第三章 ②④
平屋の目の前まで来ると、それがいかにボロくて今にも崩れそうな家だという事がわかった。
トタン屋根もあちこちが剥がれているし、壁は土壁で一緒に混ぜてこねたのか、藁があちこち飛び出している。ひび割れた土壁は軽く小突くだけで大きな穴が開きそうだ。
「どこで給油すんのよ」
重美さんが言うが、僕達は2人とも歩きなので給油が目的ではない。
それでも重美さんの口からそのような言葉が出たという事は、恐らく長ったらしい看板の文字を読んだせいだと思われた。
僕は重美さんから数歩前へ出て出入り口である引き戸の戸板を数回ノックした。
「ごめんください」
そう言って数秒待つが反応はなかった。
再度ノックをしかけた時に、横から重美さんが手を伸ばし、勝手に引き戸を開けてしまった。
中は薄暗いがトタン屋根が剥がれているのか、機関銃を撃ち込まれたかのように、光が差し込んで来ている。その明かりのお陰で室内がハッキリ見渡す事が出来た。
僕達2人は上り框まで進み、再度声をかけた。
やはり反応はなかった。
家の奥には敷きっぱなしの煎餅布団があり、側にはブルーシートがかけられた、恐らく灯油ストーブと思われる物が置かれてある。窓はなくキッチンと呼ばれるような物も見当たらなかった。
「こういう古臭いタイプの家ってさ。キッチンとか裏庭にあったりするのよね」
「そうなんですか?」
「うん。お母さん側の親戚にさ。ちょっと変わったおじさんがいて、まぁお母さんの兄の1人なんだけど、その人の家がこんな感じだったのよ」
「そのおじさん、どういう過程でこんな家に住もう思ったんでしょうね。地方は知らないですけど、それでも今時見ないでしょ?」
「そうでもないよ。今でも山間の集落なんてのも残ってるしね。そういう所で生活してる人達って大体が自ら外部との接触を避けてるような所があるみたいだし。自給自足じゃないけど、食べ物や衣服なんかも全て集落の中で賄っててさ。行ってみたらわかるけど、一歩足を踏み入れただけで、あ、違う世界に来たかもって感じるし、集落を目の前にした途端、まるでタイムスリップしたみたいな感覚に陥るの。おまけにそういう所の人達って外の人間を毛嫌いしてるような所があるからさ。何かを尋ねても絶対に口を聞いてくれないのよ」
「まさか、そんな場所におじさんが住んでいたんですか?」
「そういう事」
「でも、幾らおじさんだからって良くそんな所まで会いに行きましたね?」
「お爺ちゃんが死んだ話をしたじゃない?」
「あ、あぁ。怪我は唾をつけとけば治るって言うお爺ちゃんですね?」
「うん。そのお爺ちゃんの葬儀にもおじさんが顔を出さなかったから、親戚、ううん。私のお母さんが凄く怒ってさ。何でかというとお爺ちゃんが1番可愛がっていたのがそのおじさんだった訳。差別だって言われてもおかしくないくらい、お母さんやその他の兄妹に対する接し方と違ってたんだって。小さい頃からお爺ちゃんに甘やかされて育ってさ。散々贔屓されて来たのに死んだって手紙を送っても連絡は無いし。ひょっとしたら死んでるのかも知れないからって事で私とお母さんの2人でその集落までおじさんに会いに行ったってわけ」
「そこで見たおじさんの家が、こんな感じだったって事ですか」
「大魚の癖に察しが良いじゃない」
重美さんはいい少し頬を緩めた。
「で、おじさんには会えたんですか?」
「会えたには会えたんだけどね」
重美さんのトーンが一段下がった気がした。
話したく無い事なのかも知れないと思った僕は嫌なら無理に話さなくても良いですよと返した。
「嫌な訳じゃないけど、良い気分ではないかな。何故かって言うとさ」
「はい」
「おじさん、その集落で罪人として奉られていたのよ」
「え?罪人?神とか仏だって崇め奉られる事はあるってのは耳にした事はありますが、罪人とし崇め奉られるっておかしくないですか?」
「そう思うよね」
「はい」
「後になってわかった事だけど、実はお爺ちゃんはその集落の出身でさ。何でもそこの集落には儀式があって70年に1度、村の中から子供を1人選んで集落の外へ送り出すらしいのよ。確か10歳になった時に選ばれるっていう話だったかなぁ。それでお爺ちゃんが選ばれて、集落の外へ、つまり下界へと送り出されたわけ」
「何の為にですか?」
「集落の外へ、つまり下界には夥しい程の罪が蔓延っている、それを送り出された子供が30年かけて身に纏い集落へ戻って来る。そして罪人として捕らえられて、村全体で崇め奉る事で罪や穢れを払い落とす。それによって罪人が浄化される事で、集落の中に罪が生まれない、罪を犯す者が現れないと信じられているの。その期間が70年ってわけ。だから70年に1度、1人の子供が選ばれて30年後に再び集落へ戻る決まりになってるのよ」
「怖っ」
「だよね。だけどお爺ちゃんは決まりを破り帰って来なかった。32歳の時、お婆ちゃんと出会い、恋に落ちて身を隠すように逃げ回っていたの。で40歳、つまり集落から送り出されて丁度30年が経った時、おじさんが産まれた。その間、既に私のお母さんと妹、そして長男がいたのだけど、3人が3人とも期限の30年前に産まれていたから、お爺ちゃんとしては3人を守ろうと必死だったみたい。でも30年丁度の時におじさんが産まれたからお爺ちゃんはおじさんを自分の代わりにと思ったみたいで30歳になるまで散々甘やかして育て、そしてその歳に集落へ連れて行ったの。勿論、お爺ちゃんは身を隠している為、集落に入る事はしなかったようだけど、おじさんは違っていた。散々甘やかされて育って来ていたから、お爺ちゃんの甘い言葉にまんまと騙されたんじゃ無いかな。普通、ある程度、栄えた街で30年も好き放題に生きて来た人間がそんな集落へほいほいと出かける訳ないじゃない?」
