第二章 ①③
「ウギャャャャャー!」
雨の森の中に1人の男の悲鳴が轟いた。
それはまさに僕の悲鳴だった。オシッコを終え、チンコをしまった瞬間、何ものかが僕の左足のふくらはぎを握ったのだ。突然の事で驚いた僕は、ライトの明かりを頼りに全速力で重美さんの下へ駆けて行った。
「な、何何何?どうした?」
「ハァハァハァ……出ました」
「だから何がよ」
「出たって言ったら幽霊しかないじゃないですか?」
「見たの?」
僕は肩で息をしながら首を横に振った。
「いえ。姿は見てないですけど、いきなり僕の足を掴んだんです」
「で、焦ってチャック閉め忘れたんだ?」
指摘され下を向く。思い切り開いていた。
直ぐに締め「そうみたいです」と返した。
「足ってどっちの足?」
「左足です。かなりの力でふくらはぎをむぎゅって掴まれたんです」
「なら手の跡がついてるかもだね。ちょっと回れ右して」
僕は言われた通りにした。けれど再び森の方へ向き直る事になり、少しばかり怖かった。
「うん。間違いないわ。これは確かに掴まれてるね。ていうか今もがっつり掴まれてるよ」
「え?冗談ですよね?」
振り向いた僕はそう言った。
「冗談と思うなら自分で確かめてみなよ」
僕は後ろを向いたままふくらはぎが見えるように左足を持ち上げてみた。そこには膝下から足首までの長さと同じくらいの大きさのネズミ色したまん丸な何かが付いていた。ふわふわした毛並みが、とても愛らし、、、い、い、い、
「重美さん、取ってください!」
「えーヤダ自分で取りなさいよ」
「この体勢で僕が自分で取れると思いますか?」
「は?座れば取れるじゃん」
「あ。確かに。言われてみればそうですね」
「つか、まだビビってんじゃないの?」
「そりゃビビってますよ。突然掴まれたあげくに未だ足にしがみついてるんですよ?そりゃパッと見はもふもふしてますけどね。だけど、どんな生き物かわからないじゃないですか?めちゃくちゃ凶暴かも知れないし。取ろうとしたらいきなり噛みつかれないとも限らないでしょ?」
「でもさ。幽霊じゃなくて良かったじゃん」
「まぁ……そうですけど」
「実体がある分だけ、恐怖も半減するしさ。怖さってさ。大体、目に見えない物を肌で感じたり、いる場所や雰囲気に飲み込まれて怖くなる訳じゃない?幽霊なんてその一礼みたいなもんでしょ。怖いなって感じ始めたら、樹々の葉っぱや浮遊するゴミが幽霊に見えちゃったりする訳よ。怖いという思いからそういう風に見えるように脳が錯覚を起こしちゃうんだろうね。実際、霊感があって見える人もいるんだろうけど。私達みたいに霊感ゼロな人間は概ね錯覚だよね。でもだからって目に見えない物はやっぱり怖いよ。人の心とかってそうじゃん?口では良い事言ってても心の中なんて知りようがない訳だし。口から出まかせを言って騙そうとしてる事もあるだろうしさ」
僕は地面に腰掛けた。
「確かに重美さんが言うように、1番怖いのは人の心かも知れないですね」
「でしょ?ならその丸っこいのも自分で取れるわね」
完全に言葉で言いくるめられハメられた感満載だが、まぁ仕方ない。自分に降りかかった火の粉は自分で払うしかないのだ。
左足を掴み持ち上げ右太腿に置いた。それからネズミ色した丸っこいそれに手を伸ばす。触れると少し暖かかった。僕の5本の指がふわふわしたそれを押しつぶしていく。掴めそうと思い手に力を入れた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっていうとるやろが!」
いきなりの大声で灰色のそれを掴んでいた僕はびっくりして手を引っ込めた。
「重美さん!聞きました?」
「うん。聞いた。人間の言葉を喋ったね?」
「まさか。鳩三郎さんのような人、、、?でしょうか?」
「ビジュアルからしてもうそれ一択しかないじゃん」
「えぇ……」
「いいから早く取っちまえよ」
「でも、痛がってますよ?」
「そうだね。けどいいの?ずっと足にくっつかせておいさ」
「いえ。良くないです」
「なら剥がすなり取るなりしてさ。どんなものか見てみようよ」
