●〇第3話「手のひらに残る温もり」
朝の出来事の後、私たちは食堂へと向かった。
その場に集まったのは、ウイの死をまだ完全には飲み込めずにいる面々だった。重い空気の中、昨夜使った食器類を片っ端から集めては調査を引き受けてくれたチハヤの前へと差し出していく。
「ねーこれって意味あんの? 全部元に戻るんだよ? 痕跡とか消えてんじゃない?」
テーブルの上に器を並べながら、トウマが面倒臭そうに声を上げた。
その声にはいつもの軽さがあり、場の緊張感を無意識に緩めようとしているようにも聞こえる。
「おおよそですが、十二時間経たなければ消えません。なので問題ありませんよ」
そんなトウマにチハヤが淡々と答える。
穏やかで揺るぎない口調だった。
その仕草も声もいつもと変わらないはずなのにどこかいつも以上に頼もしく見えたのは、きっとその冷静さのせいだろう。
「つべこべ言わずに集めろや」
すぐさまイブキの鋭い声が飛ぶ。乱雑な口調でトウマへの苛立ちを隠す気はなさそうだった。
「そもそも皿とか洗っちゃってんじゃん。意味ないと思うけどなー」
「さっきからうるせーな、調べられて困ることでもあんのかよ?」
「困るんじゃなくて面倒なことはしたくないなーって話ー」
各自が手を動かしながらも、トウマとイブキの小競り合いが始まっていた。
そんなやり取りを聞きながら、私はふと不思議な感覚に陥る。
あんなことが起こったばかりだというのに──命が失われたというのに、この場所には、どこか“いつもの日常”が残っているように思えた。
「昨日食べた夕食の残りもあるから持ってきたよ」
コハクが落ち着いた声で割って入り、手にしていた容器を他の集めた食器の隣へとそっと置いた。
その指先には、まるで壊れやすいガラス細工でも扱うかのような慎重さが宿っていた。
「これで大体集め終わったかしらね? 後は先生に任せて大丈夫?」
エンジュが食器棚を振り返りながら問いかけると、チハヤが静かに頷く。
「ええ。分かり次第、すぐお知らせしますね」
その言葉に、一同が少しだけ肩の力を抜くように息を吐いた。
事態が好転したわけではないのに“誰かが動いてくれている”という事実が、ほんの少しだけ安心させてくれた。
「じゃあ、一旦解散になるのかな」
コハクがぽつりと呟き、静けさが広がる中でトウマが首を傾げる。
「え、あんなことがあったんだし、みんな一緒にいた方がよくない?」
“あんなこと”──勿論、ウイのことだ。
まだ何も分かっていない以上、皆でまとまって動いた方が安全なのではと、私も一瞬だけ思った。
けれど、すぐにそれを否定する声が聞こえてくる。
「……時間の無駄だった」
シンは短くそう言い捨てて、すでに踵を返していた。
まるで、この場にいることすら非効率と断じるように。
「俺は別に一人でいい」
続けてイブキも低くそう言い残し、振り返ることなく扉の向こうへと姿を消す。
「えー、二人ともマイペース過ぎない?」
トウマが不満げに眉を寄せる。
けれどそれも、冗談めいた響きで深刻さを和らげようとしているのかもしれない。
「まぁ、シンとイブキだから……。俺がトウマと一緒にいるからさ」
「流石コハクくーん」
ふざけたようにコハクに抱きつくトウマに、コハクも少し困ったように笑って応じる。
こうして少しずつ、元の空気を取り戻そうとしているのだろう。
ただ、それが本当に“元に戻る”ということなのかは私には分からない。
「エンジュやミヤはどうする?」
コハクの問いかけに、エンジュはわずかに視線を落として答えた。
「アタシは……ウイの所に戻るわ。側にいてあげないと寂しがるもの。ミヤも来る?」
その声は優しさに満ちていた。
でも私は──すぐに頷くことができなかった。
「……私は……いい」
口にした言葉は、自分でも驚くほど掠れていた。
ウイの死を、完全に受け入れる準備がまだできていない。
きっと、目にしてしまったら心が壊れてしまう。心のどこかでそう分かっていた。
「ならば私に着いてきてくれませんか? 全ての食器を一人で持っていくのは無理そうなんです」
沈黙を断ち切るように、チハヤが穏やかに手を差し伸べてくれた。
その手は、もう二度と温もりを返してくれない誰かの手とは違って──確かに、現実の中にある。
「うん……」
まだウイのことが頭から離れないまま、名残惜しさを抱えて私は食堂を後にした。
「本当に良かったのですか?」
食堂を出てからすぐにチハヤが聞いてきた。
「……うん。まだ……気持ちの整理がつかなくて」
後で会いに行くことにすると答えるとチハヤは頷いてくれた。
「それがいいと思います」
どこか張りつめたままのチハヤの背中を追いかける。チハヤのゆっくりとした足音に私の足音が小さく寄り添う。
後の会話は特になく、カチャカチャと持った食器の擦れる音だけが、静まり返った廊下に小さく響いていた。




