●△第4話「答えは自分で出すもの」
無言のまま、特段何事もなく私たちはチハヤの部屋へとたどり着いた。
「手伝ってくれてありがとうございます。ここに置いてもらえますか?」
先に部屋に入ったチハヤが木で出来た書机の上へと運んできた食器類を置いて、隣のスペースを指し示す。
私は頷いて、腕に抱えていた食器類をそっと指定された場所へ気を付けつつ並べていく。
昨日の食事で使われた皿やカップたち。勿論、私も使った覚えのあるものが含まれている。
どれもよく洗われていて、汚れ一つない。けれど、“清潔である”ことと“安全である”ことはまた別の話。
「えーと、あれと……それからあれも……」
チハヤは恐らく調べる準備を始めたのだろう。
独り言を呟きながら歩き回っては、私にはよく分からない器具をあちらこちらから取り出している。
そんな中、パラパラと小さな紙の擦れる音が耳に入ってきた。
ちら、と音のした方へ視線を向けると、部屋の奥ではシンが本棚に寄りかかりながらページをめくる手を止める様子もなく床に座っていた。
まるでここが自室であるかのような馴染み方で、積まれた本の一部はすでに床に滑り落ちている。
チハヤはそれを咎めることもせず、彼を見てもいない。
(いつものことだもんね)
それから数分も後、用意した道具の数を数えていたチハヤが良し、と頷く。
全ての準備が整ったようだった。
「じゃあこれから調べますので、もう大丈夫ですよ」
「え……」
チハヤはそう言って微笑んだ。
その“もう大丈夫”が、「ありがとう。あとは私たちに任せて、出て行ってくださいね」という意味を含んでいることは流石に私にも分かる。
でも、私は――
まだここにいたい、という気持ちをどうしても振り払えなかった。
あの出来事が頭から離れない。じっとなんてしていられなかった。
「あの、私も手伝うとか……ダメ、かな?」
勇気を振り絞って口にすると、チハヤは目を細めて優しく笑いかけてくれた。
許されたのだと思って私も一瞬笑顔になる、が。
「気持ちはありがたいです。本当ですよ?」
その声色には嘘はなかった。けれど、次の瞬間には笑みを顔に貼り付けたまま、
「……しかしすみません、邪魔です」
と言って、ぐいぐいと容赦無く背中を押してくる。
「無慈悲!」
「無慈悲で結構」
「私も、何か手伝いたいのに!」
押してくる力に必死の抵抗を試みるものの、チハヤは見かけに反して意外に力が強くびくともしない。
「専門的な作業に素人が手を出してみろ、大変なことになるぞ」
背後から聞こえてきたのは、読書に夢中だったはずのシンの声だった。視線は本から逸らしていないくせに、こういう時だけは反応が早い。
「なんで私は追い出されて、シンは許されるの!」
子供のような言い分だと思った。けれど今はどうしても引きたくはなかった。
「お前と違って専門的な知識があるから?」
「言質取りました。手伝ってもらいますからね」
「知識があると言っただけで手伝うとは言っていない」
そんな二人のやり取りを横に私は唇を噛みしめる。
(……悔しい)
でも、言い返せなかった。
私の知識じゃ今この場所では何の役にも立たない。この世界のことも、私自身のことですら知らないに等しいのに。
(私にも二人みたいな知識があれば、ここに居るのを許されたのに)
無い物ねだりをしても仕方ないのは分かってたけれど、そう思わずにはいられなかった。
今の私には知識も、力も、何もない。
口を噤んだ私に、シンは目もくれずページをめくり続ける。その姿が妙に癇に障った。
本当に子供じみた行動。自分でも理解していたけれど、口から出る棘は止められなかった。
「それって、毒を扱える容疑者が増えただけじゃないの?」
ちょっとした嫌味のつもりでそう言ったのに、シンの返答はあまりにも淡々としていた。
「毒なんて面倒なもの使わなくても、殺す方法なんて俺には山ほどあるぞ」
「……っ」
ゾッとした。
シンの言った内容に対してもそうだが、彼のまるで容疑者として疑われても一向に構わないといったその態度。
どうしてそんな事が簡単に言ってしまえるのか。
いつもの皮肉交じりの調子だと思いたかった。
けれど、そこに冗談めいた色は一切なくて、恐らく本当にその通りなんだと思った。
「そもそもアイツは、毒で死んでない」
「シン。不確定なことをそう口にするもんじゃありません」
眉根を顰め、チハヤがシンを窘めた。
けれど、今の発言は聞き逃せなかった。
「不確定じゃないだろ。見れば分かる」
「……どういうこと? シン、何か知ってるの!?」
思わず背中を押していたチハヤの手を振り払ってシンへ駆け寄る。
シンはなおも本から視線を上げてはくれなかったが、構わずに私は早口で問い詰める。
「何か知ってるなら教えて!」
「……本当に、うるさい」
鬱陶しいと思っているのがありありと分かる態度で、深くため息を吐くと彼はようやくこちらを見てくれた。
顔をあげたシンは心底呆れたような表情を浮かべていた。
「少しは自分で考えろ。頭を使わない奴と会話しても無駄だから、したくない」
ばっさりと切り捨てるように言い放って、彼はまた本へと意識を戻してしまう。
私はその本をすかさず取り上げた。
今までに見た事が無いくらい不愉快そうなシンの顔。怯みそうになるが引く訳にはいかない。
「……それでも、私は知りたいの」
胸の奥に残ったままの、言葉にならない引っかかり。
どうしてこんな悲しいことになってしまったのか。
なんでウイが死ななければならなかったのか。
「ウイの友達として、私はちゃんと知っておかなきゃならないの」
「…………」
シンは何も答えない。
眼鏡の奥のブルーグレイの瞳が、まるで私の本心を探るかのようにじっと見つめていた。
(見たかったら好きにすればいい。私は本心しか話していないもの)
「もし──もし、私がちゃんと自分で考えて、何か一つでも分かったら……」
シンの瞳が一瞬揺れる。
「そしたら……貴方が知ってることを、教えてくれるの?」
問いかけるように、けれど懇願ではなく、約束を求めるような声音でそう言った。
しばしの沈黙。
やがてシンは小さく息を吐いて、面倒そうに呟いた。
「……気が向いたら話してやる」
そう言うと私が取り上げてしまった本を再び自分の元へと戻し、来た時と同じように読書へと没頭してしまう。
──気が向いたら話してやる。
それはきっと、肯定でも否定でもない。
けれど、それでも私は少しだけ嬉しくなった。
そして私はほんの少しの未練と大きな悔しさ。そしてちょっとした約束を胸に、部屋の扉の向こうへと追い出されることになった。
扉が閉まる音が、少しだけ重く響いた。
廊下に残されたのは私一人だけ。
廊下は静かで、肌に触れる空気がひんやりとしている。さっきまでの会話が遠い過去のことのように思えた。
(──ちゃんと、考えよう)
悔しいけれど、シンの言うことは正しい。
誰かに答えを求めるんじゃなくて、自分で辿り着くしかない。
(ちゃんと自分で考えて答えを出さなきゃ)
そう思った瞬間、足が自然と動き出していた。
向かう先は、東館──ウイの部屋だった。




