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黒譜の民編 74話 白綴じの女

リシアは白紙市リュネアへ到着した。

そこは、書く前の紙や、まだ書けない言葉を預かる町だった。

しかし市場では、黒譜紙を破ろうとする者と、それを綴じ直そうとする者たちの噂が広がっていた。

広場の「まだ書けない言葉の箱」が黒譜に触れられ、中の白紙が勝手に言葉を浮かべ始める。

リシアは歌わず、町の人々自身が「読まない」と選ぶ時間を作った。

その場に現れたノエルは、リシアの踏み込みすぎを指摘しつつ、白い外套の女の名を告げる。

白綴じのリュシカ。

黒譜の民の記録派。

市場の奥には、彼女が残したと思われる白紙が落ちていた。


 白紙は、しばらく誰にも拾われなかった。


 市場の石畳に落ちたまま、風に少しだけ端を持ち上げられている。黒い線で書かれた一文は、遠目にも読めた。


 歌われなかった声ほど、保存に値する。


 誰も近づかない。


 市守たちも、紙屋たちも、先ほどまで黒譜紙を破ろうとしていた若い男も、その一枚を見て動けずにいる。


 リシアもすぐには触れなかった。


 黒譜の気配は薄い。


 だが、黒くないから安全とは限らない。星見台で見た返り声も、最初は優しい声をしていた。灰鐘の眠りも、人を救う顔をしていた。


 シルが肩の上で低く鳴いた。


 ちい。


 警戒している。


 リシアは頷き、鞄から布を取り出した。直接ではなく、布越しに紙の端を押さえる。


 紙は冷たくなかった。


 むしろ、乾いた手紙紙のように軽い。


 けれど、持ち上げた瞬間、耳の奥に短い心歌が触れた。


『残して。私が消える前に』


 リシアは指を止めた。


 それは、紙そのものの声ではない。


 誰かがこの紙へ込めた願いの残りだ。


 消えたくない。


 忘れられたくない。


 その願いは、悪いものではなかった。


 けれど、願いを残すことと、誰かの声を勝手に綴じることは同じではない。


 リシアは紙を折らず、布に挟んだまま市守へ見せた。


「この紙、預かってもいいですか」


 市守の男はためらった。


「本来なら、市守の保管庫へ入れるものです」


「そこに白綴じのリュシカが触れられないなら、それでも構いません」


 市守は答えられなかった。


 市場の空気が少し沈む。


 答えられない、ということが答えだった。


 保管庫は安全ではない。


 あるいは、すでに誰かが入り込んでいる。


 紙屋の一人が、声を落として言った。


「市守の保管庫からも、紙が消えています」


 別の店主が慌てて彼女を睨む。


「余計なことを」


「余計じゃないでしょう」


 紙屋は唇を噛んだ。


「まだ書けない言葉の箱だけじゃない。破られた黒譜紙も、焼いたはずの手紙も、保管庫に入れたものから順に消えている。みんな知っているのに、言わなかっただけです」


 市守の男は顔をしかめた。


 怒りより、疲れが濃い顔だった。


「言えば、市が止まる」


「もう止まっています」


 紙屋の声は震えていた。


「紙を売る町なのに、みんな自分の紙を怖がっている」


 リシアは市場を見渡した。


 白い紙の暖簾。


 帳面の束。


 封蝋の赤。


 筆先の黒。


 書くためのものがこれほど集まっているのに、町全体が書くことを恐れている。


 白紙市リュネア。


 書かれなかった言葉を預かる町。


 その優しさの隙間に、リュシカは入り込んだのだろう。


「白綴じのリュシカは、どこにいますか」


 リシアが尋ねると、誰もすぐには答えなかった。


 視線が一か所へ集まる。


 市場の奥。


 水路に沿って続く、白い紙暖簾の並ぶ通り。


 その先に、背の高い白壁の建物が見えた。


 紙屋の女性が小さく言う。


「白綴じ書庫」


「書庫?」


「昔は、出せなかった手紙や、家族に残したい言葉を預かる場所でした。封をしたまま、期限が来るまで開けない。本人が望めば返す。家族へ渡すよう頼まれた時だけ渡す。そういう場所です」


