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第三章 ①⑨

森の中を進む度にエメラルド色の虹が徐々にその色を失くしていった先には、森の出口と思われる光に満ちた世界が広がっていた。


「重美さん!森から抜け出せそうですよ!」


「見ればわかるよ。特撮ショーを見に来たガキみたいにはしゃがないでくれる?」


重美さんはいい、僕の方を見返した。

どうすればそれほど顔の表情が崩せるのか知りたくなるほどの笑顔を見せ、いきなりエメラルドの虹を放出していた石を放り出すと、光の広がる世界目掛けて走り出した。


「石は良いんですか?」


「いらないわよ。そんな石!」


石がエメラルドの虹を掛けた時、あんなにも私の物だと大声をあげ僕の手から奪っておいて、その力が単なる道標だと思われた瞬間、簡単に手の平返しとは重美さんはガチで恐ろしい人だ。


我先へと駆け出したは良いが、ヒールを履いていた事を失念していたらしく数メートル先で足を挫き大袈裟な舞台女優のように見事なまでの大転倒を僕へと見せつけてくれた。


僕は腹を抱えて笑い、重美さんの側へ行き、しゃがみ込んだ。


「まるでウサギと亀じゃないですか」


うつ伏せのまま動かない重美さんの肩を揺すると痛い筈なのに泣き言も言わず上半身を起こした。


「お先に失礼しますね」


引き笑いながら僕は立ち上がり重美さんを置いて森の出口へ向かおうとした。けれどその時、重美さんが両腕で僕の片足にしがみついた。


「えーい!許せ。行かねばならぬのじゃ!」


小芝居を挟んでみた僕だったが、重美さんから何の反応もなかった。それが少し心配になり、再度しゃがんで掴まれた足から重美さんの腕を取り払おうとした。


まさにその時、こちらを見る涙目の重美さんの両の鼻の穴から、漫画でしか見られないような綺麗な2本の鼻血が出ていて、僕は更に笑い転げてしまった。


「笑い過ぎだぞ」


「いや、重美さん。この、あはは。笑いは、です、ふふふあは。転んだ事が面白くて出た笑いじゃないですよ」


「なら何よ」


僕はスマホを取り出しカメラを立ち上げた。それを重美さんに見せつける。自分の顔が見えるように切り替えてあげた。


鼻血ドヒャの自分の顔を見た重美さんはおずおずと掴んでいた僕の足からその両手を離した。


「膝小僧も擦りむいた」


鼻にかかった声は鼻血のせいだろうけど、重美さんが言うと甘えて来ている風にしか聞こえず、僕は一瞬、わざと1人で出し抜いて見ようかなと思ったりもしたが、


「お前さん!お願いでございます。腹を空かした我が子を置いてまで行かねばならぬのですか?」


「そうじゃ。今すぐ行かねばならぬのじゃ!で、なければワシはここで脱糞してしまうではないか」


一度スルーされた小芝居に重美さんが戻って来てくれたお陰で、僕もつい調子に乗っておちゃらけてしまった。


「出た出た。ちょいと小芝居に付き合ってやったらこれだ。そもそも大魚は下ネタに走りがちなんだよ」


鼻血は垂らしっぱなしのまま重美さんが言った。仕方なしに僕は背をっていたバックパックを下ろし、中からそれらしい物を探して見た。


紐で1つに束ねらた肌触りの悪いザラザラしたキッチンペーパーのようなティッシュが見つかりそれを数枚抜き取ると1枚で垂れた鼻血を拭い、もう1枚は半分にちぎって両の鼻の穴へ詰めてあげた。


