第三章 ②①
舗装された道をしばらく行くと突然、別世界に迷い込んだかのように左右には伸び放題のススキが陽の光に照らされ金色に輝いていた。
つい先程までは緑に息づくどくだみ草が生えていたのがまるで嘘みたいだ。流石の重美さんもこの金色のススキには心を奪われたようで、何処となく穏やか表情を浮かべていた。
普段からこの表情なら、間違いなく男性から一目置かれるようなモテる人なんだろうけど、本性を知ってしまった今ではその表情さえ、僕を揶揄う為の罠かも知れないと、一瞬でも油断した自分を改めて戒めた。
いや、ま、本音を言えば揶揄われるくらいなら全然良いのだけど、ただそれをいつも許してしまうとこの重美さんという女性はとことんやり続けてしまう癖があるから、その辺りの加減がまだ僕にはいまいち理解出来ていなかった。
だからこそ、簡単に心を許してしまうと重美さんの毒牙にやられてしまうのだ。
それがこの世界にあっては気が滅入る事の予防になっている事も確かだけど。バランスの取り方が難しいなぁと僕は考えながらススキに触れていると
「ススキって聞くとさ」
「はい」
「ススキノを思い出して悲しくなるわ」
「え?そうなんですか?」
重美さんが頷く。
「北海道のススキノですよね?」
「他に何処があんのよ」
「あ、そうですね。すいません」
「それでさ。私、ススキノには良い思い出がないのよね」
「北海道にいた事あるんですか?」
「そうね。中学の3年間かな」
「そうなんですね」
つまりその3年の間に重美さんはススキノで嫌な事があったのか。ススキノといえば札幌の中心部に位置する歓楽街で観光名所も数多くあるようだ。
一度も行った事は無いけど、良い所だというのは高校生の頃、札幌から転校して来た女子が言っていた。
名前は何と言ったか。覚えている程仲良くもなかったし、会話なんてした事もなかった。ただその女子がクラスの女子からススキノの事を良い所と話しているのが聞こえただけだ。
自分の目で見て体感すらしていないのに良い所だと言えてしまう自分も怖いけど、好きな人と行けたならきっと良い所になるのだろう。
反対に好きな人と行っても喧嘩をしたり、海鮮を食べてアニサキス病にかかったりしたなら、良い所なんて思えないだろうな。ま、それは何も北海道やススキノに限った事じゃないけれど。
「単身赴任していたお父さんがさ。ススキノの女にどハマりしてさ。気づけばあちこちから借金しまくってててさ。支払い切れなくて夜逃げしちゃったんだ。だからその取立てが家まで来てさ。肩代わりに私が攫われる羽目になってススキノので毎晩客を取らされたの。マジあの頃は毎日死にたかったわ。けど、ある時、私に一緒に死んでくれないか?って泣きながら私の足にしがみつく親父がいてさ。そいつ小さいな会社だけど、一応、社長をやってたんだけど家族に内緒で株に手を出しててさ。最初は会社の金で、補填していたらしいんだけど、いつしか従業員の給料も遅延するわ、払えなくなるわで皆んな辞めて行ったんだって。その時、すでに借金は億を超えてて、どうにも首が回らなくなってさ。奥さんと子供には逃げられて生きていても仕方ないからって私を道連れに死のうと思ったらしいの。当時の私はまだ16歳だったし、借金の肩に攫われた身だから私も別に死んでも良いかなぁて思ってさ。だって私が作った借金でもないのにさ。どうして身体を売ってその借金を払わなくちゃいけないわけ?いくら自分の父親だからと言って家族を捨てて逃げてる男の為に辛い目に遭うのは理不尽過ぎるじゃん?母親は母親で、もうしばらく我慢してって電話口で泣くくせにさ。後でわかったんだけどその当時の母親は私が側にいない事を良い事に私の知若い男に貢いだりしてたんだよ?」
「こう言ったら失礼かもですけど、重美さんの両親って最低ですね」
「え?酷いじゃん。私、両親とはめちゃくちゃ仲良いよ?」
「重美さんを売り飛ばしたような両親を許したんですか?信じられないですよ」
「何何何?大魚何の話してんの?」
「何の話って重美さんの両親の話じゃないですか。父親が作った借金を返済する為にススキノで身体を売ってたって。今、話してくれたばかりじゃないですか」
「何言ってんの?それ小説の話だよ?」
「はぁ?だってススキノに良い思い出がないって……だからその話を……」
「うん。ススキノは良い思い出はないよ。ちょうどその時に読んでた本がそれでさ。ススキノにいる若い子が皆んなその小説に出て来る女の子に見えてさ。心から楽しめなかったのよ」
殺す。この女絶対殺す。普通、さも自分の事のように読んだ小説の話をするか?もっとちゃんとした言い方があるだろう。札幌旅行中に読んでた本でさ、みたいな。
「それなそうと最初から小説の話だけどって言ってくださいよ!」
「え。何?大魚、私の事可哀想と思って一生僕が重美姫を護るって誓った?それともビッチだから直ぐヤラせて貰えるとか考えたの?」
「どちらも思ってません!」
マジでいいように重美さんに振り回されてるなと思った。こういう事があるとこれから先、帰る方法を見つけるまで一緒にいられるか不安になって来る。
