第二章 ①⑥
「あぁ、楽しかった」
楽しかったのは重美さんだけだよとツッコミたくもなったが、よく考えてみたら、側で撮影しているのを見ていた僕も少なからず楽しんでいた事に気づきちょっとだけ罪悪感を覚えた。
僕は鼻が痛いと嘆くサヨリさんを樹から下ろし、地面へ座らせた。
それでも尚鼻が痛い鼻が痛いと言い続けるサヨリさんに重美さんが「痛くない!」と当事者でもないのにとんでもない暴言を吐いた。
「はい。すみません。心配して貰いたい一心で、わざと大袈裟に言いました」
サヨリさん!あんたもあんただな!
「ですが久しぶりの食事に興奮を抑えきれません」
サヨリさんが僕と重美さんにと傍に抱えていた赤い果物を手渡してくれた。
先に重美さんが一口齧り、それを重美さんから受け取った僕は果物を齧ろうとしたその時
「お前、私が齧った箇所についた唾液、舐めようって考えてんだろ?」
この人、マジで恐ろしい。
「そんな事、考えるわけないじゃないですか!」
と言いながら散々言われっぱなしな僕も反撃を試みたくなり、重美さんを見返しながら重美さんが、齧った箇所を思い切り舐めてやった。
その時見せた冷たい軽蔑の眼差しに僕はしばらくの間、その場で固まってしまった。
「あ。いや、冗談です。冗談」
「冗談ってのは舐めてから言うもんじゃないけど」
淡々と言うその言葉に僕は寒気を覚えた。すかさず土下座をし重美さんに謝った。
「正直に言え。本当は最初から私が齧った箇所を舐めたかったんだよな」
「はい。ちょっとだけ思いました。だけどその前に重美さんに言われ、逆にチャンスだと思いました。冗談にしてしまえば良いじゃんって。だから思い切り舐めてしまいました」
「美味かったか?」
「はい?」
「どっちが美味かったかって聞いてんの」
「どっちとは?」
「私の唾液か、果物かに決まってんだろ」
「あ、重美さんの唾液です」
「この変態が!」
重美さんはいい、それからしばらくの間、僕とは口を聞いてくれなかった。
側へ行くとシッシッとあしらわれその都度、変態と蔑まれる始末だった。自業自得とはいえ、とことん責められる僕の心には血の出ない傷が増えていくばかりだった。
これからも2人で行動を共にし元の世界に戻る方法を見つけなければならないのに、この状況は決して良い事ではなかった。
関係の修復に努めなければと思ったけど、どうすれば良いかわからなかった。重美さんはそれを良い事にヒヨリさんを味方につけ、チクチクと嫌味ったらしく僕の変態性を吹き込み続けた。
それが功をなしたのか数日後にはサヨリさんまで、僕の事を変態呼ばわりするようになり、2人にシッシッやきっしょと言われる度に、僕は自分を責め続けた。
開き直れば良かったのだが、どういう訳かその考えに至らなかった。もし開き直って変態をアピールしていれば、まだここまで落ち込む事はなかったかも知れない。そうした日々を過ごしていく中で僕達は遂にサヨリさんと別れる事となった。
勿論、最初から森の外には来るつもりはなかったのだから、いつか別れは来ると思っていた。だが、それはまだ先の事だろうとたかを括っていた。でも唾液舐め事件から数日後にその別れは訪れたのだった。
別れのきっかけはサヨリさんと同種族との偶然の出会いがあったからだ。その種族はオスで名前をカツジと言った。長年、この森の中で彷徨い続け瀕死の状態の所を偶然にも僕達と出会い、その命を繋ぎ留める事が出来た。
「もうダメかと思っておりました」
カツジはいい果物がなる樹を見上げた。
「何日もの間、あの果物さえ食べられれば、生きられると思い頑張ってみてはいたのですが力尽きてしまいました。そこへ貴方様方が通られ、急死に一生を得る事が出来ました。幾ら御礼を言っても足りないくらいです。本当にありがとうございました」
それから僕達は輪になって座り、夢中で果物に齧り付くカツジに対しサヨリさんが色々と質問を投げかけた。
家族は?子供は?どの辺に住んでいたの?だとか矢継ぎ早に問い続けた。カツジさんが一通り、答えた後、サヨリさんはしばらく考えた後でこう言った。
「私にも家族や子供がいました。ですがもう2度と会う事は叶わないでしょう。それはカツジさんも同じ。一度でも離れてしまえば私達のような種族が再会出来る事は先ずありません。幸い、ここには果物の樹があります。だからカツジさん。私めと一緒になってくださいませんか?」