言われた通りにするまでかなりの時間がかかった。痛いと言う声に怯んだりもしたが、僕は両手を使い、ふわふわした灰色の丸っこいものを僕のふくらはぎから引き離した。
その際、僕のふくらはぎにしがみつくそれが、爪だろうか。それはやけに鋭利で僕から離れまいと踏ん張ったせいで、スーツのズボンは破けるわ、皮膚が傷だらになるわで大変だった。
ようやく引き剥がし持ち上げた。それを見た重美さんがライトで全身を照らした。
「コ、アラですかね?」
「身体はコアラのそれだけど、さ。顔が……」
言われた僕は下から覗き込むようにそれを見上げた。
さっきまで僕の足から離れまいと足掻いていたそれは今では手足をダラリと垂らし、頭も項垂れている。
目も閉じているが、それ以上に目につくものがあった。
それは鼻で異常な程長く、コアラのようなそれの爪先部分近くまで垂れ下がっていた。
「まさか剥がしたから死んじゃったって訳はないですよね?」
「ないない。だったらそれまでどうやって生きていたって言うのよ」
「確かに」
「死んだふりしてるだけだと思うよ」
「動物特有の生存本能ってものですかね?」
「動物特有って言うかさ。こいつ特有のじゃないかな?危険って察知したら死んだふりするみたいな?」
「でもそれって逆効果のような気がしません?死んでるなら食っちまえってなりそうですけど?」
「多分、死んだふりをして、相手が一瞬戸惑った隙に逃げるって手なんじゃない?」
「でもそれって絶対意味ない気がしません?スカンクとかはオナラをして撃退しますけど、死んだふりしたって食おうとしてるものに対して隙なんかみせるかなぁ」
「としたらこれはトラップかもだね」
「トラップ?」
「うん。こいつの特徴って尖った爪と異常な長さの鼻じゃない?」
「えぇ」
「だから死んだふりして、相手を油断させてからこの長い鼻を使って首を絞めるとかすんじゃないの?知らないけど」
重美さんはいい、いきなりその長い鼻を掴んだ。そして
「めっちゃ伸びそうじゃない?」
「幾ら何でもこれ以上は伸びないでしょう」
僕が言うと重美さんは凄く悪い顔をした。
悪戯する前の子供のような表情だ。そして
いきなり全力で引っ張った。
普通、徐々に引っ張ってみる、というのが常人の考えだろうけど、重美さんは違う。一気にやっちゃうタイプなのだ。
「痛ぇぇぇよぅぅ!お前、人の鼻に何すんじゃ!離さんかい!」
丸っこいものは怒鳴り僕の腕から逃れようと手足をバタつかせた。
「ヤダ」
重美さんはニヤニヤしながら引っ張っては止め、又、引っ張ってを止めを繰り返す。
「許してくださいませ。それ以上引っ張られたら私めの鼻が取れちまうです」
「天狗猿みたいな顔して、こいつ私めだって。ウケる」
声を上げて笑いながら引っ張る事はやめなかった。
この人、マジ悪女過ぎる。
そう思いながらも僕も重美さんを止めなかった。
同罪という意識は薄く、僕も引っ張られて許しを請うコアラのような猿のような人間の言葉を話すこいつが虐められているのを見て楽しんでいた。
「あんた名前は?」
「私めですか?」
「他に誰がいんのよ?」
重美さんが再び鼻を引っ張った。と同時に長過ぎる鼻の穴から黒い液体がポタポタ垂れ始めた。
「鼻血?きっしょ」
確かに黒い鼻血はきしょいが、流石にそれを見た僕はようやくやり過ぎだと気がついた。
「重美さん、やめましょう。これ明らかに虐めですよ」
「ううん。虐待です」
「わかっててやってたんですか!」
「当然じゃん。こいつ大魚の足を傷つけたんだよ?やり返すのが当然だよ。それにこいつ鳩三郎みたいに可愛くない。見返り美人って言葉があるけど、こいつは見返りしてもゲスだよ」
「いや、顔の事は言ったらダメでしょ」
「私、嫌いなの」
「ゲス顔がですか?」
「違う。そうじゃない。接し方が気に食わないの。最初、大魚の隙見ていきなりくっついて来てさ。おまけになかなか離れもしないんだよ?ひょっとしたら吸血鼻長ダニ猿男かもじゃん?」
めちゃくちゃ悪口だ。重美さん、見た目でそこまで言うか。もはやそれは悪口以上の極悪口だ。