 リシアはその建物を見る。


「今は?」


「リュシカが出入りするようになってから、開けていないはずの封書に文字が増えるようになりました」


 紙屋の声がかすれる。


「亡くなった人の筆跡で」


 市場に冷たい沈黙が落ちた。


 リシアは星見台を思い出した。


 返ってくる声。


 聞きたい声。


 欲しい答え。


 リュシカがしていることは、それとは少し違う。


 声を返すのではない。


 声を残す。


 残して、綴じる。


 それが本人の願いかどうかに関係なく。


 シルが肩から飛び降りた。


 白綴じ書庫の方へ数歩進み、振り返る。


 行くのだと言っている。


「分かった」


 リシアは布に挟んだ白紙を鞄へ入れず、手に持ったまま歩き出した。


 市守が後ろから声をかける。


「一人で行く気ですか」


「一人じゃありません」


 リシアがそう言うと、シルが胸を張った。


 市守は困ったように眉を寄せたが、止めなかった。


 白綴じ書庫へ向かう通りは、ほかの市場より静かだった。


 紙暖簾が風に揺れ、乾いた音を立てている。その音が、どこか小さな拍手にも、誰かが紙をめくる音にも聞こえた。


 水路の水は澄んでいる。


 だが、時折、白い紙片が水面を流れていく。


 何も書かれていない紙。


 黒く滲んだ紙。


 半分だけ文字が浮いた紙。


 それらは水に濡れても溶けず、ゆっくりと書庫の方から流れてくる。


 リシアは一枚を見送った。


 紙には、たった一文字だけが浮かんでいた。


 待。


 待つ。


 待って。


 待たないで。


 続きは分からない。


 リシアは拾わなかった。


 今拾えば、また誰かの途中の言葉を自分のものにしてしまう気がした。


 白綴じ書庫の扉は、開いていた。


 古い木扉。


 白い布で包まれた取っ手。


 扉の上には、かすれた文字がある。


 開ける時は、預けた者の名を告げること。


 その下に、新しい黒い文字が書き足されていた。


 名がなくとも、声は保存できる。


 リシアはその一文を見て、胸の奥が冷たくなった。


 名がなくとも。


 誰の声か分からなくても。


 本人が望んだか分からなくても。


 保存できる。


 保存する。


 そこに、リュシカの思想が見える気がした。


 リシアは扉を押した。


 書庫の中は、白かった。


 壁も、棚も、床に敷かれた布も、すべて白い。


 その白さは清潔というより、音を吸い込む雪に近い。無数の封書と帳面が棚に並び、紐で結ばれている。どれも白い紐だった。


 黒い譜面紙は見えない。


 けれど、気配はある。


 棚の奥。


 閉じられた帳面の背。


 封書の重なった隙間。


 そこに、黒い線が細く潜んでいる。


 シルがリシアの足元で身を低くした。


 書庫の中央には、大きな机があった。


 その前に、一人の女が立っている。


 白い外套。


 白に近い灰色の髪。


 年齢は二十代後半にも、三十代にも見えた。顔立ちは穏やかで、目元に強い感情はない。笑ってもいない。怒ってもいない。


 ただ、そこにある紙を見ていた。


 机の上には、黒く滲んだ白紙が一枚置かれている。


「来ましたね」


 女は顔を上げた。


 声は静かだった。


「リシア・フェルミナ」


 名を呼ばれても、リシアは驚かなかった。


 むしろ、この女なら知っているだろうと思った。


 声を綴じる者。


 記録派。


 白綴じのリュシカ。


「あなたが、リュシカさんですか」


「リュシカで構いません。敬称は、記録に残す時だけで足ります」


 彼女は机の上の紙を畳んだ。


 動作に無駄がない。


 丁寧だが、相手への気遣いというより、紙を傷つけないための丁寧さだった。


「市場の箱に触れたのは、あなたですか」


「触れました」


 あっさり認めた。


 リシアは息を整える。


「なぜですか」


「失われる前に、保存するためです」


「本人が望んだか分からない言葉も?」


「望むと言える人だけが、残されるべきですか」


 リュシカは静かに問い返した。


「泣き叫ぶ声。死の直前に途切れた声。書けなかった手紙。誰にも届かなかった謝罪。名前を呼ばれる前に消えた命。それらは、本人が整った形で望まなければ、消えていいのですか」


