●▲第10話「箱の中の猫」
「子供みたいに泣いて恥ずかしい」
一通り涙を流して落ち着いたのか、ウイは恥ずかしそうに笑った。
「ウイはいつも笑ってるからたまには泣いても良いと思う」
「えー悲しいことで泣くのは嫌だなぁ」
そう言ったウイの声は少し掠れていた。
泣いたせいだろう。
私は事前にコハクから受け取っていた水筒を探す。
(水筒は……どこ?)
そういえば部屋に入ってから水筒を何処かに置いた記憶がなくて、私は辺りを見渡した。
幸いにもすぐ見つけることが出来たが、可哀想な二つの水筒は床に転がっていた。
どうやらウイを慰める際に適当な場所に置いてしまっていたらしい。
「今日はもう休もう。明日は忙しくなるよ」
別々の場所にある水筒を拾い上げれば片方をウイへ差し出す。
「うん、そうだね。最初からミヤちゃんに相談すれば良かったよー」
「悩む時間もウイには大事だったんじゃない?」
お茶を受けとりながら頷くウイの声に少し元気が出てきたのが分かって安堵する。
水筒を開けると温かい湯気が漏れ出した。
ふた部分がしっかりコップになっているタイプの水筒を選んでくれたようなので、コハクに感謝しながら私はお茶を注ぐ。
そういえば気をつけることがあった。
「今日少し濃いめに入れてもらってるから少なめに飲まないと朝起きれなくなるかも」
「そうなの?」
「別のお茶を先に飲んじゃったからいつも通り飲むのは私が無理だっただけ……」
「あはは、コハクくんのお茶美味しいもんねぇ」
水筒のふたに注いだお茶はいつもより深い琥珀色。
これを受け取ってお礼を伝えた際、もう一つ言われたことを思い出した。
「そうだ、飲む時に葉っぱとか入っちゃってるかもって言ってた」
「え? コハクくんがそんな失敗するなんて珍しいね」
「茶こしが古くなってたのか壊れちゃってたんだって。入れてから気付いたって言ってた。出来る限り取ったとは言ってたよ」
申し訳なさそうに謝るコハクを思い出しながら一口。
取り切れなかったお茶の葉が、ほんの少し舌にざらつきとして残った気がした。
細かい何かが喉を滑っていく感じがする。けれど嫌な味はしない。
ふんわり鼻から抜けるハーブの香りは、いつも通りやさしかった。
*
お茶を飲んでからすぐに眠りはやって来た。
ウイも目を擦っているのが見える。
ベッドまで誘導し、毛布を肩までかけてやるとウイは目を閉じながら私の手を握って離さない。
「ミヤちゃんも……一緒に寝る……」
「狭いよ?」
「いいの……くっついて寝たらあったかいから……」
眠さは限界のはずなのにけして手を離そうとしないウイに苦笑する。
仕方ないと私はウイの隣に潜り込む。
「寝相悪くても文句言わないでね」
「へーき……きっと私の方がわるいも……」
最後まで言い切る前にウイのゆっくりと呼吸が深くなる。
眠りについたようだ。
その寝顔が穏やかで良かったと思う。
今まで不安をたくさん抱えて、誰にも言えずにいたんだろう。
(ウイは優しい子だからみんなに心配かけたくなかったのかも……)
ウイの気持ちを考えるとギュッと胸が苦しくなり、握っている柔らかな手をちょっとだけ強く握ってしまった。
すぐに気付いて慌てて手を緩める。
(明日、頑張ろう)
ネネの部屋を開けることが、今はまだ良い方に転ぶか悪い方に転ぶかは分からないけれど。
きっと停滞した状況から前には進めるだろう。
(ウイが笑って過ごせるように私は頑張るだけ)
そんなことを考えているうちに、私もいよいよ限界だった。
まぶたがじわりと重くなる。思考がほどけていく。
ウイの手のぬくもりを感じながら、私は静かに目を閉じた。
(……あったかい)
そう思ったほんのすぐ後。
どこかで水を打ったような静けさが訪れる。
誰かの名前を呼ぶ声が、遠くから聞こえたような気がして。
でもそれが誰かを気にする余裕もなく。
私の意識は深く深く、沈んでいった。
*
気付けば私は見知らぬ場所に立っていた。
夜のように暗い。
けれど空気は澄んでいて、遠くの風景がぼんやり光っている。
庭のようで、庭じゃない。
どこかの境界。
現実の隙間。
(私はきっとまた夢を見てるんだ)
ふわふわとした浮遊感に身を任せたまま、私は思う。
(夢を見ないって話、なんだったの……)
「夢なのに夢だと分かるというのも少し変」
「──変なのは君が変だから」
背後からした声に私は驚いて振り向く。
そこにいたのは
「……イヌ?」
黒い仮面に漆黒の髪、色の抜けたような瞳。
間違いようがない。
そこにいたのは十二人のメンバーの中でも特に異質なイヌだった。
「異質なのは君の方」
考えを読まれたようで私は思わずイヌから距離をとるように後ずさる。
「なんで、イヌが私の夢に出るの」
問い掛けではない。
どちらかというと非難の意味を込めて言い、イヌを睨む。
しかしイヌは全く気にした様子はなく毎回見掛ける時と同じ彼独特の、そこだけ世界が切り取られたような妙な雰囲気をまといながら言う。
「箱の中の猫の話は知ってる?」
「……箱の中の猫?」
唐突に聞かれ、私は多少面食らってしまう。
その言葉で思い浮かぶのはシュレディンガーの猫の話だろうか。
「箱の中の猫はまだ生きてるけど、その中に」
イヌの仮面は表情を映さない。
だが、じっとこちらを“見ている”ことだけは感じ取れる。
「──ウサギは入れないんだよ」
「ウサギ? ウイのこと? それってどういう」
問い詰めようとイヌの腕を掴もうと手を伸ばす。
だが、私の手は空を切った。
決してイヌが避けたわけではない。
その身体は空気のように透けていて、そもそも“触れる”ことができなかった。
「箱の中には一匹だけ」
「箱って何? この園のことを言ってるの? 輪廻の園にいれるのは十二人でしょ?」
イヌとの対話は全く会話にならない。
何を言っているのか理解が出来なかった。
けれど、何か重要な事を伝えている気がして私は焦ってしまう。
「もっとはっきり言ってよ!」
私の叫びを最後にイヌは全く喋らなくなってしまう。
沈黙の時間がただ流れていく。
どれほど経ったのか分からない頃。
また静かにイヌが口を開いた。
「箱の中の猫はミヤ」
(私?)
「そう。ミヤ」
私は何も言っていない。
それなのに、戌はまるで私の思考を読んだかのように頷いた。
「ぎゅっと」
両手で四角を作る。
「詰め込まれたら」
それをぎゅっと潰す素振りを見せて。
「──生きていられる?」
こてんと首を傾げる仕草。
本来なら可愛らしく見える仕草なのに。
それは何かを壊そうとする“子供”のようだった。
無邪気さに隠れたぞっとする異質さをまとっていた。
質問しているのだろうか。
けれど今はもう、何も考えたくなかった。
イヌと会話を続けたくなかった。
何かを知っていそうなイヌ。
けれどこれ以上、何かを受け止める余裕なんて残っていなかった。




