星渡りの石列編 101話 遅れてくる足音
星写しの町ミレネで、リシアたちは水鏡に映る顔ではなく、足元を照らす星の道標を得た。
星片の影はミレネで保留され、持ち主が確認されるまで返さないことになった。星の断章はまだ正式には得ていない。
ミレネを発つ朝、リシアはルティアから返る鈴を受け取り、シルは鈴型の焼き菓子をもらった。
道中、旅人の馬車から、北東にある星渡りの石列では自分の足音が遅れてついてくるという噂を聞く。
リシアとシルは、鈴と焼き菓子の小さな音を連れて、星渡りの石列へ向かう。
星渡りの石列へ近づくにつれて、道の音が変わっていった。ミレネを離れたばかりの道では、水路の名残がまだ空気に残っており、湿った草の匂いと遠くで鳴る水鳥の声、そして鞄につけた返る鈴の澄んだ音が混ざり合っていた。けれど北東へ進むほど地面は乾き、草は短くなり、土は白っぽい砂を混ぜた色へと変わっていく。丘を越えるたび風は強まり、リシアの淡い青のローブの裾を何度も引っ張った。
鞄の返る鈴が鳴る。ちりん、と澄んだ音。その少し後で、シルが鈴型の焼き菓子をかじる。ぱり、と軽い音。足音と鈴と焼き菓子、その三つの音が並び、リシアは思わず笑みを浮かべた。
「シル、それまだ残ってたの?」
肩の上でシルは焼き菓子を両前足で抱えたまま、当然だという顔をする。半分ほどになったそれを、ただ食べるのではなく、歩く音の合間を選ぶように少しずつかじっているらしい。
「もしかして、音を合わせてる?」
問いかけると、シルは目を逸らした。明らかに合わせているが、認めるつもりはないようだ。その小さな意地に、リシアの肩の力が抜ける。
ミレネで得た道標は、まだ歌詞帳の中で薄く光っていた。星は顔を返す水ではなく、足もとを照らし戻る道を残す小さな光。その続きはまだ白紙だが、急いで埋めたい気持ちは今は薄れている。星は答えを返すものではないのなら、そこへ向かう道もまた答えを拾いに行くものではないのだろう。
リシアは足元を見た。乾いた街道に自分の靴跡が淡く残り、その横でシルの影が揺れている。水鏡に映らなかった理由は分からないままだが、今ここで彼は確かに肩にいて、焼き菓子を大事そうに抱えている。その事実だけで十分だった。
昼を過ぎた頃、道の先に石が見え始める。最初はただの道標に見えた白く細長い石が一本、丘の上に立ち、その先にも等間隔で石が並んでいた。近づくにつれて数は増え、道の左右に背丈ほどの石柱が立ち並ぶ。いくつかは傾き、いくつかは半ば土に埋まり、表面には古い線が刻まれていた。それは星座の図にも、足跡をつないだ線にも見える。
「ここが、星渡りの石列……」
風が石の間を抜け、ひゅう、と細い音を鳴らす。それは笛のようではなく、誰かが遠くで息を吸い、返事をしないまま通り過ぎたような音だった。シルが焼き菓子をかじる手を止め、耳を立てる。
「何か聞こえる?」
ちい、と短く鳴く声は警戒を含んでいたが、すぐ逃げるほどではない。リシアは鞄の返る鈴に触れ、ちりんと鳴らす。その音は風に流され石列の間へ吸い込まれたが、返ってくることはなかった。ミレネでは戻ってきた音が、ここでは戻らない。その代わりに、別の音がした。
ざり、と砂を踏む音。リシアは足を止める。自分は動いていないのに、背後で同じ音がする。もう一度、少し遅れて。振り返っても誰もいない。ただ白い土と低い草と、ミレネへ戻る街道があるだけだ。それでも、さっき踏んだ場所の砂が沈んでいる。
「……遅れてくる足音」
噂の言葉が胸の奥で鳴る。確かめるように一歩進むと、ざり、と自分の足音が鳴り、少し遅れて同じ音が後ろから返る。これはただの反響ではない。何かが歩いた跡をなぞっている。
歌詞帳へ手を伸ばしかけたその時、石列の向こうから叫び声が上がった。
「来るな!」
続いて激しい足音が近づき、石の間から一人の旅人が飛び出してくる。三十前後の男で、外套は裂け、顔は青ざめていた。
「歌術師……?」
「大丈夫ですか」
「止めてくれ!」
