重美さんの写真撮影に取り憑かれているようだった。
だがその姿を見ている時、僕はある事が気になった。偽内田裕也ジジイは撮影しているのはいいがさっきからフィルムを巻いていなかったのだ。
それなのにシャッターも押していると勘違いしているみたいだった。照明の光も強いせいか重美さんもフラッシュが焚かれていない事に気付けていないのかも知れない。
いや、そもそもここまでの明かりがあればフラッシュは必要ないのか。でもいつからフィルムを巻くことを忘れているのか知らないが、撮れていないと重美さんが知ったら、偽内田裕也ジジイもただでは済まされないのではないか?僕は知らねーぞと内心楽しみにしながら、2人の撮影風景を地面に座って眺めていた。
「あれ?大魚じゃん。こんな所で何してんの?」
送風機の風に乱された髪の毛を押さえながら言った。
「それはこっちのセリフですよ。重美さんこそどうして黙っていなくなるんですか」
「私が何処に行ったか直ぐわかるように畳ズラしてたじゃん」
「そうですけど、それなら一言声をかけてくれれば良かったんじゃないですか?」
言い方に棘があったのか重美さんは、何を怒ってんの?と言い返して来た。
「怒ってはないです。ちょっと焦っただけです」
「私の事が心配で追いかけて来たのね。大魚ちんかわゆい」
そんな言葉で浮かれる僕ではない。ここはビシッと言っておかなければ。と思った矢先、
偽内田裕也ジジイがいきなり怒鳴った。
「うんおぅ!君は重美っちの何や」
うんおぅという言葉の意味が全くわからない為、怒鳴られても何とも感じなかった。雰囲気的に、「おい!」という意味なのではと思った。
僕の存在に気づく前までは偽内田裕也ジジイは「うんおぅを2回連発してもいた。
それを考えるとうんおぅとは恐らく僕らでいう「おいおいマジか!」という感じの使い方のようだ。
「ガンダルフそう怒らない怒らない。大魚はだだの私のセフレだよ」
必死に笑いを堪えながらとんでもない爆弾を投下しやがった。それもさる事ながら、偽内田裕也ジジイをガンダルフと呼んだ事が気になって仕方なかった。
ガンダルフとは指輪物語という本に出て来る良い人間の白の魔法使いだ。確かにこの老人が杖を持てば魔法使いに見えなくもない。
いや、赤いブリーフを隠せばと言う条件付きなら魔法使いと呼ばれても不思議ではなかった。
だが今、目の前にいるのは弛んだ赤ブリーフから金玉を露出したただの偽内田裕也ジジイだ。まかりなりにもこのような魔法使いガンダルフだなんて口が裂けたって言いたくなかった。
「うんおぅうんおぅ。重美っちセフレとはなんぞや」
「ガンダルフ、セフレ知らないの?」
頷く偽内田裕也ジジイに重美さんは事細かく説明すると偽内田裕也ジジイは顔をブリーフと同じように顔を真っ赤にし、僕を睨みつけた。そしてインスタントカメラを向けて
「ワシの怒りの念を念写してお前に悪魔の魔法をかけてやる!と言いたいが、うんおぅ!ワシはガンダルフという魔法使いやらではのうて、ただの鍾乳洞を不法占拠した老紳士にすぎん。だからといってお前を許しはせんわ!」
そのように捲し立て、いきなり露出した金玉へ手を伸ばした。5本の指で弾きながら、
「ファイブ・フィンガー・デス金玉送り!」
と叫んだ。
「高速に拘束し金玉臭を嗅いで死にたもうせ!」
そういい自分の金玉を弾いた指を自身の顔へ近づけ、僕の方に向けてその指へ息を吹きかけた。
送風機の風に乗り、金玉臭が僕へと届く。微かに臭かった。けど、ここはやはりやられた振りをするべきなのか?こんなイカれ偽内田裕也ジジイ相手にそんな馬鹿な事をしなくてはならないのか?