確かに吸血ダニってのはいる。そしてこのダニ猿男の鼻の穴からは黒い血が垂れている。こいつはこの長い鼻を使って他の生物の生き血を吸うのかも知れない。
「ほら。名前いえよ?」
完全に脅し口調だが、吸血鼻長ダニ猿男かもと刷り込まれた僕は重美さんを止めようなどと思えなかった。
完全にこいつの生態がわかるまでは油断は出来ない。だって僕達はわけのわからない世界にいるのだ。
よくよく考えれば鳩三郎さんだって異常だ。巨大モグラで人の言葉を喋るのだから。
こんな人が元いた世界に現れたら話す前に速攻で銃殺だ。猟友会って人達が現れて一斉射撃されるに決まっている。
だから重美さんの判断は正しいと思えた。
本来なら、手を出さず話すのが道理なのだろうけど、最初にいきなりくっついて来たのはダニ猿男の方なのだ。
「わかりました。名前も言います。引っ張っているそれの事も言います。ですからどうか止めてください」
泣きながらダニ猿男が言ったので流石の重美さんも引っ張る事を止めた。けど鼻から手を放す事はしなかった。何か怪しい動きをしたら、又引っ張るつもりなのだ。
「サヨリです」
「は?」
再び、鼻を引っ張った。
「本当です!私めの名前はサヨリです!」
「あんた女なの?」
「はい。俗に言うメスって括りでやらさせて貰ってます」
「でも、女の子があんな口調で喋ります?」
「それは、わざとなんです。いきなり襲われた場合などあのような口調で怒鳴ると大体はビビって逃げてくれますから」
「それってまさか……」
「そのまさかです」
「身を守る為の撃退方法があの喋りって事?」
「……お恥ずかしながら。そうなんです」
「なら、この異常に長い鼻は何の為にあるのよ?」
「くっつく為と果物を取る時に使用します」
「象の鼻みたいなものか」
僕が言った。
「象?」
「いや、知らないならいいよ。気にしないで」
「ならさ。何でくっつかないといけないの?」
「私め自身、動きが凄く凄く遅くて緩慢なんです。例えば数十メートル先に果物があるとします。私めがそれを取る為には1カ月半近くかかります。つまりそれくらいの期間がかかってようやく果物の真下に辿り着けるわけです。ですが1カ月半もしたら果物は腐って美味しくなくなります。だから鳥とか猪や貴方のような誰かにくっついて移動してもらう訳です」
「ひっつかれて驚いたそいつが果物とは逆の方に動いたらどうするのよ?」
「それはもう賭けでしかないんです」
「もはや、空腹それ自体が死と直結じゃないですか」
「はい。だから種族もあまり生き残っていません」
「だろうね」
重美さんはいい、ようやく掴んでいた鼻から手を離した。
「生まれてから一度も食べ物を口にする事なく死んでいく赤児も多いです」
「親が取ってあげたら良いじゃない」
「親自身も生きる為に誰かにくっつかなきゃいけない事の方が多いので、ずっと赤児の側にはいられないのです。いきなり変な所へ連れて行かれる事もざらですから、2度と我が子に会えない事もあります」
「それってほぼ完全に育児放棄ですね」
「そんなつもりはないのですが、結果的にそうなるかも知れません。ですが弁明させて頂けるなら、赤児も生まれて直ぐに自力で果物を取る方法は理解しているのです」
「だとしてもさ。サヨリ?だっけ。あんたより随分身体も小さいわけでしょう?それなのに取る方法を知ってるからって言われてもさ」
「いえ。それは間違いです。赤児の方が私達大人より大きいのです。私達種族は大人になるにつれ、小さくなってしまうんです。だから赤児は身体が大きい分、力もありますし、くっつかれたら簡単に引き剥がす事は出来ません」
「どれくらい大きのよ?」
「大きさで言えば貴方達とそう大差ありません」
「とんでもないデカい赤ちゃんじゃないですか!」
「はい。皆さん驚かれます」
「そりゃ驚くよなぁ。それに僕くらいのサヨリさんがいきなりくっついてくるわけでしょ?」
「そうなりますね」
「そんなのにくっつかれたら絶対殺しちゃうよね」
重美さんが言った。
「そこが種族が繁栄しない要因の1つなんです」
「ちょっと良いですか?」
僕が言った。
「素朴な疑問なんだけど、それだけ大きな赤ちゃんをどうやって産むんですか?」