駆け寄ろうとして転んだ男にリシアは駆け寄り、シルも肩から飛び降りる。男が振り返ると、その背後から足音が追ってきていた。彼はもう走っていないのに、足音だけが速く近づいてくる。
「来るな、来るな……!」
男は後ずさりながら叫ぶ。リシアは肩を支えた。
「落ち着いてください。名前は?」
「サージ……サージ・ロウ」
「サージさん、何が起きたんですか」
「歩いただけだ! 石列を越えれば近道だって言われたのに、途中で足音が遅れて聞こえた。最初は俺の音だと思った。でも違う。あれは俺より俺の道を覚えてる」
サージの喉が震え、その心歌がリシアの耳に触れる。『戻りたくない。でも置いてきた。あの石の間に。聞こえたんだ、母さんの足音が』
リシアは息を呑む。母の足音。それが真実か恐怖かは分からないが、断片を決めつけるわけにはいかない。
「誰かの足音を聞いたんですね」
「母の音だった。右足を少し引きずる癖があって、それで分かった。俺を呼んでるみたいに」
ざり、と足音がまた近づく。サージは震えながら言う。
「でも母はもう死んでる」
リシアは返る鈴を握る。ここは顔を返す場所ではなく、足元を返す場所。だがそれは時に人を縛るのかもしれない。
「歌ってくれ。消してくれ」
簡単に求められる言葉に、リシアは迷う。恐怖を消せば彼は立てるかもしれないが、同時に戻ってしまうかもしれない。足音はすぐそこまで来ている。
ざり、ざり、と迫る音の中で、サージの足が勝手に動き始めた。後ろへ、石列の奥へ。
「違う! 俺じゃない!」
リシアは腕を掴む。聞くだけでは間に合わないと悟り、息を吸った。
「歌います」
それはサージの足を彼自身へ返すための歌だった。
〔――今の足よ、ここへ戻れ。過ぎた歩みは道に置け。追う音は土へ返れ。選ぶ足だけ今に残れ〕
細く切れない旋律が砂の上に落ち、鈴が鳴る。足音がぶつかり、見えない一歩が踏み込まれる。サージの足は引かれながらも、やがて前へ折れ、自分の意思で踏みとどまった。
「俺は、戻らない」
その言葉とともに、足音が一つ遅れて止まる。静寂が戻り、風が石の間を抜けた。
サージは崩れ落ちるが、まだ恐怖は消えていない。
「消せなかったのか」
「はい。止めただけです」
彼は震える足を見つめながらも、石列へ戻ってはいない。リシアはその事実を確かめるように頷いた。
やがて二人は立ち上がり、石列の外れにある小屋へ向かう。そこには灰色の髪の少女が立っていた。
「六つ遅れていました」
彼女は淡々と言う。
「その人の足音です。入口では六歩遅れ、さっき一つ追いつきかけた」
「数えていました。星渡りの石列では足音を数えないと戻れません」
少女はリーネと名乗り、リシアを見て続ける。
「あなた、歌いましたね。なら石列もあなたの声を覚えました」
ちりん、と鈴が鳴り、少し遅れて石列の奥から似た音が返る。それは鈴ではなく、歌の端だった。
「今夜は入らない方がいいです。夜になると足音は本人より先に帰り道を知り、追いついた足音は一番戻りたい場所へ連れていきます」
夕陽が沈み、石の影が長く伸びる。その影の間から、ざり、と遅れてくる足音が鳴った。それが誰のものか、まだ分からなかった。
お読みいただきありがとうございます。
星渡りの石列編、開幕です。
今回は、星写しの町編とは違い、水鏡や記録ではなく、「足音に追われる」という外側の怪異を前面に出しました。
リシアはまず聞こうとしますが、それだけでは間に合わず、自分の責任で短い守護詩を歌います。
歌ったことで一時的に助けることはできましたが、同時に石列へリシアの声も覚えられてしまいました。
星の断章へ向かう道は、ここから少しずつ危うさを増していきます。
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気づいたら物凄い量の物語になってきました。
私自身、文章を勉強しながら進めています。
突然書き方が変わったりするかもですがリシア同様私も成長?途中なので温かい目で見守ってください^^;




