●☆第9話「聴こえない事が怖い」
パタン、と小さな音を立てて扉が閉まる。
部屋の中には静寂が訪れていた。
いつもならば、ウイが「今日は〇〇があったんだよ」や「〇〇って知ってる?」と満面の笑顔で話しかけてくる。けれど今は、ただ静かだった。
「ウイ、あの……」
何かあった?と続けようとしたその時──
「ごめん。ごめんね、心配かけちゃってるよね」
私の言葉を遮って、ウイがそう言った。
私は何て答えるべきかを一瞬だけ迷って、正直に言うことにした。
「心配はするよ。当たり前でしょ」
「だよねぇ。今の私、変だもんねぇ」
あはは、と笑うその声にいつもの明るさはなかった。
笑っているのに、まるで泣いているみたいだと思った。
「普通にしてようと思ったの。今日……ううん、今日だけじゃない。ずっと、ずーっと前から。みんなビックリしちゃうと思うし、不安にもなるだろうから」
ウイは顔を両手で覆い隠し項垂れたまま、その場に座り込んだ。
でも話している内容は断片的でなかなか要領を得ない。
「待って、なんの話をしているの?」
「ネネの話なの」
キッパリとした口調だった。
「ネネの? 今日起きたミイとの話?」
「ミイちゃんが関係してるかどうかは……分からないの。でも、関係してなくても、何か知ってるかも……」
「どういうこと? ゆっくり最初から話してみてくれる? ウイの不安、ちゃんと聞くから」
だいぶ参っている様子のウイを、まずは落ち着かせようと心を込めて声をかけた。
ここに来た当初、私に話しかけてくれたチハヤのように。
安心させるように、優しく。
「ミヤちゃん」
少しだけ落ち着いたのか、ウイが顔を上げてこちらを見る。
けれどその瞳には涙がたっぷりと溜まっていた。
「……私、“聴こえる”って話したでしょ?」
「人の感情が音になって聞こえてくるってやつ?」
「うん……。生きていれば、みんな少なからず感情を持つから、音がしない人なんて居ないの。例え寝てたとしても、ちっちゃい音はするの」
ウイの声が震えていた。
聴き慣れたはずのその声が、こんなにも遠く、こんなにも脆く響くのは初めてだった。
何か大事なものが壊れてしまいそうで、胸がぎゅっと締めつけられる。
「ネネの部屋もそう。ずっとちっちゃい音は聴こえてた。他の音とはちょっと違うけど……それでも聴こえてたの」
たどたどしく繋がれていく言葉の先に、ウイの怯えた心が透けて見える。
この子は今、何かとてつもなく深い闇の中にいる。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、心だけが遠くて──どうして、そんな顔をしているの。
そして、ウイが言葉を区切った瞬間。
部屋の空気がわずかに変わった気がした。
言葉では表せない、けれど確かに感じる言い知れぬ不安感。
まるで、この空間だけが世界から切り取られてしまったような、そんな感覚。
「それなのに、今はもうしないの」
──え?
「音が、もう聴こえないの。どうしよう、ミヤちゃん……」
僅かな張力で支えられていた涙が、次々と頬を伝って零れ落ちていく。
堪えきれなくなったウイはそのまま泣き崩れ、私はそんなウイに寄り添うことしかできなかった。
何も言ってあげることができなかった。
(どういうこと? 前はウイに聴こえていた音が今はしない?)
その事実がウイを今こんなにも不安にさせている──それは分かった。
(落ち着いて考えてみよう)
私まで不安に呑まれてはいけない。
頭を振って思考を巡らせる。
(恐らくウイは今までずっとネネの“音”を確認していた。ネネが答えなくても感情の音が聴こえていれば、“そこにいる”って分かるから)
それはウイにとって毎日の小さな生存確認だったのだろう。
(でも、今日はその音が聴こえない……?)
考えられる理由は二つ。
(単純にネネが部屋にいなかった──どこかに出かけていた)
そしてもう一つ。
(これは……考えたくもないことだけど)
さっきウイは“生きていれば音がする”と言った。
(じゃあ、もし、ネネが──“死んでいたら”?)
もしもネネがすでに亡くなっていて、遺体だけが部屋に残されていたとしたら。
(……音は、しない)
その最悪の可能性が頭をかすめた瞬間、私は無意識に顔を左右に振っていた。
駄目だ。
そんなこと、考えちゃ駄目だ。
(しっかりしなきゃ)
誰よりも最初に私に声をかけてくれたウイが、こんなにも不安に呑まれている。
ならば、今度は私が支える番だ。
(私がこの子の不安をちゃんと受け止めてあげなきゃ)
「ウイ。明日行こう」
「い、行くって……?」
しゃくり上げながら、ウイが私を見上げる。
「ネネの部屋。入ってみよう」
「勝手に……?」
「勝手に。そうすれば、何かしら分かると思うの」
何もしないで悩むより行動してから後悔した方がいい。私はそう伝えた。
「ネネは、どこかに行ってるだけだと思う。だから音がしないんだよ」
不安を和らげるように出来るだけいつも通りに。
本当は私も言い知れぬ不安感に押し潰されそうになったけれど、それは決して顔に出さないようにした。
「ネネは怖がりなんだよ……一人で出ていくとは思えないもん……」
「出なきゃいけない理由があったのかもしれない。部屋にいなかったら、みんなで捜そう」
ウイらしからぬ後ろ向きな言葉をすぐに私は否定する。
「みんなって……?」
「園全部。メイとシュウは絶対手伝うし、エンジュ、チハヤ先生、トウマ、コハクも。シンとイブキも手伝わせれば、きっとすぐに見つかるよ」
不安を見せちゃダメだ。
真っ直ぐに、強く。
虚勢だとしてもバレなければいいだけ。
「……シンシンやイブキちゃん、手伝ってくれるかな?」
「大丈夫。私が頼むから。ちゃんと手伝わせる」
はっきりと告げる私の言葉にウイの表情がようやく少しだけ緩んだ。
「……そだね。きっと、みんなで捜したら、あっという間に見つかるよね」
盛大なかくれんぼみたい、と泣きながらウイは笑った。
その笑顔がいつかのウイに少しだけ戻っていた気がして、私は安堵の息を吐いた。
「だから大丈夫。心配しないで」
「うん、ありがとう。ミヤちゃん」
もしかしたら耳が良いウイに私の強がりはバレバレだったかもしれない。
(強がりでも、それがほんの一瞬でもウイにとって救いになったなら)
なんだって良いと私は思った。