「かも知れないですけど、でもおじさんは人の多い生活に疲れてたって事はないですか?」
「そこら辺はわからないけどね。でもやっぱりお爺ちゃんにそそのかされたんだと思う」
そのような人が外の世界の人達との交流を遮断しているとなれば、行く理由とすれば、金銭しか考えられなかった。
30歳まで好き放題生きて来たなら散財も酷かっただろうと予測がつく。だけどそれがお爺ちゃんの罠だったと気づいたのは罪人として捕らえられた時だろう。
「でも重美さんのお母さん、よくそんな場所へおじさんに会いに行きましたね。幾ら葬儀に顔を出さなかったからと言ったって、普通は行かないですよ」
「そうね。普通、知っていたなら行かないわよ。けど、お爺ちゃんはその事を誰にも話していなかった。でもさ遺言におじさんが住んでいる住所とお母さんに宛てた、おじさんの様子を見て来て欲しいってなんて事を書かれていたら、行かないわけにはいかないでしょう?お母さんはおじさんが産まれるまでは1番可愛がられていたようだしさ。けど、おじさんの家から帰って来た時はお母さんもさすがに参っていたわ。おじさんがいなかったら、自分があんな目に遭っていたかも知れないと思うとゾッとするって言ってたもん」
そこまで話を聞いて、僕はある疑問が頭の中を過った。
「お爺ちゃんは10歳の時に、集落から出されたわけですよね?」
「うん」
「当然、まだ10歳のお爺ちゃんはいきなり見知らぬ土地に放り出されるわけだから、幾ら時代が違うからって1人で生きろってのは無理があります。だから当然、身元引受人がいたんですよね?」
「そうみたいだね。でもその人とはどうやっても会う事が出来なかった。住所も名前も全くわからないから調べようがなかったのよ。お爺ちゃんもその人の事を詳しく書き残していたりしなかったから、お母さんもお手上げだったみたい」
「そうなんですね」
「うん」
「で、重美さん、おじさんに会った時、何を話したんですか?」
「何も」
「はい?」
「話さなかったというより、おじさんは話せなかったのよ」
「どうしてです?」
「おじさんは集落の人間によって舌を切られていたからよ」
聞いた瞬間、背筋がひんやりとした。鳥肌が立ち、ゾッとしている自分がそこにいた。
「それだけじゃないわ」
「それ以上は聞きたくないです」
「なら作り話だと思ってよ」
今更そんな事言われて、はいわかりました。想像の話ですね、なんて思える訳がない。でも重美さんの事だ。話す事は止めないだろう。仕方なく僕は承諾した。
「おじさんはこの平屋のような家の下に監禁されていた。昔でいう座敷牢ってやつに似てて、それが家の下に穴を掘られて作られていたの」
「座敷牢って今でいう精神病患者などが身内から出ると、それは恥だと思ってバレないように監禁したんでしたっけ?」
「そうだね。統合失調症やてんかんなどを患っていた人が入れられたって話だよね」
「でも、よく地下牢があるって気付けましたね」
「どうして私とお母さんがそれに気がついたかというと、おじさんは誰かが家に来ると恐怖で喚き散らしていたみたいなの。会話や足音を耳にする度、おじさんは気が狂ったかのように喚いていたらようよ」
「だから気付けたって事ですね」
「うん。本当偶然だったけどね。で、まだ幼い私とお母さんは畳をあげてその地下牢を見つけたの」
「それで?」
「下へ降りて見たけど、おじさんはお母さんの顔すら憶えていなかった。ただ座敷牢の隅で身体を丸めて震えていたわ」
「じゃあ連れ出す事も出来なかったんでしょうね」
「そうだね。お母さんは頑張っていたけど、どうしても鍵を壊す事が出来なかったの。だからお母さんは、必死に話しかけていたけど、お母さんの話をおじさんは全く理解出来てなかった。
「おじさんは舌を切られ話せなかったし、それに仮に鍵を壊せたとしても膝下と肘下から手足が切断されていたし、どうにも出来なかったと思う。首には首輪がされていて鎖で繋がれていたし」
「酷すぎますね」
「うん。けどその集落ではそうする事が罪を清めるって事になっているんだよ。1人を犠牲にすれば70年は村に罪は訪れない。頑なに信じているからこそ、そんな酷いことも簡単に出来ちゃうんだろうけど」
「崇め奉るなんてとんでもない嘘だった。ただの虐待だし、いやそれ以上よ」
「拷問ですね」
「きっと約束を破り集落へ戻って来なかったお爺ちゃんに対する憎しみも村の人にはあったのだと思う」
それは間違いないだろう。
「でもお爺ちゃんはどうして戻ろうとしなかったのでしょうか。恋に落ちたからと言っても曲がりなりにも故郷なわけですよね?」
「お母さんの話だと、お爺ちゃんは集落から送り出され帰って来た人の姿を見たんじゃないかって」
「だから帰って来る事はしなかった?」
「そうだね。大魚だってそんな姿を見た後で帰って来たいと思う?思わないでしょ?」
「そうですね。絶対に嫌です」




