第二章 ①②
雨のよく降る1日だった。僕と重美さんは1日中、巨木に生えた巨大なキノコの下で雨宿りを強いられた。
女性は怖いという話の後、僕達は随分と歩いた。それでも針葉樹の森は抜ける事は出来なかった。
それどころか進めば進む程、森の樹々はより密生し大きな樹々が増えていった。
聳えるような大きな樹々を2人で見上げ感嘆の息を吐いたりした。鳩三郎さんの家を出てからどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
闇夜の中をひたすらに歩き続けて来た僕達には互いを気遣い、思いやる気持ちが削がれて行き体力すら失われつつあった。神経はすり減り足取りも重かった。
「全く」
声なき声が僕の腹の中で蠢き、ふと自分の部屋の事を思い出した。
あんなボロアパートでもここよりは数倍ましだ。早く帰れる方法をみつけ、暖かいお風呂にゆっくりと浸かりその後でスナック菓子を摘みながらベッドの上YouTubeやTikTokをただ眺めている、そんな時間を消費したかった。
東京にある自分の部屋は築20年程のワンルームのアパートでベッドとテレビに本棚が1つある質素な部屋だった。
さほど物があるわけでないのに部屋の隅やテレビ台には直ぐに埃が溜まった。そんな埃でさえ今は懐かしく思える。
例の喫茶店から気付けばこんな世界へ来ていて、それからたった数日しか経っていないのに、こんなに自分の部屋が恋しくなるなんて思いもしなかった。
これが単なる国内旅行だったなら絶対にそんな事は思わないだろう。ビールの缶や飲みかけのペットボトルのお茶が転がる部屋は、僕の帰宅を待ち侘びているに違いない。
あんな所でも僕にとっては唯一の楽園のような場所だった。ポストに溜まったチラシも今では溢れかえっているかも知れない。
こんな事ならあの日の朝、取っておけばよかった。捨てても捨てても直ぐに溜まるチラシに時々イラッとしていたが、今はそんなチラシを見た周囲の住民が不審に思っているかも知れない。
こちらの世界にいる間に、両親が僕と連絡が取れない事を不審に思い、警察へ連絡するかも知れない。
行方不明者に認定された僕はしばらくの間、時の人となってちょっとばかり世間を賑わす存在になるかも知れない。
そんな僕や重美さんはついさっきまでは互いに小芝居をやってみせたり、笑っていたのに、今はそれ自体が遠い昔の出来事のように感じられた。
この先もずっと帰るという希望を持ち続けられるか自信がなかった。
「死ぬまで続くんじゃない?」
久しぶりに聞く重美さんの声は新鮮で愛おしかった。まるで互いを愛しているのにも関わらず、離れ離れになってしまった恋人と数年ぶりに再会した時のような感動と麗しさが感じられ思わず重美さんを抱きしめそうになった。
それを寸前でかわした重美さんが僕の喉仏目掛け二本指で突いた。思わず咽せた僕に追い討ちをかけるように
「私に2億7千6百34万とんで67円も借金があるくせによく抱きつこうだなんて考えるよな」
借金とは重美さんと手を繋ぐ事で加算される金額の事だ。確か10分3万だったか。
勝手にそのような仕様にされたのだ。そこまで貯まる程長い時間は絶対に経っていないが、会話が出来る余裕がある事に少しだけホッとした。
ただ、自信を持って言えるが、そんなに借金は嵩んでいない。これは間違いなかった。
「消費者金融じゃ到底借りきれないですよ」
僕が、そう返した後、ライトが照らす前方の景色がぐにゃりと歪んで見えた。え?と思った矢先、重美さんが何か言ったが、上手く聞き取る事が出来なかった。
「ねぇ?聞いてる?」
頷き返すが、僕は朦朧としていて立っているのも辛かった。身体が火照り眩暈がした。
その時、頭上からポツリポツリと雨が降り始め僕の額を打った。ひんやりとして気持ちいいと思った僕はそのまま意識を失い前へと倒れてしまった。
その後の事はよく覚えていない。気がついたら樹々の下で重美さんの胸に抱きしめられていた。
赤子のように背中をポンポンと叩かれながら、
「良くなぁれ。良くなぁれ」という慈愛に満ちた重美さんの声音を耳にしていた。
その声に胸が温かくなった。重美さんって実は優しい人なんだなぁと思い、起きるのはもう少し後にしようと再び目を閉じた。その時、いきなり股間を触られた。
「ん?勃起してる……?大魚!テメー起きてんだろ!」
まだ頭がフラフラとしていたせいで勃起しているなんて気にもかけなかった。
ていうか起きているかを確かめるのにチンポを触るってどんな目覚まし時計だよ!とツッコミたくもなるが、そこまでの元気はチンポ以外にはなさそうだった。