 リシアはすぐには答えられなかった。


 その問いは、乱暴ではない。


 むしろ、あまりに静かだった。


 静かだからこそ、深く刺さる。


 リュシカは棚の一冊を手に取った。


 白い表紙の帳面。


 背には黒い文字で、未唱記録と書かれている。


「歌われた声は、歌術師の解釈を通ります。祈りとして整えられ、救いとして形を与えられる。けれど、その前にあった声は、もっと曖昧で、醜くて、矛盾している」


「だから保存するんですか」


「ええ」


 リュシカは帳面を開かなかった。


 閉じたまま、両手で持っている。


「誰かに美しく歌われる前に。誰かに意味を与えられる前に。声が声であった痕を残します」


 リシアは、自分の歌詞帳に触れた。


 リュシカの言葉は、リシアの歌そのものへの問いだった。


 心歌を聞き、歌詞にする。


 それは、救いにもなる。


 だが、形にする時点で、リシアの解釈が入る。


 聞いたものをそのまま残しているわけではない。


 リュシカはそこを見ている。


 いや、責めているのかもしれない。


 リシアの胸の奥に、心歌が浮かびかける。


『私が歌にしたものは、本当にその人の声だったの?』


 自分自身の声だった。


 リシアはそれを否定しなかった。


 その問いは、ずっと持つべきものだ。


 でも、今この場で飲み込まれてはいけない。


「保存することと、本人の知らないところで綴じることは違います」


 リシアは言った。


「市場の箱は、まだ書けない言葉を預かるための箱でした。読まれたくないものもあった。消したくないけれど、今は開かれたくないものもあった」


「開かなければ、失われます」


「失われないように預けたんです。あなたに読ませるためではありません」


 リュシカの目が、初めてわずかに動いた。


 怒りではない。


 興味に近かった。


「あなたは、読まないことを選んだ」


「はい」


「歌術師なのに」


「歌術師だからです」


 書庫の空気が、ほんの少し揺れた。


 リシアは言葉を続ける。


「聞こえるからこそ、聞かない選択が必要です。歌えるからこそ、歌わない選択が必要です」


 リュシカは黙っていた。


 その沈黙は長かった。


 書庫のどこかで、紙が一枚めくれる音がする。


 リュシカはやがて、未唱記録の帳面を机に置いた。


「では、これはどうしますか」


 彼女は帳面の紐をほどく。


 リシアは一歩近づこうとして、シルに外套の裾を引かれた。


 シルは首を横に振っている。


 見ない方がいい。


 そう言っているようだった。


 リュシカはそれを見て、淡く目を細めた。


「賢い相棒ですね」


 シルは警戒したまま鳴かなかった。


 リュシカは帳面を開く。


 中は白紙だった。


 だが、ページの奥から微かな声が聞こえる。


 声ではない。


 文字になる前の震え。


 歌になる前の息。


『嫌い』


『助けて』


『許さない』


『覚えていて』


『なかったことにしないで』


 リシアは反射的に耳を塞ぎかけた。


 すぐに手を止める。


 塞いでも、これは耳から入っているわけではない。


 ページそのものが、こちらの心へ触れようとしている。


 リュシカは淡々と言った。


「これらは、歌われなかった声です。あなたが訪れた町々にも、同じものが残っていたはずです」


 ページに、いくつかの地名が浮かぶ。


 ラグナ。


 エルネ。


 レムナ。


 セレスタ。


 リシアの呼吸が乱れる。


「どうして、その名を」


「記録派は、記録します」


 リュシカは静かに言った。


「あなたが歌にした声だけではありません。あなたが聞かなかった声。聞けなかった声。歌にならずに残された声も」


 ページの端に、さらに文字が浮かぶ。


 灰鐘。


 リシアの手が震えた。


 シルが鋭く鳴く。


 ちいっ!