そう思った矢先、重美さんが
「く、苦しい〜」
「な、なんて.うんおぅ、なんて事だ!風向きが変わったか!」
当たり前だ。大きな送風機で風を送っているのだ。その先には重美さんがいるんだよ。その重美さんは苦しそうにもがいていた。
偽内田裕也ジジイは直ぐさま、重美さんに駆け寄り身体を揺すり始めた。重美さんは目を閉じて揺らされるままでいる。
「死ぬんじゃない!重美っち。今このワシが助けてやるぞ」
偽内田裕也ジジイはいい、弛んだ赤パンツからしまわれていたもう片方の金玉を取り出すと互いにぶつけ合うように左右に捻るように腰を動かした。
「うんおぅ。うんおぅ。重美っちに取り憑いた魔物よ!立ち去れ!」
偽内田裕也ジジイはいい重美さんの手を取った。そのまま自分の股間へと近づけていく。
鼻息が荒くなった偽内田裕也ジジイは突然、赤パンツを脱ぎ始めた。その瞬間、重美さんのヒールの踵が偽内田裕也ジジイの股間へ突き刺さる。
偽内田裕也ジジイは悲鳴をあげ地面の上を転がり回った。
「ったく。大魚が来るまで暇つぶしに付き合ってやったらこれだよ。本当男ってどうしようもねぇな」
重美さんはいい、地面に置いてあるインスタントカメラを拾い上げた。
「ん?」
「あ、それ全くフィルム巻かれてないですよ」
「え?どういう事?」
僕が説明すると重美さんはがっくりと肩を落とした。
「ったく良い記念だと思ったのにさぁ」
「ま、使い方知らなかったんでしょうね」
「ジジイの癖に?」
「ま、僕らの住んでいた世界のジジイじゃないので仕方ないんじゃないですか」
「けど、ならどうして私達の世界のインスタントカメラがここにあるわけ?」
面倒だったけれど、僕は重美さんに説明した。
鳩三郎さんの前にあの地中の家の管理人をやっていた事と、煙草をくれたと言った鳩三郎さんの話を重美さんに伝えた。
「少なからず僕達以外に2人の人間がこちらの世界にいるって事です。今ではもういたって事になっているかも知れませんけど」
「それはわかるわよ」
「つまりその2人のうちのどちらかがインスタントカメラを持っていたのかも知れませんね」
「あぁ。そういう事」
「はい。それにこの偽内田裕也ジジイだって見た目は人間そのものですからね。ひょっとしたら2人のうちの1人かも知れないですよ」
重美さんが偽内田裕也ジジイの横面をヒールで踏み付けながら尋ねたが、偽内田裕也ジジイはそんな奴は知らんと言い張った。
「けどジジイ。お前、私と初めて会った時、ホームレスって言ってたじゃねぇか。それじゃ見たまんまだから私が気を使ってガンダルフって呼んでやったんだろ?ちなみさ。ホームレスって言葉はうちらの世界の言葉なんだけど?」
「重美さん、それもですけど、どうして僕達はこの世界の住人と会話出来ているんですか?それって普通に考えて可笑しいですよね?」
「うん、まぁそうだけど……」
「つまり僕らの世界にあるべき物がこちらの世界にあり、知らない筈だろう言葉まで知っているとなると、誰かに教わったとしか思えないです。もしくは今まで会った人達はみんな地底人とか?」
「大魚はここが東京の地底都市だって言いたいんだ?」
「可能性としてはありなのかなって思います。それなら言葉とか物がここに存在してても不思議でもないかなって」
「夜な夜な地底から這い出して来て人間世界に紛れ込んで生活してるって事?」
「はい」
「それがその2人でもあって、こいつだって言いたい訳だ?」
「他にもいるかも知れないけれど、でもきっと僕達と同じ世界で生きていた人がこちらの世界に迷い込んだってのは間違いないでしょうね。実際、僕達も迷い込んでしまっているし、そうなると逆もあるんじゃないですか?」
「まぁ。確かにそうかもだけど……ジジイ」
再びヒールで顔を踏み付ける重美さんが言った。
「私達以外、今まで会った人間は何人くらいいんだよ?」
偽内田裕也ジジイは重美さんに踏み付けにされながら言った。
「人間ってなんじゃ!」
偽内田裕也ジジイは未だ重美さんに蹴られた金玉を握りしめながら言った。
相当痛かっただろうなと思うと同時に、再び、金玉を触った手で訳の分からない事をやりかねないと思った。
「重美さん、気をつけてくださいね。偽内田裕也ジジイの奴、さっきから金玉を握ってますから」
「え?まさかまた、金玉の臭いを嗅がせようと企んでいるんだ?あ!本当こいつまだ指で金玉弾いてる!」
