【2-3】踊り子ラナ
連れてこられたのは、街の中心部にある小さな食堂だった。
椅子に座った踊り子――ラナさんは、メニューも見ずにヤクの串焼きを二本と麦酒を頼んだ。なじみの店らしく、給仕とも軽口を叩き合っていた。
「ごめんね、強引に連れてきて」
注文を終えてから、ようやくそう言った。少しも悪そうには見えなかったけれど。
「あはは……」
(本当に、すごく強引だった。)
笑うしかない。手首にはまだ、指の感触が残っている気がした。
串焼きの煙が漂ってきて、空腹だったことをようやく思い出す。店の中は賑やかだった。隣のテーブルでは男たちが笑いながら杯を重ねていて、奥では給仕が大声で注文を復唱している。昼間あれだけのことがあったのに、誰もがごく普通の顔をしていた。
「どうしたの? 何か気になることでも?」
探るような目ではない。ただ、素直に気になっている、というふうな目だった。
隠しているつもりだったのに、と思う。
「いや……あんなことがあったのに、皆さん普通だなって」
街に戻る途中で見た光景が、頭から離れなかった。ワイバーンの残骸が片付けられ、露店が再開し、子供たちがまた通りを走り回っている。まるで何事もなかったように。
「あんなのは日常茶飯事よ。いちいち落ち込んでなんていられないわ」
ラナさんはヤクの串焼きを頬張りながら、あっけらかんと言った。
その屈託のない笑顔が、かえって眩しかった。
王国で見ていた顔と、違う。王国の人々はいつも誰かに頼ることを前提に生きていた。助けてもらうことが当然で、その当然が揺らいだ時だけ怒った。でもこの人は違う。最初から、自分の足で立っている人間の顔をしている。
「改めて、アタシはラナ。普段は用心棒をやってるんだけど、空いてる時間に踊り子もやってるわ」
「通りで。あの身のこなし、ただ者じゃないと思ってました」
「あら、光栄ね。アタシもあなたのあの魔法、ただ者じゃないと思ったわ」
ラナさんはくすりと笑った。
「それで、何か不自由していることはない? 旅人さんでしょう」
「え……どうして旅人だって」
「なんたってアタシの踊りを食い入るように見てたから。地元の人だったらいつでも見られるし、そんな顔はしないのよ」
見透かされる。どうもこの人は、人をよく見ている。踊りで鍛えた目なのか、それとも用心棒としての習性なのか。
「それで、あなたの名前は?」
「……私はリナ、と申します」
「オッケー、リナ。今日はアタシのおごりよ。助けてもらったお礼をしなくちゃ」
「そんな、いいですよ。私も咄嗟に動いてしまっただけですし……」
「だめよ」
きっぱりと遮られた。
「アタシが気分悪いの。ローレは自衛が鉄則なのに、外から来たお客さんに助けられてちゃ、世話ないわ」
(自衛――)
その言葉が、するりと胸に沁みた。
助けてもらったことを恥じている。礼を言う以上に、自分が情けないと感じている。それはつまり、もともと自分で守れるはずだという自負があるということだ。
王国では、誰もそんな顔をしなかった。助けてもらうことを当然と思っていたから、礼も言えなかった。
「あの、自衛が鉄則って……」
「この国ではね、幼い頃から戦闘訓練を受けて、自分たちで国を守れるようにしているの。今は軍が進軍に手一杯で、防衛に手が回っていないから、特にね」
ラナさんは串焼きをもう一口かじりながら、さらりと言った。でもその言葉の重さは、さらりとした言い方とは不釣り合いだった。
「進軍? まさか、魔王領にですか?」
「魔王討伐は、誰かがやるしかないのよ。聖女召喚が失敗したとかで、大陸の聖女同盟が戦域から撤退してしまって――奴らはウチに丸投げなわけ」
ラナさんはそこで少し顔を歪めた。苦い、というより呆れたような表情だ。
「別に、もともとウチは聖女同盟には入っていないから。そもそも聖女の戦力なんて頭数に入れていないわ。ただ、同盟が一気に戦意をなくしちゃって。本当に情けない連中だわ」
聖女召喚が失敗した、という言葉が耳に刺さった。二度目の世界で召喚された私の行動は、確かに失敗に見えるだろう。召喚を断り、勇者パーティとも戦った。あれが「失敗」として広まったのだとしたら――。
(私の行動が、この国に余計な負担をかけた)
その思いを顔に出さないように気をつけながら、私は言った。
「……この国の人たちは、大丈夫なんですか? こんなに厳しい状況なのに」
「大丈夫よ。この国を愛しているから」
ラナさんは迷わず言った。
迷わなかった。一瞬たりとも。
「強い……ですね」
思わず口に出た言葉だった。羨ましい、とも少し思っていた。自分が守りたいものを守るために、ただ自分の力を磨く。そういう生き方を、私はこの世界では一度もできていなかった。
「恩には精一杯返す。公国流なのよ」
ラナさんはそう言ってにっこりした。
私が渡したものを返そうとしてくれる。
そのことに、じわりと目頭が熱くなる。悟られないように、私は視線を手元の杯に落とした。
「……ありがとうございます。じゃあ、おごってもらいます」
「よし、決まり!」
ラナさんは明るく言って、給仕に追加の注文をした。
不思議な人だ、とまた思った。話していると、この人のペースに自然と引き込まれる。威圧するわけでも引っ張るわけでもなく、ただそこにいるだけで、こちらが勝手に近づいていく感じがする。
公国の人はみんなこうなのだろうか。
もし、そうなら。
ラグナロク公に、会ってみたい。
***
食事の後、ラナさんは街を案内すると言って連れ出してくれた。
ラナさんが連れて行ってくれたのは軍の訓練場、街の市場、そして――城を見上げる丘だった。
「あれが大公が住んでいる陽の塔よ。公国の心臓ね」
(見た目は王国の城より質素だ。でも、造りが違う。どこを見ても最終防衛線として機能するように計算されている)
城を見上げながら、私は決意を固めた。
「……ラナさんは踊り子ですよね?大公ともつながりがあったりするんですか?」
「あるわよ。ご贔屓にしてもらってるわ」
(今がチャンスだ)
「であれば……私も連れて行ってくれませんか。どうしても、大公に直談判したいことがあるんです」
「それは、何のために?」
真剣な眼差しで彼女は私に問いかけた。当たり前だ。素性の明らかでない人間が無茶な頼みをしているのだから、警戒するのは当然だった。
でも――この人なら理解してくれる。そんな気がした。
「魔王を、倒すために」
彼女は特に驚かなかった。しばし私の目を見つめ、それからゆっくりとうなずいた。
「……分かったわ。大公に会わせてあげる。来て」
「え、ちょ、ラナさん!?」
彼女は私の手を取ると、走り出した。




