●閑話「ウサギの小さな贈り物」
ある日の午後、本でも読んでみようかとチハヤの部屋へ向かっている私の背後でパタパタと軽いけれど少し慌ただしい足音が聞こえてくる。
振り返らなくても分かる。
「ねぇねぇミヤちゃん!」
「ウイ、廊下を走るとまたチハヤ先生に怒られるよ」
苦笑しながら振り返るとそこにはやっぱりウイがいた。
よほど急いで来たのか息を切らせている。
ウイは少し息を整えると、
「ちょっと手、出して?」
と言ってきた。
「なんで?」
怪訝そうにしている私の前で、ウイが両手を後ろに隠したまま立っている。
「いいからいいから!」
「……また変なの乗せたらさすがに怒るよ?」
畑仕事をしていた時、同じことをされたのを思い出す。
その時に乗せられたのは私が苦手とするカエルのおもちゃだった。
私は今まで出したことがないくらい盛大な悲鳴を上げその結果、何事かと園の全員を畑に呼んでしまうという苦い思い出がある。
(あの時はまさかシンまで出てくるとは思わなかった……)
今思い出しても顔が赤くなるほど恥ずかしい記憶だ。
「今回は変なものじゃないもん」
だから早く!と急かしてくるウイへ、私は渋々手のひらを上に向けて差し出す。
すると半ば押しつけるようにしてウイは手に何かを乗せた。
それは小さなブローチだった。
干した草花を樹脂で閉じ込めた手作りのもの。
小さな雫のような透明の中に紫と黄色の色がやさしく滲んでいた。
「……これって」
「ラベンダーとカモミールだよ。ちょっとだけね、ハーブティーに使う前のやつをコハクちゃんにもらって作ったの。ミヤちゃんの服につけてもいいし、ポケットに入れておいてもいいよ」
「これ、私に?」
「うん、そだよ。仮面の代わりにはなんないかもだけど……私と友情の証的な?」
ウイはそう言って微笑んだ。
「仮面なんかより大事に思えない?」
「……そんなこと言われたら、手放せなくなるじゃない」
きっと私に仮面がないことを気にしての行為だろう。
園にいる人達にとって仮面が何よりも大事なものなのは分かり切ってはいる。
しかし、私との友情の証を仮面よりも大事だと言ってくれるウイに心が暖かくなった。
「ありがと。本当に嬉しい」
「カエルのおもちゃよりいいモノだったでしょ?」
「またやったらしばらく口きかない」
「あははっごめんってばー! もうしないよー!」
じとりとした目で見つめれば、私から逃げるように笑いながらウイは数歩離れた。
そして楽しげにクルリと一度その場で回ってみせる。
「私とお揃いだから大事にしてね」
ウイは私が貰ったものと全く同じブローチをポケットから出して見せてきた。
「もちろん」
「約束だからねっ」
私の返事にウイは満足そうに満面の笑顔を見せてくれた。
*
ウイと別れたあと、私はポケットの中のブローチをそっと指先でなぞった。
淡い紫と黄色の草花が、雫の中で静かに微笑んでいるような気がした。
仮面はないけれど、これは“私だけの証”だ。
そんなことを思いながら、私は今日も畑へと向かう。
その日、風の匂いはほんの少しだけ違っていた気がした。