でも、お互いこの世界を抜け出すまで1人だと考えると、めちゃくちゃ心細いのは間違いなかった。それがわかった上で離れるなんて、出来るだろうか。
僕は溜め息をついた。それは無理そうだと思って出た諦めの溜め息だった。
その溜め息が聞こえた筈なのに重美さんは何も言ってこなかった。
悪いと思って聞こえないフリを決め込んだのか、本当に聞こえなかったのか分かりかねた。とにかく今は重美さんの言葉に振り回されている場合じゃない。
焦ってはいないけど、やっぱり元の世界が恋しかった。鳩三郎さんの顔に嘔吐してから「来た」は出て来ていない。振り返れば無意識に[良い事]はしていると思われたが、それが出ないという事はやっぱりこの世界に来てから僕の[病]の発症は少なくなって来ているという事だろう。
梯子から落下した重美さんを助けた時に1度、「来た」が訪れたけど、でもそれだけだった。本来なら重美さんをおんぶした時点で起きてもおかしくないのだ。
いつだったか、確か高校生の頃だったと思う。歩道橋を登るのが辛そうなお婆さんを見かけた僕はそちらへかけて行き、背負って歩道橋を登ってあげる事にした。
でも2階段を登った時に「来た」が訪れ4段目に差し掛かった時にはお婆さんを背負ったまま嘔吐した。それを見たお婆さんは慌てて僕の背中で暴れ、飛び降りた。
僕を心配しての事かも知れないと申し訳なく感じながは吐いているとお婆さんはびっくりするような早い動きで僕から離れ上まで駆け上がっていった。
上がった先で吐き続ける僕に向かってお婆さんは「汚らわしいったらないわ!」と吐き捨て姿を消した。
そんな事が過去にあったわけだけど、重美さんを背負っても何も起きなかったって事はやっぱりこの世界には[病]の発症を抑制する何らかの力が働いているのかも知れなかった。重美さんだってそうだ。身体がおもくなるなんて事は……あ、そうだ。
重美さんはここに来て一度だって人助けをしてないじゃないか。なら当然[病]が発症する事もないわけだ。でもそれっておかしくないか?だって既に2人の変わった人達と出会い触れ合ったのに、その2人に対して優しい言葉をかけたり思いやりすらなかった事ってなるじゃないか。
果たしてそうだっただろうか。いや違う少なからずサヨリさんを抱いて森の中を歩いていた。それは人助けに……僕はそこで生唾を飲み込んだ。
そうか。鳩三郎さんもサヨリさんも人の言葉を話すけど人間ではないのだ。だから重美さんは[病]が発症しなかったのだ。だが僕は違う。重美さんを助けた。
だから嘔吐した……でもそれなら背負って歩いた時にどうして吐かなかったのだろうか。
そう思った瞬間、「来た」。僕は素早くススキの中に顔を突っ込んで静かに嘔吐した。
いくらなんでもタイムラグありすぎだろ……
「つか、全然、治ってないって事じゃねぇーかぁぁぁぁ!」
「うっさいわボケっ!さっきからぶつぶつ小姑の虐めにあった嫁みたいに聞こえるか聞こえないかくらいの小声でぶつくさ言いやがって!言いたい事があるならハッキリ言えよ!」
「重美さんの事が好きです!」
この言葉はいつか仕返ししてやろうと僕が密かに考えていた事だった。結局、これがカウンターパンチとしては1番効果的だと思っていた。
それが最高のタイミングで出た!さぁ重美さん、どうする?突然の告白に動揺しますか?頬を赤らめてモジモジしますか?照れてバカか!って誤魔化しますか?さぁ見せて下さい!僕の告白に対するリアクションを!
「4万円な」
「え?」
「私に告る権利が大魚にあると思う?つか思われていた事がもう凹むわ。ババァになったんだなぁ。ヤバいなぁ私。このまま嫁にも行けないってなったらお爺ちゃん悲しむだろうな。私の白無垢姿を見るまでは死ねないって言ってたし」
「お爺ちゃんはとっくの昔に死んでるでしょうが!」
「あ、そっか。死んでたわ」
「ったくなんなんですか。死者を冒涜するような事は言わないで下さいよ」
「冒涜なんかしてないじゃん。私のお爺ちゃんなんだから、何言ったっていいんだよ」
その言葉に思わず次に言おうとした言葉を忘れてしまった。
確かに重美さんの言う通りなのかも知れない。親族だから言える事ってあるのだ。
なのに僕は重美さんのお爺ちゃんの事をとっくに死んでるだなんて酷い事を言ってしまった。重美さんとお爺ちゃんの関係性だって知らないし、どれだけ愛情を持って接していたのかも知らない。
亡くなったお爺ちゃんの側で何時間も泣き続けたかも知れないのだ。傷つけるような事をいってすいませんと僕は謝った。
それを聞いた筈の重美さんだったが、キョトンとした表情を僕に向けて
「とっとと給油所に行くわよ」
といい僕の背中を軽く叩いた。
重美さんはたまに言葉ではなくこんな風に励まして来るから、ウルッとしそうになる。そのせいで今まで重美さんにされた事を許してしまう自分を少しだけ誇らしく思えた。
そんな事を言うときっと重美さんは私の事だけは何をされても一生許し続けろと言うのだろう。
「はい。それが先決ですよね」