「普通に産みますよ」
「でも、身体は大きいわけでしょ?」
「産まれる時は大きくありません。ですが産んで数時間で貴方達くらい大きくなります」
「風船かよ」
呆れ口調で重美さんが言った。
「それだけ大きくて力もあるなら、動きが凄く遅いって何だか信じられないんだけど」
「当然、そう思うでしょうね」
「鼻を使って移動とかは出来ないんですか?」
「はい。出来ません。私め達のこの鼻は凄く繊細で神経過敏なんです。地面に触れただけで凄く痛むのです。だから使い道は果物を取る事しか出来ないんです」
「なら果物を取る時も痛いわけだ?」
「はい。激痛が走ります。ですがそれを取らなければ死んでしまいますのでめちゃくちゃ我慢して果物を取ります」
「じゃあ。あれよね。果物が熟れて落ちてくるのを樹の下で待ってるしかないじゃない。ね?」
「それも1つの手ですが、それをやると餓死しちゃう事もあるので、中々リスキーなのです」
「いや、サヨリさん達の種族って生まれながらに瀕死過ぎるし命懸けですね」
「はい。私目達は皆、常に死に直面してる状態です」
「私がサヨリの立場なら自殺しちゃうかもだなぁ」
「幾ら何でもそれは言い過ぎです」
「けどさぁ。マジでそう思わない?幾ら赤ちゃんの身体が大きくなるったって動きは凄く遅いわけだよね?親は何も助けくんないわ、オギャーってこの世界に産み落とされた瞬間から、全部自分でやんなきゃだし、そんなのやってらんないわよ。生きていながら崖っぷちだなんて考えただけで鬱になるわ」
「貴方様の仰る通りです。自ら鼻を首に巻きつけ命を断つ赤児も珍しくないです」
「ほら〜」
「当事者じゃない僕が言うのはお門違いなのはわかっています。けど世界がどんな風だとか知らないし、わからない事だらけですけど、知りたいという欲求や好奇心はないのですか?って思っちゃいますね」
「そのような行為や行動に出るように遺伝子に組み込まれてんじゃないの」
「あぁ。なるほど。それなら何か納得しちゃいますかね。いや実際の所、納得はしたくないけど、生まれながらに死と直面する訳だから、そういう事が組み込まれているのは、ありそうですし、疑う余地はない気もします」
「でしょ?それにさ。まだ可愛ければペットとして飼われたり出来るだろうけど、この顔だからね?これで女の子だよ?」
「重美さん!」
何を思ったか又、見た目についてケチをつけだした。
「動物も人間もそれぞれ見た目も性格も違ってるから良いんじゃないですか」
「確かにそうだよ。サヨリの顔面、かなりのパンチ効いてるし」
言葉が通じない動物に言うならまだしも、会話が出来る相手に向かって平気でそんな事をいうだなんて……それはもう区別じゃなくて差別だ。
「なら大魚はサヨリが可愛いと思うの?」
「いや、それは……」
「ほら。可愛いか可愛くないかで答えてよ」
「個性的な顔で中々チャーミングだと思います」
「チャーミングね。わかった。ならサヨリが空腹で死なないよう世話してあげなよ」
「どうしてその流れになる訳ですか?」
「ここで突き放したらサヨリ死んじゃうよ?それで言い訳?サヨリは生きる為に大魚にしがみついたんだよ。なのに見捨てるんだ?私は見捨てるよ?だって可愛くないし。ペットにするなら可愛い子を選ぶよね?おまけにサヨリは大人じゃん?勿論、赤ちゃんはデカいって話だからペットには不向きだし除外するけど、サヨリくらいの大きさなら大魚1人でも面倒見れるでしょ?食糧は果物だっけ?それを見つけたら取ってあげるなり、自分で取らせりゃ良いだけだから」
「サヨリさんを連れて行くって事ですか?」
「連れて行くも何もそれは大魚が決める事だよ。勿論、サヨリがこの森にいたいし、私達と一緒にいきたくないって言えばそれまでだけどさ」
そう力説する重美さんを見ると「何よ?」とつっけんどんに返されそっぽを向かれた。
勘違いかも知れないけれど、重美さん、僕がサヨリさんを見捨てないようにする為に、見た目の事をディスったんじゃないか?と思ってしまった。
あれだけディスったのにそんな風に考えてるかも?って思う僕はきっとどうかしているのだろう。