その時点で自分のビジュアルがどんな風になったのか、理解した重美さんはふふふと笑い、


「ありがとう」


と言いゆっくりと起き上がった。


「この世に鼻タンポンなんてものがあるなんて驚きね」


「ちょ、重美さん!ただのティッシュですから!」


立ち上がった重美さんの膝小僧を確認すると、確かに擦りむいてはいたが、大した怪我ではなかった。


水洗いして放っておけば1日程で小さなかさぶたが出来そうな、その程度の傷だった。


「膝小僧は大丈夫ですね。でも細かい石がついているから、洗っておきたいけど……」


言ってる先に重美さんは自分の両の手の平に唾を吐き掛け、それを擦り切れた膝小僧に塗り込んだ。


「そんな事したら傷口の中に石がはいっちゃいますよ?」


「大体の怪我は唾つけとけば治るって小さい頃、お爺ちゃんから教わったし。だからこれで余裕」


「いやいや。それは消毒液や傷薬なんかが中々手に入りにくい時代の頃の話でしょ」


「そんな事ないよ。確かにお爺ちゃんは昭和生まれだけど、山菜取りに行った帰りに足を滑らせ崖から転落してさ。血塗れで帰って来た事があったのだけど、その時のお爺ちゃん、明らかに頭蓋骨が陥没しててさ。顔がめちゃくちゃ歪んでたんだよね。けど、お爺ちゃん、こんなもん、唾つけときゃ治るって言ってさっきの私みたいして陥没した頭部に唾つけたんだけど、それだけじゃ足りないからって、私や弟に陥没した所にペッペと唾を吐きかけろって言ったんだ」


「唾、かけたんですか?」


「うん。でもさすがに最初は戸惑って出来なかったよ。だってさ。陥没してる所から、湧き水のように血がピューピュー出てんだもん。けどお爺ちゃんが早くしろっていうから私と弟は唾が枯れるまで、陥没した頭に吐き続けたわ。それをお爺ちゃん自ら塗り込んでさ。これで良し。もう大丈夫だって言って取ってきた山菜を私達に押し付けて、


「重美、これをお婆ちゃんに渡してくれや」


って言ってね。タバコに火をつけたの。とても美味しそうに吸ってるのを見て私も吸いたいって言ったら、「タバコは14歳にならんと吸えんのや」って言うから仕方なく諦めたの」


「14歳から吸っていいなんて……とんでもないお爺ちゃんじゃないですか」


「だから私、14歳からタバコ吸ってんだよね」


「いや、幾らなんでもお爺ちゃんの言葉信じ過ぎでしょ!ご両親は止めなかったんですか?」


「そうね。止められた記憶ないかなぁ。むしろお母さんが私にタバコ頂戴って言ってたくらいだし」


とんでもねぇ家庭だ。そんな家族に囲まれて育ったから重美さんはこんなのか。


「で、お爺ちゃんはそれからどうなったんですか?勿論、病院に行ったんですよね?幾ら何でも唾つけただけで頭蓋骨陥没が治る訳ないですからね」


「うん。そうだね。だから2時間後くらいにお爺ちゃん死んだのよ」


「死んでんじゃないですか!」


「そ。死んじゃったの。だからそれ以来、唾は頭蓋骨陥没は治す事が出来ないんだって知る事が出来たの。実の所は万能薬じゃないんだなぁって。家族全員がそうなんだね。少し驚いたって顔でその事を命懸けで教えてくれたお爺ちゃんに勉強になりましたって玄関先で頭から血を流して倒れてるお爺ちゃんに手を合わせたんだ。あ、線香はつけてなかったけど、気持ちさえあれば線香なんていらないわい、ってお婆ちゃんが言ってくれたお陰で私達家族は倒れて動かないお爺ちゃんに向かってありがとうって伝えられたんだ」


たんだじゃねぇよ。全く重美さんもヤバい人だと感じつつあったけど、家族全員がヤバい奴らばかりねぇか。


「だからさ。膝小僧は陥没してないし、ただの擦り傷だから唾つけとけば平気よ」


今、今、ほんと、ついさっき言いましたよね?


唾は万能薬じゃないって。


こんな重美さんをほったらかしには出来ないし、かと言って傷もそのままにしてたら、傷口からバイ菌が入るかも知れない。この世界にはどんなウィルスが存在しているのかなんて僕達にはわからないのだ。


だから僕は重美さんに樽の入ったバックパックを背負って貰い、食料が入ったバックパックを前で担ぎ尚且つ僕は重美さんを背負った。


「とりあえず森から出たら水場を探しましょう」


そう言って背後に広がる闇の森から明るい世界へと足を踏み出して行った。




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