「喜んでお受けさせて頂きます」
サヨリさんの逆プロポーズに重美さんがやんやと歓声を上げる。僕も釣られてあげると
「大魚。お前も私にプロポーズしてみろ。真剣にだぞ」
と久しぶりに重美さんから声をかけられた事が嬉しくて僕は重美さんの前で跪き、しっかり目を見つめて結婚してくださいとプロポーズした。
「お断りします!」
「何ですかそれ!」
「誰も受けるとは言ってないだろ!」
確かに重美さんの言う通りだ。プロポーズをしろと言ったに過ぎない。
サヨリさんがカツジさんに逆プロポーズをして受けて貰ったから、ついその気になってしまった。
例え、真剣でないとはいえ、今の仲違いを修復するには良い機会だと思ったのにメンタル的に逆効果だった。成り行きとは言え断られた事は結構なダメージを大魚へ与えた。
「え?何?大魚。まさか落ち込んでるわけ?」
「そりゃ落ち込みもしますよ」
「さっきの状況からして本気な訳ないじゃん。小芝居を楽しみたかっただけなのに何マジになってんだよ」
「だって真剣にプロポーズしろって重美さんが言うから」
「人のせいにしない」
「すいません」
「けど、ごめん。冗談だったとは言え、私が悪ノリし過ぎた。マジで大魚にプロポーズさせちゃってさ」
「いえ。良い経験させて貰ったと思います」
「何なら100万回死んだ猫じゃないけど、私だけに1000万回プロポーズして断られた男をやってみてもいいよ」
「あの、重美さん。ちなみに100万回死んだじゃなくて、100万回生きた猫ですからね」
「何言ってんの?同じ事じゃん。100万回生きるには100万回死ななきゃ生きれないじゃん」
「そう言う事を言ってるじゃなくて、絵本のタイトル間違いについて、、」
「あぁ。うるさいうるさい。もう一度プロポーズさせるぞ」
「良いでしょう。やりますよ。残り9999999回断られれば、その次はプロポーズ成功するんですから!」
「バーカ。どんだけの回数あると思ってんの?」
「構いやしませんよ」
僕はいい、再び重美さんにプロポーズを強行した。
「それはプロポーズになってない。婚約指輪はないわ。スーツは汚いわ。おまけにちょい臭うし。そんなのプロポーズと認めるわけにはいかないからね」
「今、それを言いますか!」
「あったり前じゃん。私にプロポーズを受けて貰いたいなら身なりぐらい綺麗にして来なさいよ」
本当つくづくこの人はろくでもない人だと思う。
わけのわからない世界に飛ばされてストレスMAXなのはわかるけど、それは僕だって同じだ。
こう言う事でもしなければ、まともな精神を保てないなら、これから先、一緒に旅を続けるなんて絶対に出来っこない。
サヨリさん達と別れた後、僕達もそのような方向で考えるべきかも知れない。そう考えると、それはとても寂しく悲しい事だと思った。
僕自身、重美さんと一緒にいたいと願っている。たった今、その事に気づかされた。
僕達の出会いは奇妙な形だったし、出会ってからまだ半月も経っていない。なのにこんな風に重美さんの事を思うだなんて自分でもびっくりだった。
僕は自分自身が思った前言を撤回し、絶対、側を離れないと強く心に誓った。
「重美さん。勃起野朗の大魚さん。私達はここで生きていく事を決めました。今まで本当にありがとうございました」
ヒヨリさん、貴女完全に重美さんに毒されてんじゃねーか。
僕と目が合うとヒヨリさんとカツジさんが僕達へ向かって深々と頭を下げた。
「森の外までの道中、どうかご無事で。そしてお元気でいてください」
「そんな風にかしこまられると照れるじゃん。だけどヒヨリ、嬉しかった。ありがとうね」
僕も御礼を言い、重美さんと先へ向かって歩き出す。手を振るサヨリさん夫婦の顔には笑顔を浮かんでいた。そんな2人の姿が見えなくなると、重美さんがやたらバックパックが重たいと言い出した。
僕は黙ってそれを受け取り、身体の前でバックを抱えた。
そんな僕に重美さんは腕を組んで来て
「たかがバック持ったくらいでキュンってなると思うなよ?」
そういう重美さんを見返すと嬉しそうに笑っていた。
僕は重美さんの笑った顔が好きだと思った。