 帳面のページが少しだけ波打った。


 リュシカはシルを見た。


「なるほど。灰鐘は、まだ早いですか」


「あなたは、灰鐘の記録にも触れたんですか」


「触れたのは私ではありません。灰鐘の名は、すでに多くの記録に裂け目として残っている」


 リュシカは帳面を閉じた。


「裂け目は、放置すると広がります。だから綴じる」


「綴じれば、見えなくなる」


「見えなくなることと、消えることは違います」


「でも、選べなくなる」


 リシアの声が少し強くなった。


 灰鐘で見た寝台。


 選ばせて。


 その刻み文字が、胸の奥に浮かぶ。


「綴じられた声は、自分で開く時を選べません」


 リュシカは、今度はすぐに答えなかった。


 白い外套の袖が、机の縁に触れる。


「選ぶ前に消える声もあります」


「だから、あなたが選ぶんですか」


「誰かが残さなければ、歴史は勝者の歌だけになります」


 その言葉は、重かった。


 リシアは反論できない。


 王国も歌を利用した。


 進軍詩も、凱旋讃歌も、王国に都合のいい形で記録されていた。


 黒譜だけが悪ではない。


 歌術師だけが正しいわけでもない。


 リュシカの言葉は、その隙間へまっすぐ入ってくる。


 だが、それでも。


「残すことに、同意はいらないんですか」


 リシアが尋ねると、リュシカは静かに答えた。


「死者は同意できません」


「生きている人は?」


「同意できるほど、自分の声を理解している人ばかりではありません」


「それは、奪う理由にはなりません」


 リュシカの目が、リシアを捉えた。


 初めて、少しだけ冷たく見えた。


「では、あなたの歌はどうですか」


 問いは静かだった。


「あなたは、聞いた心歌を形にする。相手が理解する前に、その人の声を歌詞にすることがある。相手は、あなたの歌を聞いて初めて、自分の本音を知る」


 リシアは唇を結んだ。


「それは、同意ですか」


 痛いところだった。


 リシアは、これまで何度も心歌を形にしてきた。


 相手のために。


 隣に灯を置くために。


 でも、リュシカの言うように、先に形を与えてしまった場面もあったのではないか。


 相手が自分で言葉にする前に、歌詞として渡してしまったことが。


 リシアの沈黙を、リュシカは責めなかった。


 ただ、帳面を撫でる。


「私は、歌にしません。救いにもしません。ただ残します」


「ただ残すことも、暴力になることがあります」


「ええ」


 リュシカは頷いた。


 あっさりと。


「知っています」


 リシアは目を見開いた。


 リュシカは淡々と続ける。


「記録は暴力です。保存は、時に救いよりも残酷です。それでも、消されるよりはましな声がある」


 その言葉の中に、ノエルの紙片が重なった。


 返らない声の方が、ましな夜もある。


 リュシカは、まったく別の方向から同じような痛みに触れている。


 返さないノエル。


 綴じるリュシカ。


 試すエルバ。


 黒譜の民は、一つではない。


 けれど、どの声にも、歌への不信がある。


 リュシカは机の上に、一枚の封書を置いた。


 白い封筒。


 封蝋はない。


 ただ、黒い糸で閉じられている。


「これは、あなたへ渡すために預かりました」


「私へ?」


「差出人は記録されていません」


 リシアは封書を見た。


 黒い糸。


 白い封筒。


 宛名はない。


 だが、紙の端に淡い青の染みがあった。


 ノエルか。


 そう思った瞬間、リュシカが言った。


「差出人を決めつけるのは、危険です」


 リシアは息を呑む。


 心を読まれたのではない。


 表情を見られたのだ。


 リュシカは記録する人間だ。


 小さな反応を見逃さない。


「開けますか」


 リュシカが尋ねた。


 開ける。


 開けない。


 その選択を、今度はリシアに渡している。


 だが、本当に選ばせているのかは分からない。


 開ければ、リュシカはリシアの反応を記録するだろう。