「いや、これは自然現象……てやつで……」
「え?ならまた漏らすわけ?」
「いえ。大丈夫です」
僕はいいゆっくりと重美さんの身体から離れて行った。横に移動し胡座をかいた。
目の前を通過する雨粒が次第に増えて行く。上を見上げると大きな傘を持ったキノコが生えていて、それが傘代わりになって雨から僕達を防いでくれていた。
「いつからこうしているんですか?」
「さぁ。結構長いよ」
「そうですか。すいません迷惑かけて」
「本当だよ。いきなり倒れたから置いて逃げてやれって思ったけどさ。食料は大魚が持ってるし、それと樽の水が入ったバックパックを含め2つも持てないからさ。だから仕方なしにここで休む事にしたのよ」
「最高の場所を選びましたね」
僕は手の平を広げ腕を伸ばした。
「結構、強い雨だからこの場所以外だったらびしょ濡れになってましたよ」
「そういう事も想定して、ここを選んだの。私って凄くない?」
「凄いです。最高です」
「もっと言って」
「凄いです。最高、、、」
「そうじゃねぇだろ!知的です!可愛いです!セクシーです!一生奴隷でいさせてください!って事くらい言えないわけ?」
「いや、あの、知的はまだわからないでもないですけど、良い場所を選択した事について褒めるのに、可愛いとかセクシーとか関係なくないですか?」
「ったく大魚って女の気持ちが全然わかってないなぁ。褒める時はあらゆる事を褒める事が大事なわけ。そうしたら女の気持ちはキュンってなってさ、この人の事、好きかも?って流れになんだよ」
「そうなんですか」
「そう。だからさ。これからは毎日私をベタベタに褒めなさい」
僕はふふっと笑って立ち上がった。
「考えておきますね」
「考えるな。感じろ」
その言葉はスルーした。
「オシッコして来ます」
「ん〜」
「お腹空いてるなら鳩三郎さんから貰った食べ物が沢山あるのて適当にバック漁って食べてくださいね」
「わかった。ありがとう」
僕は重美さんの前を横切り、側にある樹々の方へと足を踏み出した。
重美さんは僕が迷わないようにか足下に置いたライトをつけてくれたお陰で周囲がパッと明るくなった。
まだ身体は怠く足下もおぼつかないが、それでも歩ける事に少しホッとした。
ふと視線を感じ、重美さんの方を見た。目が合うとサッと逸らした。その流れで立てた膝の間から手を入れ、ライトの向きを変えた。
明らかに怪しい動きだった。僕は森の奥に行くフリをして身体を反転させた。
重美さんの側へと一直線に駆け出した。まさかの僕の行動に焦ったのか重美さんが何かを掴み後ろへと放り投げた。
すかさず僕は投げられた方へ向かった。そこにはスナック菓子やチョコレート類、菓子パンのから袋が散乱していた。
それら全部を拾った僕は、重美さんの前に立った。腰を屈め、重美さんを見つめる。
「な、何よ。オシッコはもう済んだの?」
「まだです」
「なら早くして来なよ。膀胱炎になるわよ」
「その前に1つ良いですか?」
「良いけど何?」
「これなんですけどね」
僕はいい既に食い散らかされゴミとなった袋や箱を重美さんの顔の前で振ってみせた。
「悪い人もいるものね。自分が出したゴミは自分で持って帰らなきゃいけないじゃない。ね?」
「ええ。当然です。でも見てください。このゴミ、めちゃくちゃ新しいんですよ。おまけにチョコレートの包み紙にもチョコが付いてます」
「へぇ〜昨日とかこの辺りはよっぽど寒かったのかなぁ」
「重美さん」
「はい?」
重美さんが姿勢を正した。
「別に怒ったりはしません。だから正直に答えてください」
「うん」
「僕が倒れて眠っている間、これら全部食べましたよね?」
「あはっ。食べちゃった。お腹が空きすぎて我慢出来なかったの。でも聞いて。私もギリギリまで大魚くんが起きるまでずっと我慢してたのね?だけど全然そんな感じじゃなかったから、つい……」
「やっぱり……食べたら食べたで言ってくれればいいじゃないですか。それを僕に気づかれないように隠すような真似までして」
「こっちだって気を使ったんだろうが!」
逆ギレだ。
「寝てる時に食べたなんて言ったら気分害すじゃんよ?な?だから言わずにおこうって。立派な親心じゃねぇか」
「何処が親心ですか。全くもう……今度からはちゃんと話してくださいよ」
「わかった」
「じゃトイレして来ます」
「あ、大魚待って」
「何ですか?」
「チョコもう一個食べてもいい?」
「どうぞ」
「やったぁ」
その重美さんの声と嬉しそうな表情を見て、僕は胸が締め付けられたように感じた。