重美さんは顔を踏み付けていた足を退かし、金玉を握っている手を蹴り上げた。
「させねーよ!あんな危険な魔法、2度と喰らってたまるかっての」
はい?重美さん頭大丈夫?さっきのが魔法だって?やめて下さいよ。マジで。
「人間を知らないって本当?」
再び顔を踏み付けながら重美さんが尋ねた。
この人、明らかに危険のない偽内田裕也ジジイの顔をヒールで踏み付けたいだけじゃねーか。
「知らんのじゃ。嘘じゃないわ。だからその足を……」
「退かして欲しいんだ?」
「いえ、もうちょい強く踏んでくださいまし」
「ジジイ!ただのプレイかよ!」
「そうじゃ!悪いか!こんな喜び、死ぬまでに2度と味わえるかわからんのじゃぞ?」
「まぁそうかもね」
重美さんは
「これは老人介護の一種だね」
と介護士全てを敵に回すような言葉を吐いて、更に強く踏み付けた。
「人間って言うのは私や大魚みたいな見た目な人の事よ。あ、ジジイも見た目は人間そのまんまなんだけど?あんたいつからここで暮らしているわけ?」
「産まれてからずっとじゃ」
「でも、さっきここを不法占拠したっていいましたよね?」
「そう教わったからじゃ」
「誰から?」
「干し柿大佐からじゃ」
「え?」
「え?じゃないわ!干し柿大佐は立派な方じゃ。ワシの父上であり母上であり乳母であり姉であり恋人であり、愛人でもあるお方じゃ」
「……重美さん」
「何?」
「このジジイ、産まれた時からその干し柿大佐って奴に、その、性奴隷にされていたんじゃないですか?」
「うん。だろうね。でなきゃ1人であんな多くの役割をこなせる筈ないし」
「幼少期からイメクラの客のような扱いを受けて来たんでしょうか」
「羨ましいよね」
「そこは幼児虐待だ!って叫ぶ所ですからね」
「大魚さ。私なんとも思わないからさ。本音を言っていいよ」
「い。言えません」
「それってもう羨ましいって言ってるようなもんじゃん。このど変態めが!つか、大魚も実は私に顔を踏み付けられたいんじゃないの?」
「いや、さすがにそれは思わないですよ」
チンコならやられてみたいかもだなんて死んでも言えなかった。
「ま、とにかくその干し柿大佐ってのは何処にいんのさ」
偽内田裕也ジジイは鍾乳洞の更に奥を指差した。
「つか、生きてんだ?」
驚いた僕はそう尋ねた。この偽内田裕也ジジイはまんま老人だ。
そんなジジイを産まれた時から育てて来た干し柿大佐ってなると、かなり高齢な筈だ。
偽内田裕也ジジイを幼少期から性的に搾取し続けていたとなれば、その知識があったという事になる。
最低でも10、いや15歳以上は上じゃないだろうか。そんな年寄りがこのような場所で生きている事が僕には信じ難かった。
「あ、そ」
重美さんはいいジジイの顔から足を退かせた。
「大魚行くよ」
「何処にですか?」
「干し柿大佐ってふざけた名前の奴に会いに行くに決まってんじゃん」
「会ってどうするんですか?僕達は給油所を探さないと行けないんですよ?」
「は?馬鹿なの?給油所はあったじゃん」
「あ」
そうだ。確かにあの平屋が給油所の筈だった。だがその施設もなければ人もいなかった。だから家の中に入ったのだ。
「つまり、この先に給油所があるって事ですかね?」
「そんなの私にわかる訳ないじゃん。だから行ってみるのよ。給油所があったとしてもさ。私達には車もバイクも無いでしょ?ひょっとしたら、そこでレンタルさせて貰えるのかも知れないし」
「だとしても重美さん」
「何」
「ここ、鍾乳洞の中ですが?」
「それがどうしたのよ?鍾乳洞の中で車やバイクを乗ったらいけないって法律でもあるわけ?」
「なくても、ダメですしそれに危ないです」
「ダメってのは私達が知ってる世界の話でしょ?ここじゃ関係ないかもじゃん」
「まぁ、確かにそうですけど」
「大魚さぁ。あんたいい加減自分のいた世界の価値観捨てたら?こんなわけのわからない世界に私達はいる訳だからさ。一々、ダメだとか面倒くさいのよ」
「……すいません」
確かに重美さんの言う通りだ。僕達は東京にいる訳じゃない。
「わかれば良いんだけどさ」
重美さんはいい偽内田裕也ジジイが指差した方へと1人勝手に歩き出した。
僕は偽内田裕也ジジイと重美さんを交互に見やった。
「いい加減チンコ触るのやめなよ」
「お主は止められるかの?」
その言葉に返事はせず、僕は重美さんの後を追った。