 開けなければ、手紙の中身は分からないまま残る。


 シルがリシアの足元で、封書をじっと見ている。


 止めてはいない。


 ただ、警戒している。


 リシアは手を伸ばした。


 封書を受け取る。


 開けなかった。


「今は読みません」


 リュシカはわずかに首を傾けた。


「なぜ?」


「今ここで読むと、あなたに私の反応まで綴じられる気がするからです」


「正しい判断です」


 リュシカはそう言った。


 褒めているのか、記録しているのか分からない声だった。


「では、それを持って行きなさい。開ける時を選ぶ記録も、必要です」


 リシアは封書を鞄へ入れた。


 歌詞帳には挟まない。


 ノエルの紙片とも、自分の薄青の紙とも別の場所へ。


 混ざらないように。


 リュシカは未唱記録を棚へ戻した。


「また会います」


「私は、あなたのやり方を認めたわけではありません」


「認める必要はありません。記録は、認められなくても残ります」


 リシアはリュシカを見た。


「なら、私は見ます。残されたものが、誰かの選ぶ力を奪っていないか」


「それも記録しましょう」


 リュシカは初めて、ほんの少しだけ微笑んだ。


 笑みというには薄すぎる。


 だが、確かに表情が動いた。


「歌魔術師リシア・フェルミナ。聞かないことを学び、読まないことを選び、それでも記録に抗う者」


「勝手にまとめないでください」


 リシアは思わず言った。


 リュシカは瞬きをした。


「不正確でしたか」


「かなり」


「では、次回までに修正します」


「そういう意味ではありません」


 リシアの返事に、シルが小さく鳴いた。


 少しだけ呆れたような声だった。


 緊張の中に、ほんのわずかな隙間ができる。


 だが、その隙間はすぐに閉じた。


 書庫の奥で、何かが落ちる音がした。


 リュシカの目がそちらへ向く。


 棚の一角。


 白い帳面が一冊、床に落ちている。


 表紙には黒い糸が巻かれ、まだ結ばれていない。


 その表紙に、ゆっくりと文字が浮かんだ。


 ノエル・ヴァイス。


 リシアの心臓が強く跳ねた。


 リュシカの表情も、わずかに変わる。


「これは、まだ綴じていないはずですが」


 床の帳面が、ひとりでに開きかける。


 シルが鋭く鳴いた。


 リシアは咄嗟に前へ出る。


 帳面の中から、冷たい風が吹いた。


 その風に混じって、少女の声が聞こえた。


『歌なんて、なければよかった』


 リシアは立ち止まった。


 ノエルの声に似ていた。


 だが、これが本物かどうかは分からない。


 リュシカは静かに言った。


「記録が、先に開こうとしている」


 それは、彼女にとっても予想外のことらしい。


 帳面のページが、さらに開く。


 リシアは歌詞帳へ手を伸ばしかけ、止めた。


 読むべきか。


 閉じるべきか。


 ノエル本人がここにいないまま、その記録を見ていいのか。


 白い書庫の中で、黒い糸がほどけていく。


 リュシカの声が、低く落ちた。


「選びなさい。歌術師。これは、あなたが知りたがっていた声です」


 リシアは唇を噛んだ。


 知りたい。


 でも、本人のいない場所で知っていいのか。


 その問いが、書庫の白い空気の中で静かに重くなっていった。



今回は、白綴じのリュシカが本格的に登場しました。


彼女は、エルバのように人を試す者ではありません。


ノエルのように、歌そのものを激しく拒む者とも少し違います。


リュシカは、声を残そうとする者です。


けれど、本人が望んだかどうかに関係なく残すことは、救いにも暴力にもなります。


リシアの歌が、人の心歌を形にするものである以上、リュシカの問いはリシア自身にも返ってきます。


聞いた声を、誰が形にしていいのか。


残すことは、本当に守ることなのか。


そして最後に開きかけたのは、ノエル・ヴァイスの記録でした。


今回も読んでくださり、ありがとうございました。


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